侯爵一行のご来店
ギルバート・ハワード――かつて横暴の限りを尽くした侯爵家の嫡男は、あの日から健二とリーファと共に動くようになった。
村人たちは最初こそ警戒していたが、数日も経たぬうちに「話せば悪い奴じゃない」と理解し始めた。
ギル自身も、これまでの生き方を少しずつ見直していた。
「マチオさん、これでジャブって出てるんですか?」
「違う違う、もっと小さく、素早く、目を狙え。肩の力抜いて……」
「うぐっ……リーファ、やりすぎっ……」
「なに甘いこと言ってんの。さっき私にフェイントかけたでしょ」
格闘の才能は、残念ながら皆無だった。
リーファ相手にすら、簡単に投げられ、叩き伏せられる始末。
しかしそのぶん、ギルは別の面で力を発揮した。
「リーファ、この会計、食材費が倍以上違うけど――あ、こっちは原価率込みの予算か。なら納得」
「……ギル、それ本当に自分で気付いたの?」
「数字だけは、昔から得意でね。屋敷の書庫で帳簿読んで育ったようなもんだ」
バルドの店では、ホール業務や注文の仕切り、帳簿の確認などで大いに役立ち、今では「ギルさん」と呼ばれている。
かつての横柄な坊ちゃんとは似ても似つかぬ姿だった。
* * *
そして、週末。
ランドルフ侯爵一行が村を訪れる日がやって来た。
バルドの店は普段の二倍の人員で支度に追われ、健二も厨房の中心で指示を飛ばす。
「ギル、皿数確認しとけ。リーファ、塩焼きの香草もう少し足してくれ」
「了解!」
「はいっ!」
厨房にいるのが侯爵家の嫡男と若い少女とは誰も思わないだろう。
ふたりとも手際がよく、目も利いていた。
やがて、重厚な馬車の一行が店前に到着する。
降り立ったランドルフ侯爵は、騎士や高官を伴っていたが、何よりもまず店先に立つギルの姿に驚いたのは、同行の家臣たちだった。
「ギル様が……前掛けを……?」
「しかも……笑顔で接客を……?」
ざわつく家臣をよそに、ギルは一礼しながらドアを押さえた。
「いらっしゃいませ。ランドルフ様、ご一行様――ご案内いたします」
侯爵は一瞬目を細めると、ふっと笑った。
「……ほう、これは……なかなか様になっている」
一同が席に着き、健二は自ら料理を運んだ。
皿の上には、皮がパリッと焼かれた川跳ね(サーモン)と、厚めの切り身を香草で下味をつけた塩焼き。
添えられた野菜も艶やかで、匂いだけでも食欲を誘う。
侯爵はナイフを入れ、口に含むと――思わず、顔をほころばせた。
「……これは、実に……美味い。素材を殺さず、だが素朴ではない。お主、ただの料理人ではないな?」
「いや、ただの中途半端なおっさんです」
健二がいつもの調子で返すと、ギルが笑いを堪えきれずに噴き出した。
リーファはきちんとホールの動きを把握し、客人にも怯まず接していた。
侯爵はその姿を見て、ひときわ強く頷いた。
「……君たちが村を支えているのだな。マチオ殿、ギル、リーファ嬢――心から感謝する」
静かな拍手が、侯爵と家臣たちの手から起こった。
その夜、バルドの店には柔らかな笑い声と、温かな香りが長く漂っていた。




