5-end たった1滴
紫の魔力が新井の元まで届く。と――――バサァッと翼の羽ばたくような音がして、新井の背中からカラスアゲハが飛び出した。
「……悪いことしたんだから、少しぐらい痛くても我慢しろよな」
カロはそう言い残すと、一度魔術の網を解き、走り出す。
そして、地面に倒れていく新井を追い越すと、カラスアゲハの残党を虫網のように小さくした《魔蜘蛛古城》で再び捕まえ、縛り潰した。
カラスアゲハが、塵のようになって目の前から消える。
それを見届けると、カロは長いため息を吐いてその場に座り込んだ。
「……まーじで、ギリギリだったな」
天に向かって手を伸ばす。しかし、カロはもうムチすら満足に形にできなかった。
「――――玉砂さんは」
すると、背中から地面に倒れた新井が話しかけてくる。
「あ?」
「玉砂さんの居場所だけどね、体育館裏の倉庫に閉じ込めてるの。先生のふりをして鍵をもらって、カロくんのフリをして誘い込んで。だから、早く行ってあげて」
カロはそれを聞くと、「どうも」と言って立ち上がる。
「そして、連れてきてもらってもいい? 私、謝りたい」
新井の言葉に、カロは答えない。
けれど、その去り際、
「選ぶんじゃなくって、選ばせるんだってよ、運命ってやつは。俺の尊敬する人が、そう言ってた。俺も、そう思う。……だから、変われると思うぜ。変わりたいと思うなら、なりたい自分に。きっとな」
そう新井に言った。
一滴の小さな力でも、水に落ちれば波は起きるし。そうすれば、いつか潮目だって変わる。
一滴で歪んでしまったというなら、今度は一滴の気づきで進む道だって返ることが出来るんじゃないだろうか。
「……そっか」
新井が、そう言って空を見上げる。
「待っとけ。連れてくるから」
カロは、体育館の方へ走って行った。
▼ ▼ ▼ ▼
「あ」
体育館の倉庫までやってきたカロは、思わずそう声を漏らした。それも、そのはず。なんせ目の前では、
「だ・か・ら! 知ってるんだって! あいつの場所! だから行くぞ!!」
と、シズクの手を引っ張る松永と、それに対し、首を振りながら必死に抵抗するシズクの姿があった。
「シズク!」
カロが名前を呼ぶ。
と、シズクは耳をぴょこんと立てて、近寄ってくる。――――が、その寸前。
シズクは急停止。
砂の上を踵でズザァッと滑ると、カロの眼前で止まる。
そして、自身の顔を引っ張ると、「偽物じゃないよな?」と言うような疑いの目でカロを見た。
「あ? 疑ってんのか?」
すると、カロは少しだけ悩んでから、
「俺は覚えてるぞ。お前が、初めて弾けた場所もお前とこの校庭で守るって約束をしたことも、お前に買った服の色もな」
と言い、逆にシズクに、
「そっちこそ、偽物じゃねえだろうな」
と、聞いた。
すると、シズクは一も二もなくカロの胸に頭突きをかます。
カロは「ぐっ……!」と声を漏らしてその場に膝をつくと、
「確かにこっちも本物みてえだな……!!」
と、苦しそうに呟いた。
「新井は?」
すると、そんなやりとりを側で見ていた松永が聞いてくる。
「とりあえず、悪霊は祓えた。……と、思う。最後は普通に話できてたし」
「お前が、あれを……!?」
「……んだよ、あんま舐めんなよな」
驚く松永に、カロは不満気に言い返す。
その後、松永は今回の騒動の後処理があるからとカロたちの元から離れ、カロたちは新井の元に向かった。
一方で、新井はシズクにしっかりと謝罪をする。
と、シズクは言葉を発する代わりに新井の頭を撫でて、それに応えた。
そして、新井はそれからすぐに眠ってしまった。
まあ、後は松永が上手くやるだろう。
▼ ▼ ▼ ▼
「――――おい、シズク。もう行くぞ」
次の日。
カロの住むマンション。そのエレベーター。
扉が開いて、カロがシズクにそう声をかける。
シズクは棒立ちで、カロの借りてきた本『危なっかしい魔法使い』を夢中で読んでいた。
「おいって」
コツン――――カロは、シズクの人間味を感じさせない陶器のように軽い音の鳴る頭部をノックする。
そして、
「ほら、持って行ってやるから」
と、シズクに向けて鞄の口を開いた。
しかし、シズクはそれを素通りしてマンションを出る。
「って、おいおい……。学校でまた読めばいいだろ! そんなんだと……」
カロが呆れてその後を追いかける。――――と、その時だった。
シズクは――――通りかかったトラックに一瞬にして攫われた。
皮膚片と本が宙を舞い、目の前では赤いコアが浮かんでこっちを見る。
カロは「はぁ……」とため息をつくと、
「……こいつは、変わらねえな」
頭を抱え、続けて、
「――――《魔蜘蛛の糸》」
と、気怠そうに口にした。
▼ ▼ ▼ ▼
警視庁刑事部――――捜査一課。
「はぁ……。悪霊事件ねえ」
捜査ファイルを見ながら、禿げ上がった頭を撫でて男が呟く。
「こっちは専門家に任せて待ちの時間かなぁ」
すると、男に部下が尋ねた。
「しかし、あの現場にいた赤髪の人って本当に特魔なんですか? まだ未成年にしか……」
男は頷きながらコーヒーを啜る。と、
「一応特魔は公安組織。ちゃんと例外なく全員成人済みだ」
と、告げる。そして、
「高校では、潜入のために認識を曲げてさらに若く見せてるらしい」
と、付け加えた。
「はぁ……。あれよりですか」
部下は、いまいち納得いっていない様子でそう呟いた。
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