何を間違えましたか?
2025/4/3 17:32 投稿
「これだ」と言える間違いはよくわかりません。
ハッキリしているのは、自分を否定する意見や考えを、受け入れ、従った事に起因しているだろうことはわかります。
平たく言えば「自分を否定する」ことを受け入れ、実行したのが間違いだ、と言えるでしょうか。
誰しも間違いを繰り返しています。
事の大きさや人生への影響も、人によるのでしょう。
心は否定的で、それを言動として表面に出せば、属する集団や社会から浮きます。
嫌だと思いながら、それでも、指示されたことを、実行することを強要される風潮が、残念ながら世の中にはあります。
しかし、みんながみんな、心の中までは受け入れはしないでしょうし、器用に生きていける人は、表面上は、合わせられるのでしょう。
そういう方達は、自分を護る術を知っているんです。
時には相手を傷付けることで、自分を護る人もいます。
本来は、そうしなければ護れない、そうしてでも護るべき、大切なものなんです。
世間では、社会のルールや相手を護ることが普通であり、また、相手に護ることを願われ、時には強要されて、自分を犠牲にする人がいます。
善意として、意図して実行に移す人、その時に必要にかられる場合もあるでしょう。
…けれど、時にその自己犠牲の選択は、習慣の中で「当たり前」とされて、善意の価値が下げられ、搾取されます。
「今までやっていた」記録が、周りの記憶に残り、無理をしていたとしても、その無理以上を求められるようになります。
無意識に、搾取されるレールに乗せられ、機械仕掛けの様に、雪だるま式に増え続ける「当たり前」を、受け止め続けた先には、その犠牲からなる恩恵を享受していくのは他利でしかなく、本来あるはずの分担やお返しは、当たり前に掻き消されて、ただ不利益しか生まなくなっていく場合があるのも、否めないのです。
いずれかの集団に属した場合、その集団の長になる者、また組織の上役になる者が、その負のループを止める立場にありますが、その立ち位置に立つ者が、己の当たり前を護る行動に出た時には、その集団、組織に属する、他者を思う思いやりから進んで、または抗えずに不利益を受け止めた、心優しい者が地獄に落ち続けるのです。
そうなれば、救済はありません。
みんな自分を不利益から護りたいからです。
そして、上手く立ち回れない、心優しい者が、力尽きた時に口を揃えるのです。
「大したことないのに、そんな事くらいで音を上げて」
「もっと上手く立ち回ればいいのに」
「止めなかったのは自分でしょう、強要なんてしてないし」
「頼んでないのに自分で勝手にやったんでしょう」
「やり始めたなら、最後までやるべきだ」
素直であるほど、心優しい者ほど、ありのままで生きていくには、あまりにもマニュアルが開示されない、暗黙のルールが蔓延る世界。
言葉の裏を読み、行動の裏を読み、人の善意の裏を読み続けなければ、搾取される世界。
裏を読めない人の力量を、非難される世界。
誰かをターゲットにしているんじゃないんです。
自分を護る為に、個々が動いた結果でしかないんです。
その地獄は、立場のある者、勇気のある者にしか覆せず、常に新たな地獄が生まれない様に、気を付けなければ、また「当たり前」の様に生まれるのです。
自然の中には無い、人の集まる場所に生まれる、地獄。
それに、飲み込まれた。
ただそれだけのことです。