3-2 血の味
鉄柱はいとも簡単にシズクを貫く。
と、文字通り塵のように立ち消えてしまうシズク。
今、カロの目の前には、赤い球だけが浮かんでいた。
《――――もしシズクさんの体が崩壊してしまっても、コアの役割をしている赤い玉を壊されなければ死なない》
叔父の手紙にそう書かれていたことを思い出す。
今、コアは丸出しだ。もし、今もう一度攻撃されてしまえば、シズクを失ってしまう。
口の中には血の味が広がって、死が現実味を帯びてくる。
水の中をもがくように、カロは必死にコアに手を伸ばした。
(早く……! コアの周りに、あいつの欠片を集めないと……!!)
しかし――――手を伸ばそうとしても、起き上がらない体。
さらに、地面に寝そべっている右手は痛みに乱されて、上手くムチも発現できない。
「――――無様だな。だが、それが現実だ」
すると、這いずるカロに松永はそう言った。
そして、松永はコアに向かって、指をパチンと1つ鳴らす。
「これは、4大基礎魔術《強化》《付与》《障壁》《浮遊》の内の《浮遊》の応用。空気の流れをコントロールし、風を導く」
すると、コアの周りにシズクの破片や服が不自然に整列して、集まってくる。
それは、目には見えないはずの空気の流れが、カロにもはっきりと分かるほどだった。
そして、もう一度松永が指を鳴らすと、コアに集まった破片が渦巻いて、風の繭の中から元に戻ったシズクが現れる。
「――――シズク! ……っ、悪い。助かっ……」
カロは感謝の言葉を口にしようとする。
しかし、松永はそんなカロの胸ぐらを掴んで持ち上げると、冷たい目を向けた。
「魔術の基本は『量』と『幅』。『幅』は想像力。不可能を不可能と思わず、可能性を広げられるかどうか。極めれば、空気の流れだって、この世の断りだって見えるようになる。これが、魔術師の才能の部分だ。だが、そんな才能にも必要なことがある。それは『量』だ。魔力を捻り出せなきゃ、『幅』も魔術もクソもねえ。そして、その『量』は、心――――感情に大きく左右される。つまり、覚悟。やり遂げるという、相手を殺すという意志と覚悟。何を失い、何を得るか。それが決まってないやつは、全て失う。――――彼女も、命も」
「――――全て」
「今お前が息をしているのは、あいつがたまたまお前を殺さなかったからだ。
これで分かったろ。今のお前じゃあ、何も守ることはできねえ。
これは、命懸けなんだよ。
彼女を守るってのは、世話係って意味じゃねえ」
カロは、荒らされた屋上庭園を見る。
そこかしこで柱が崩れ、ホログラムは歪み、ガラスが割れている。
悪霊は暴れ回り、床は地震に巻き込まれたかのようにひび割れ、憩いの場だったころの面影はとうに無くなっていた。
それこそが、悪霊の残虐性を現しているように思える。
「もういい」
松永は、カロを地面に投げ捨てると、前に立つ。
松永はどこか冷静で、さすが公安と言うべきか場慣れしている雰囲気があった。
「――――強化、浮遊、障壁」
そして、指を3回パチンと鳴らす。
と、どこに隠していたのか、松永の周りには魔力がブワッと溢れ出した。
(詠唱破棄……!? しかも、あの練度で……!)
カロはその姿を見て、身震いした。
松永は、カロが念じて捻り出しても周囲4メートルほどしか伸ばすことのできない魔力を、全身に纏っていた。
そして、次の瞬間、カロの赤い瞳の中から松永の影が――――消えた。
カロは、残された風の動きをなんとか目で追う。
と、松永はすでに悪霊の涙で作られた影の池へと到達していた。
「――――カァッ!!」
突っ込んでくる松永に対して、悪霊が奇声を発する。
それは最初は威嚇かと思ったが、すぐにその声に応えるように影の池から粘性の触手が現れると、松永に襲いかかった。
ダンッ――――地面を蹴る。
と、松永は後方に宙返り。
遅れて、触手がさっきまで松永がいた場所に襲いかかる。
触手はぶつかり合うと、やがて溶け、悪霊の足元に広がる黒い涙で作られた影の池と同化した。
「……変幻自在の水溜りか。面倒だな」
松永は、じっと観察するように悪霊を眺める。――――が。
「しかし、“羽化“の前ゆえに単調な使い方しかしてこないのも確か。なら――――」
次の瞬間――――松永は急発進。
呟きを置き去りにして、再び悪霊に向かって走り出す。
そして、勢いに乗ったまま地面を強く踏み抜くと、そのまま地面の上をスライディングをした。
踏み抜かれて大小さまざまに砕けた地面は、松永のスライディングの勢いに押されて岩石群となって悪霊へ飛んでいく。
「――――付与、強化、浮遊」
そして、松永が指を鳴らすと、岩石群は魔力を帯びた。
松永はさらに速度を上げ、岩石の散らばる空間へと突っ込んでいく。
「――――セァッ!!」
悪霊は――――松永を捕えよう触手を伸ばした。
しかし、その触手が体に触れる直前――――松永は空中で体を翻し、宙に浮いている岩石を蹴って自身の軌道を曲げた。
松永はスーパーボールのように何度も何度も岩石の中を反射して急激に進路を変える。
と、グングンと悪霊に迫っていく。その速さに悪霊の触手は全く追いつけず、ついに悪霊は痺れを切らしたのか、
「――――ルグルルルァッ!!」
と、強く地面に両手をつき、影の池から松永の前に大きな壁を作り出した。
松永は地面と平行になるような体勢で、壁に両手両足をついて着地する。
松永はすごい速さで迫っていたものの、その勢いは壁の持つ独特の粘性に全て吸収されてしまった。
しかし、松永はぴくりとも表情を変えず、獣のように爪を尖らせると、
「こんなもので、俺を止められると思うなよ」
と、壁を――――黒く淀んだ魔力の塊を、鷲掴みにして毟り始めた。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
先ほどまで圧倒的な防御力と吸収力を持っていたと思っていた壁は、松永の手によって猫に荒らされる羽毛布団のようにいとも簡単に壊されていく。
そうして壁に荒々しい穴を開けると、松永は両手で壁を強く後ろに押し、悪霊の前に飛び出る。
そして、力を貯めるように空中でぐるぐるぐるとタービンのように高速で回転すると、改めて悪霊に向かって痛烈な蹴りをかました。
悪霊は、後方に向かって人形のように最も簡単に吹き飛ぶと、高台に激突。
壁に稲妻のような亀裂が走ると、中に通っていた噴水に繋がる水道管がひび割れ、あたりに水を撒き散らした。
▼ ▼ ▼ ▼
(ただの基礎魔術だけで、こんな……。練度が違う)
一方で、その戦いの傍ら。
カロは、ただただ驚愕していた。
カロにとって魔術とは、少し高く飛べるようになったり、小さな物にごくごく簡単で単純な命令を与えることができたり、少しだけイタズラしたり、そういう手品に近い類のものだと思っていた。
魔術と仰々しく言っても、そこまでたいしたものではないと。
けれど、シズクという存在を目にして、ここまで悪霊と対峙してきて、いま松永という魔術師の力を目の当たりにして、大きくその概念が揺らぐ。
――――想像力もなく、覚悟もない。今のお前じゃあ、何も守ることはできねえ。
松永の言葉が、頭の中にこだまする。
カロはあれからボロボロの体をなんとか起こすと、地面に膝をつきながらも庇うようにシズクの前に出ていた。
それが、今のカロにできる精一杯だった。
だが、そんな精一杯の強がりも虚しく、目の前の光景は残酷にカロに現実を突きつける。
悪霊に迫る松永の靴音の1つ1つが、カロに真実を語る。――――たいしたことがないのは、魔術ではなくカロ自身なのだと。
――――これは、命懸けなんだよ。彼女を守るってのは、世話係って意味じゃねえ。
悔しさで握った拳の中では、混ざり込んだ砂利がしゃりしゃりと手のひらをくすぐる。
その様はまるでカロを笑っているみたいで、カロはもっと惨めな気持ちになった。
「――――なにこれ」
しかし、その時――――気落ちするカロの耳に女性の呟きが届く。
それは当然、シズクの声ではない。
「ユ、ユウキ!? ど、どこにいるの! ユウキ!!」
カロが振り返る。
その正体は、ソフトクリームを分けた子供――――その母親だった。
「ユ、ユウキ!? ど、どこにいるの! ユウキ!!」
カロが振り返る。
「どうして、ここに!?」
カロの声に母親が気がつく。
「あっ、さっきの……! あの、ユウキを! 子供を見ませんでしたか!? 10歳くらいの!」
「子供……!?」
「逸れたんです! 騒ぎになった時に!! それで、みんな、下の階に避難して……! でも、何度探してもどこにもいなくって!!」
「逃げ遅れ……!?」
母親は明らかに混乱していた。
冷静に考えれば、ひとまず子供は人並みに巻き込まれて安全なところへ避難したのかも知れないし、もし賢ければ警察に逃げ込んでいるかもしれない。
少なくとも、この危険な屋上に来るのはあまり良い選択とは言えないだろう。
しかし、登山で遭難した時にむやみやたらに歩き回ってしまうように、ダイバーが心理的に追い込まれた時に混乱して装備を脱いでしまうことがあるように、この母親は最後に子供と別れた場所へ戻ってきてしまったのだ。
そして、それは――――最悪の答え合わせを引き起こす。
「――――ママッ!!」
土煙の中から、母親の呼びかけに応える幼い声が聞こえてきた。
「ユウキ!」
母親は必死に呼び返す。
それは母と子の感動の再会だったであろう。――――そう、こんな状況でもなければ。
カロも母親も、じっと声のした方向を注視する。
やがて裂けた水道管から噴き出る人工的な雨が、土煙のベールを剥がす。
と、子供が立っていたのは――――悪霊が叩きつけられた高台。その陰だった。
そして、その瞬間――――息を吹き返したように悪霊が顔を上げた。
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