急転
次の日、俺はかなり早い時間に目が覚めてしまった。
「まったく子供かよ……」
また寝る気にはなれなかったので、簡単な食事を済ませて出かけた。
バッグには百枚の金貨が入っている。
「でも、こんな早い時間に店はやっているか?」
そんなことを考えながら、店へ向かうと何やら慌ただしかった。
人がたくさん集まっている。
俺は不安になり、人だかりの中を進んで行った。
群衆を抜けるとハンズさんが誰かと話している。
店の前には高価そうな馬車が止まっているし、ハンズさんと話している男の身なりからすると恐らく貴族だ。
明らかに穏やかな雰囲気ではない。
いつも笑顔のハンズさんが必死の形相だ。
「ですから、決まりは決まりです。こちらの奴隷を売ることは出来ません!」
ハンズさんが声を張っていた。
彼が言った「こちらの奴隷」というのはアステルだ。
嫌な予感がする。
「ハンズさん、おはようございます」
こんな現場に関わらない方がトラブルに巻き込まれないのは分かっている。
しかし、俺には無視をすることが出来なかった。
「……おはようございます。ブラックさん」
ハンズさんの表情は険しかった。
「ブラック? ああ、この男か」
貴族の男が馬鹿にしたように笑う。
俺はこの男と友好的な話を出来ないと悟った。
「私はランズベルク伯爵だ。君、そこの奴隷を取り置きしているそうじゃないか? どうせ、庶民には買えない金額の奴隷だ。この場で取り置きの破棄を宣言してくれるかな?」
ランズベルク伯爵と名乗った男は馬鹿にしたように言った。
アステルの方を見る。
彼女は俺が見たことのないほど不安そうな表情になっていた。
「ハンズさん、遅くなってすいません。金貨百枚、何とか用意が出来ました」
俺は金貨の入った袋をハンズさんに渡す。
「えっ」とハンズさんは声を漏らし、驚いていた。
アステルを見ると「信じられない」と言いたそうな顔だった。
口では早く俺に「買ってくれ」と言っておきながら、、やはり期待はしていなかったな。
「た、確かに金貨百枚、あります」
ハンズさんはあっという間に金貨の数を数え終わる。
「では、お約束通りアステルをお売り致します」
馬鹿にしてきた貴族に少しは見栄を張れたので、気分が良い。
だが、ことは単純に終わらなかった。
ランズベルク伯爵は黙っていたのでこれ以上、アステルに執着しないと思ったのに、
「おい、店主、私は倍の金貨二百枚でその奴隷を買おう」
そんな提案をしてきた。
「ランズベルク様、申し訳ありません。アステルは取り置きをされていたのであって、オークションにかけられたわけではありません。そのような値段交渉には応じかねます」
商人としては魅力的な提案だったはずなのに、ハンズさんは俺の味方をしてくれた。
「おい、店主、貴族の私が頼んでいるんだぞ?」
それでもランズベルク伯爵は退かない。
そうだ、貴族とはこういう連中だ。
自分勝手で、自分が特別だと思っていて、俺たちは見下す。
思い通りにならないことなんてないと思っている。
「もしだ。もし、私の頼みを断りでもしたら、この店に良くないことが起きるかもしれないな。それにお前、ブラック、とか言ったか? 君だってこの街で仕事が無くなるかもしれない」
ランズベルク伯爵は俺たちを脅して来た。
別に俺だけならこいつをぶん殴っても良かったが、ハンズさんまで巻き込むわけにはいかない。
だったら、こいつの後を付けてどこかで……
「待って」
俺が昔のように短絡的な思考をしているとアステルが声を上げた。
「うん、私、気が変わったよ。伯爵様に買われたいな」
アステルが言う。
「おい、どうして?」と俺は尋ねる。
「どうして、だと? 地位も金もない人間には価値が無い。それは奴隷如きでも理解しているということだ!」
俺の問いにはアステルではなく、ランズベルク伯爵が笑いながら答えた。
「おい、店主、奴隷も私に買われたいと言っている。もう、結論は出ているだろ?」
ランズベルク伯爵はハンズさんへ詰め寄った。
「し、しかし……」
「ハンズさん、商人なんだからさ、ちゃんと商売しなよ」
躊躇うハンズさんにアステルが声をかける。
「…………分かりました。ブラックさん、不義理は自覚していますが、申し訳ありません。ランズベルク様にはいくつかお渡しするものがありますので、店内へどうぞ」
「ふん、初めからそういえば良かったのだ」
ランズベルク伯爵は俺に勝ち誇るような視線を向けながら、店内へ入っていった。