8-2 小さな死神
ルイスに襲われた後――――陽華は果樹園の並ぶ道を抜けて、住宅の点在するエリアへと逃げ込んでいた。
(どうやって逃げる……)
車は、工場の近くの畦道に置いてきてしまっていた。そこで、陽華はふと物置小屋に立てかけられていたスコップを目にする。
(バスなんて、ここにはないでしょうし……。こんな田舎なら、移動手段はほとんど車のはず。なら、どこかに落ちている車を……)
そう考えた時、陽華の手はすでにスコップを握っていた。今は、手段を選んでいる場合ではない。
その家の車庫らしき場所に回ってみる。――――と、運良くそこには車が置いてあった。家には、人の気配もない。
「エンジンは……。指紋認証じゃない……!!」
2050年型ではない。つまり、鍵さえ発見できれば乗れるということだった。
陽華は家に意識を向けると、縁側部分の窓をスコップで割る。
そして、中に入ると、一縷の望みにかけて棚の上や机の上を見て回った。すると、運良く下駄箱の上に鍵があるのを発見することができた。
陽華はそれを手に取ると――――迷わず車に乗り込んだ。
グゥーッという背を押すような圧力と共に動き出す。と、トルクはすぐに最大に達し、車は法定速度などないものかのような力強い加速を得る。
(このまま特魔まで逃げきれれば……)
が、そんなふうに思考を巡らせた時だった。――――道の真ん中に、麦わら帽子を被った1人の少年がふらっと現れた。
「――――ッ!」
キュルルルルルッ――――タイヤの空回るような音と共に車は横向きになり、地面の上をドリフトしていく。
陽華は、思わず目を閉じた。少年を轢かずに済むかどうか、分からなかったから。
実際、次に目を開けた時、陽華の目の前では道路に少年が横たわっていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
扉を開けて、少年に駆け寄る。嫌な予感が頭を過ぎった。――――が、それは幸い杞憂に終わる。
「だ、大丈夫です……。驚いて転んじゃっただけなので……」
「そうですか」
陽華は胸を撫で下ろす。と、自分の使命を思い出して、
「申し訳ありません。私の不注意でした。しかし、急いでまして……。もし何かあったらここへご連絡ください」
と、少年に名刺を渡し、車に戻ろうとした。
その時、風が振り返った陽華の髪を通り抜けていく。――――と、風は少年の麦わら帽子をさらった。
「わざわざ車から降りて、優しいんですね。――――ですが、それが命取りになる」
次の瞬間――――陽華は背中にドッという衝撃を感じると、それから背中の筋肉が突っ張ったようになって背を曲げられなくなった。
そして、背中に手を回すと、陽華の手に引っかかったのは何か分厚く太い棒のようなものだった。
振り返ると、さっきまで麦わら帽子を被っていた少年が――――暗い髪の下で笑っているのが分かった。
次いで、さっきまで背中を探っていた自分の手に滑っとした感触に触れた。――――それは、陽華自身の血だった。
「ナ、ナイフ……!? なんで……」
陽華は、それから急に病にかかったように足に力が入らなくなると、地面に膝をついた。
すると、目の前に立つ少年は、
「こんにちは。――――赤木陽華補佐」
と、紫の魔力を吐き出しながら姿形を変えていき――――やがて、見慣れたスーツ姿の岩手紫衣羽になった。
「岩手、紫衣羽……!!」
「そういえば、この姿を見せるのは初めてでしたね。……赤木アザミ1等には、先に挨拶をしたのですが」
「……! あなた、あの映像に映っていた玉砂シズクに手を引かれていた迷子の子供……!?」
「ご明察。……あ、大人用の服は魔術で呼び出してますよ、流石に」
「それが、あなたの生得魔術ですか……! 子供の姿と大人の姿に入れ替わることができるという……」
「んー……。近からず遠からずといったところですかね。ですが、ま、知る意味もありません。どうせ、あなたは死ぬんですから」
「……ッ、死ぬ」
「ええ。死ぬんです。しかし、もしそれが嫌なら――――」
すると、岩手はしゃがみ、陽華にじっと視線を合わせ、
「――――使って見せてください。あなたのとっておきってやつを」
と、要求した。
「……!」
「持っているんでしょう? ――――禁書《盲信》を」
「なぜ、それを……」
「ボクが特魔に入った目的の半分が、それだからです。潜伏しながら所持者を探し続けるのは、なんだかゲームみたいで楽しかったですよ」
岩手はそう言って笑うと、陽華の支えとなっている足を足で払う。そして、地面にうつ伏せになった陽華を、ひどく冷たい目で見つめた。
「ほら、もう力が入らなくなってるじゃないですか。さっさと使ってくださいよ。このまま死ねば、どのみちボクは副司令と協力してあなたに罪をなすりつける。――――そして、赤木アザミ1等も骨喰特等も殺す」
岩手は、陽華の背中に刺さったナイフを容赦なく踏みつける。そこには笑いも哀れみも恨みもない。ただただ、作業的な行為だった。
「もう詰んでるんですよ。――――あなたが禁書《盲信》を使えば、骨喰ヒュウガが禁書《支配》を使った時のように、そこにはあなたの魔力と禁書の魔力とが混ざり合った痕跡ができる。つまり、あなたに罪を押し付けられる。――――そして、やっぱりあなたを殺す。そうすれば、その功績でボクはもっと上にいき、赤木家は沈む」
地面には、気力が生温い血となって広がる。陽華は声にならない声を吐き続けていた。
やがて、飽きたのかそれとも効果がないと悟ったのか、岩手は、
「……そうですか」
と、ナイフを踏むのを止める。そして、
「なら、そこでくたばっていればいい。自分の無力を悟りながらな」
そう言い残し、立ち去った。
1人、地面に伏している陽華は、荒くなっていく呼吸もそのままに、体の中に残った小さな熱を抱き締めていた。すぐそばに、死が佇んでこちらを見ているような、そんな気持ちだった。
(特魔から赤木家がいなくなる。――――そんなの、別に構いはしない)
やがて、呼吸が小さくなっていく。体の芯よりも、吐く息の方が温かく感じるようになってきた。
(骨喰特等が死んだところで――――私は、彼の墓の前に立つことができるでしょう。彼は、よく戦ったと)
どこかを見つめているはずなのに、どこを見ているのか、脳に情報が届かない。もう、終わりが近いのは明らかだった。
(……そして、アザミも死ぬ)
しかし、そう頭で反芻した時、今にも目を瞑ってしまいそうな弱々しい表情が、
(だが、アザミが死ぬ。――――それだけは)
と、一転して、気づけば陽華は歯を食いしばっていた。
「それ、だけは……、許さな、い……!!」
そして、1歩。腕を前に伸ばす。
獣のような声を出し、ゾンビのように地を這いずる。
地面に溢れたかつて自分の一部だった血がその足を止めようとするけど、構わずに手を伸ばす。――――だが、そこで次の手が上がらなくなり、陽華は目を閉じた。
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