7-1 蜘蛛の糸
ヒュウガがニコッと笑う。と、次の瞬間、ヒュウガの右腕がシズクの胸を貫いた。
「カロ! これがなんだか分かるか!?」
そう声色を昂らせるヒュウガの右手には、赤い玉が握られていた。
シズクはただ無抵抗で、どこか遠くを見つめている。
その姿は、まるで電源を切られたロボットかのように力がなかった。
「な、何してんだ! コアだろ、それ! それが無くっちゃあ……」
「――――そうだ! が、違う!! いいか、半永続的な魔力供給器官を作る場合、術者の体の一部を供給器官に変える必要があるんだよ。対象者と無意識下でも繋がるためにな」
「術者の体の一部……?」
「この場合は、お前だな。……さあ、心当たりはないか?」
「こ、心当たり……!?」
そうは言われても、赤い玉なんて見たこともない。
(赤い玉、赤い玉……)
体の一部……。だが、手足にだって、欠損はない。なら、内臓などの見えない部分だろうか。
しかし、そんな見てわからないような問題を出すだろうか。
要は、気づけるけれど、気づいていない部分なのだ。
(赤い玉……。赤い玉……)
そして、カロは1つの答えに辿りつく。
(赤い玉、赤い玉――――赤い、目玉?)
カロが無意識に義眼に手を添える。と、ヒュウガはニヤッと笑い、
「正解だ、カロ。これは、お前が事故で失ってたと思っていた目玉だよ」
と、残酷な事実を告げた。
次の瞬間――――ヒュウガとシズクを取り囲む空間に、黒い魔力の渦が溢れる。
すると、ヒュウガの握っているシズクのコアに影が落ち、やがてコアの赤を侵食するように黒い魔力が広がっていっていた。
「可哀想だ。こんなもののせいで縛られてしまって。今、解放しますからね」
「待っ――――」
カロは届きもしない手を、シズクとシズクのコアに向かって伸ばす。しかし、
「――――残念。時間切れだ」
ヒュウガはそんなカロをぶった斬るように、冷たい視線を向けてそう言った。
ズバッ――――ヒュウガは、シズクの胸から右腕を引き抜く。
遅れて、宙に浮いた黒く染まったコアが、シズクの体の中に戻っていく。
と、同時にカロは、自分の中から何かが失われ、雪山でたった1人になってしまったような孤独感に襲われた。シズクとの繋がりが失われたことを感覚的に理解させられた。
カロは、その場で両膝を地面につく。とても、立ってはいられなかった。
すると、そんなカロをどん底まで鎮めるようにヒュウガが目も合わせず言った。
「カロ、お前を本心から好きになる人間なんていないんだよ。その証拠に、お前と今の家族の仲は悪いだろ? あいつらだって、俺に洗脳されて仕方なくお前を育てていただけなんだから」
シズクは地面にフワッと置かれると、横になったまま目を覚さない。
一方で――――ヒュウガは、ゆっくりとカロへ迫っていく。
「さあ、終わりにしよう。カロ」
ヒュウガは、まるで遊んだおもちゃを片付けるように言った。
「……立て、骨喰加那太」
しかし、瓦礫の中から、ヒュウガではない声が聞こえてくる。
ザッザッと、足を擦るような音と共に現れたのは――――満身創痍の赤木だった。
「戦え! それができねえなら、せめて逃げろ……!! 死んじまうぞ……!」
遠くから檄を飛ばす、赤木。しかし、直後に咽せて吐血すると、地面に膝をつく。
が、当のカロは、そんな赤木を冷めた目で見つめていた。
(……どうでもいい。心底、どうでもいい)
ヒュウガがカロの目の前に立っても、カロは反応を示さない。
「無気力、自暴自棄、まるで子供だな。……まあ、無理もないか」
カロは仇であるはずのヒュウガを一瞥すらせず、項垂れている。
すると、それを見たヒュウガはため息を吐いて、
「――――でも、おめでとう。そんなクソな人生も、これでおしまいだ」
気怠そうに、そう呟いた。
ヒュウガは自身に影を纏わせ、右腕を丸々大きな剣に変える。と、それをカロに向かって構えた。
カロは自分の生まれを恨んで、目を瞑る。
(……ああ、次は誰かに愛される人生に。誰かを愛せる人間に、なりたい)
そして、その頬を涙が伝い、地面に落ちた。
が、その雫の煌めきに映ったのは――――カロの死体ではなく――――ヒュウガの腕を引き留める、細く頼りなく色白い少女の手だった。
「――――は?」
ヒュウガは、目を見開いて首を傾げる。本当に状況が理解できないと言った様子で。
すると、少女は次に松永にしがみつくようにして、その首を絞めた。
しかし、それは全力でチョークスリーパーを決めようとしても、どんなマフラーよりも簡単に解けてしまいそうなほど非力だった。
「……なぜ抵抗する? どこかで、手順を間違えていたか?」
その時、ヒュウガの周りにふわりとした風が生まれて、それから宙を飛んでいく少女の姿が目に映った。どうやら、ヒュウガが少女を一本背負いにして投げ飛ばしたようだ。
それから、ヒュウガはその影に向かって腕を伸ばすと、
「仕方ない。全てを片してから、リセットだな」
そう言って、指をパチンッと1つ鳴らした。
直後――――少女の落下予測地点から影の棘が荒々しく飛び出し、その背に向かって牙を剥く。
このままいけば、少女の体は棘に貫かれ、穴ボコだらけになってしまうだろう。
だが――――そんなこと、許せるだろうか。
――――自己愛は弱く、他者愛こそ強い。誰かのために何かをする、誰かの期待に応えたいなんてのは、時折想像以上の力を発揮するものだ。
赤木の叱咤ではぴくりともせず、死を受け入れようとしていたその体は――――しかし気づけば、棘をも恐れず飛び込み、少女を抱き止めていた。
「……なんでだよ。俺のことを見ていてくれたのは、ただ魔力で繋がってたからじゃねえのかよ――――シズク」
すると、少女の――――シズクの手が、カロの頬の涙の伝った痕を撫でた。
「カロは、独りじゃない。私がいる。――――だから、カロ。生きて」
そう言った次の瞬間、シズクの体が1度大きく強張って、それからシズクは電源を切られたように眠ってしまった。
「シズクッ!」
「安心しろ。眠ってもらっただけだ。今度こそ、ノイズは入らない」
ヒュウガはカロを睨む。――――と、目の前に浮いている禁書が次々と捲られていく。そして、
「そろそろ終わらせようか。――――お前も、特魔も」
そう呟くと、どんな光も届かないような黒で塗られたページが、ヒュウガの目の前で止まった。
「7つの王が1人、《支配》の守護者よ。我が意志、我が願いを聞き入れたまえ。代わりに、我は《支配》の濃霧で生涯この身を満たし続けよう。たとえ――――骨が朽ち、魂だけの存在になろうとも」
空が歪む。――――と、大きな目に見えない圧力が、カロの全身を押さえつけた。それは、洗脳の魔術にかかった時と同じような嫌な感覚だった。
「こ、れは……」
「禁書魔術の覚醒だ……1」
そう答えたのは、赤木だった。
「覚醒?」
すると、黒く淀んだ空から、大量のカラスアゲハが飛んでくる。
そして、カラスアゲハは、ヒュウガ目掛けて降り注いだ。
「己の魂を悪魔に捧げると覚悟した者だけが開ける、禁書魔術で最も危険なページに記された魔術。《支配》の覚醒は――――己の体と意識が許す限り、悪霊を取り込める。さっき、骨喰ヒュウガが右腕に悪霊を取り込んで《断末魔》を発動してみせただろ? あれの全身版だ」
「それで、どうなる?」
「魔力、身体能力、魔術……。あらゆる能力が取り込んだ分だけ底上げされる。詠唱破棄の特典付きでな」
「なら、止めなくちゃ……!!」
「無駄だ。――――あの黒く堕ちたページに選ばれた時点で、他の禁書魔術でなきゃ何をどう攻撃しても意味はない。近づいても、禁書の力によって弾かれるだけだ」
見守るしかない、2人。
すると、カラスアゲハの渦は一点に収束し、やがて収まる。その最後に残ったのは、黒く淀んだモヤと1つの影だった。
「ああ。自分の中から、底なしの力を感じる。気分がいいよ。最初からこうすれば良かった」
影はそう呟くと、右手でモヤを払う。
中から現れたのは、影のマントのようなものを纏った松永の姿だった。
ただし、中身はヒュウガであり、また覚醒の効果で髪も目も黒く染まっていた。
さらに、瞳は光も通らないような永遠の影で満たされていて、それを松永と言うのはもはや正確ではないかもしれない。
「あれが、《支配》の覚醒……!!」
「覚醒……。……っ、ふはははっ! そうだよ。ほら、お前が好きだったヒーロー。あいつだって、ピンチになると覚醒するだろ?」
すると、ヒュウガは徐に両腕を上げ、それぞれをカロと赤木の方に向ける。そして、
「それと同じさ。この物語の主人公は――――俺だからな」
と、指を鳴らした。
瞬間――――地面から影が伸び上がってきたかと思うと、カロの影がカロの首を、赤木の影が赤木の首を締め上げた。
「なっ――――」
2等魔術士の赤木がその影を掴んでみても、それはびくともせず、むしろ力を増して襲いかかる。
「あ、がっ……!!」
「さあ、悪役は退場の時間だ。去ね」
「ッ、ぁ……」
赤木が、苦痛の声を漏らす。しかし――――カロは違った。
「主人公……? あんた、がッ、かよ……」
ヒュウガが異変に気がつく。
カロは魔力を込めた両腕で、喉元寸前のところに手を通してなんとか抵抗していた。
そして、こんな状況なのに――――カロはヒュウガに問う。
「……なあ、ヒュウガさん。どうしてさっき、シズクを投げた。好きな人なんじゃねえのかよ」
「ああ。だが彼女は土人形だし、コアさえ無事ならそれでいい。リセットすれば全て忘れるだろう?」
「――――ッ!」
その答えを聞くと、カロは自身に纏わりつく影を自分から引き剥がすように、
「そんなやつが、シズクに好きになってもらえると思うなよッ!!」
と、ぐっと力を込めた。
グググッ――――強制的に抑え付けようとしてくる影に、カロは何度か押し戻されそうになりながらもこじ開けていく。
と、それを――――引き千切った。
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