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絶対にバイトを辞めさせない

作者: 大石次郎

今日は昼番(ひるばん)シフト。ヤンチャな客や短期で辞める方の従業員に荒らされないように乗ってきた、凡庸な中古の軽SUVを従業員スペースに停め、勝手口から店内へ。


別店舗の馴染みの店長数名と打ち合わせがあったので、少し遅れた。事務室へ寄るのは後回しにする。腕時計が高い物をそのまま付けてきてしまったので内心慌てて外してクラッチバッグにしまい、代わりに無難なアウトドアウォッチに付け替える。

上着の下に制服を来ていたので車の中で抜いできた。

そのままボーリング場で働けそうな制服だ。前のはコンビニ店員のようだった。おそらくこの世にカラオケボックス店員に相応しい制服というの概念は無いんだろう。


ボックスのあるフロアの廊下を歩く。聴こえてくるのはアニソン6割、ドラマ主題歌1割、その他3割。曜日や時間帯によってはおっぱじめる輩もいるから油断できない。


従業員に顔を合わせると軽く、客には普通程度に会釈。客は軽過ぎても深過ぎても絡まれるリスクがある。相手によるが。


廊下を曲がった一番奥の、狭く、トイレやドリンクバーから遠いが防犯カメラはわざと目立つ位置に付けた不人気部屋へ向かう。

事務室は手狭な上に人の出入りが多く、あまり片付いてもない。バイトの面接等も大体ここでやる。


採用は最低ラインをクリアしていればシフトをやや余裕を持って埋めるのが先決だ。

ただ何人かは育成枠(いくせいわく)で雇う。俺の場合、有能無能、やる気の有る無しは、育成枠では気にしない。


コイツ、居着くな。そう直感させるヤツがいい。

雇用してから半年経っても他のバイトから顔と名前がいまいち一致されない。それくらいのヤツ。

最低ラインのクリアは重要だが、ペラペラに薄いヤツが簡易な接客業には一定数必要だ。繁忙期になるとこのタイプの弾が足りないと、回らない上に我の強いバイト同士で無駄に揉める。

対人関係を薄めてしまうようなペラペラさ。貴重な才能だ。


「ふぅ」


煙草吸いてぇな、と思う。屋上なんていいね。

片付いたら、吸うか。



バイトを辞めたい。

このカラオケボックスのバイトを辞めたいんだ。専門学校に通いながらもう、8ヶ月強務めてる。


何度も辞めようと思ったし、なんなら入って3日目で無理、作業が多過ぎる、タチの悪い客がどの曜日のどの時間帯でも一定数いる、同僚に限度を越えて苦手なタイプの人がいる、待ち時間の間の持たなさ、多過ぎる廃棄、本部社員の傲慢さ、バックヤードのネズミ、ゴキブリ・・無理。


店長には何度も申し出た。出勤拒否も何度かした。だけど、


「大丈夫大丈夫、人ってそんな物だから。アハハハっ」


店長はそう笑って、辞めさせてくれないんだ!


・・今日、僕のシフトで対応する最後の客に、原価に問題はあるが学生に人気な為にメニューから外すに外せないメガ盛りフライドポテトを出し終え、指定された大体空いてる部屋で待っていた。面接の時も来た部屋。


やや遅れて店長は来た。宮本武蔵の戦術かっ!


落ち着け、シュミレーションはした。理論武装もある。手は尽くした。勝機は、ある!


「店長、何度も言いましたが、バイトを辞めさせて下さい。1ヶ月後で構いません。どうしても聞き入れてもらえないのなら、労基に」


「宮下君ね」


柔和な表情の店長。昔、メタルバンドのボーカルだった、という噂があるけど信じられない。


「今、この店で通常発注を任せられるのは君の他に2人だけだよ? 務めて1年も経ってないのにできるのは君だけ。戦力なんだ」


想定していた返し! それにこの切り返しは逆に有利だっ。


「覚える気があれば普通の発注なら覚えられますよ。それに、この間も生ハムの発注間違えてしまって・・」


確信犯だ。実はわざと20パック間違えておいた! プロの料理人はどうだか知らないけど、ウチの店は冷凍貯蔵からの冷蔵解凍だ。

生ハムは薄い食品だから1パックも嵩張らない。店長が旧型冷凍庫を棄てずにキープしてるから冷凍スペースには余裕があった。

生ハムは取り敢えず乗せとけば格好が付くから便利だ。生ハムキャンペーンは定期的に捌ける。


向いてないアピールしつつトータルでは損害は与えない。どうだぁ?!


「大丈夫大丈夫、むしろ間違えてこ? 人ってそんなもんだから。アハハハっ」


「・・・」


いやおかしいでしょ? 人って生ハムの発注20パック間違える物じゃないでしょうに。

1桁間違えるならまだキーボードの誤操作でありそうだけど、20、て。そんなミス、早々無いよっ

だが落ち着け、仕込んだ種は発注ミスだけじゃない。

僕は、このバイトを辞める為なら鬼になる!


「実は吉田さんが」


「ああ、期限切れ食材どんどん持って帰っちゃってる件ね。よくないよね。課税されちゃうね。本部の人にバレると窃盗云々ってなっちゃうね。義憤に駆られちゃったかな? 言っておくよ、期限前の余剰品は割引で買えるから。吉田さん、母子家庭だもんね。話しておこう」


「そう、ですか・・」


ぐっ、吉田さんネタを速攻で潰されたっ? だがまだだ!


「実はっ、加藤く」


「加藤君ね。彼はちょっと乱暴だよね。肩ぶつけたりするんだろ? 村岡君とか気の弱い人は絡まれちゃったりしてるし、お客様ともトラブルが多いよね。前にキャンペーン用のアニメのグッズが一部失くなったのも彼だったんだよね。転売したみたいだね。実は事務室に監視カメラの角度を変えておいて撮ってるんだよね。出入り業者の黒部さんの紹介だから警察沙汰にはしないけど、黒部さんに今度話して辞めてもらう算段ではあるんだ。黒部さんがあちこちの店舗で筋の良くない後輩を紹介しちゃうのは本部でも問題になってきてたから、これを機会に黒部さんは交代になると思うよ。製造の方に移られることになるだろうね。だから、大丈夫だよ? 怖かったね」


「・・そうですか」


え、待って、もしかして店長、わざと加藤君が盗り易い位置にグッズを無防備に・・


お、落ち着け! まだいけるっ。えーと、なんだ? 横山さん、土野くん、リーさん、ダメだ。加藤君とかよりネタが弱いっ。えっと、それから、ええっと・・ええい、ダイレクトに行こう!


「僕は、夢があるんです! 専門学校でやってることにもう少し時間を取りたくてっ。お金は少し貯まったんで、身勝手ではありますがっ!」


「シフト、軽くしよっか?」


「ふぇ?」


「もうすっかり業務は覚えてくれたし、繁忙期だけ、都合付けてくれるなら、週2日くらいで全然OKだよ? なんだ、言ってくれたらいいのに。宮下君!」


店長は気さくに僕の肩を叩いた。


「あの、2日でいいんですか?」


「勿論! 皆、色々あるよね? 大丈夫大丈夫、人ってそんなもんだから。アハハハっ。じゃ、ドリンクバー奢るから、飲み終わったら器は自分で下げてね?」


店長は笑って、部屋から出ていった。


「ドリンクバー、いいんだ・・」


その日、コーラと原価の高い蜜柑ジュースを続けて飲み干して、具合が悪くなって帰宅したことをよく覚えている。



それから10年の年月が経った。僕の夢は叶わず、私生活に様々な変化はあった。

僕は、店長として同じ店で働いていた。かつての店長は今は宮古島で民宿をやっているらしい。特に交流は無い。


高価なクラシック時計をクラッチバッグにしまい、時計型端末を付け、操作し、今、タイアップしているメジャーなゲームのARの衣装を制服として表示する。うっかり音声をONにすると始末に負えなくなるから注意だ。


時折作業ロボットとすれ違うボックスフロアで聴こえるのは、アバター歌手4割、AI歌手3割、その他3割。生身の歌手、頑張ってほしいな。


事務室は昔と違ってすっかり片付いたけど、作業ロボットが出入りしてる。あの子達、従順だけど全部記録してるんだよね。メモリーアクセス権、本部にしかないし。

なのでこの店舗では伝統的と言ってもいい不人気部屋に向かう。


今ならわかる。この種の簡易な接客業には、勤勉で薄い人材、と呼ぶべき者が一定数必要だ。特に繁忙期にこのタイプが足りないと回らないし、我の強いバイト同士で揉める。

技術は発達したが人類労働保全法じんるいろうどうほぜんほうがあるから、ロボットやAI以外の労働力がある程度は今も必要だ。


「はぁ」


電子たばこ、吸いたいな。カモミールベースのリキッドがいい。屋上なんていいね。

片付いたら吸おう。


AR衣装の動画を静止画に切り替え、待ち構えられてる不人気部屋に入った。


「おはようございます。あの、店長。あの、あのっ」


件のバイト君は、AR表示自体切って陸に上がったサーファーみたいな格好になっていた。


「ああ、はいはい。落ち着いてね」


6ヶ月前に採用した藤野(ふじの)君だ。専門学校生。今時AIに頼らないフルマニュアル作業のイラストレイターを目指しているらしい。


彼はバイトを辞めたがっている。


「店長、何度も言いましたが、バイトを辞めさせて下さい。1ヶ月後で構いません。どうしても聞き入れてもらえないのなら、労基に」


「今、この店で個別発注商品まで任せられるのは君だけだよ? 勤務6ヶ月で対応できるなんて、君は戦力さ」


「いやっ、実は発注ミスを」


「いいよ、むしろ間違えてこ?」


ちゃんと氷温庫に収まるだけ、人気の氷温貯蔵指定の小瓶入りフレーバー日本酒を余分に頼んでた。シャリシャリするヤツね。時間は掛かっても普通に捌ける。可愛いもんだ。


「本当に申し訳なく・・えっ?? いいんですか?! あのあの、人間関係も! それからっ、店のナビAIと相性が・・」


彼もまた、あと7年もすればカラオケボックス従業員として完成するだろう。


安心してほしい。僕は笑顔で遮った。


「大丈夫大丈夫、人ってそんなもんだから。ふふふ」

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