魔王銀行雷火国支店
雷火国の首都・雷火城に、黒と金の威厳ある外装を持つ重厚な建物が完成した。
その名は──「魔王中央信用金庫」、通称・魔王銀行。
これは、魔王直轄領で絶大な信用と影響力を誇る金融機関であり、雷火国がその支店を誘致できたことは、軍事同盟以上の意味を持っていた。
雷火通貨の信用が一気に跳ね上がり、魔族領からの資金流入、投資家たちの移住申請、そして何より――
「見てください、ランドルフ様。港にあの黒い帆の船……! 魔王商会のものです!」
「……ついに来たか。ここからが本番だな」
ランドルフ・ハワード侯爵は静かに頷きながらも、目の奥に燃える光を隠しきれなかった。彼が長年思い描いていた経済基盤は、ついに本格的な形を成し始めたのだ。
雷火国の商人たちは喜び、職人たちは張り切り、港や市場にはかつてない賑わいが戻ってきた。まるでこの地全体が、第二の新都として生まれ変わるような気配を漂わせていた。
そんな折――
漆黒の封蝋がされた、一枚の封書が雷火城に届けられた。
差出人は、魔王本人である。
> 「雷火王健二殿、及び関係諸氏。
先の歓待、大変に愉快であった。次は我が城にて、そちらを歓待したく思う。
ご多忙であろうが、良き返答を期待している」
「……ふっ、今度は俺たちが招かれる番か」
健二は短く笑い、即答した。
「行くぞ。俺とリーファ、ギル、ランドルフ、そして――」
「俺も行く」
ライナス・グレイがすっと手を挙げた。
「魔王……気になる。あの“力”を持ってこの世界に何を為しているのか。直接、目で見てみたい」
「はは、やっぱりそうくるか」
健二は肩をすくめながら笑った。リーファは黙って、剣の柄に軽く手を添えた。ギルは珍しく緊張した面持ちで頷き、ランドルフは大量の文書と贈答品リストを携えて準備を始めた。
雷火国の五柱が、揃って魔王の地へと向かう。
こうして、雷火国を代表する五人──健二、リーファ、ギル、ランドルフ、そしてライナスは、魔王の居城がある漆黒の谷へと向かうこととなった。
雷火城の正門から出発した一行は、魔王領特使より貸与された黒鉄の馬車に揺られ、魔界への街道を進んでいた。
「いやあ、やっとゆっくりできるな。戦も国政もひとまず一段落だし……これは小旅行ってやつだ」
そう笑ってつぶやいたのは、もちろん健二だった。
王としての威厳を保ちつつも、上着を脱いで背を預け、足を投げ出すその姿には、どこか気の抜けた安心感があった。外交という名目ながら、久しぶりに剣を握らずに済む数日間――健二にとって、それは貴重な休息のはずだった。
だが。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
馬車の中に、重く硬い沈黙が流れていた。
リーファは正座のように膝を揃え、目を閉じて呼吸を整えている。ギルは剣を膝に置いたまま、無言で何度も鞘に収めたり抜いたりしている。ランドルフは膝上に帳簿を広げてはいるものの、ペンが震えて紙に一文字も記せていない。そしてライナスは、窓の外をじっと見つめたまま動かない。だがその視線には、静かな戦意と観察の鋭さが宿っていた。
「おい、なんでお前らそんなに緊張してるんだよ。あの魔王、そんなに怖いか?」
健二が苦笑交じりにそう言うと、ランドルフが咳払いをして口を開いた。
「陛下……相手は**この大陸で唯一、神の騎士団すら撃退した“存在”**です。外交礼儀を一つ間違えただけで、王国どころか魔族連合を敵に回すことになりますぞ」
「……おまけに、あの贈答品のコインを本当に気に入ってくれてたら……今後、我が国が魔族経済の中核に取り込まれる可能性もある」
リーファが低く呟くと、ギルがポツリと付け加えた。
「正直……あいつに勝てる気がしねぇ」
「……俺も少しだけ、試したくはある」
と、ライナスが小さく口元を緩めたが、それすら異様な緊張感を高める材料になっていた。
その光景を見て、健二はため息をついた。
「まったく、お前らなあ……」
そして、天井を見上げてつぶやく。
「……俺は、ただ美味い飯を作って帰りたいだけなんだよなぁ……」
かくして、雷火国五柱を乗せた黒鉄の馬車は、魔族の王が待つ漆黒の都へと走っていく。
この旅がただの“小旅行”では終わらぬことを、まだ健二だけが知らずにいた――。