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僕が誰かを助ける、そんなラブコメ  作者: ぽぽぽぽーん
2/2

1、後半

6.俺は君の王子ではないし、執事でもない。そう、俺は君の友人。


時間は5時48分。

今日は土曜日だが、いつもよりだいぶ早く目を覚ました。

まあ、これでも寝過ごしたけど。

本当は5時半に起きるつもりだったけど、結局起きたのは2回目のスヌーズが鳴る頃だった。

スヌーズ機能って二度寝防止でありがたいけど、結局スヌーズ繰り返してたら、もともとの時刻をすぎて寝坊になるからあんま意味ないよね。

・・・うん、いちゃもんはこれくらいにして、さっさと準備していきますか。

今日は、11時から15時の4時間、執事喫茶でアルバイト。

学校が休みの日のいつものバイトならば、フルタイムの11時から21時までの勤務なのだが、今日は早くアウロラちゃんの家に行きたかったので、オーナーにお願いして15時までの早上がりにしてもらった。

指名が入っていれば、早上がりなどは普通に難しいのだが、幸いにも今日は俺に指名が入っていなかった。自慢じゃないが、土曜日では珍しいことだ。

目を覚ますために一度自分の頬を叩いて気合を入れる。パンっと元気の良い乾いた音が鳴り、頬はジーンと熱くなった。

洗面台に行き、蛇口から出るキンキンに冷えた水で顔を洗う。

昨日は遅くまで調べ物をしていて、今日は早起きしたので、鏡に映った俺の目の下にはうっすら隈ができていた。

このくらいならば、BBクリームで消えるだろう。

気にせずに、千晴から貰った化粧水と、せりかからもらった美容液を、パッパッとテキトーに手に取り、いつものごとくパシャパシャと顔に塗った。

そして、寝巻きのだるんだるんのTシャツと、ぶかぶかのサルエルパンツのまま台所に立つ。

昨日のうちに買っておいた、アーモンドプードルと粉糖、グラニュー糖、食紅、チョコなど様々な材料を袋から出して、冷蔵庫から常備してある卵と生クリームを取り出す。

さてと、ニロさんに昨日宣言した通り、お菓子作りを始めていく。

まず始めにユーチューブを開き、昨日調べておいたお手本動画を流す。

 俺はいつも初めての料理を作るときは、大体こうやって動画を見ながら作っている。これなら、失敗することは、まあ、まずない。

 ちなみに今日作るお菓子は、マカロンだ。なぜマカロンかというと、それは『公爵令嬢に転生したので、クール執事とイチャイチャします』でよく出てくるから。

執事であるレオンは、主人公である公爵令嬢に、よくマカロンを作ってあげている。

マカロン、ていうかお菓子作りはあんまし経験ないが、まあ、料理は得意だしなんとかなるだろう。

・・・あー、疲れた。もう、すんごい疲れた。

挑戦すること3回、トライ&エラーを繰り返したのち、なんとかまともに完成した。

おかげで大目に買っていた材料と、来週の分までの卵が全部なくなった。あと、握力ももうなくなった。

ちょっと料理ができるからと調子に乗っていた。普通の料理とお菓子作りは別物で、お菓子作りは俺が思っている以上に大変だった。

今度誰かに手作りお菓子を貰うときは、今まで以上に感謝しながら受け取ろう。

作ったマカロンを、くずれないようにそっと紙袋に入れる。

そして、手を洗いながら、掛け時計を確認すると時間はもう10時。彼此、4時間くらいは、お菓子作りをしていた。

はあ、疲れた。

てか、そろそろ出ないとバイトに遅れてしまう。

使ったボウルや、ハンドミキサー、ドレッジなどは洗い場に置きっぱなしにして、急いで着替え、荷造りをして家を出た。

「お疲れ様でーす」

キッチンの人や、ホールの人に小声でそう告げて、事務所のタイムカードを15時ぴったりに押す。

リボンタイを緩めて、上のボタンを一つ開ける。指名は無けれど、今日も今日とてちゃんと疲れた。

まあ、今からティータイムでもっと忙しくなるのだが。他の皆さんには、本当に申し訳ない。次の出勤のときはいつも以上に頑張ろうと思いながら、帰り支度のために更衣室に入る。

扉を開けて、中に入るとオーナーが更衣室の隅に置かれたソファーに深々と座り、膝にはパソコンを置いてなにか作業をしていた。

「あら、もう上がりかい?」

オーナーは、入ってきた俺に気づいて、作業していたパソコンを閉じながら、声をかけてきた。

「上がりかいって、昨日オーナーに直接電話したじゃないですか、明日は早上がりしてもいいですかって」

「ああ〜、そういえばそうだったわね」

オーナーはお疲れのご様子。こないだ言っていた、シーシャバーの件で大変なのだろうか。

俺は、お疲れのオーナーに向かって、元気が出るように毒を吐く。

「なに、疲れすぎて記憶飛んじゃったの? しっかり休めよ、クソババア」

「お前は毒蝮かい。ほんっと、私にクソババって言えるのは、今じゃお前だけだよ」

オーナーは呆れた顔をしながらも、どこか嬉しそうに言った。

「ちゃんと死ぬときは、俺に遺産残していってよ」

「ほんとにお前は、あのバカに似て図々しくなったね。安心しなさい、まだ死にゃしないから。私は200歳まで生きるつもりよ」

「どんだけ長生きすんだよ、ほんとに魔女じゃねーか」

オーナーは小さくふふっと笑った。

オーナーが言う、あのバカはたぶん、俺の師匠のこと。

あの人も、オーナーに対して、とことん口が悪かった。いや、誰に対しても悪かったかな。

あの人のことを思い返すと、いつも心が温かくなる。

「あ、そーだ、執事服借りてってもいい?」

俺は思い返したように、オーナーに尋ねた。

危ない、危ない。大事なことを忘れていた。

「執事服って、今お前が来てるやつかい?」

「そうそう」

「別にいいけど、なんに使うんだい?」

オーナーは不思議そうにしながら尋ねる。

不思議がるのも無理はない。文化祭じゃあるまいし、誰もこんな派手な衣装を使うことはないだろうからな。

でも、今の俺には必要不可欠。

「これを使って、友達を助けるんだ」

俺が自信満々にそう言うと、オーナーもつられたようにニヤリと笑う。

「友達を助けるねぇ~・・・ほんとにあのバカみたいなことを言うよになった。いいよ、持ってきな。でも、汚すんじゃないよ」

「わかってますって。小学生じゃあるまいし、ちゃんと汚さないように気をつけるよ」

「ほんとに分かってるのかい? それあんたの給料の4ヶ月分するからね」

「まじか・・・」

俺はごくりと唾を飲む。すんげー値段。

執事服は俺が思っている以上に高かった。あと、俺が着てるやつは、レオンの衣装に寄せて作った特注だから、なお高いのかも知れない。

「絶対汚さないように気をつけます」

「分かればいい。じゃあ、さっさと友達救ってきな」

「うんっ!」

俺は深く頷いて、着替えずに執事服のまま、リュックを背負って店を出た。

休日の天神を執事の格好で歩いて行く。駅地下の階段を降りて、天神地下街の中に入るとより一層に注目を浴びた。

そりゃ、そうだろう。こんな格好、ハロウィン以外で誰も着ないだろうからな。

もし今日が10月31日だったら、この駅もコスプレした人で溢れ返って、俺も多少は目立たなかっただろうが、まだ5月も半ば。ハロウィンにはまだまだ遠い。

じゃあ、そんなに目立つのが嫌なら、普通に着替えればいいじゃんと思われるだろうが、そんなことより1分1秒でも早く、今はアウロラちゃんに会いたかった。

早歩きで、人ごみの中を歩いていく。

子供達には「ユーチューバー‼」と指をさされ、おばあちゃん達には「銀髪の外人さんとは珍しかねぇ〜、北欧の人やろぉかね?」とひそひそ言われ、大学生達には無言でカメラを向けられ、たぶんストーリーにあげられる。

それでも、俺は気にしない。逆に、アウロラちゃんのためと思えば、どこか誇らしかった。

定期の『はやかけん』を改札にかざして、地下鉄を待つ。

Bluetoothのイヤホンで『公爵令嬢に転生したので、クール執事とイチャイチャします』のオープニングテーマ曲を聴き、準備は万端!

意気込んだところで、七隈線の橋本行きの地下鉄が来たので、それに乗り込み、六本松のアウロラちゃんのもとに向かった。

——ピンポーン

今日で5日連続となるインターホンを押す。

もう完全に我が家といっても過言ではないかもしれない。

「いらっしゃいませ、アルトくん。あらっ」

すぐに扉が開き、ニロさんが出迎えてくれた。

「こんにちは、ニロさん。ただいま」

「ふふっ。おかえりなさい、アルトくん」

 もう「ただいま」て言ったら、当たり前のように「おかえり」と返ってくる。

 いつものように出されたスリッパを履いて、中に案内される。

 ニロさんは、俺の恰好を下から上に眺めてニコッと笑った。

「その執事服、よくお似合いですね」

「今日は気合入れてきました!」

「ふふっ。なんだかレオンにそっくりですね」

「ありがとうございます、今日はこれで頑張っちゃいますよ~」

「これで頑張るですか?」

 ニロさんは、俺がなぜレオンの恰好で来て、なぜこんなに意気込んでいるのか、あまり理解できていないようで、不思議そうに首を傾げた。

まあ、今、それはさておき。俺は張り切って作ってきたマカロンを早くニロさんに見せたかったので、リュックに入れておいた、今朝作ったマカロンが入った紙袋を彼女に渡す。

「ニロさん、はいこれ。昨日言った通り作ってきました」

「本当に作ってきて下さったんですね! ありがとうございます! 中を見させていただいてもよろしいですか?」

「もちろん!」

ニロさんはそれを両手で受け取ると、俺にそう確認してから、袋を開けて中を見る。

「いい匂い。おお、これは、マカロンですね」

ニロさんは中から1つマカロンを取り出し、手の平に置いた。

「すごいっ、お上手です! しっかり、ピエも出来てますね! 大変だったでしょう?」

「はい、結構失敗しました。結局、綺麗に出来たのは、その袋に入ってる10個だけですね」

俺は苦笑いしながら答えた。

本当に大変だった。

ちなみに『ピエ』というのは、フランス語で『足』という意味で、マカロンの生地からはみ出たレース状のふくらみみたいなやつ。

これを出すのは、本当に難しかった。

このピエを出す作業は、マカロナージュといってメレンゲをつぶして生地の固さを調節する作業が必要で、これはやりすぎても、やらなすぎても上手くいかないので、絶妙な加減が必要だった。また、生地を乾燥させる時間もめっちゃ大事で、この時間の少しのズレでマカロンがひび割れてしまったり、ピエが出なかったりする。

そのせいもあって、だいたいマカロンは1回で20個くらいできるのだが、3回作って綺麗に出来たのは結局10個だけたった。成功率は1割6分6厘。野球だったら2軍行きで、ホーケーだな。

「あらあら、そうだったんですね。本当にありがとうございます」

ニロさんは感謝を心から示すように頭を下げた。

「いえいえ、とんでもないですよ! こっちは毎日毎日お菓子作ってもらってますから。良かったら、1個食べてみてください!」

「では、お言葉に甘えてひとついただきますね」

ニロさんはそう言いながら、手に持っていたマカロンを口に運ぶ。

味を噛み締めるように、2回に分けてゆっくりと食べてくれた。

「美味しいです! 中のガナッシュもしつこくなくて程よい甘さ。とってもバランスが取れていますね。本当に毎日食べたいくらいです」

「あ、ありがとうございます」

さすがにこれだけ褒められると恥ずかしい。

俺は思わず頬をかいた。

「でも、今日はなんでマカロンをお作りに? それとなぜ執事服を?」

ニロさんはずっと疑問に思っていたように尋ねた。

「それはですね、今から俺がレオンになりきるからです」

「レオンになりきるのですか?」

「はい、レオンになりきって、アウロラちゃんを部屋から出します」

「・・・確かに、今のアルトくんは、レオンにそっくりですし、マカロンはレオンが主人公の公爵令嬢によく振舞うお菓子ですが。その・・・」

ニロさんは気を遣ったように言葉を詰まらせる。

確かに、このコスプレ作戦でうまくいくのかと大いに不安に思うだろう。だって、好きなアニメの好きなキャラにコスプレをして、閉じこもったアウロラちゃんが簡単に部屋から出てくれば苦労はないのだから。

でも、意外と人間ってのは、単純で欲求には忠実である。

そして特に、自分が好きなものに対する興味や、好奇心っていうのは、欲求の中でもなかなか強いものである。それが例え、弱っていて無気力な人でもだ。その欲求は中々抑えられない。

意外とこんな馬鹿みたいな策が、正解だったりもする。こういうのは理屈じゃない。時には強引で、剛腕な、馬鹿みたいなことも必要なのだ。だって、馬鹿は強いんだから。

「まあ、任せてくださいっ!」

俺は意気揚々にそう言って、いつものアウロラちゃんの部屋に歩いた。

「よしっ!」

自分に気合を入れるように、声を出した。

今から俺はレオンになる。

相当イタいことをやろうとしている自覚はあるし、本当はめちゃくちゃ恥ずかしい。でも、馬鹿はやってなんぼだ。気にせずいこう。

コンコン、コンコンッ

扉をノックする。いつもとは違って回数は、4回。これが国際基準のプロトコール・マナーで定められた正式なノックの回数だ。

しかし、それにはいつものように返事はなかった。

俺は気にせず中に呼びかける。

今の俺はレオンだから、もちろんレオンのセリフで。

「お嬢様、あなたの執事、レオン・オルブライトです。よろしければ、ドアを開けては頂けませんか?」

——ガタンッ

中から何かものが落ちるような、物音がした。

「お嬢様、私は貴女様が心配で御座います。どうか扉を開けてください」

俺が再び優しく呼びかけると、ひそりひそりと忍び足で歩くような足音が聞こえて、扉

の近くから人の気配を感じた。

もしかしたら、気になって扉の向こうで聞き耳をたてているのかもしれない。

俺は心の中でクスッと笑う。

「お嬢様、心配なさらないでください。扉の向こうに怖いものなんて御座いませんから。お嬢様の敵は私が全て薙ぎ払ってみせますから。どうか、扉を開けて、私にお嬢様の近くで奉仕する権利を頂けませんか?」

これは『公爵令嬢に転生したので、クール執事とイチャイチャします』の名シーンのセリフのひとつ。悪役令嬢にいじめられて引きこもってしまった主人公であるお嬢様に、レオンが言ったセリフだ。

「・・・・・・」

いつものようなしばらくの沈黙。

しかし、いつもと違ってゆっくりと鍵を回すような音が聞こえてきた。

ふふっ、気になって思わず鍵を開けたのかな? そりゃ、そうだ。これは当然の反応だろう。塞ぎ込んでしまった神様だって外の様子が気になり、天岩戸から顔を出すのだから。

俺は躊躇なく、ドアノブを回し扉を開いた。

「きゃっ⁉」

扉を開けると同時に、少女の可愛い悲鳴が聞こえた。俺は扉の中に目を向ける。

——気が滅入りそうな薄暗い部屋。

そこには、夜空の中で輝く星のような白金色の髪、服の隙間から微かに見える白雪のように真っ白な肌、魔法の石のような碧い瞳の美少女がいた。その少女はまるで、御伽話に出てくる、儚げで、美しいお姫様のようだった。

アウロラちゃんは腰を抜かしたように地べたに座り込み、驚きと不安が織り交ざった表情で下から俺を見つめている。

俺は彼女の美しさに思わず目を奪われていた。

いけない、いけない。今の俺は亞流斗じゃなくて、レオンだ。

そう自分に言い聞かせて、俺は驚いて腰を抜かしたアウロラちゃんの前で跪き、ゆっくりと手を差し伸べる。

「お嬢様、安心してください。私は貴女様の執事です」

俺はニコリと微笑みながらそう言うと、アウロラちゃんはゆっくりと恐る恐る俺に手を伸ばした。

だが、彼女の手は、俺の手に触れる前でピタリと止まった。俺の手をとるべきか、とらぬべきか。苦渋の選択を迫られるように、碧い瞳を泳がせて、逡巡していた。

しかし、残念ながら俺は彼女に選択させる権利を与えない。彼女が俺の手をとるのではなく、俺が彼女の手をとるのだから。

俺は彼女の選択を待たずに、白くて綺麗な彼女の手を優しく掴んだ。

彼女の手は心の内を表すように冷たくて、ひんやりしていた。

アウロラちゃんはびくんと肩を震わせながら、大きな不安を隠しきれないように怯えた表情をする。

「大丈夫ですよ、貴女は何も心配することはない。さあ、立ち上がりましょう」

だから俺は、出来るだけ安心させるような笑みを作り、彼女を無理やり立ち上がらせた。

そして、そのまま扉の外に出そうと彼女の手を優しく引いた。

・・・しかし、彼女の足は動かない。見えない荊に縛られているように。

彼女は一度ギュッと口を結んで、決心したように俺の目を見ながらゆっくりと口を開く。

「そ、そんな、こ、コスプレで私は騙されませんっ」

「コスプレではありません。私は、レオン・オルブライト。お嬢様だけの執事です」

「も、もう、わ、私に構わないでくださいと言ったはずです。わ、私は、一人でいたいのですっ!」

彼女は強く腕を振り、俺から手を振り解いた。

「もう・・・出て行って! 私に構わないでっ!」

俺の指先、そして心が、痛みでジーンと熱を帯びる。

だが俺は、

「それは無理です」

と、きっぱりと断言した。

「えっ?」

アウロラちゃんは俺の言葉に驚きを隠せていないようだ。

ゆっくりと一歩、一歩、後ずさるアウロラちゃん。俺はそんなアウロラちゃんに大きな一歩で駆け寄って、彼女の体を優しく抱き上げる。

彼女の華奢な体は驚くほど軽かった。

そういえば、お姫様抱っこなんて生まれて初めてやったな。これを平然とやってのける人は、相当肝が据わっているか、ただの変態だな。

気を遣いながら、彼女の太ももと、背中に優しく触れる。

アウロラちゃんの口からは「・・・んんっ」と少し艶かしい声が出た。

アウロラちゃんは恥ずかしそうに自分の顔を両手で覆いながらも、大人しく俺の腕に抱かれている。

「お嬢様、今からティータイムのお時間です。このままお運びする御無礼をお許しください」

俺はそのまま彼女をリビングまで運んで行く。

広くて長い綺麗な廊下を2人で進む。お姫様は無言で顔を隠したまま。手の隙間から見える肌と耳は真っ赤に染まっていた。

リビングの扉を開けたいが、両手は塞がっている。一旦、アウロラちゃんを下ろすという選択肢はないため、あまり優雅ではないが、背中でドアノブをひねって扉を開いた。

「あら、まあ」

中に入るとニロさんが一瞬驚いた表情をするが、すぐにニコッと笑って微笑ましそうに俺らを見ていた。

「お嬢様、失礼致しますね」

俺はアウロラちゃんに一言声をかけて、優しくソファーに彼女を下ろした。

彼女は自分の部屋を出てから頑なに口を閉ざしている。現に今も、顔を俯かせて口を全く開かなかった。

「すぐに紅茶と、お菓子を準備致しますね」

キッチンに行き、ニロさんの元に向かう。

ニロさんはもう既に紅茶を淹れてくれており、俺の作ったマカロンも綺麗にお皿に並べてくれていた。

「ニロさん、俺が運んでもいいですか?」

「もちろん。ありがとうございます、アルトくん」

「こっから、俺の本気を見せますよ」

「ふふっ。じゃあ後は、アルトくんにお任せしますね」

ニロさんはどこか楽しげにそう言って、ティーポットを俺に渡した。

俺はそれを受け取ると、まずティーポットのフタを開け、中をスプーンでひと混ぜする。すると、フワッと花や果実の香りのような、華やかな匂いが広がった。

フタをしめて、右手にティーポットを持ち、左手には網式のティーストレーナーを持つ。

茶殻をこして、濃さが均一になるよう回しながら、ゴールデンドロップと呼ばれる最後の一滴までゆっくり、ゆっくり注いでいった。

「とても優雅で綺麗な所作ですね。大変驚きました。さすがアルトくんです」

ニロさんは俺の所作を見て感心したようにそう言ってくれた。

「ありがとうございます」

俺は少々照れながらそう返して、紅茶とマカロンをアウロラちゃんの元に運んで行く。

「お待たせ致しました。紅茶とマカロンです」

優雅さを心掛けながら、ティーカップと、マカロンをアウロラちゃんに差し出した。

すると、アウロラちゃんはマカロンを一瞥し、

「・・・レオンの得意なお菓子」

とボソッとこぼした。

「お嬢様が元気になればと思いまして、私の自信作をお作りしました。ぜひ、食べてみてください」

俺がそう言うと、アウロラちゃんはゆっくりとマカロンに手を伸ばした。

そして、手に取ったマカロンを一度見つめてから、恐る恐る俺の顔を伺う。

それに俺は満面の笑顔で返すと、彼女は思い切ったようにマカロンを口に運んだ。

「・・・美味しい」

アウロラちゃんはまたもやボソッとそうこぼす。

それに俺はどこかホッとして、

「それなら良かったです」

と彼女に言った。

アウロラちゃんはティーカップを手にとる。猫舌なのか一度ふぅーと息を吹きかけ熱を覚ますと、優しくティーカップに口付けした。

「・・・あったかい」

「紅茶は体だけでなく、心も温めてくれるものです」

レオンっぽいセリフを俺が言うと、アウロラちゃんはどこかムスッとしたように頬を膨らませる。

「ニ、ニ、ニロに聞いたが知りませんが、そ、そんな安っぽいレオンは、レオンではありませんっ。わ、私は、そんなのに騙されるほど、チョ、チョロくはありませんっ」

安っぽいと言われると、どうしようもないが、俺だって本気ででレオンをやっている。だから、意地でもここで引き下がる気は全くない。

「確かに、私は仮初のレオンです。ですが今は、レオンのように、私のお嬢様である貴女を心の底から元気づけたいと思っています」

俺の言葉に、アウロラちゃんは綺麗な顔を少しだけ顰めた。

「じゃ、じゃあ、あ、あなたは、『公爵令嬢に転生したので、クール執事とイチャイチャします』には詳しいのですか?」

「勿論でございます」

「で、では、アニメは見ましたか?」

「勿論、3期すべて拝見しました」

「げ、原作は読みましたか?」

「勿論、最新刊の14巻まで拝読しております」

俺がすべて即答すると、アウロラちゃんは小さく、うっと声を上げた。

「で、では、レオンの誕生日は?」

「王国暦123年、4月5日です」

「レ、レオンの父親と、母の名前は?」

「父がアーサー・オルブライト、母がギネヴィア・オルブライトです」

「レ、レオンの趣味と特技は?」

「趣味はお菓子作り、特技は魔法による戦闘」

こんな問題、楽勝だ。

何度も言うが俺は仮にもレオンを名乗っている。

にわかコスなんて、価値観はそれぞれと言えども、ファンからしたら許せるものではないだろうからな。

だから俺は、この作品を相当勉強して、相当愛しているのだっ!

さあ、かかってきなさい。心の中で挑発しながら、俺は余裕の笑みを彼女に見せた。

「で、で、では、主人公を虐めていた、悪役令嬢のフルネームは?」

むっ、少し難しくなった。でも、俺に答えられないものはないっ。

「アリステラ・ミラハム・ウィン・アルメリア」

「で、では、その悪役令嬢の取り巻きの名前を全員言ってくださいっ!」

「ミラ・ヴェゼリー、ライカ・ネメック、セレスティナ・シズリッカ、エメリア・ランカスター」

はあ、あぶねぇー。よく出たな、さすが俺。

しかし、アウロラちゃんは諦める気は微塵もないようだった。意外と彼女は負けず嫌いかもしれない。

彼女は、めげずに質問責めを続ける。

「で、では、ア、アニメ1期の11話のサブタイトルは?」

「公爵令嬢に転生したので、クール執事と甘い時間を過ごします」

「で、では、その11話で、レオンが、しゅ、主人公にマカロンを渡すときに言ったセリフは?」

「お嬢様は、マカロンを女性に渡すときの意味を知っていますか? マカロンには『貴女は特別な人』という意味があるのですよ」

はははっ、舐めるな、舐めるな。こちとら、ネットのマニアック問題も昨日ちゃんとやり込んできてんだよ。

・・・まあ、おかげで寝不足だけど。

アウロラちゃんは悔しそうに口を尖らせる。そして、なぜか耳を真っ赤にさせていた。

「で、では、げ、原作6巻の表紙は誰ですか?」

「レオンの叔父の友達の嫁の妹の彼氏のジャックです」

「で、では、原作8巻の限定版に付いていた付録は?」

「オリジナル缶バッチと、ジャックの抱き枕カバーです」

「ぐぬぬ・・・」

アウロラちゃんは可愛く唸った。

ぐぬぬ、ってリアルで初めて聞いたな。可愛いなこの子。思わずふっと鼻で笑ってしまった。

「じゃ、じゃあ、あ、あなたが、レオンというのならば魔法を使って証明して見せてくださいっ‼」

これは困った。俺は未だに童貞だか、残念ながらまだ魔法なんて使えない。いや、魔法使いになる気はさらさらないが。

俺は、必死に頭を働かせる。俺はレオン。レオンが言いそうなセリフ・・・。

「お嬢様、魔法は見せびらかすものではありませんよ。魔法というものは、誰かを助ける為、守る為に使うものです」

「・・・レ、レオンが言いそうなセリフ。・・・い、い、いかにもレオンっぽい」

よしっ、なんとか決まったっぽい。

「か、か、完敗です・・・わ、私の負けです」

「はははっ。勝ち負けなんてありませんよ」

悔しそうにするアウロラちゃんを見て、俺は思わず声を上げて笑う。それにアウロラちゃんもつられるようにしてうっすらと笑顔を見せてくれた。

彼女は2個目のマカロンを手に取り、コロコロと手のひらで転がす。

そして、それを口に運んでから、ティーカップを静かにとり、一口飲む。

・・・そして彼女はふと笑みを消し、悲痛の表情をした。

・・・なぜかまた、彼女は口を閉ざして俯いた。

しばしの沈黙が流れる。

俺が彼女に何か話そうと口を開こうとしたとき、アウロラちゃんから言葉を紡ぐ。

「・・・レオン、私はこの世界で、生きてもいいのでしょうか」

これは主人公である公爵令嬢が、自分が転生者であることをレオンに打ち明けたときの有名なセリフだ。

今までの問題と比べると簡単すぎる。俺は逡巡することなく言葉を返す。

「もちろんで御座います。お嬢様は、お嬢様。私だけのお嬢様です。どんな過去があろうとも、私が仕えるのは貴女だけ。私は、貴女のためだけに生きている。どうか、私のためにも生きてください」

「・・・ははっ、ははは」

俺の言葉に対して、アウロラちゃんは静かに乾いた笑い声を上げた。

笑ってはいるが、彼女の心は笑っていない。

重苦しい雰囲気の中、彼女は崩れ落ちそうな自分の体を、両腕できついくらいにぎゅっと掴んだ。

そして、心の奥底に眠った真の呪縛を明かすように、話始めた。

「・・・こ、こんなふうに主人公のように救われるのならばどんなに楽か・・・羨ましい、羨ましいです。で、でも、ここは現実。ア、アニメのようにはいきません。

アニメのように転生できたら、どんなに楽か。こんな自分を変えれるならどんなに楽か。・・・もう、この世界で、生きるのは・・・つらい」

俯いたまま、彼女の瞳からぽたぽたと涙が滴り落ちる。

「大好きだったバレエを辞めたとき、誰からも期待されなくなったとき、アウロラとして見られなくなったとき、家族と別れたとき、何もなくなったとき、私は、何度も、何度も、何度も・・・死のうと思いました。首を絞めて、息を止めて、水に潜って。それでも、結局死ねません。私は弱い。臆病で、死ぬ勇気さえない。・・・もう歩けないのに、もう前に進むことなんてできないのに・・・死んで終わることさえできないっ‼」

こんなふうに彼女は思っていたのか、こんなにも彼女は苦しんでいたのか。痛くて辛くて、なんとも苦しい。

彼女の本音に、俺も本音でぶつかろう。

俺はレオンという仮面を捨てて、亞流斗として彼女のそばに近寄った。

「大丈夫、大丈夫。大丈夫だよ、アウロラちゃん」

俺はそう言いながら、アウロラちゃんの涙を拭い、彼女の頭を優しく撫でた。

昔俺が師匠にやってもらったように。そっと、優しく、優しく撫でた。

「死ぬのは痛いし、怖いし、大変だ。そんで、とっても勇気がいること。だから別に、そんな大変なことしなくていいんだよ。そんな勇気なんて必要ないんだよ」

俺は、儚げで、今にも消えてしまえそうなアウロラちゃんの手をしっかり掴んだ。

「アウロラちゃん、少しだけ俺の話をしてもいいかい?」

俺がそう問いかけると、アウロラちゃんは無言のまま、首を小さく縦に振った。

「ありがとう。じゃあ、さ。アウロラちゃんは俺の亞流斗って名前、どう思う?」

「・・・き、綺麗な名前だと思いますが・・・」

「そうかなあ。そう言ってくれると嬉しいよ、ありがとうね。・・・でも、俺はこの名前が大嫌いだったんだ。亞流斗って名前が大嫌いだった」

なぜなら俺のこの名前は・・・。

「この名前に意味なんてないんだから」

そう、俺の名前、亞流斗に意味はない。普通の親は子供の名前には意味を持たせる。その子がどんな風に育って欲しいのか考えながら。名前は、親が最初に子供に与えるプレゼントだ。

だが俺は、ただつけられた・・・意味もなく。

「俺の親はね、2人とも若くて、俺を産んだのは今の俺ぐらいの年齢だった。いろんな人に迷惑かけて、クソみたいにはしゃいで、アホみたいにハメ外して・・・その結果に俺が生まれた」

今からもうだいぶ昔のことで、今じゃ親の顔をはっきりとは覚えてないが、まあ、ろくな親じゃなかったってことは覚えている。

「親父は、酒浸りの半グレで、暴力でしか物事を語れない半端者だった。母親は気の弱い世間知らずで、何もかもが親父の言いなりの、自分で行動できない半端者だった。いわゆる、毒親ってやつ。親ガチャでいったら、ハズレもハズレ大外れ。でも、現実はリセマラなんて出来ないからね・・・」

親父には暴力を振るわれた。殴られて、蹴られて、打たれて、切りつけられて、嬲られた・・・。あいつは、日々の憂さ晴らしに俺を使っていた。

いまだにその傷は俺の体からは消えてくれない。

母親には無視され続けた。言葉を投げかけても、言葉を返してはくれない。抱きしめても、抱きしめ返してはくれない・・・。あいつは、まるで俺が見えていないように振る舞っていた。

いまだにその傷は俺の心からは消えてくれない。

「まあ、そんな現状を当時の俺は自分で変えられるわけもなく、ただそれを受け入れていた」

俺も、アウロラちゃんのように見えない荊に縛られて、心を閉ざしていた。

・・・それが大嫌いな弱いだけの昔の俺だ。

「そんな中でね、俺の元にひとりの大人が現れたんだ。そして、その人は俺のことを助けてくれた」

派手な髪色で、綺麗な顔で、不敵に笑う顔がよく似合う人だった。

ろくでもなくて、いい加減。・・・でも、誰よりもカッコよくて、輝いていて、楽しそうで、優しくて、いろんな人の人助けをして、多くの仲間がいて、ヒーローのような人だった。

気づけば俺は、その人のことを慕って、師匠って呼んでいた。

「良かったらさ、俺を助けてくれた人、俺の師匠の言葉を一つ聞いてくれない?」

アウロラちゃんは無言のまま、同じように頷いた。

「ありがとう。ふふっ、じゃあ俺の師匠の名言、いや迷言かな。まあ、どっちでもいいけど、こんな言葉があるんだ」

俺は、たばこを口に咥えて、長ったるい銀髪を掻き上げる師匠の姿を思い出す。


『馬鹿になりなさい』


俺の中の大切な一つの記憶。師匠はモクモクとたばこの煙を空に吹かして、いつものように俺を高くから見下す。

おい、クソガキ。お前生きてるの辛いか? 苦しいか?

私は常々疑問に思っている。なぜお前は、自分を縛る? なぜ楽しく、楽に生きない?

意味がわからないって顔だな。ふふっ、ムカつくツラだ。

よしっ、お前みたいな貧弱なクソガキに人生を楽しく生きるコツを教えてやろう。

それはな、馬鹿になることだ。

もちろんこれは人に迷惑をかけろってことじゃないぞ、犯罪を犯せってことじゃないぞ。そんな半端者のクソ野郎じゃなくて、カッコいい馬鹿になれってことだ。

無邪気で、開き直ってて、鈍感で、弱くて、人に優しいお馬鹿のこと。

お前みたいに自信がなくて、弱い奴ほど、馬鹿になりなさい。

馬鹿になって、前向きに気楽に生きなさい。

もしそれで、他人の目が気になるなら、目をつぶりなさい。

もしそれで、他人の声が気になるなら、耳を塞ぎなさい。

もしそれで、他人の悪意に曝されたなら、逃げなさい。

逃げれないなら、誰かに助けを求めなさい。

ただそれだけのこと。何も難しく考えるな。

本当にお前を縛ってるものなんてなにもないんだから。本当は誰しもが自由なんだから。だからお前はもっと楽しく、楽に生きれる馬鹿になりなさい。

そしたらお前は気づくよ。お馬鹿な自分を縛るものなんて、本当はなにもないんだってことにね。

だから、お前は『馬鹿になりなさい』。


俺は、アウロラちゃんの顔を覗き込んだ。

「どう? 無茶苦茶のクソ理論だろ?」

静かに奥で話を聞いていたニロさんは我慢できなかったように、ふふっと小さく笑って涙を拭い、すぐに「失礼しました」と頭を下げた。

「俺はその言葉を聞いたとき、なんだそれ。意味分かんないし、長いし、落ち込んでる今の俺に言う言葉かよって思った。・・・でもね、同時に、こんな大人になりたい、こんな言葉を言える大人になりたいって思った」

いまだにあの人が言う馬鹿が、何かは全部が全部、理解できているとは思っていない。でも、あの人のようにカッコよくて馬鹿な大人にはなりたいとは思っている。

そんなふうに思えるのが俺の大大大好きな師匠なんだ。

「アウロラちゃん、君は今、劣等感に押しつぶされ、無力感に苛まれ、絶望感に襲われているだろう。いろんなものに縛られて、一歩踏み出すことが怖くて難しいだろう。

・・・でもね、本当はそんなもの全部ないんだよ。君が今、抱えているものや、今、君を縛っているもの、そんなもの全部、本当はないんだよ」

「・・・・・・」

「どんな君でも、君は君、姫乃アウロラなんだから。劣っていてもいいんだよ。夢破れてしまってもいいんだよ。なにもなくてもいいんだよ。人に何言われても、どう思われても、気にしなくていいんだよ」

「・・・・・・」

「ほら、馬鹿になってごらん。もっと前向きに、楽に生きてごらん。それだけで、一歩踏み出すのなんて簡単なんだから」

「・・・・・・」

「ゆっくりでいいから歩いていこう。ゆっくりでいいんだ、ゆっくりで。・・・だってほら、誰だっていきなり全力疾走なんて出来ないし、ずぅーっと走り続けることも難しい。足痛くなるし、喉乾くし、息切れもする。・・・それでも、誰だってゆっくり歩くことはできる。一歩一歩進むことはできる。もちろん歩き疲れたら休めばいいし、誰かと一緒に歩いてもいい。なんなら俺がおんぶしてやってもいいよ」

「・・・・・・」

「だから、俺と一緒に歩こう・・・俺と一緒に馬鹿やって行こうよ。馬鹿ってのは、自由で前向きな言葉らしいよ」

「・・・ふふっ、ふふふ、ふふふふっ、なんだそれ。・・・で、でも、楽しそうです」

アウロラちゃんは静かに俯かせていた顔を上げて、濡れた瞳で俺を見つめた。

「君を、縛るものは消えたかい?」

「・・・はい、消えました」

アウロラちゃんの心を縛っていた荊は消えた。いや、ほんとはそんなものなかったのだ。

自分で自分を縛っている気になっていただけ。

そんなの馬鹿になって、見えないふりをすればいい、気がつかないふりをすればいい。それだけで心はずっと楽になる。

さて、お姫様をここから出さないと。俺は王子じゃないからお姫様をお城に招待できないが、一緒に行ける場所はある。

そう思って俺は、自分にできる最大限の笑みを作った。

「なあ、アウロラちゃん。外に出てみないか、学校に行かないか?」

「・・・はい、あなたと学校に行ってみたいです」

「俺と友達として、一緒に歩かないか? 馬鹿やらないか?」

アウロラちゃんは涙を拭って、満面の笑みを作った。そして、大きく息を吸って、口を開く。

「あなたと友達になりたいっ! 一緒に歩きたいっ! 馬鹿やりたいですっ‼」

彼女の元気一杯の無邪気でお馬鹿な大声は力強く部屋に轟いた。

儚げで消えてしまいそうな心を閉ざしたお姫様は、まず一歩踏み出し、輝き始めた。


















6.僕が誰かを助ける、そんなラブコメ。


今は、現文の授業中。クラスみんなで、つらつらと、山月記をまる読みで回していた。

音読より普通に黙読した方が早くね? と思いながらも、自分の番がきたら席を立って、次の句点まで、声を出して読み上げていく。

読むところが短いと喜んで、長い、もしくは難しい漢字が出てきたら絶望する。そんな一喜一憂をクラスみんなで繰り返していた。

大吉は漢字が読めなさすぎて、千晴は所々イントネーションがおかしくて、クラスからは笑いが起こっていた。

窓際で一番後ろに座っている俺は、回ってくるのが一番最後。頬杖をつきながら、自分の番をゆっくり待った。


かぐやちゃんを部屋から連れ出して、2日が経った。

俺は2日間とも相も変わらずにアウロラちゃんの家に通っていた。

ただし、いつものように1人でではなく、日曜日は、アウロラちゃんの担任であるかぐやちゃんと一緒に、月曜日は、かぐやちゃん、そして養護教諭であるまこちゃんと一緒に、アウロラちゃんの家に訪ねた。

いつものように1人でアウロラちゃんの家に行かなかったのは、まあ、理由はお察しの通り、アウロラちゃんの今後の学校について話すためだった。

彼女は、今までずっと不登校だったのだから、急に、みんなと同じように学校生活を送ることは難しい。なので、彼女にとってどのようにしていくのがベターか、ということを2日かけて話し合った。

話し合いの結論は、他生徒と登下校時間をずらして、保健室登校から始めようということになった。

アウロラちゃん本人の意思や、まこちゃんの養護教諭としての意見を参考にした結果だ。

アウロラちゃんは、保健室登校という他の生徒とは違うイレギュラーな対応に、若干不

安そうにはしていたが、これが間違いなくベストに近いベターだろう。

前にも言ったが、誰だっていきなり全力疾走はできないし、ずっーと走り続けることも難しいのだから。ゆっくり進んでいけばいい。


で、話を戻して、今は現文の授業中。

俺の番になったので、席を立って教科書を持ち、何事もなく読み上げる。有難いことに俺が読む文は短かった。

句点まで読み上げたので、席に着こうとする。

「白井、お前のところ短かったからもう一文読め」

しかし、かぐやちゃんは残念ながら座らせてはくれなかった。

他の生徒達は、どんなに短くても1文読んだら終わっていたのに・・・本当にこの人、俺のこと大好きだな。依怙贔屓ばっかりしてくれる。

俺は顔を顰めて抗議の視線を送ってやったが、かぐやちゃんはそれにキリッと鋭い視線で返してきた。

俺のことを音読大好きな目立ちたがり屋のガキンチョとでも思っているのだろうか・・・めんどくさいが、もうこれは読むしかないな。

諦めて馬鹿でかい声で読み上げる。

「はい、ありがとう。小学生みたいだったぞ」

1文読み上げると、かぐやちゃんはそう褒めてくれた。

クラスは笑い声に包まれる。腹を抱えながら笑い「小学生って言われてやんの!」と言ってきた漢字が読めない大吉くんを殴り飛ばしたい気持ちを抑えつつ、俺は席にはつかず かぐやちゃんに大きな声で尋ねる。

「このまま座ったらー、うんこ漏れそうなんでー、トイレ行ってきてもいいですかー⁉」

「本当にお前は小学生か。・・・はあ、さっさと行ってこい」

かぐやちゃんは頭を抱えながらではあるが、行ってこいと許可してくれたので、クラスのみんなの笑いとヤジに見送られながら教室を出た。

革のベルトの腕時計で時間を確認すると、9時50分。たぶん、アウロラちゃんが登校しているであろう時間。

漏れそうとは言ったが、別に便意はないので、トイレではなく保健室に足を向ける。

人気のない廊下を、誰にも見つからないように忍びながら歩いていくと、背徳感と高揚感で胸の鼓動が高鳴った。まるで自分が特別な人間だと、勘違いしてしまいそうだ。

保健室に着くと、いつものようにノックをする。

コンコン、コン

そして、いつものように返事を待たずして中に入る。

いつもの見慣れた保健室には、見慣れないパーテーションの囲いができていた。

そのパーテーションの隙間からは、息を潜めて空気になろうとしているアウロラちゃんの煌びやかな白金の髪がチラチラと見えていた。

俺に気づいたまこちゃんが、眉根を寄せながら口を開こうとする。

しかし、俺は彼女に向かって、シーっと自分の口に人差し指を添えるジェスチャーをして、彼女が話すのを遮った。

まこちゃんは、より眉間の皺を深くさせてから、フッと鼻で呆れたように笑った。

俺は忍足でパーテーションの囲いに向かい、囲いの上から急に顔を出して、

「ワッ‼」

と驚かすように大きな声を上げた。

—ビクッんっ⁉

すると、椅子に縮こまって潜むように座っていたアウロラちゃんが、猫みたいにピョーンと跳ねた。

「し、白井くん・・・」

アウロラちゃんは、俺の顔を見て安心したような表情をして、ホッと胸を撫で下ろすも、すぐに頬を膨らませ、俺に咎めるような視線を送った。

「も、もうっ。驚かせないでくださいっ! び、びっくりしました。不審者さんかと思ったですっ」

「はははっ、俺はアウロラちゃんが猫かと思ったぞ」

俺がそうアウロラちゃんに返すと、彼女は顔を真っ赤にさせながら、ボソッと、

「・・・わ 私が子猫ちゃんだなんて、は、恥ずかしいですっ」

と言った。

子猫とは言っていないし、恥ずかしがることを言ったつもりもないのだが。なぜこの子は顔を真っ赤にさせているのだろうか。

皆目検討もつかないので、俺は話題を変えることにした。

「どう、久しぶりの学校は?」

「ふ、不安で胸がドキドキ言ってます」

アウロラちゃんは椅子に座り直して、胸元で手をギュッと握り締める。

久しぶりの学校だ。不安があるのは仕方ない。でも、それじゃあ、つまらない。

「ブップー。それはね、不安で胸がドキドキ言ってるんじゃなくて、期待で胸がワクワク言ってるんだよ」

だから、俺はそう教えてあげた。

「そ、そ、そうなんですか?」

「そーなんですよっ」

「・・・そっか、私、自分に期待してるのか」

アウロラちゃんは自分の胸を見つめながら、微笑んでそう呟いた。

ふふっ、この子は、一歩一歩、歩き始めている。それは側から見ると小さな一歩かもしれないが、間違いなく大きな一歩でもあった。

「これから、一緒に馬鹿やっていこうね」

「は、はいっ! 馬鹿やっていきますっ‼」

アウロラちゃんは満面の笑みで力強くそう応えた。

「で、お馬鹿は授業中に何しに来たの? ここは喫茶店じゃないから紅茶は出さないわよ」

俺がアウロラちゃんと微笑み合っていると、ここまで黙ってくれていたまこちゃんがいつものようにそう言う。

「アウロラちゃんがちゃんと来てるかどうか気になったから来たんだよ」

「だからって、授業中にわざわざくる必要ないでしょ。休み時間にくればいいじゃない。あんた、先生に怒られるわよ」

「そこは大丈夫だよ。現文でかぐやちゃんの授業だったから」

「それって大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫」

俺がテキトーにそう返すと、勢いよく保健室の扉が開けられ、

「いや、大丈夫じゃないから」

と、明らかに怒った顔のかぐやちゃんがそう言いながら現れた。

「げっ、かぐやちゃん」

「人の顔を見て、げっ、とは失礼なやつだな」

「何しに来たのかぐやちゃん、紅茶でも飲みにきたの? ここは喫茶店じゃないんだよ」

「ここが喫茶店じゃないことは知っている。あと、トイレでもないこともな」

なんでトイレ? と思ったが、そういえば、うんこ漏れそうだからトイレ行ってくるって言ったんだった。

「すみません、朝倉先生。こいつに首輪して、すぐに連れていきますね」

「いえいえ、気にしないで下さい。このおバカがここにすぐ脱走してくるのは日常茶飯事のことなので」

なに、この人達。俺のこと犬かなにかと思っているのだろうか。

そんなふうに思っていると、アウロラちゃんが尋ねる。

「そ、それで、し、白井くんは・・・ほ、本当に私の様子を見にこられたんですか?」

「うん。まあ、それもあるけど。今日は、それだけじゃなくて、アウロラちゃんに提案をしにきたんだ」

「て、提案ですか?」

アウロラちゃんは不思議そうに可愛らしく首を傾げる。

「変なことさせるつもりじゃないでしょーね」

「アウロラに悪いことをさせるのは許さんぞ」

そして、まこちゃんと、かぐやちゃんが俺に訝しげな視線を送ってきた。

やれやれ、信用ないなあ。俺をまるで悪い遊びを教えてくる輩みたいな扱いしやがって。

俺は純情ボーイなのに・・・。

肩をすくめながら、俺は軽くため息をついた。

「そんなんじゃないって。アウロラちゃんが、よりワクワクして学校に来たくなるような提案をしに来たんだよ」

「わ、ワクワクですか?・・・そ、それはなんですか?」

アウロラちゃんは緊張したようにゴクリと生唾を飲み込んだ。

そんな緊張した彼女に、心の中でふふっと笑ってから、俺は笑顔で提案する。

「アウロラちゃん、部活始めない?」

「・・・ぶ、部活ですか?」

アウロラちゃんは俺の提案にどこか不安そうな顔をする。

「・・・亞流斗」

そして、まこちゃんもそれは無茶だと言わんばかりだ。

「もちろん、未経験のスポーツをさせたいわけでもないし、人間関係が出来上がった集団に急に入れたいわけでもないよ」

さすがに、今までずっと塞ぎ込んでいたアウロラちゃんを、急に部活に入れるのは酷だ。でも、わざわざ学校に来て、保健室で勉強だけして過ごすのはつまらなさすぎる。

「俺と一緒に、部活を作らないか?」

「ぶ、部活を、作るのですか・・・?」

「自分達で部活を一から作ってやるのって、なんか漫画とか、アニメっぽくないか?」

「た、たしかに。なんだか、た、楽しそうです」

「でも、どんな部活をするんだ?」

ここで、かぐやちゃんが腕を組みながら尋ねる。

俺はいろいろと、アウロラちゃんの今後のためにと考えた。かぐやちゃんから受けた依頼は2つ。1つは学校に連れてくること。そして、もう1つは彼女に自信をつけさせること。

1つ目は達成したが、2つ目はまだ未達成。それにこれは、そんなに簡単に行くものではない。自信をつけるというのは、結構大変なことだから。

では、どうやって自信をつけさせるのか。

「どんな部活って、それはね・・・困っている人を助ける、そんな部活」

「こ、困っている人を助ける部活、ですか・・・?」

「うん」

俺が思うに、自信っていうのは、『成功体験の積み重ね』、そして『人からの信頼』が自信を作る大きな要因だと思っている。

なぜなら自信の意味は、自分の能力や価値を信ずることだ。成功体験を積み重ねていくことで能力がついていき、人からの信頼を得ていくことで自分の価値が上がっていく。

では、これら両者を身に付けるためにはどうすればよいのか・・・。

それは、人助けをすることだ。

人助けっていうのは、相手を救うだけじゃなくて、自分の価値や、人からの信頼を得ることができる素敵な行為だ。まさに、一石三鳥。鳥さんも、さぞびっくりするだろう。

だが、これは偽善で自己満足と批判される考え方でもあった。

だってほら、学生のボランティアサークルとか、有名人の寄付活動とか、めっちゃ嫌う人多いし。「ボランティアをしていますってことをステータスにするな!」とか、「中途半端な正義は悪だ!」とか、「偽善者の売名行為だ!」とか、Twitterでよく見るからね。

でも俺は常々思う、それでも良くねぇ? と。キッカケがどうあれ、動機がどうあれ、人助けってのは間違いなく良いことだ。

以前師匠にこう言われたことがある。

『お前は絶対、困っている人がいたら手を差し伸べなさい。偽善でも、自己満足でもいいから、必ず困っている人を見捨てるな。もしそれで、側から何か言われても気にするな。善人ぶって人の行為を批判するだけで、何もしていないやつより、偽善でも、自己満足でも、手を差し伸べることが出来るやつが100倍ましだ。偽善でも、自己満足でも、人が救われるのには変わりないんだから』

だから俺は、アウロラちゃんにも自分のために人助けをしてほしい。

「ようはお助け部だよ。リアルではあんま聞かないけど、アニメや漫画なんかじゃ定番だろう?」

「た、たしかに」

アウロラちゃんはどこか納得したように、深く頷いた。

「どう興味ある?」

「は、はい。わ、私やって見たいですっ!」

俺の問いかけに、アウロラちゃんは目を輝かせながら元気よくそう言った。

そんなアウロラちゃんの姿に、まこちゃんは微笑ましそうに頬を緩ませ、かぐやちゃんは嬉しくて泣きそうなのか、ぐすんと鼻を鳴らしていた。

「決まりだね! じゃあ、詳しいことはまた後日話し合おうか」

「わ、わかりました」

「よしっ。そしたら俺は、授業もそろそろ終わることだし、教室に戻るね。ほらっ、かぐやちゃんお暇するよ」

「いや、私がお前を連れ戻しに来たんだぞ。なぜ、立場が逆転しているんだ・・・」

かぐやちゃんが嘆くようにそう言うと、アウロラちゃんはクスリと笑った。

そして、かぐやちゃんが先に「失礼しました」と言って保健室を出る。俺もその後に続くようにして彼女の後ろをついて行く。

「じゃあね、まこちゃん、アウロラちゃん」

「はいはい、しっかり勉強しなさいよ」

まこちゃんはさっさと行けと言わんばかりに手をしっしっと振る。

だが、アウロラちゃんは俺を引き留めるように口を開いた。

「・・・あ、あ、あのっ。し、白井くんっ‼」

「ん? どーしたの、アウロラちゃん?」

「わ、私のことは、アウロラって呼んで下さい。ちゃ、ちゃん付けは子供扱いされてるみたいで嫌です」

アウロラちゃんは綺麗な瞳でこちらを真っすぐ見つめながら、勇気を振り絞ったようにしてそう言った。

 別に子供扱いしているつもりは全くなかったが、彼女がそう思っていたのなら、悪いことをしていたな。

「おっけー、アウロラ。じゃあ、俺のことも白井じゃなくて、亞流斗って呼んでくれ」

「わ、わ、わかりました・・・あ、あ、あ、あ・・・アルト」

アウロラちゃんは顔を真っ赤にしながらボソボソ言った。

「まあ、徐々に慣れていってくれればいいよ」

「は、はひ。あ、あ、アルト・・・こ、これから、よろしく、お、お、お願いします」

「ああ、よろしくな、アウロラ! これからは、いろいろと俺にまかせときんしゃいっ!」

俺は胸を張りカッコつけながらそう言って、清々しい気持ちで教室に戻っていく。



こうして俺は、ひとりの女の子を助け、その子と友達になった。

今後も、俺は誰か困っている人がいれば助け、その人と友達であり続けるであろう。だって俺の信念は、師匠から教えてもらった、『みんなと友達、みんなと仲良く』なのだから。

そう、だから俺の、『僕が誰かを助ける、そんなラブコメ』はまだまだ終わらない。


——いや、始まったばかりだった。


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