3-4 溢れる想い
触手が、眼前に迫る。その時、カロが叫ぶ。
「行け、シズク!! 俺を信じて飛び込めッ!!」
すると、シズクはカロの言葉通りに頭から突っ込み、間一髪のところで子供を抱え――――勢いのまま屋上から飛び降りた。
「なっ、屋上の外に――――」
「……確か魔術は『強度』と『幅』、『心』と『想像力』だったな。だったら、こいつのためになんでもしてやれるって気になってる俺は、どこまで行けちまうんだ?」
動揺する、松永。すると、それを追い越すようにカロが現れる。
「俺はなぁ、誰も死んでほしくないとか、みんなを守りたいとか。そんな倫理観とか正義感なんて、どうでもいいんだよ! だけど、あいつが――――シズクが悲しむ顔は見たくねえ!!」
そう語るカロの目に、迷いはなかった。
「なにを……!」
「誰かを殺す覚悟も、魔術師としての強さも俺には無え! だけど、シズクのためなら、なんだってできそうな気がするぜ!! だから――――」
続いて、シズクの後を追って、カロも飛び込む。と、カロは右手を天に掲げて、叫んだ。
「俺に応えろ――――《魔蜘蛛の糸》ッ!!」
抑圧された感情が、自覚した想いが、魔術を伝って溢れ出す。
直後――――左目の義眼が緋色の光を放ち、カロの右腕からは放射状に魔術で練られたロープが飛び出した。
それは、柵の足だったり建物の鉄骨だったりに絡みつく。と、蜘蛛の巣のように広がり根を張り、バンジージャンプのロープようにカロを支えた。
「シズク!」
カロが名前を呼ぶ。――――と、シズクは「信じてた」と言わんばかりに、子供を身体に乗せたままカロに向かって両手を伸ばす。
カロの左手がシズクの身体を、シズクの両手がカロの身体を手繰り寄せる。
そこには決して、ソフトクリームが崩れそうになって松永がシズクを抱き留めた時のような美しさもスマートさもなかった。だけど――――何よりも力強かった。
カロとシズクと子供が一塊になると、カロを支えていたロープがビョーンッと跳ねる。
と、それからバウンドは次第に小刻みになっていき、威力を吸収して空中で止まった。
「大丈夫か、シズ――」
そして、カロが話しかける。――――が、その時だった。
「――――カロ」
胸元で、誰かが自分の名前を呼ぶ。
いや、その正体は分かっていた。
だって、その声の主は他の誰でもなく――――あの時、背中を押してくれた玉砂シズクだったんだから。
「やっぱり、お前……! 名前呼んで……!?」
カロが驚いた表情を見せる。と、シズクは笑顔になってカロの胸に頭を擦りつけてくる。まるで犬みたいに。
すると、そんな姿を見てカロがぽつりと呟いた。
「そうか親心か」
浮足立ったり、落ち込んだり。今日1日、カロについて回ったもやもやとした心の正体を無意識のカロが言い当てる。それは、たぶん娘が彼氏を連れてきたときに抱く感情と似ているのだろう。
カロは腕の中で不思議そうにこちらを見つめているシズクを見ると、思わず笑ってから頭を撫でる。
と、シズクは再び気分良さそうに目を細めた。
▼ ▼ ▼ ▼
「あれは……!」
一方、屋上では、松永が驚愕していた。
「……それに、あの強度と魔力量」
松永はすっかり2人に視線を奪われていた。――――しかし、まだ脅威は去っていない。
その傍、息を潜めていた悪霊が、四つ足の姿勢で獲物を狙う獣のように松永に忍び寄る。
そして、悪霊は松永を射程圏内に捉えると――――困惑している松永の後頭部に向かって、一気に襲いかかった。
「――――気に入らねえな」
それが、悪霊が最後に耳にした言葉だった。
次の瞬間――――悪霊の腹には強烈な掌底が入る。
それは、悪霊だけでなく、取り憑かれた男の魂すらも体から追い出してしまいそうな威力だった。
悪霊――――取り憑かれた男は力なく項垂れて、松永の手に体を預ける。
と、松永は、すかさず取り憑かれた男の腹に魔力を流し込む。
「カハッ……!!」
取り憑かれた男の口があんぐりと開く。――――次いで男の口からは、毛虫のように奇妙に蠢く黒い塊が飛び出した。
ダンッ――――情け容赦なく松永の足に踏み潰される、黒の塊。
すると、そこに母親の声が響く。
「――――ユウキ!」
「ママッ!!」
「だーっ! ちょ、まだ危ないから暴れんなっつーの!!」
と、続けて、子供とカロの騒がしい声も聞こえてきた。
子供は母親の姿を見つけると、カロの手から滑り落ちるように屋上に着地し、母親に向かって一直線に走り出す。
と、それから親子は屋上庭園の真ん中で、もう2度と離れ離れにならないよう互いを強く抱きあった。
松永はそれを何も言わず見つめている。と、そこに、
「ぜーっ……! ぜーっ……! も、もう無理だ……!!」
そんな荒い息遣いが、近づいてきた。
松永が声の方に顔をやると、シズクがカロにおぶられている。
「お前……! 1人で歩けるだろ……!! どこも怪我してないんだし……」
そう言い残し、カロはその場にどさっと倒れ込む。と、シズクは軽やかに背中から飛び降りた。
そんな様子を見て、松永が言う。
「魔力切れだな」
「あ、魔力切れ? 切れたらどうなる?」
「倦怠感、眠気、思考能力の低下、体力の低下。その他もろもろ。症状の重さは、人による」
「そんな低気圧みたいな……」
カロはそうツッコミながら、体を起こして地面に胡座をかく。と、親子を眺めながら続けた。
「……でも、ま、疲れた甲斐はあったかな。あの光景も、シズクも守れたんだ」
屋上に降っていた雨は止み、夕焼けが顔を覗かせる。
「なあ、いつか俺も悪霊に乗っ取られることがあるのかな」
カロが地面に転がっている憑りつかれていた男を見て、尋ねる。
「いいや、魔術師が乗っ取られることは決してない。というか、既に魔力が流れている者は自然と悪霊を弾く」
「だったら、シズクも大丈夫ってことか」
「ああ」
「だったら、俺がシズクを襲うことはないんだな」
カロの横顔は安心して、笑う。と、松永が取り憑かれていた男の無気力な体を担ぎ、カロに告げた。
「さて、お疲れのところ悪いが、ここから早く離れよう。特魔の……。排除派閥の連中が来ちまうからな」
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