10-3 この世界を壊す権利
“愚鈍“や“無能”を、自分の名前だと思っていた時期がある。
5歳。――――ボクは、山の中に1人だった。
「……また、そんなところにいるのか。紫衣羽」
山小屋の扉が開かれる。
部屋の隅、光も当たらぬ場所で膝を抱えていた子供の瞳に映ったのは――――岩手福寿だった。
「福寿様」
すると、子供は一気に笑顔になって、福寿の足元へ駆け寄る。
福寿は、そんな子供の様子を蔑むような目で見ながら、カゴに乗せて持ってきていた食べ物を地面に落とした。
カゴに乗っていたのは、鳥が食うような硬い穀物にくるみ、それからごぼうやにんじんのクズがいくつかと少しの干し肉だった。
子供はそれを嬉しそうな顔で、犬のように食い散らかす。その行為に、子供自身は何の疑問も持っていなかった。
「食い終われば、魔術の訓練だ」
福寿はそう言うと小屋を出る。子供は素直に、
「はい、福寿様」
と、答えた。
訓練は、2時間きっかりだった。
投げつけられる小石から身を守ったり、岩に拳を打ちつけたり。
しかし、子供は魔術は目覚めることなく、小石は顔を掠めるし、打ちつけた拳からは血が流れた。
その様子を、福寿は厳しい目で眺めていた。
訓練が終えるなり福寿は小屋の机の上にナイフ1本を置き、子供に言った。
「――――次からは、自分で狩りをしなさい」
その言葉を聞くと、子供は顔面銅箔になる。
「え……。そ、そんな……! 無理ですよ……! 山には、クマやイノシシも出るんです……!! ボクは、死んでしまいます……!!」
子供は訴えた。しかし、福寿から帰ってきたのは、
「そうか」
という、突き放すでも叱るでも、ましてや励ますでもない、相槌のような無味の言葉だった。
そうして、その日以来、福寿は子供の住む小屋に来なくなった。
福寿の言葉が本当なのだと子供が自覚したのは、いつも最低限の食事と摂らせ、2時間の魔術訓練を行うその時刻になっても、小屋の扉が開かなかったからだった。
子供は、とりあえず山の中を歩くことにした。
ぐう、と、腹が鳴る。
すると、木々の隙間から目の前を柿を加えたうさぎが通り過ぎた。
――――次からは、自分で狩りをしなさい。
福寿の言葉が頭の中に過ぎると、子供はそれをバレないように気を付けながらも必死に追いかけた。あのうさぎなら、自分にも殺せるかもしれない。
転んで、それでも子供は挫けず喰らいつく。
そして、うさぎを追って木々の中から顔を出した時だった。
そこにあったのは、うさぎの巣だった。子供たちが巣の中で、木のみをむしゃむしゃと食べていた。
「……家族」
その光景を見ると、子供は途端にうさぎを食べる気が失せてしまった。そして、木の裏に姿を隠すと、
――――山には、クマやイノシシも出るんです……!! ボクは、死んでしまいます……!!
――――そうか。
そんな福寿とのやり取りを思い出して、泣き出してしまった。
「ボ、ボクは……。何のために生きてるんだろう……」
空腹感と足の裏に伝う冷たい地面の感触が、子供の心の中にあるそのやり取りをより一層暗いものへと変貌させる。
「ボクは死んでもいいんだ……。いらないんだ……」
そんな子供の顔を再び上げさせたのは、ピーッピーッといううさぎの鳴き声だった。
少年がその悲鳴のような声に惹かれて、うさぎの巣を覗く。と、どこからやって来たのか、そこにいたのは血だらけの子熊だった。
子熊といえど、うさぎを狩るくらいはわけないだろう。――――しかし、よほど傷が痛むのか、子熊はその場でどさりと横たわると、ついにはうさぎを1匹も仕留められなかった。
「あの熊を殺せば……」
じっと見つめていると、子供の腹がさっきよりも大きくぐうと鳴った。目の前の子熊は、横ばいになりながら巣に残った木の実や果物の食べかすを必死に口に運んでいた。
子供は木の棒を持って、子熊の元へ忍び寄り、それを子熊の喉元に突き刺そうと構えた。しかし、その目と目が合った時、子供は、
「お前も、ひとりぼっちなんだな……」
と、悟った。しかし、
「でもさ、みんな必死なんだよ。だから、恨まないでよ……」
その顔は強張っていくと、
「何だよ、その目は……! あのうさぎだって……。お前だって、殺そうとしたじゃないか……!!」
と、最後には言い訳じみたものに変わって、叫び声と共に木の棒を振り下ろした。
子供は手に持っていた木の棒を地面に何度も突き刺す。と、それから震える手にかかった温かな血を見て服を脱ぎ、そのまま服で何度も何度も拭った。
それから、1年後。――――6歳になって半年が経った頃。
小屋の扉が、子供以外の手で久しぶりに開かれる。光の向こうから姿を現したのは、福寿だった。
「これを、あの子がやったのか」
部屋の中に吊るされた動物の皮を、福寿はまじまじと見る。すると、
「……福寿様?」
と、音もなく子供が背後に現れ、声をかけた。
福寿は驚いて振り向いた。気配が全くなかったからだった。
「何の用でしょうか?」
子供は前までとは違う雰囲気を纏っていた。それこそ、福寿が思わず後退るほどに。
「……お前を、迎えに来だのだ」
動揺を悟られないように、福寿はゆっくりと用件を伝える。
「迎えに……?」
「ああ。当主を決める時が来たのだ。――――お前も知っているだろう。特魔と岩手家の関係を。復讐すべき相手を。その準備が整った」
「……しかし、それとボクに何の関係が」
「関係は大いにある。お前がこうなったのも、全ては特魔のせいなのだ」
「こうなった、のも……」
「ああ。家族がいないのも、私がお前をここに置いていったのも。全ては特魔に復讐するため。魔力の根幹となる欲望を育て、お前の中の魔術を目覚めさせるためだった」
「欲望を……」
すると、福寿は不意に、
「話を聞く気があるなら、ナイフをしまいなさい。どのみち、魔術師に普通の武器はきかない」
と、言った。
それを聞くと、子供は後ろ手に隠し持ったナイフをしまった。
「まず初めに――――私は、お前の祖父だ。そして、紫衣羽。お前は、岩手家の血を引いている。岩手紫衣羽、それがお前の名だ」
「福寿様が、ボクの祖父……!? 捨て子ではなく……!? では、なぜ……! なぜ、こんなところに置いていったのですか……!?」
子供は目を見開き、今まで堪えていたことの全てをぶつけるかのように岩手にそう尋ねた。
「言ったであろう。――――全ては、特魔に復習するためだと」
「そんなもののために!」
「そんなものなどではない! 特魔があるから、岩手家は永遠に縛られているのだ。これは、呪いなのだ」
「呪い……!?」
「見ろ」
そう言って、福寿は子供に腹を見せる。そこには、魔石が埋め込まれていた。
「これは……!?」
「魔石だ。――――私の祖父も、そのまた祖父も、私だって縛られて生きてきた。――――岩手家は元来、魔力が弱い。だから、私はその魔力を底上げするために、体を好き勝手に改造された。――――今までの当主の中には、過激な訓練で死んだ人間もいる」
「どうして、そこまで……」
「初代当主が、魔術をかけたのだ。当主に選ばれた者は”、特魔を倒す”そのことだけに執着するように。――――その対価は、命だった」
「……!」
「家族が上手くいかないのも、私たちが迫害されているのも、魔術士という地位に固執しているのも。――――生まれてきたことすら呪ってしまう不運は全て、特魔のせいなのだ! ――――だが、一方でそれは、特魔さえいなくなれば全てから解放されることを意味している。この身を呪う全てから!!」
福寿の語りはヒートアップしていくと、その最後には子供を指して、
「紫衣羽。――――戦え! 抗え!! 自分を否定した全てを、否定するために!!」
と、言った。
「これより1週間後、岩手家当主を決める蠱毒――――“当主戦挙”を行う。そこで、戦い勝ち抜くのだ。紫衣羽よ」
「……自分を否定した全てを、否定するために」
すると、子供はその言葉に突き動かされるようにぐっと拳を作り、
「はい」
と、力強い目で答えた。
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