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Re  作者: 哀雨 ザラメ
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2件目

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2件目

 雨が降っている。



「せんたくもの……!」

 がばりと立ち上がろうとして、僕は膝を強く打った。思い切り机にぶつけてしまい、一瞬息が詰まる。

 喉の奥から絞り出すような悲鳴がもれ、じんわり涙が浮かんだ。目の前には大学のテキストやペンが広がっている。


 そういえば昨日、勉強しようとして机に向かったはいいものの、すぐに睡魔に背後をとられ、さっさと降参したのを思い出す。

 眠いのだから仕方ない、少し仮眠を取ってから勉強しよう。そう決めて机へ突っ伏し、本当に仮眠に留まったことなんて、残念ながら一度もない。

 一度もないのに、僕は毎度自分を信じてしまう。多分、ただ甘えているだけだ。それはわかっている。


 鈍痛に歯を食いしばりながら、僕は窓を見た。外は明るい。カーテンも閉めずに眠ってしまったのだ。

 近づいて窓ガラスを開ける。雨なんて降っていなかった。更に言うなら、洗濯物も干していなかった。どうして雨だと思ったのだろう。夢でもみていたのかもしれない。寝ぼけすぎだ。

 机の上の時計を見る。午前10時43分。危なかった。今日の昼休みは、伊丹と面談があるのだ。

 どうせ午前中は全部空きコマだからと、昨日はアラームもかけずに()()を取ってしまった。いくら伊丹がジェントルと言えど、遅刻なんかしたら雷が落ちること必至だ。




 >>>




「寝違えたのかい?」

 伊丹は資料を揃えながらたずねてきた。面談が終わって、お茶でひと息ついている時だ。僕がずっと首のつけ根をさすっているので、気になったのだろう。

「えぇまぁ、そんなところです」

「僕も学生の頃、よくやったなぁ」

 試験前とかにね、と伊丹は笑った。()()が原因だとしっかりバレている。僕は気恥ずかしくて、お茶をただ啜った。


 卒業論文の進捗を報告しながら、進路相談をするための面談だった。

 ゼミナールによっては、大学院まで進んで、そのまま教授の助手になる学生もいるらしい。

 伊丹のことは尊敬しているけれど、大学院まで行って勉強する気は起きなかった。この前参加した合同説明会で、気になる企業があったのだ。このゼミの分野とは少しズレているかもしれないけれど、僕はその企業にとても惹かれた。


 伊丹から、はっきり残ってほしいなんて言われたわけじゃない。でも、何となく日々の態度や話し方から、期待されているような感じがある。

 その期待を裏切ってしまうようで、少し心苦しい。罪悪感もある。だから僕は、この面談でも進路についてはっきり言えなかった。

「僕はね、君の論文がとても楽しみなんだよ。着目点が面白い。他の学生とはまた違ってね」

「ありがとうございます」

「これからも定期的に見せてほしいな」

 僕は小さく返事をした。この後は就職するつもりだと言ったら、伊丹に失望されるかもしれない。


 他のゼミ生たちは、何と言われているのだろう。進路はどうするつもりなのだろう。そういえば最近、まともに連絡を取りあっていないような気がする。

 進捗状況発表のトップバッターとして準備を進めておくようにという宿題を課され、僕は伊丹の部屋を出た。

 午後は2つコマが入っている。ゼミ生に久しぶりの連絡を取るとしたら、遅い時間になるかもしれない。でも、明日は休日だ。バイトをしている奴も、卒業に向けてシフトを減らしたと言っていたし、何とか繋がるだろう。




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 平日最後の授業では、グループワークが多い。初めは簡単なテーマを──例えば最近気になるニュースとか、好きな映画とか──10分程度グループで話し合う。これは緊張をほぐすためのオリエンテーリングみたいなものだ。

 今日のテーマは、自分を動物に例えるなら、というものだった。

 グループメンバーは、僕と、同じゼミ生の久原、顔見知りの四年生と、三年生の女子生徒だ。


 女子生徒が率先して筆記役となってくれたので、僕ら男子勢は話し合いに専念することにした。

 まずは順番に自分を動物に例えていく。僕はのんびりしていてロングスリーパーだからナマケモノ、久原はあまり動かず周囲に合わせがちだからカメレオン。もう一人の四年生は対照的に、動くのが大好きで好奇心旺盛なので柴犬。筆記役の女子生徒は少し悩んで、自分も動くのが好きで止まれないタイプだからと、マグロを挙げた。これには皆笑った。

 僕と久原以外は初対面だったが、話し合いは盛り上がった。柴犬の四年生とマグロの女子生徒は、トークが上手かった。僕と久原はそれに乗っかるような形である。

 笑い声の上がる僕らのテーブルへ、一人の女性が近づいてきた。

「すごい盛り上がってるじゃない。これは次のトークテーマも期待できそう」


 すらりとした長身の、綺麗な女性だ。首から大学関係者であることを示す名札を提げ、タブレットを手にしている。

「あれ? 須藤先生って、ここの助手じゃないですよね?」

「代理で来てるの。浜野先生、ひどい風邪らしいわ」

 須藤は、ジェントル伊丹の助手なのだ。ゼミ生として、しょっちゅう顔を合わせている。明るくお茶目な人だ。例によって、元々は伊丹の教え子で、大学院を出て助手になったのだという。




 >>>




 授業が終わり、僕は欠伸を噛み殺しながら席を立った。久原は帰る前に図書室へ寄ると言って、早々にいなくなっている。

 彼とは2年の付き合いになるが、その人となりは未だにわからない。何でも伊丹のゼミナールに入るため、すでに通っていた大学を辞めてまで、ここを受験したらしい。だから僕らよりは年上だ。

 まだ首のあたりが痛い。買い出しをして、早く帰ろう。本当は湯船に浸かった方がいいんだろうが、先月の請求書を思い出して、諦めた。


「お疲れ様。今日はもう帰り?」

 須藤が手を振ってきた。

「帰ります。寝違えちゃって、首痛いんです」

「さては、机の上で寝たな?」

「はは、バレましたか」

「そのくらいの推理は、朝飯前ね。いや、夕飯前かしら」

 そこまで言うと、須藤は急に、眉を下げた。いつも明るい彼女らしくない、浮かない顔だった。

「ところで……清水さんと、最近会った?」

「清水さん?」

 清水さんとは、同じ伊丹ゼミの三年生だ。物静かで真面目な女子生徒で、とても優秀だった。


「いや、最近は……連絡も、ゼミ全体で取ってないし」

「そう……」

 暗い表情のまま俯く須藤に、僕は何となく不安になった。嫌な予感がする。

 そんな僕の空気を感じ取ったのか、須藤はぱっと笑った。

「あぁ、そんな気にしないで。先週、伊丹教授にレポートを提出してから反応がなくって。もしかして、連絡もできないくらいひどい風邪をひいてるのかしらって」

 須藤はお見舞いに行こうにも、さすがに住所までは知らないし、と続けた。僕も、彼女が一人暮らしだということくらいしか知らない。

「清水さんの友達にでも、確かめてもらえばいいんじゃないですか?」

「そうね、そうするわ。伊丹教授も心配してらしたから」

 引き止めてごめんなさいね、と須藤は教室を去った。


 僕はトートバッグを肩にかけ、キャンパスを出た。駐輪場では、違う学部の生徒たちが大声で何か盛り上がっていた。聞きたくなかったが、どうやら同じサークルの女子で誰が一番タイプか、という会話をしているらしかった。

 笑いながら口々に女子を勝手にランク付けしていく彼らをなるべく見ないようにして、僕は自分の自転車にまたがった。




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