朝稽古は来るものは拒まぬ
翌朝――
まだ朝靄の残る訓練場に、見慣れぬ影が現れた。
その大きな体躯とやけに細い腕、どこか所在なさげな立ち姿。
「……ギル?」
「……う、うん」
「おまえ、何してんだ」
「……朝稽古、混ぜてほしいって……父上が……」
言いながら、ギルの背後から現れたのは、ハワード侯爵――ランドルフその人だった。
威厳を湛えた姿で、健二とウィリアムの前へと進み出る。
「おはようございます、マチオ殿、サー・ウィリアム」
「おう、早いな侯爵さん。どうした、今度は親子で殴られに?」
「……いや、本日はお願いに上がった。ギルを……貴殿の稽古に入れてもらえぬか」
健二が片眉を上げると、ウィリアムが状況を補足した。
「侯爵家の鍛錬所では……ギル殿に忖度して、誰もまともに組手をしてくれぬそうだ。だから……村の、ここで教えてほしいと」
「なるほどな」
健二はギルを見た。
かつて傲慢にふんぞり返っていた少年の面影は、すでに薄れていた。
「……とりあえず、走れ。全員で三周だ。立ってる暇はないぞ」
「っ、はいっ!」
ギルは誰より先に走り出した。
それを見て、ウィリアムが微かに笑った。
「……どうやら、やっと"入門"したようだな」
* * *
稽古が一段落した後、ランドルフ侯爵はリーファに近づいた。
「少女よ……名は?」
「リーファです」
「よい名だ。君に一つ頼みがある」
リーファは小首を傾げて話を聞く。
「バルドの店に、正式に予約を入れたい。私と数名の客人とで、謝罪と共に……村の食を味わいたい」
「……はい。伝えておきます。日程と人数を――」
「そう、そういうことを聞けるから頼もしい。バルド殿が信頼するのもよくわかる」
侯爵は笑い、懐から封筒を一つ取り出して手渡した。中には食材費の一部として金貨が数枚。
「では頼んだぞ。リーファ嬢」
「……わかりました。お任せください」
リーファはぺこりと頭を下げると、封筒を抱えてそのままバルドの店へ走っていった。
* * *
最近のリーファは、もう"手伝い"ではなかった。
厨房に立つバルドが指示を出す相手は、今ではリーファだ。
日替わりの内容、食材の在庫、帳簿の確認――
元はといえば全てマチオが帳面にして残したものだが、今はリーファがまとめて管理している。
ホールでは誰よりも客の動きを見て、誰よりも早く声を掛ける。
子供たちには「お姉ちゃん」、大人たちには「リーファ嬢」と呼ばれ、店の看板のような存在になっていた。
バルドがこっそり健二に耳打ちしたことがある。
「……俺が死んだら、あの子が後を継ぐんじゃないかって気がしてな」
健二は笑っていた。
「まだ14だぞ。まずは旅に出るんだろ?」
「いやあの目は……いずれ、店も切り盛りする女の目だぜ」
夕刻、今日もリーファは厨房とホールを行き来しながら、帳簿に「侯爵様御一行五名、今週末予約」の字を丁寧に書き込んだ。
小さな村に流れ込んだ波は、静かに、確かに誰かを変え始めていた。




