雷火国の学校
雷火国の学校には、従来の教育とは一線を画す空気が漂っていた。教室に並ぶ机と椅子は整然としていたが、壁に飾られた標語はただの学問のためのものではない──「力なき正義は空論、正義なき力は暴力」と刻まれたその文字は、教員たちの哲学を物語っていた。
中庭ではライナス子爵の格闘・剣術の授業が始まっていた。師範服に身を包み、木刀を手にしたライナスは冷ややかな目で子供たちを見回す。
「構えが甘い。気を抜くな。打ち込め」
声を荒らげることはない。むしろ淡々とした口調が、なおさら生徒たちに緊張を強いた。わずかな油断も許されず、木剣が互いに打ち鳴る音が、校庭の空気を裂いていく。
次第に子供たちの中には涙を浮かべる者も出始めた。悔しさに膝をつき、嗚咽をこらえる者。動けず立ち尽くす者。それでもライナスは言葉をかけない。ただ構えを正させ、何度でも立ち向かわせる。
だがその傍らには、もう一人の男の姿があった。筋骨隆々でありながら、丸太のような腕でそっと肩に手を添える男──ドゥーガンだ。
「泣いてもいい。逃げるな。お前はちゃんと立った。それだけで今日は合格だ」
その言葉に、子供たちはぐしゃぐしゃの顔でうなずいた。ドゥーガンの声には不思議な温かみがあり、失敗を恐れる小さな心に火を灯した。恐怖に屈することと、涙を流すことは同じではない──そう教えていた。
そしてライナスは、再び生徒たちの前に立つ。
「お前たちは兵士ではない。だが、お前たちの心が鈍れば、いつかその手は正義を握る資格を失う。剣は握れても、己に負けた者には何も守れない」
夕陽の差す中庭に、子供たちの木剣が再び振るわれる。痛みと涙、そして小さな希望が、雷火国の未来を鍛え始めていた。
校舎の裏手に広がる畑と、その向こうにある川辺では、「生活」の授業が始まっていた。教壇に立つのは──いや、鍬を手にしているのは──雷火国の王、健二その人だった。
彼の装いは王のそれではなかった。泥で染まったズボンに、袖を捲った作業着。太陽の下、その筋骨隆々とした体を躊躇なく晒しながら、子供たちの前に立っていた。
「これはただの芋じゃない。飢饉のとき、こいつで村が救われた。育て方一つ間違えば腐る。適当に植えると生き物が死ぬ」
言葉はぶっきらぼうだったが、その声には重みがあった。
傍らには、顔に深い皺を刻んだ農民たちが立ち、生徒の鍬の握り方に目を光らせていた。収穫体験という生ぬるいものではない。畝の掘り方、水の管理、病気の見分け方──どれも、実際に命をつなぐ知恵だった。
「鍬が重い? それで怯んでたら、干ばつの年にどうする。お前の汗が、明日誰かを飢えさせないことにつながるんだよ」
健二の手にはすでに泥が染み、子供たちと同じ目線で畑に立っていた。
一方、川辺では漁民たちが指導にあたっていた。水面に網を投げる所作も、魚を絞める手つきも、全てが真剣そのもの。健二も素足で水に入り、魚の動きに目を凝らす。
「お前ら、命を獲るってのはな……気まぐれじゃねぇ。奪う以上は感謝して喰え」
川辺に並べられた新鮮な魚に、子供たちは神妙な面持ちで頭を下げていた。食とは、命を扱うことであると知ったのだ。
日が暮れる頃、子供たちは泥まみれで立っていた。泣き言を言う者も、遊びに夢中になる者もいない。全員が、王と共に土を耕し、水に潜り、命を感じていた。
健二はふと、空を見上げた。
「……生きるってのは、戦いだけじゃねぇ。毎日、自分の手で誰かを食わせることだ」
この授業は、雷火国の根を張る一歩となった。戦う者だけが強いのではない。食わせ、守り、繋ぐ者もまた、雷火国の礎なのだと──子供たちは確かに知ったのであった。
半年という月日は、決して短くはなかった。
泣き、悩み、倒れ、また立ち上がる──そんな日々を、魔族も人間も亜人も等しく経験していった。
格闘の授業では、ライナス子爵の「恐怖の一喝」が響き、剣術では木剣が折れ飛び、魔法では魔力の枯渇に膝をついた。
農と漁では、泥にまみれ、魚に引きずられながら、地に生きる者たちの苦労と誇りを身をもって知った。
そのなかで、彼らは気づいていったのだ。
──鍛え抜かれた兵士の背にある、血の滲むような日々を。
──釜場で黙々と包丁を握る料理人の集中力と矜持を。
──湿気と熱に耐えながら、織機を回し続ける職人の忍耐を。
──静かに刃物を研ぐ老人の目に宿る、技術への畏敬を。
種族の違いは、もはや関係なかった。
傷ついた時に助けてくれたのが誰であろうと、共に汗を流した記憶こそが、彼らの心を変えた。
休暇で村に戻った子供たちが、かつてぞんざいに扱っていた親に頭を下げる。
見習い兵が老鍛冶に敬礼を送る。
魔族の少女が、人間の農婦と手を取り合って畑を耕す。
誰も命令したわけではない。
教科書に書かれたわけでもない。
ただ、健二たちが「実際にやって見せた」からだ。
そして──
そんな子供たちの変化に、村人たちもまた変わっていった。
「こんな立派な子に育つのなら」と、もう一度鍬を握る老農。
「次の代に渡すべきものがある」と、技を惜しみなく教える職人。
「この国は変わった」と呟く元傭兵たち。
王都も村も、戦士も庶民も、魔族も人間も、すべてが「雷火国」としてひとつになり始めていた。
誰かがやるのではない。自分がやるのだと。
強くなるとは、他者を打ち負かすことではなく、共に立ち上がる力を持つこと──その思想が国の芯になっていった。
そして、城の高台からそれを見下ろす健二の目には、かつて無かった安堵と誇りが宿っていた。
雷火国は、今や確かに「ひとつの大きな家族」として、歩き出していたのだった。




