1-end カロとシズクの1年契約
悪霊は微塵も負ける気などないと言いたげに、歩みを止めずカロに迫る。
一方で、カロは自身を落ち着けるためにふぅーっと長く息を吐く。
と、頭の奥からは、自然と自分の部屋のポスターの裏の傷跡が浮かんできた。
そして、中学生の頃の生い茂った枝葉とは違い――――。
「葉っぱが1枚もないから、景色良かったろ」
――――葉っぱが全て撃ち落とされた窓の外の景色が。
カロは左足を引き、右手を侍のように自身の左側に構える。
そして、今度はしっかりと目を開き、敵を視界の真ん中に据えた。
瞬間――――悪霊は強く地面を踏んで、素早くカロに襲いかかる。
と、悪霊はその鋭い爪を掲げ、カロに向かって振り下ろした。
「――――来いッ! 《魔蜘蛛の糸》!!」
刹那、カロは叫ぶ。そして、素早く、最短で腕を振るった。
――――スピシュッンッッッッッ!!
ムチは一瞬の風となり、音速を超える。
そして、ムチ特有の空を切り裂く音が、校庭にこだました。
ドサッ――――遅れて、鈍い音が聞こえてくる。
と、そこにあったのは――――胴を真っ二つに割かれ地面に転がる、悪霊の姿だった。
悪霊の割かれた胴の中心からは、コアであろうひび割れた黒い玉が転がり落ちる。
割かれた体も動き出す気配はなかった。
カロは、そこでようやく自分の呼吸の荒さに気づき、息を止めていたことを自覚する。
「……! あいつは!?」
と、ハッとして、辺りに脅威がないかを確かめた。――――直後、疲弊し重くなった体に、さらに何かがのしかかる。
「うわっぷ!!」
それは、屋上で鼻をくすぐったのと同じ紫色の髪。
ただ違うのは、少女がカロを抱きしめるように、いやカロに飛びつくように抱きついてきたから向かい合う形になっていた。
そんな少女の態度を見ると、いつもならすぐに突き離しそうなものの、
「良かったぁ……」
と、カロも思わず抱きしめ返した。――――が、それから少女がもう一段深く、カロを抱き寄せると、カロは途端に手を離して、
「……っ! あ、いやいや! 今のはその……」
と、顔も逸らし、少女の肩を掴んで少しだけ自分から離した。
そして、一度大きく息を吐くと、顔を伏せ、何かを言い訳するように語り出す。
「ヒュウガさんには、恩がある。
……それと、お前に死んでほしくないってのも、まあ、本当だ。
だから、1年! お前の魂がその体に人間として定着するまでの間、面倒見てやる。だから……。その……」
肝心なところで言い淀む、カロ。
すると、少女はカロに向かってスッと小指を差し出す。
「……!」
カロは照れて一瞬躊躇する様子を見せるも、少女の小指に自分の小指を絡ませる。
そして、覚悟を決めたのか、カロは少女の目をしっかりと見つめると、
「だから、俺から離れるんじゃねえ。玉砂シズク」
と、言い切った。
「はい、終わり!」
恥ずかしさを誤魔化すように砂を払って、立ち上がる、カロ。
しかし、少女は立ち上がらない。
「行こうぜ」
そうカロが手を差し出すと、少女はその手を取る代わりに自分のことを指差し、それから耳に手を当ててみせる。
「え、何? ……お前?」
少女は、ふるふると首を横に振る。
そして、もう一度強く自分を指し示してから、耳に手を当てる。
「……! あーっと……」
そこまですると、ようやくカロも理解したのか、
「……玉砂?」
と、少女の名前を呼ぶ。
しかし、なおも少女は首を横に振る。
「……玉砂シズク」
まだまだ、少女は首を振る。
「――――ぁ! えー……」
すると、カロは観念したようにため息を吐いて、
「……っ、わーったよ!! 行こうぜ、シズク!」
と、少女――――シズクに手を差し出した。
シズクは、初めて出会った時からは想像できないような嬉しそうな笑顔を浮かべると、カロの手を無視して再び抱きつく。
カロも、今度はそれをしっかりと受け止める。
「……本当に1年間だけって分かってんのかね、こいつ」
カロは、呆れ笑い混じりにそう呟く。
でも、胸の中で犬のように頭をすりすりと擦り甘えるシズクは、なんだか心地よかった。
――――パキッ。
そんな奇妙な音さえ、聞き逃してしまうほどに。
それは、カロがシズクを眺めて少し経った時だった。
その顔の横を――――1羽のカラスアゲハが通りすぎた。
次の瞬間、カロたちを凍りつくようなプレッシャーが襲う。
すると、カロの目の前で、ひび割れた黒い玉が振動しながら浮かび上がり、カラスアゲハが渦を作り始めた。
「マジかよ……!!」
そうして姿を現したのは、倒したはずのつぎはぎだらけの悪霊だった。
しかし、その目はさきほどよりもひどく濁り尖っていた。
きっと生き霊への執着と歪んだ嫉妬、そしてカロへの恨みが宿っているのだろう。
悪霊の顔についている全ての口がカタカタと歯を激しく鳴り出す。
と、死者の恨みつらみを全てぶつけるかのように発狂し、歯を剥き出しのまま、一も二もなくカロたちへと襲いかかった。
その時、カロに選べた行動はたった1つ――――シズクを庇うことだけだった。
カロはシズクの前に出て、ただただ盾として立ちはだかる。
そして、悪霊の鋭く尖った爪が、カロの体に荒々しく襲いかかる。
――――眼前に広がる、真っ黒な景色。カロは、思わず目を閉じた。
しかし、いつまで経っても、痛みが届いてこない。
いや、痛みすら感じぬほど一瞬で、自分というちっぽけな存在は殺されてしまったんだろうか。
そう考えていると――……。
「――――大丈夫か。骨喰」
聞き馴染みはないが、聞き覚えのある声が、暗闇に響く。
と、カロは恐る恐る目を開き、外の世界を覗いた。
「なっ!? なんで、お前が……!!」
直後、カロは素っ頓狂な声を上げる。
が、そう驚くのも無理はなかった。なんせ目に映ったのは――……。
「―――松永ッ!!」
つぎはぎの悪霊を踏み潰し、灰の髪を靡かせながらごく当たり前といった表情でその上に立つ、松永の姿だった。
▼ ▼ ▼ ▼
その頃、もう1つ――――。
「……はぁ、めんどくさ。上がごたついてるうちに出遅れちゃってんじゃん。でも、ま、いっか。あの高校に犯人がいる。そういうことだもんね」
遠くの丘、明坂高校の見える高台で、誰かがそう呟く。
「さっさと殺して、有給貰お」
木陰の下、猫の顔がついた髪ゴムが風で揺れていた。
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