表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

AIについて再考

作者: 黒神譚

 先日、エヴァンゲリオンの主題歌で有名な高橋洋子氏がイベント出演を辞退なされるというニュースを目にした。

 

 辞退の理由は出演予定だったイベント告知のポスターにAI生成画像が使われていた事らしい。

 なんと清々しいプロ意識であろうか?


 しかし、筆者はそれに反するように以前に自身のエッセイ「そうだ!AIに絵を描いて貰おう!!」にて、今後AI生成はイラスト界のみならず声優や小説、実写映画に至るまでAIが使われるようになるだろうと予測した。そして、それは避けられないテクノロジーの進化なのだと述べた。


 この意見は別に筆者だけの物ではなく古くから業界で言われていた話だ。

 例えば「あしたのジョー 2(1980~1981年作品)」ではOPにCGが使用され、当時多くのアニメ制作現場の人達がアニメーターは将来的に職を失うだろうと多くの人が予想している。これが今から40年以上前の話だ。

 実写映画においても同時代からCGは使用されている。誰でも一度は見たことがあるだろうタイトルを挙げれば「プレデター(1987年作品)」に登場する異星人が使用した光学迷彩はCGによる描写である。

 人間が直接、紙などの媒体に描くのではなく、コンピューター上に描かれた画像は、言ってみれば半世紀ほど前から多くの作品で使用されている実績があるのだ。


 やがて3D画像が出現し、映画「タイタニック(1997年作品)」でも群衆が歩くシーンなどはCGであった。

 日本のアニメ作品でも3Dが必要不可欠となっている。


 が、しかしである。

 未だ3DCGでは乗り越えられないアニメーターの技術があることは確かだ。

 「serial experiments lain(1998年)」というカルト的人気を誇る当作品は、先進的な技術や新手法をテストしながらモノづくりをする試験作品であった。EDアニメは主人公lainが寝転がる姿が近景から遠景に遠ざかっていくだけのアニメであったが、これを手書きで再現するには莫大な仕事量になる。CGならではの手法であると大絶賛された。しかし、当作品の最大の山場であるクリーチャーが蠢くシーンにおいては手描きが選択された。その滑らかな動きは当時のCG技術では再現できなかったのだ。

 「マクロスF(2008年作品)」の監督は当時、未だアニメーターの手書きならばCGよりもカッコいい動きが再現できると言った。またそのビジュアル性の高さでロボットアニメの歴史に名を残す「銀河機攻隊マジェスティックプリンス(2013年作品)」の元永慶太郎監督も同様の発言をしている。

 しかし、現在は2024年である。これは当時の技術レベルだけの話ではないかと思われる人も多いのではないか?

 

 しかし、残念ながらそれは(ノー)である。

 それから時が少し下ってから現れた進撃の巨人(2013年~2023年までかけて公開された作品)。潤沢な予算を投じて作られたこの作品でもアニメーションに関して言えば未だ人の手の動きにCGが及ばないことが証明されている。

 

 その理由として人間は視聴するために肉眼を使用する。そのためモニター内に作られたCGには違和感を感じるのだ。その違和感を消すために処理を施すことも可能であろうが、逆に膨大な時間とコストがかかってしまいCGを使用するメリットの大部分が失われてしまうのだ。

 これが手描きとCGの差である。

 

 さて、ここまで人間の手描きを持ち上げるような話ぶりなので一つの誤解が生まれたかもしれない。

 筆者は人間の手描きが最上で万能だと主張したいわけではない。何故ならCGはアニメ作品のクオリティを爆発的に上げる要因になっていることは疑いようがない事実であるからだ。

 CGには人間の力だけでは再現できないことを実現できるパワーがあり、決してCGアニメは低コスト実現のためだけのツールではないのだ。CGは人間の持つ描写力を確実に跳ね上げてくれた。

 故に今後もCGはアニメ業界で重宝され、使用され続け、進化していくことであろう。


 さて、そのCGにおける進化の可能性の一分野にAI生成イラストがある。これが本作冒頭に登場した問題点である。

 このAI生成イラストと他のイラストの決定的な違いは、人の手を介するか介さないかの違いである。

 これまで3D、2D問わず、基本的に人間がコンピューターを画材として使用し、職人が作り上げるものであった。3Ⅾであってもモデリングからアニメーションもすべて人間の手で絵画的技術による加工をする必要があった。


 AI生成イラストとはそれを必要としないのだ。

 コンピューターに膨大な量の絵やアニメーションの法則や種類を記憶させ、それを文章による命令文で計算させて一枚のイラストやアニメーションを作らせるのである。これにはデータ元になった画像等々の準備には人の手が関わるだろうが、一度プログラミングが完成してしまえばイラストレーター、アニメーターは不要になるのだ。


 歌手である高橋祥子氏にはそれが「アニメ業界に対する裏切り」や「ファンに対して不誠実」だと感じられたのかもしれない。その感情は歌と言う人間の声を使った芸道に生きる高橋祥子氏にとって当然の事であろう。

 

 そしてAIは映像だけでなく声や文章の世界でも影響力を及ぼし始めている。

 YouTubeなどで大活躍中の「ずんだもん」などを見れば、その実力は十分に示されている。ずんだもんには声のデータの元となる声優の声が存在するが、やがて人間がどのような声を心地よいと感じるかを分析し、コンピューターに勉強させれば最高の人口ボイスをオリジナルで作ることも可能だろう。先の話ではない。誰かが時間をかけてデータを集めれば可能になってしまうことである。


 つまり、AI生成イラストの問題は他の芸道の人にとっても無関係な話ではないのだ。今回の出演辞退は決してAI生成イラストに対する忌避感だけの問題では済まないだろう。

 実際に小説も必要なデータを入れてあげれば生成可能である。拙い部分はあるが、それは時間をかけて開発すれば全然改善できてしまう小さな問題に過ぎない。それはAI生成イラストにおける若干の矛盾点が発生してしまう事も同様である(指の数や体の向きの矛盾、パースの矛盾等々の問題点。)。


 筆者は以前、自身のエッセイ「そうだ!AIに絵を描いて貰おう!!」にて、AIが業界を席巻し人が職を失っていくことは避けられない問題になるだろうと述べた。

 しかし、どうやらこれは今後はAI使用には限定的な条件を満たさないと許可が下りない可能性が生じて来た。

 何故ならAI生成の音声、動画が実際に詐欺に使用されてしまっている事件が起きてしまったからだ。


 YouTubeなどで著名人があたかも発言しているかのように見えた動画。それがAIによってつくられたフェイク動画であったのだ。それとは知らずに著名人の言う事だからと内容を信じ込み詐欺にあった人が大勢出てきてしまった。

 こうなればAI生成を使用するためにはある一定の条件を満たさないと許可が下りないという法律が作られるのも時間の問題であろう。そうなればAI生成の物は使用が困難となっていくだろう。


 AI生成イラストにそれらが関係するのだろうか? と、言えば全然ありうる話であろう。

 それは著作権侵害に当たるか当たらないかだ。

 実際に数人のイラストレーターが莫大な数のイラストを描いたとして、全ての要求にこたえられるデータを集められるかと言えばかなり実現不可能であろう。色々な要求にこたえるためにはそれこそ莫大な数のイラストデータが必要になり、数人ではとても賄いきれないからだ。そのまかないきれない部分を賄おうと思うとネット上のイラストがデータとして無断使用されてしまうのは想像に容易く、それを監督する方法がないのならば、規制するしかなくなる。結果としてAI生成イラストが作れるイラストはパターン化されるであろう。

 誰もが似たような絵しか作れなくなるという意味だ。


 このAI生成イラストの問題点となる著作権についてだが、小説投稿サイトの住人は恐らくは一般人に比べて認識が甘いのでピンと来ない人もいるかもしれない。

 テンプレートだのオマージュだの影響を受けた、だのと言う言葉では済まされないほどの盗用がまかり通っているのが小説投稿サイトの実情だ。実際には「ライオンキング」程度でも世間一般からは盗作扱いを受ける。つまり世間一般から見れば小説投稿サイトは盗作がまかり通っている世界なのだ。

 この問題について筆者は若干の残念を覚えつつも、以前から完全否定はしない立場だ。

 その証左として少し長くなるが自身の作品のセリフを引用する。


「そもそもさ。そこって無料で読めるサイトなんだよね? そこのラノベをわざわざ読んでケチつける権利なんか誰にあるの?」

「いるんだよね。無産のくせに意見だけは一丁前の人って。でもね、そういうのってわかった上で皆やってるんじゃないの? その業界にはその業界のやり方があるのを素人がわかったように口出しして、それが正論だとか、本気で思ってるの?」

「異世界転生物が多いのは、需要があるから供給しているんでしょ? 読み手が求めてないような話を突きつけられてもウザいだけじゃない。”読者が読みたい話を自分の表現で伝えたい。” そういう正当な理由があって皆、異世界転生物を書いてるんじゃないの?」

 ~俺のカワイイ幼馴染みの男の娘が突然TS女体化してしまった上に、男に戻りたくないと言い出したので、完全に困ってしまった俺の話を聞いてくれ!~より抜粋(2022年投稿)


 といったような認識を筆者は持っている。ただし、これは小説投稿サイト内の作品に限る。それはアマチュア作品だから許されることなのだ。芸術の世界では誰でも「習作」から始めるから、別にテンプレートだろうがオマージュであろうが恥じ入ることも極端な指摘をする必要もないのではないかと言う考えだ。

 

 しかし、一旦書籍化するのなれば、それは改めるべき部分ではないのかとは言いたい。コミカライズにしろ電子書籍にしろ、テンプレートの作品をそのまま出版するとは著作権意識が低すぎる。書籍化の際にはテンプレートから降りて一からストーリーを作り直さなければならない。それがプロと言うものであろう。


 AI生成イラストについても小説投稿サイトで使用する分には私は全く否定しないし、それどころか推奨する。創作者は使える手段はすべて使うべきだと思う。それでいい作品に仕上がるというのであればタブー視は作品の可能性を壊すことにつながると考えるからである。


 ただし書籍化する際にはそのAI生成イラストの仕様は許されてはいけないだろう。それは今後法律的な問題でややこしい事になることが目に見えているからでもある。最近起きたプリキュア商品にAI生成イラストが使われたのではないかと言う疑いがかけられた事件を見ても消費者側はAIに対してそこまで寛容ではないからだ。


 この消費者側が寛容ではないという部分を冒頭でご紹介した高橋祥子氏は敏感に察していたのではなかろうかと推測する。それはご自身とアニメ業界の関わり合いの問題だけでなくファンに対する不誠実さと受け取られかねない行動に待ったをかける見事なプロ意識ではないだろうか?


 筆者は以前にAI生成イラストについては使用を全面的に認めるエッセイを書いた。しかし、ここでそれはプロ商品に対しては除外すべきかもしれないという考えに改めたことをここに記す。

 「除外すべきかもしれない」というあいまいな表現は今後のAI規制に対する法整備が予測不可能だからである。

 ただし、そう言ったルールが甘く読者側も寛容なアマチュアの小説投稿サイトにおいては、イラストレーターが「元データを無断使用された」と著作権を主張しない絵に限り、今後も使用されるべきであろうという考えをここで伝えておきたい。

 

 以上。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ