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タウン・オン・リバース

多分平熱



 街へ一歩足を踏み入れると、改めて異様なカビ臭さがハイダの鼻に入りこむ。

「ここはなんへいうまひでふか」

 ハイダは口呼吸をしているせいか、滑舌がうまいこと回らない。ハイダに両の肩を掴まれ盾のようになり先頭を歩く少女、ウィッシュは少しだけ視線をよこして答えてくれた。

 街はジマリハというらしい。王都へ行くために必ず踏み込む街だという。いわゆる国の玄関だろう。

 元々は活気良く賑わいを見せていたであろう繁華街……の名残が、黒ずんだ建造物や看板から見て取れる。

 もはや廃墟同然に見えるが、住民はいるらしい。ハイダがなんとなしに視線をめぐらしていると、建物の影からじっとりと光る目が見えた。

 影にいたのは老人と、小さな子供だった。

 ハイダはゾッとする。その瞳には絶望も感じ取れないほど空虚に思えるのに、恐ろしいほど歓迎しない忌避の意が見える。妙に爛々としているのは、多分、獣に近い視線だからだろうか。

 かわいそうだ、と思うよりも、関わりたくないという気持ちが強い。ハイダは己の全く世界の主役にはなれない心持ちに失望しつつも、救ってやろうと手を伸ばすことはしなかった。

 代わりにひどい吐き気を催した。

 あっやべ。

 咄嗟のことで、ウィッシュから遠のくことができなかった。強く肩を掴まれたことでウィッシュは立ち止まり、ハイダはつんのめった勢いで吐いた。

「キャーーーーッ!?」

 ウィッシュは背後の吐瀉音と、背にかかる飛沫に飛びのいた。

 なんということだろうか。

 あろうことか、少女の背にゲロを!

 してしまったのである。

 ハイダは追いゲロを我慢しながらウィッシュにごめんのハンドサインを見せる。

 ウィッシュは青ざめて、ハイダを見る。複数が塊になった虫の死骸を見るような目で

 限界であった。

 ハイダの精神もウィッシュの精神も限界であった。

 神よなぜ、奇跡は口から起きるのでしょうか?

 街へ入っただけなのにもうなんかダメそうです。

「あ、あの、そこのお店で休憩しましょう!」

 彼女が示したのは、食事処のようだった。

 ゲロっている人間を入れてもらえるものだろうか?

 ただ何かしら、彼女に拭くものを貸してやって欲しい。

 ハイダは頷いて、彼女の向かう先へ続いた。

 店には意外にも人がいて、店主の女性が布巾を貸してくれ、さらにハイダに水までもくれた。少しだけ気分の和らぐ場所だった。

「旅人かい? 国がこんなことになっているのによく来たもんだ……」

「いえまあ……」

 よく来たというか、よくわからんうちに顕現させられたというか……。

 しかしそんな話はしたところで、信じられることはない。ハイダは黙っていよう、と曖昧に笑う。

「この方は、私たちの救世主です! この国を黒い森から守ってくださる神の化身様なんですよ」

 ウィッシュがそう笑顔で話しおーーーーい!

「ウィッシュさん?」

「え?」

「え? じゃないでしょう」

「だって、本当のことでしょう!」

「だとしても! 普通は! 信じないから!」

 ハイダは思う。この子いい子なんだろうけど、バカだ。嘘がつけない子だ。

 店主はすこしポカンとして、快活に笑った。

「じゃあ救世主さま、手始めに、あそこの飲んだくれどもを懲らしめてやってよ」

 そう指で示す先には、二人の男がいる。どちらも図体がでかく、先ほど見た老人たちのような暗い光を宿した瞳をしている。

「あいつらは、勝手にここの用心棒だと名乗ってただ酒をかっくらってる」

 それだけならまだいいんだけれどね、と店主は声を低めた。

「街が変になってから、来る客にいちゃもんをつけて追い剥ぎするようになったんだ」

 あんたらも狙われてる、と囁き、他の客から呼ばれて店主は行ってしまった。

 ハイダは改めて自分の服を見た。真っ白でなんだか、高級そうな質感をした布だ。

 ウィッシュの服も白を基調にして、同じように高級感がある。旅人にしては上等すぎる二人組だ。

 これは格好の餌食だな、とハイダは冷や汗をかく。

「ここは撤退……」

「見せてやりましょう! 聖なる力を!」

 少女は瞳を輝かせる。

「ウィッシュさーん……」

 ハイダは肩を落とす。

「ほら言われてるぞ」

 内なる声が聞こえた。ハイダと合体したウルトラ・ハウィター神だ。

「言われてるぞ、じゃないんですよ」

「どうした? 言われたことだけやればいい」

「簡単に言わないでくれ……」

 ハイダが神と交信している間、どんどん二人組の男はこちらに近づいてきていた。にやにやとした笑みは見ていて気持ちのいいものではない。

 これから言われもないいちゃもんをつけられるのか、と思うと腹が立つし逃げたい。

 ハイダは胸ぐらを掴まれた。

 当然の如くいちゃもんを述べ始めたのだが、あまりにもテンプレに満ちた悪役台詞だったので割愛する。

 その間にもハイダの吐き気ゲージは溜まりつつあった。

 ハイダはウィッシュに視線を向けると、不安げに見上げている。片方の男が、ウィッシュの細い手首を掴む。

 男であるハイダよりも、彼女の方が絞りがいがあると思ったのだろう。

 酒臭い息が耳元にかかり怒号が響く。だが、ハイダの耳にはまったく入ってこない。胸ぐらが掴まれて苦しい。だが、それよりも、彼女が苦悶に満ちた顔をしているのが気になった。

 ウィッシュに詰め寄っている男は、ウィッシュの顔を知っているようだった。

「誰かと思えば、お飾りの聖女様じゃあねえか!」

 ウィッシュはそう言われたとたん、ひどく顔を曇らせた。

 困る。

 彼女の空気が、濁ると困る。

 ハイダは呟いた。

「……吐き気がする」

 胸ぐらを掴んでいた男は、ハイダを凄んでさらに締め上げた。

 途端、男は平手打ちをくらい店の端へと吹きとぶ。

 先ほどまで締め上げられていたハイダの一撃だった。

「なんだあ?」

 ウィッシュに突っかかていた男は狼狽を見せた。

 その太い手首を、ハイダは掴む。ジュウと蒸発するような音がして、ハイダが触れている場所から黒いモヤが逃げるように浮き出てくる。

「汚い手でその子に触るな」

 そういうハイダの口元にはゲロの跡がついている。

 ハイダの手は白濁で濡れている。

 導き出される答えはひとつ! 辿り着きたくない真実はひとつ!

「いやお前の手の方がきったねえが!?」

「うるせえ! これしか方法がないんだよこっちは!」

 早々に男をビンタし、同じように店の端へと吹き飛ばした。

 ゲロビンタで!

 店は木屑と埃が立ち、男たちからは、黒いモヤがあがっていた。

「やっぱり、黒い森の影響を受けていたんですね……」

「起きたら気のいいおっちゃんに戻ってる、だろう、多分」

 しらんけど。ハイダはウィッシュの持っていた布巾を取り手を拭いた。

 しかしビンタ自体は強くないはずなのに、こうも効果があるのか……。

 ハイダは考えながら、ちょっぴり強さに耽溺した。

「さ、証明したのでね、行こう、行こうもう行こう」

 言われたことしかしない、したくない、ので、彼女が二人を介抱しようなどと言い出さないうちに立ち去ろうとウィッシュを店から押し出した。

「あんた」

 店主の声が、ハイダを呼び止めた。

「本当に救世主さまかい? 違うならうちで、本当に用心棒やらない?」

 ハイダは眉根を寄せて笑う。

「残念ながら本当なのでね。それに自分を雇うのはやめた方がいい」

 口元を手で覆い、喉に絡むねばつく聖なる力を咳で払う。

「飲食店に向かないですから」


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