マチオ
夜になった。
村は暗闇に包まれていたが、広場に面した一軒の建物だけが、松明の灯に照らされて明るかった。
──バルドの店。
木の梁がむき出しの天井。
机と椅子は手作りで、多少の歪みも愛嬌になっていた。
そして、店の中央には、大鍋と焼き台。
今日ばかりは、バルドの店が「宴会場」となっていた。
「マチオ殿! もっと飲め、食え!」
「いや、そんなに飲んだら明日倒れるぞ……」
健二は苦笑しつつも、渡された木椀の酒を受け取った。
──マチオ。
自分で名乗った名前だった。
(マジで中途半端なオッサン、の略……まさか通じるとは思わなかったが)
言葉の意味は当然通じない。だが「異国風の名」として、村人は納得してしまったらしい。
料理は質素だった。焼いた芋に塩、豆と野菜のスープ、干し肉の煮込み。
だが、驚いたことに旨い。素材が新鮮で、調理も手馴れている。
特に、干し肉のスープは身体に染み入るようだった。
(なるほど、悪くない……)
村の者たちは健二──マチオに好意的だった。
森での生き延びた話、ゴブリンとの戦い。
それを聞いた子供たちは目を輝かせ、大人たちはうなずき、ある者は拍手を送った。
「……あんた、ホントに獣を素手で倒したのかよ」
「いや、棒と蹴りだ。素手ってほどじゃないさ」
健二は謙遜したが、それでも村人の目は変わらなかった。
彼は“強い異邦人”として、確かに受け入れられつつあった。
──その時だった。
外から馬の蹄音。そして金属の鳴る音が、夜風を切った。
バルドの店の扉が開かれる。
「自警団の隊長様と、騎士様だ!」
誰かが叫ぶ。
店の中の空気が、一瞬にして変わった。
入ってきたのは三人。
革鎧を纏った自警団員たち、そして──銀の鎧を纏った男。
金髪を後ろに流し、顎には整った髭。
美しくも冷たい瞳を持つその男が、扉の前に立っただけで、店の空気は凍った。
「……あれが、異邦の男か?」
「はっ、そうです。名はマチオと申しておりました」
「ふん……」
騎士は、一歩、健二に近づいた。
周囲が息を呑む。バルドも、少女も、言葉を失っている。
「私はサー・ウィリアム。リスノーラ辺境伯の騎士にして、村落の監査権を持つ者だ」
健二はゆっくりと立ち上がった。
言葉が通じるのは確認済みだ。だがその内容は──あからさまだった。
(睨んでやがるな。完全に気に入られてない)
サー・ウィリアムは、あえて健二の手を取ろうとしなかった。
ただ、挑発するような視線で言い放つ。
「異邦の者よ。聞けば、村人に“光の石”を渡したそうだな」
「……ああ。あれはただの道具だ。脅しでも呪いでもない」
「ふん。何の技術か知らぬが、村人が慌てるのも当然だ。──異邦の技術は、我らの秩序を乱す」
その場が緊張した。
だが、健二は何も返さなかった。ただ、黙って相手の目を見つめていた。
やがて、サー・ウィリアムは鼻を鳴らすように言い捨てる。
「今宵の宴は見届けた。──せいぜい、問題を起こさぬことだな、“マチオ殿”」
騎士は踵を返し、自警団を連れて去っていった。
残された店内は、静まり返ったまま、誰も言葉を発せなかった。
──だが、少女だけが、ぽつりと呟いた。
「……あの人、いつもあんな感じだよ。みんな、あんまり好きじゃない」
健二は微笑み、スープを一口すすった。
「知ってる。目が語ってた」