5-3 Fly Me to the Sky
新井はピンチだというのに――――ベッと舌を出して、笑った。
次の瞬間、カロは体勢を崩す。
と、ムチは一気に軽くなって、巻きついていたはずの新井がそこにいなかった。
「……へ?」
代わりに、新井がいたはずの場所でカラスアゲハが羽ばたく。と、その中からはリスが現れた。
そして、リスは窓を軽快に登ると、2階の窓に逃げ込んだ。
次の瞬間――――カロは茂みに体ごと突っ込んだ。
▼ ▼ ▼ ▼
階段を上って、2階へやって来る。
昼休みはまだ続いていて、廊下はごみごみとしていた。
「本当だって! さっき窓からリスが入ってきたんだよ!!」
「なわけないじゃん」
騒めきの中を、そんな会話が飛び交う。
カロは焦燥に駆られながらも、廊下をじっと冷静に見回した。
すると、その中の1人の女生徒と目が合う。
それは、同じクラスで隣の席だった“田淵”という生徒だった。
「あ、あの……!」
咄嗟に、カロは声をかけようと田淵に近づく。――――が、その時。
「びっくりしたぁ……」
「――――た、田淵さん!?」
「え? あ、はい……」
教室の中から――――もう1人、田淵が現れる。そして、直後、
「え!? なんで私が……!?」
と、廊下にいた田淵――――田淵Aが、驚きの声をあげた。
すると、教室から出てきた田淵――――田淵Bも、廊下にいたもう1人の自分に気づいて、
「は……!? えっ!? 何!?」
と、同じトーン、同じテンションで驚いて口元を抑えた。
(田淵さんが2人……!? これは……)
困惑する、カロ。
どちらかが新井なのかは確実だが、どちらが新井なのかは分からない。
しかし、ここで見極めなければ、彼女に逃げられてしまう。
周りには、こちらの異変には気づいていないものの、大勢の生徒がいた。
荒っぽい手段は取れない。
(せめて、どっちに悪霊が取り憑いているか分かれば……)
そう考えて、すぐにカロはハッとした。
(そうだ! これが魔術の仕業なら……!)
カロは右目を押さえて、もう一度左目だけで2人の田淵を見る。
この義眼には、叔父が魔術で綴った手紙の文字を見抜いた実績があった。
「これは……!!」
それは、異様な光景だった。
田淵B――――教室から出てきた方の田淵の顔は普段と変わらず、少し疑うような表情でカロを見つめていた。
しかし、田淵A――――初めに目が合った廊下にいた方の田淵の顔の前に、真っ黒な仮面のようなものが覆いかぶさって見えた。――――と、次の瞬間。
「ばあ!」
その真っ黒な仮面を突き破って、新井の顔が飛び込んできた。
「――――!?」
カロは、気付けば上を向いていた。そして、顎には鈍い痛みがあった。
アッパーカットかそれとも頭突きか、とにかくどうやら顔を下から上に突き上げられたらしい。
「だ、大丈夫!?」
田淵B――――本物の田淵に声をかけられて、急いでカロは顔を元の位置に戻す。
が、そこにはもう田淵A――――新井の姿はなかった。
と、同時に後方の階段でどこかへ駆けていくような軽い足音がかすかに聞こえた。
▼ ▼ ▼ ▼
足音と影を辿り、着いたのは――――屋上だった。
カロはバンッと荒々しく扉を開けて、
「新井さん!」
と、叫ぶ。
すると、逃げていた影――――新井もふらふらと立ち止まった。
「シズクはどこに……」
「んー……。秘密です。真実の愛があれば、分かるんじゃないですか? 私の正体を見極めた、その愛が」
「何言って……」
カロがそう言いかけると、新井が振り返る。
「すごい力を手に入れたんです、私。憧れたモノになんでもなれるんです。そして、私にとってほとんどの人が、憧れの対象なんです。だから、何にでもなれちゃうんです」
その表情は高揚していて、瞳孔は開かれ、まるで薬物中毒者みたいにハイになっているのが分かった。
「あ、骨喰くんにはなれませんけどね。憧れてないので」
最後にそう冗談ぽく言うと、新井はクスッと笑う。
「私、ずっと私のことが嫌いでした。引っ込み思案で、不安ばかりに付き纏われて、夢もない。ずっと、他の誰かに……。クラスの中心にいる存在に……。松永くんと釣り合う存在に……。シズクさんになりたかった……」
カロはその言葉を聞くと、ショッピングモールで悪霊に取り憑かれた男の言葉を思い出した。
――――ああ! 会社なんて! この世界なんて、全部壊れりゃいいんだ!!
(そうか……! 悪霊は感情に巣食う。つまり、本人の1番強い欲求を取り込んで力を授ける)
世界を憎むなら、全てを壊す《怪力》を。
自分を嫌うなら、何者にでもなれる《変身》を。
そうして、人の悪意を食らい続け――――やがて、羽化する。
「……どうするつもりだよ、これから」
階段を駆け上がってきたカロは、息も絶え絶えに新井に尋ねる。
と、新井は頬に人差し指を置いて、
「そうですね。松永君にも、バレちゃったし。どのみちここにはいられませんから、別の土地で知らない誰かになって暮らしてみようかな。それとも、アイドルになってみるものいいかも」
と、つらつらと妄想を並べると、最後には清々しい顔で、
「今なら、なんでもできる気がしますから」
と、確信を持って言い切った。
「それでいいのかよ。松永のことも、自分のことも……」
「はい」
新井は頷く。もはや、説得の余地はない。
「……分かった。俺は、お前をここで見逃す」
「あら、優しい」
「だから、代わりにシズクの居場所を教えてくれ」
カロは両手を上げ、幸福の態度を見せる。――――が、新井はそんなカロの姿を見ると「ふふっ」と笑って、
「もし、自分がおそらく平均点を取れるであろうテストを受ける時、その担当の先生から『赤点を取らないようにテストの答えを教えてやるから、ヤらせろ』って話を持ちかけられたら、骨喰くん応じますか?」
「……つまり?」
「返す言葉は『死んどけ』です」
すると、新井は柵に向かって、急に走り出す。
「待て!」
それを追いかけて、カロもムチを取り出すも空振り。
新井は頭を抑えるようにしながらも――――柵を飛び越え、両腕を鳥のように広げた。
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