1-7 居場所
「――――カロ、嫌な予感がする」
シズクがそう言った次の瞬間――――爆発音と共に、台座に続く地面が崩壊する。と、瓦礫とともにカロたちは一気に安定感を失った。
と、同時に目の端では岩手が陽華のことを蹴って、崩落の範囲外に出す。
「……岩手隊長!?」
「逃げなさい!」
そう告げると、岩手はカロと共に落下していった。
「骨喰特等! 玉砂シズクを守りなさい!!」
岩手が叫ぶ。と、カロはシズクを一瞥し、
「……ッ、応えろッ!! 《魔蜘蛛古城》ッ!!」
と、地面に向かって手を伸ばした。
次の瞬間――――その言葉に従うように、カロの左目が訓練の時にも眼帯少女の事件の時にも見せなかった眩い光を放つ。
そして、カロの手からは放射状に魔術の糸が広がり、大きなマットのようになってカロとシズクと、それから岩手を受け止めて瓦礫の上に安全に降ろした。
カロが、ふぅーっと息を抜く。と、岩手が、
「助かりました。まさか、崩落するとは……」
と、カロを労い、手を貸した。
「……しかし、やはりあなたのトリガーは玉砂シズクのようですね」
「え?」
「あなたは、玉砂シズクのためなら魔術的恍惚感に入ることができるということです」
「……やはりってことは、試したんですか?」
「まさか! 偶然の産物ですよ。私たちは、あなたの味方です。あなたが最も大切にしているのは、玉砂シズクだと知っているんですから」
カロが立ち上がり、役目を終えた握手を解こうとする。――――しかし、岩手はそれをガチッと離さないまま、こう続けた。
「……そこで、契約をしませんか。あなたに美味しい契約です」
カロは嫌な予感がした。が、「まさか」と口にするよりも早く、岩手は、
「我々のスパイになってください。任務は、赤木陽華の監視です」
と、カロの耳元で囁いた。
「……マジかよ」
「マジも何も、大真面目ですよ。そして、これはあなたと――――玉砂シズクにメリットがある契約だ」
「え?」
「もし、あなたが私に協力してくれるなら、私が副司令になった時、『あなたと玉砂シズクの特魔入りの取り消し』。そして、『監視の撤廃』をお約束します」
「――――ッ!」
それは、カロの求めるシズクとの平穏そのものだった。
「ま、心に留めておいてください」
そうして、岩手は手をパッと話すと、上の階からこちらを見下す陽華に向かって、
「ハシゴかロープをお願いします」
と、言った。
▼ ▼ ▼ ▼
しばらくして、1台の車が旧特魔の施設から走り去った。
「……一瞬とはいえ、さっきの魔力量は」
その光景をじっと見つめていたのは、陽華だった。すると、その後ろから、
「すみません。片付けの指示に手間取っていて。彼は、もう帰りましたか?」
と、岩手が声をかける。
「ええ。……それで話がある、というのは」
「彼を鍛えるんですよね? 陽華補佐」
「それが総司令の命令ですから。これは、あなたでも取り消せませんよ」
「構いません。彼が強くなるのはいいことです。それに、魔術的恍惚感に常に入れるわけでもない。素の強さは必須です。……ただし、やり方がよろしくない」
「やり方?」
「彼は、今のままではとても足りない」
岩手はそう言うと、どこか遠くを見つめているような目から、グッと陽華の心を覗き込むような光のない目に変わって、
「あの人形を上手く使いなさい、陽華補佐。彼の強さのトリガーは、あれだ。彼を強くするためなら、あれを壊したって構わない」
と、告げた。
「……何を、そんなに急ぐ必要が」
「……彼を死なせないためですよ。禁書において、彼は重要なピースですから」
2人の間を風が吹き抜けていく。それが過ぎれば、岩手はいつもの柔らかな表情に戻った。
▼ ▼ ▼ ▼
一方、カロは車に揺られ、都内へと戻ってきていた。運転は、岩手の使いのものだ。
――――もし、あなたが私に協力してくれるなら、私が副司令になった時、『あなたと玉砂シズクの特魔入りの取り消し』。そして、『監視の撤廃』をお約束します。
スパイ、という単語を、昨日と今日だけでもう何回も耳にした。
(……結局、現状を整理する。今、俺に来てる話は……、
① 総司令――――目的:岩手隊長の監視と禁書の調査。こちらへの条件:協力しなきゃ、シズクを破壊する。
② 岩手隊長――――目的:陽華の監視。こちらへの条件:将来的な特魔からの解放。
……って、ところか)
考え込んでいると、目の端で窓に反射したネオンがちらつく。街の光は、隣に座るシズクの顔を色とりどりに撫でていった。
――――あたしは、ただお姉ちゃんを守りたいだけ。
その様子を見ていると、アザミの潮らしい顔が、真摯な言葉が頭の中に浮かんでくる。
(③ 赤木アザミ――――目的:陽華の護衛兼監視。こちらへの条件:無し)
なんで、こんな時に思い出したのか。カロは、ブンブンと首を振る。
(……いやいや! これは無し!)
そして、長いため息を吐くと、「ちょっと考え事をしたいから」と車を降ろしてもらった。
腕を組み、薄暗い街を歩きながらカロは問答を続ける。
(……てことは、俺が岩手隊長の案を承諾した場合、二重スパイになるってことか?)
カロは、絡み合った状況を紐解いていく。
(赤木アザミから聞いた話で、なんとなく特魔内が総司令派と岩手隊長派で対立していることは分かる。だから、総司令は俺を送り込んだんだ。……一方で、岩手隊長は総司令側へのけん制として、俺を味方につけようとしてる? 俺の岩手隊入りを進言したのは、岩手隊長らしいし……。恐らく、総司令側のスパイである陽華補佐の動きを俺に探ることで、総司令の動向を把握しようと。それも、この上なくいい条件で)
すると、ぐるぐると思考を巡らせる中で、カロは気づく。
(……いや、待てよ。陽華補佐が総司令側だとするなら、なんで総司令は陽華補佐を俺に事前に紹介しなかった? 陽華補佐もスパイなら、予め知っていたほうがお互いに行動しやすいはず……。ってことは、陽華補佐は総司令側じゃない?)
カロは、思わぬ事実に立ち止まる。
(これは推察になるけど、赤木アザミの証言に「何考えているか分からない」や「自ら志願した」とあった通り、陽華補佐はきっと単独で動いてるんじゃないか? とするなら、陽華補佐へのスパイ行為は、総司令への裏切りにはならない……?)
だが、それには欠点もあった。
(だけど、結果的には裏切りになる可能性もあるんだよなぁ……。それに独断で動いてたとしても、陽華補佐だって俺に怪しい動きがあればすぐに上に報告するだろうし。それがバレれば、俺とシズクの身は……)
カロは出口のない迷路に辟易して、空を見上げる。
(俺は、どれに従う……?)
すると、その時、ぐいぐいと腕を引っ張られた。
「カロ、家、ここじゃない。ここ、前の家」
振り返ると、そこにいたのは一緒に車を降りたシズクだった。
「ん? あ……」
そして、シズクの指し示す先を見上げると、そこにあったのは――――かつてカロが住んでたマンションだった。といっても、引っ越したのはほんの数日前だけど。
それでも、胸には懐かしさが込み上げてきた。だから、カロはその寂しさで胸がいっぱいになる前に、
「……そうだな。行こ」
と、家の前を後にしようとした。
その時――――ドンッと誰かにぶつかりそうになって、カロは咄嗟に、
「すみません」
と、横に避けた。そして、次の瞬間――――カロはその相手から目が離せなくなる。
「……っくりしたぁ」
そう漏らしたのは、カロの母親だった。
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