ランドルフ・ハワード侯爵
決闘に敗れ、肩を脱臼し泣き叫んだギルは、広場にしばらく蹲っていた。
だが、それでも彼の性根が叩き直されたわけではなかった。
――バン!
バルドの店の厨房に、木製の椅子が叩きつけられる。
「お、おい! やめろギル!」
「うるせぇ! ……こんな村、父上に潰してもらう!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ギルは怒鳴り、馬車へ駆け戻った。従者たちは無言で彼を乗せる。逃げるように村の外れへと向かう馬車。
だが――
「おい、開けとけ。俺も行く」
馬車の扉を開け、健二が無造作に乗り込んできた。
「お、おま……な、なんで――」
「お前の親父に会う。悪ガキの教育がなっとらんってな」
ギルが悲鳴のような声を上げる間もなく、馬車はそのまま出発した。
* * *
ハワード邸――かつて砦であった石造りの重厚な館の門前。
馬車が止まり、健二が扉を開けて降り立つ。
「おい、お前ら。侯爵に会わせろ」
門番たちは目を細め、ギルを担がれて出てきた健二を見て顔を強張らせた。
「おい、貴様……まさかギル様に手を――」
「誰にモノを言ってんだテメェ」
健二の声が低く響いた。足元の砂利が砕けそうな一歩を踏み出しただけで、門番が後ずさる。
「身内が野良犬みたいに吠え回ってんだ。飼い主が出てこないなら、こっちから行く」
そのとき、馬の蹄音が鳴った。
「――待ってくれ! 彼はこの村の義勇者だ!」
駆けつけたのはウィリアムだった。その背にはリーファもいた。
彼女が手にしていたのは、村の長老の署名がされた証書だった。
「侯爵様にお伝えを。ギルバート様が村で乱暴を働き、それを止めた健二殿が、むしろ騎士の鑑として振る舞っていたことを!」
門番たちが顔を見合わせ、ようやく門が開かれた。
* * *
ハワード邸の謁見室。高い天井に赤い絨毯が敷かれ、重厚な椅子に座る一人の老人。
ランドルフ・ハワード侯爵――
灰白の口髭と、背筋の通った軍人のような眼差しを持つ男だった。
「……なるほど。では、ギルバート。お前が村の店で狼藉を働き、この男に投げ飛ばされ、泣きながら帰ってきたと?」
ギルはぐっと唇を噛み、肩に包帯を巻いた姿で黙っていた。
「答えろ。事実か?」
「……はい」
その瞬間、ランドルフ侯爵は重々しく椅子から立ち上がった。杖を片手に、ギルの頬を容赦なく平手打ちした。
「貴族の名を穢すことが、どれだけ重い意味を持つか――貴様には一から教え直す必要があるようだな」
健二はそれを無言で見ていた。
侯爵の目が、次に彼へと向けられる。
「貴殿、名は?」
「マチオ。元の名前はどうでもいい。……村の料理屋と訓練屋やってます」
「そうか。マチオ殿……」
ランドルフ侯爵は一礼に近い首の角度で、わずかに頭を下げた。
「この度は不始末を詫びる。貴殿が村で信頼されているのは、既に耳にしている。……ギルの件は我が家の問題だ。安心して帰ってくれたまえ」
「……了解っす」
健二もまた、軽く顎を引いて応えた。
ギルは床に座り込んだまま、侯爵の怒気を正面から受け止めきれずにいた。
健二が踵を返す。扉の向こうでは、ウィリアムとリーファが待っていた。
「お疲れ様でした、マチオ殿」
「侯爵様の対応……想像していたより、ずっと立派だったな」
「だな」
リーファはこくりと頷きながら、健二の袖を引っ張った。
「帰り、あたしも一緒に行く。……なんだか今日は、すごく疲れた」
「……俺もだよ」
三人は、夕暮れの中を馬で村へと戻っていった。




