5-1 嘘つき - Who is Liar -
松永くんのどこを好きになったかと聞かれれば――――これっていうきっかけは特になかったと思う。
ただ、放課後のゴミ捨ての時に「俺が行ってくるよ」ってさりげなく代わってくれたり、
班行動の時に「眠いよねー」って話しかけてくれたり、
体育祭とか文化祭とかでふと目に入った笑顔とか、
何気ない瞬間が積み重なって徐々に心の天秤が好きに傾いていった。
そして――――もっと近づきたいと思ったのは、高校1年生の終わり頃。
私は、近づいてきた肌寒さに身を震わせながら、ゴミ袋を手に校内のごみ収集所へと向かっていた。
(――――あれ、松永くん?)
体育館裏。
いつもはあどけなさの残る表情を見せる松永くんが、降り積もった雪のように冷たくも美しい妙に大人びた雰囲気を纏って、空を見つめていた。
その時、2人の間を木枯らしがさらって、松永くんの頬を涙が伝う。
「大丈夫ですか?」
スッと差し出された水色のハンカチ。
松永くんは、本当に予想外と言った感じで目を丸くしていた。
が、それからすぐにいつものような柔らかな表情に戻ると、
「ありがと。俺、ドライアイなんだよね」
と、笑った。
だけど、私が横にずらした視線の先には、スマートフォンの画面があって、
× × × × ×
《そういうことだから また帰ったら後で話し合おう》
《いいよ いつもと変わらないじゃん 勝手に飯食って寝るから》
《1回会っておくか?》
《それもいい》
× × × × ×
そんな、『父』と書かれたアイコンとのやり取りが目に飛び込んできた。
チラッと見えてしまったそれを、松永くんは焦った様子を見せはしないものの、体の後ろに素早く隠す。
が、隠すだけで、それについては何も言わず、
「新井はさ、料理とかするの?」
代わりに、そう尋ねた。
「え……。はい。おそらく人並みに」
「美味しい?」
「って、家族は言ってくますね。自分じゃ、よく分からないですけど……」
「いいなー」
すると、松永くんは顔を背け、立ち上がる。
「俺さ、自分で作る料理、全然美味しくないんだよねー。
食べられなくはないけど、コンビニ飯のが美味いっていうか、マシっていうかさ……。
ま、自分で作って、自分で食べるだけだからいいんだけど」
そう語る言葉はいつもみたいに適度な明るさを持っていた。けれど、
「……いくら仕事っつっても、飯ぐらいは一緒に食ってくれよな。家族なら」
と、最後に心からこぼれ落ちたような呟きは、温もりなんか少しもなかった。
「え?」
「ごめん。忘れて」
踵を返し、目を合わせないまま横を通り過ぎる松永くん。
だけど、好きな人にそう言われて、踏み込まずにいられる人間はいったいどれほどいるのだろう。
きっと、私が作ってきた料理の数よりは多いだろうけど、今まで食べたパンの枚数よりは少ないと思う。
それから少しして、学校では密やかに『松永の親が離婚した。今は父親と2人暮らしをしているらしい』という悪趣味な噂が広まっていた。
みんな、それを直接聞くことはなかったから真相は分からない。
だけど、そのうち松永くんはアルバイトを始めて、バイクに乗るようになって。時々遠い目を見せるようになったり、会話に遠慮がちになったり。挙句には、バイクの事故に遭って……。
今度は、別の意味で手の届かないような存在になっていった。
だから、私はまだその手に届くうちに意を決して、なんとか接点をって――……。
▼ ▼ ▼ ▼
時は過ぎて、高校2年生。
重い瞼を押し上げると、2段に積まれた食べ終わった後の弁当箱が映し出される。
キーンコーンカーンコーン――――鐘の音を聞いて、耳が起きる。これは学生の性分なのだろうか。
7月の中頃。水泳直後の屋上。
制汗剤でも消えない塩素の匂い、頬を引っ張っても襲ってくる微睡み、心地よい風の毛布。青春のゆりかごに揺られ、私は懐かしい夢を見ていたらしい。
顔を上げると、みんなはもう教室に戻る準備を始めていた。
私は慌てて弁当を風呂敷で包み、置いてかれまいと足早に後を追いかける。
が、その直後、――――地面に足を取られ、すっ転んでしまった。
「――――よく転ぶんだな」
そう松永くんに声をかけられる。
「あははは……。水泳苦手で、足腰が……」
膝の痛みよりも恥ずかしさが優って、私は思わず姿勢を正す。と、松永くんは床に散らばった弁当箱を拾ってくれた。
「ありがとうございます」
少しだけ手が触れ合って、弁当箱を受け取る。すると、私は立ち上がって、
「……あの、松永くんは覚えてますか? 体育館裏で話したこと」
と、聞いた。
それは唯一と言っていい松永くんとの繋がりで、いつもは緊張してしまって聞けなかったこと。だけど、それも今なら聞ける気がした。――――しかし、返ってきた言葉は。
「いいや、覚えてない」
それは、予想通り(やっぱり)とも期待外れ(がっかり)とも言えた。
でも、それでいい。忘れてしまったなら、積み重ねていけばいい。
今はもう、手の届かないような存在じゃない。――――そう思っていた。
けれど、現実は残酷で――――。
「えぇ!? 玉砂さんもそっち側!?」
今垣の騒がしい声が、耳に届く。――――と。
「あ」
ガッ――――玉砂さんが階段を踏み外す。
そして、次の瞬間――――彼女を助けたのは松永くんだった。
玉砂さんが階段を踏み外した瞬間――――誰よりも焦った表情で誰よりも早く走り出した松永くんだった。
(あんなに近くにいたのに私には手も差し伸べないで、あの子にはあんなに離れていたのにすぐに駆け寄った……)
人の心は、行動と立ち振る舞いに出る。
(前の帰り道の時だって、松永くんは見ていただけで……)
ならば、再び私から離れていこうとする松永くんを今度はどう止めようか。
(どうして、私は選ばれないんだろう。どうして私は――――あの子になれないんだろう)
わずか一滴でも、水面を打ち、波を起こせば潮目は変わる。
屋上の傍で、カラスアゲハがひらりと羽ばたく。
そんな黒い感情が生まれ始めたのを、私はまだ自覚していなかった。
▼ ▼ ▼ ▼
「い、今のは……!?」
《魔蜘蛛の糸》でシズクの見た目をした何かと繋がっているカロは、頭を抑える。
と、その何かはカロの魔術のムチを引きちぎり、
「あーあ、完全にバレちゃった」
と言って、決してシズクが見せないような歪んだ表情で笑った。
「でも、関係ないよね。その前からバレてたんですから。そんなに好きなんですね、玉砂さんのこと」
「そうか、今の流れ込んできた映像……。お前は――――」
「……ねえ、あの子の何がそんなに魅力的なのかな。どうすれば、あの子になれるのかな」
カラスアゲハのベールが剥がれる。と、そこから現れたのは――――。
「――――新井さん!!」
酷く暗く澱んだ表情でカロを睨む――――新井櫻子だった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
励みになりますので、良いと思ってくださった方は【☆】や【ブックマーク】をポチッとしていただけると嬉しいです!!