子爵様は狂犬
ドゥーガンに連れられ、健二とリーファはリューンの貴族街に入った。
門や塀はどれも苔むしており、他の豪奢な館と比べれば古びている。
だが、誰もこの屋敷を侮らない。街の者たちはここを「牙を潜めた獣の巣」と呼ぶ。
「気を抜くなよ、坊主。あの男は“最強”だ」
ドゥーガンがいつになく真剣な声音で言った。
扉を開けた瞬間、空気が変わった。室内に漂う、まるで血のような金属臭。
広間に足を踏み入れた途端、椅子の背に寄りかかるひとりの男の姿が目に入る。
年若く、痩せた体格。黒髪は肩にかかり、目元は眠たげだ。
――だが、目だけが獣だった。
「お前が、健二か」
「……ああ。そっちは?」
「俺はライナス・グレイ。リューン男爵……ま、肩書きよりも手を交えた方が早い」
男は立ち上がり、上着を脱ぎ捨てる。
鋭利な刃物のように研がれたその動きに、健二は即座に理解した。
この男、ただ者じゃない。
「始めるぞ」
それだけ言うと、ライナスは一気に間合いを詰めた。
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【健二 vs リューン男爵】
最初の数合、健二は冷静だった。
ボクシングのジャブ、カーフキック、タックル――持てる技術を駆使して戦う。
しかし、ライナスはそれらを全て見切っていた。
受け流し、転がし、時にカウンター。まるで相手の意図を先読みしているかのような動きだ。
「お前、魔導士にしてはいい筋してる。けど……遅い」
その声と同時に――視界が揺れた。
ドンッ!
健二の右脇腹に、鋭く、斜め上から振り下ろすような三日月蹴りが突き刺さった。
炎と雷の剣を使わぬ素手の戦い。まるでその隙を見透かしていたかのような一撃。
肋骨が折れる音が、脳裏に響く。
「が……ッ!」
健二は吹き飛び、壁に叩きつけられた。呼吸ができない。咳と共に血が滲む。
「試合終了だな」
ライナスはその場に立ち尽くしながら、淡々と告げた。
リーファが駆け寄り、光魔法で健二の胸を包む。だが、完全な回復には至らない。
ドゥーガンは無言で見つめていた。
「悪いな。力の差ってのは残酷なもんだ。けど――」
ライナスは近づき、しゃがみこんで健二の顔を覗き込む。
「お前は気に入った。もっと強くなって、もう一度来い」
そう言うと、背を向けて広間を去っていった。
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健二はその晩、寝床で何度もその三日月蹴りの軌道を思い返していた。
炎も雷も使えぬ、真っ向の殴り合いで敗北したこと。
それが、なによりも悔しかった。
そして彼の心には、静かだが確かな炎が灯っていた。
もう一度、この男を倒す――その時は、剣でも魔でもすべてを尽くして。




