11-2 リトリーの過去
どうか、褒めないでくれ。――――と、拳の中で冷や汗を握った。
母は、恋多き人間だった。
中学生の頃から、みんなが好きな人が好きだった。憧れの先輩も好きだったし、少し寡黙な大人びた先生も好きだった。
そして、母は欲しいものを自分のものにすることに躊躇いがなかった。
使える手は全て使う、そんな人間だった。悪口を吹聴し、孤立させ、簡単に性の匂いを漂わせ、好きな人には手の届かない憧れの人より手に届く自分を選ばせた。
人の彼氏だろうと、構わなかった。――――最終的には、好きな人が振り向かなくても、好きな人と好きな人の好きな人の関係が壊れさえすれば、もはや自分のことを見てくれなくても心の中でほくそ笑み、満足した。
父は、その中の1人だった。
父と母が出会ったのは、ホストクラブでだった。
母は自身の難儀な性格もあって家族とも上手くいかず、高校を卒業すると同時に半ば勘当のような形で実家を出て就職した。
だけど、勤めた会社でもその性格が災いして、すぐに居場所は無くなった。――――結局、母はキャバクラで働くことになり、次第にやさぐれ、ホストクラブに通うことになった。
母は褒められることが好きだった。
そして、ホストでは金を落とせば落とすほど、褒められお姫様扱いされていった。
また“姫“と呼ばれる太客同士で、ホストにどれだけ金を落とせたのかを競いマウントを取るのも、母の性に合っていたのだろう。なんせ、青春時代には人間関係を壊すことに満足を覚えていた人間である。
そうして、のめり込んでいったホストが父だった。
母の行動は金を作り、他の“姫“を蹴落とすために過激化していった。
働く場所は高級クラブに、狙いは社長たちの財布に変わる。
店を介さず体を売り、金を積まれれば壁だって取り払った。とはいえ、夜の街では珍しいことでもなく、その行為は宵の空気に溶けて消えていった。
それからいくつか時間が経って、母の成果は実った。
ホストはプレイヤーを引退し、ホストクラブを運営する側に回りたい。つまりは、自分の店を持ちたい。そのために金を出してくれと頼んだ。
母は交換条件に結婚を打診し、父は快くそれを引き受けた。やがて、子供も生まれた。
さらに、父が倒れたことをきっかけに実家とも関係が修復し、母の両親は起業家と結婚した母のことを大いに喜んだ。
しかし、そこが――――母の人生のピークだった。
次に実家に帰った時、両親は子供のことばかり気にするようになった。
食事が勝手に出るのはありがたかったが、居心地は悪くなっていき、そのうち理由をつけて帰らなくなった。
父に関しても、初めこそ母にその愛が向いていたが、やがて子供にその愛が向き始め、保育園で何か絵を描いてくれば「才能があるかも」と褒め、母に「今夜はゆっくり休んでくれ」と告げれば子供をドライブで連れ回したりもした。
その時点で、母は子供にネグレスト気味になっていった。
夜職を辞めたとはいえ、身の回りのことは何もできなかったし、出来ないと分かれば試行錯誤することにはすぐに飽き、投げ出してしまった。
そして、決定打となったのは――――父の浮気が発覚したことだった。
それまで沸々と溜め続けてきたストレスが表面化すると、母はヒステリックに叫び、物に当たった。
翌日には父が出ていくと、母はそれから子供に向かって「お前のせいだ」「お前は私のおかげで生きられてるんだからな」と、時折思い出したように怒りをぶつけるようになった。
飯はコンビニ弁当だった。
ただし、子供が1人で買いに行くと怪しまれるので、母が朝帰りのついでに買ってきて、玄関前で待っている子供にビニール袋を乱雑に投げつけた。
子供にとっては、ほとんど軟禁生活のような日々。
暴力のほとんどは罵詈雑言で精神的なものだったから、誰かにバレることもなかった。
万が一、傷がつくようなことがあったとしても、それは子供だからと流されることがほとんどだった。ただ、その子供の髪には白髪が目立つようになってきてもいた。
そんな日々から脱却するきっかけになったのは、小学校1年生での遠足だった。
「――――というわけで、参加可否のプリントを提出していただきたいんですが」
電話口。
母が、よそ行き声でそれに応える。その時ばかりは、凄く人当たりの良い柔らかな人のようだった。
しかし、通話が終わってスマートフォンを置くと、それは一変する。
「面倒かけんじゃねえよ。プリントぐらいちゃんと渡せよ」
そんな母の冷たい目に、「渡したよ。でも、お母さんがゴミと一緒に捨てちゃったんだよ」とは、口が裂けても言えなかった。
そうして、訪れた遠足の日。――――そのお昼の時間のことだった。
山中のひらけたところで皆が腰を下ろす中、リトリーは1人、無言で弁当を食べていた。元々無口なせいもあるが、弁当の中身を見られるのが、嫌だった。
「――――君、親からいじめられてる?」
すると、不意にフードを深く被った少女が話しかけてくる。どのクラスの誰でもなかった。
「誰……?」
目を丸くして子供が問うと、少女は、
「お弁当は冷凍食品ばかり、道中も誰とも話してなかったみたいだし、白髪も子供にしては……。クマもあるし、それにずっと周りを見てるよね」
と、続けた。
「それに。青いオーラがちょっと見える。悲しいオーラが」
その時、フードから青い髪がチラリと覗く。その瞳と目が合うと、リトリーは全てを見透かされたような気分になった。
「どうして、僕が親からいじめられてるって……」
「分かるよ。私、魔術師だから」
「魔術師……?」
しかし、そんな疑問は無視して、
「私が君に話しかけたのはね、私と似てると思ったからなの」
と、続ける。
「……似てる?」
「私、家族がいないんだ。死んじゃったの、戦争で」
「……!」
「親がいない中でね、生き残らなくちゃいけなかったの。弟を抱えて、毎日怯えてた。――――それって、もしかして君に似てるんじゃない?」
「……」
「虐待されて、毎日生き残るのに必死で。君にとっての世界っていうのはほとんどを親が占めてるのに、その親は自分を憎んでて、あるいは無関心で……」
子供には何か思うところがあったのか、黙って話を聞く。すると、青髪の少女はその話の最後に、
「ねえ、君ってせっかく生きてるのにさ、そんな毎日でいいの? 満足?」
と、何の躊躇いもなく聞いた。その視線の先には、楽しそうにご飯を食べるクラスメイトたちがいた。
「……僕だって、人並みに生きてみたいよ」
すると、子供はぽつりと語り出す。
「お母さんのご飯とか食べてみたいし、みんなと遊んだりもしたい。でも、勝手に遊んじゃダメって言ったら、みんな面白くないって言うし。スマートフォンもテレビも何もないから、みんなが話してること1個も分からないし」
「悲しいなぁ……。せっかく君は平和な国に生まれたってのに……」
「うん」
「なら、捨てちゃえばいいのに。そんな友達も家族も」
「……無理だよ。家から出られないんだ」
「今、家の外だよ?」
「え……」
少女は俯く子供にそう言って、
「私、確かに戦争で親を失ったよ。だけどね、拾ってくれた人がいて。そこにはね、他にもいっぱい子供がいるんだ。親がいない子もいる子も、いっぱいいるの。みんなで暮らしてる。――――だから、君も来なよ」
と、続けた。
「……僕も、行っていいのかな。迷惑なだけだと思う」
「悲しいなぁ……。そんなことを言わせちゃうように、育てられたんだね」
すると、少女は、
「言葉にするのが怖いなら、この手を握るだけでいいよ。それだけで、連れて行ってあげる」
と、手を差し出した。
「君は、君のことを好きに決めて、生きていいんだよ」
その言葉をきっかけに、子供の中に母から投げかけられた呪いのような言葉たちが溢れてきた。そして、子供はそれから逃げるように少女の手を握ると、少女は、
「いいよ」
と、笑って、2人はその場から姿を消した。
その日から僕の名前は、好きな本の作者からとって“リトリー“になった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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