9. 黒い森
多摩川は床園大学の一年生。
今は夏休みに入っている。
暑い日が続く中、部屋の中でクーラーを効かせ、多摩川は平瀬と向かい合ってテーブルに着いていた。
テーブルの上には数冊の旅行雑誌。
「ちーちゃんは行きたい所あるの?」
「うーん。『ここが!』ってのは無いんだけど、暑いから涼しい所が良いよね」
「涼しい所か。東北の方になるのかな」
二人で旅行をすることになったのだが、あまり遠くは考えていない。
はじめは一泊二日の予定だったが、ゆっくりしたいと言うことで二泊三日にした。
がんばってアルバイトをしたが、生活費だなんだと出費も多く、意外と貯まらない。
平瀬には悪いが大した所には行けないのだった。
「海外とか行ってみたいけど、ファミマだけではキツイかな」
「きっくん、無理することは無いよ。まずは二人で旅行することが大事だと思う」
「そうだね、国内でも良い所は一杯あるし」
平瀬が雑誌とネットを駆使して色々情報を集める。
「初めから贅沢はよくないよね。極力料金を抑えよう」
「ちーちゃん。あんまり、その辺を拘りすぎない方が」
「えーっ。最初を押さえて徐々にグレード上げた方が盛り上がらない?」
「というか、そこそこのレベルを保つっていうのも有りかと」
「それだと、飽きちゃいそう」
うーん。そのやり方だと仕舞いには宇宙へ行くことになるのでは? などとありえない事を考えてしまった。
東北方面に的を絞り、安い旅館を見つける。
二泊三日で明後日出発となった。
◆◇◇◇◇
新幹線に乗り換える為に駅構内を歩いていると駅弁が目に入る。
「ちーちゃん、駅弁があるよ。食べる?」
「うーん。食べてみたいけど、新幹線の中だとゆっくり食べれない気がする」
「そっか。じゃ、新幹線のホームへ行く前に何か食べておこう」
「うん」
新幹線へ乗り換えがある駅だけあって、そこそこ広い。
駅構内にお店が、それこそレストランやファストフードの店、カフェなどの飲食店から、本、雑貨、土産屋等々、多くの店があった。
「きっくん。何食べる?」
「カレーでいいかな?」
「いいけど、即答だね。ちょっとビックリしたよ」
「旅館では滅多に見ないでしょ? カレー」
「なるほど。被る確立が低いってことね。納得」
カレー専門店があったので、そこに入る。
辛さが選べるので、俺は3辛でカツカレーにした。平瀬は普通の辛さで野菜カレーを選んでいた。
美味しく頂き、腹を満たす。
新幹線に乗ると腹が膨れているせいか、二人ともすぐ寝てしまった。
俺は目的の駅のひとつ前で目が覚めた。
平瀬が俺に凭れ掛って寝ている。
「ちーちゃん、起きよう。次の駅で降りるよ」
「うーん。あと五分」
「五分か。いや、家で寝てるんじゃないんだから。降りる準備しないと」
平瀬は体を起こして少し、ボーっとしている。
目的の駅に着く頃には普通に目が覚めているようで、忘れ物も無く無事に降りることが出来た。
そこから在来線に乗り換えて数駅移動。そして、バスで二十分程揺られて旅館に到着。
フロントでチェックインを済ませ、ついでに観光地があるか聞く。
残念だが、特にそういったものが有るわけではないようだ。
「やっぱり何にも無いか。きっくん、どうする?」
「その辺を散歩でもしてみようか」
「あっ、お客様。自転車がありますが、お使いになられますか?」
貸し自転車とかではないらしい。
この旅館に来る客の殆どが温泉目的で、他にお勧めするものが無い。
色々考えているが良い案が無いようだ。
そこで、散歩に行く俺達に自転車を貸して、感想を聞いてみようと思いついたらしい。
「まあ暇だし、無料で自転車が借りられるならサイクリングしてみようか」
「そうね。それも悪くないかも」
俺達は貴重品以外の荷物を旅館で預かってもらい、その辺を自転車でブラブラすることにした。
最初は自然の中を走る新鮮さに何か清々しい気分だった。だが、代わり映えの無い風景が続き、少し飽きてくる。
「何かずっと同じ風景だな」
「うん。ちょっと飽きてきたかな。きっくん、そこ曲がってみようか」
「おーけー」
と、安易に変な道に入ると大変な事になる。得てして田舎道は曲がる所が少なかったりするので、一本道を間違えると、とんでもない所に行ってしまうことがあるのだ。
長い距離を戻りたくも無いので、「ここ曲がれるから、ぐるっと回って帰ろう」なんて安易な事をすると更に土壷にはまる。
日も暮れかかって、自分達が何所にいるのか分からなくなっていた。
「きっくん。ここ何所だろ」
「うーん。携帯の電波は届かないか」
「どうする?」
「来た道を戻った方が確実かな」
そして来た道を戻るが、整備されていない道なので、どこで曲がったか分からない。更におかしな道へと導かれていく。
辺りが少し暗くなってきた。
日が落ちると真っ暗になり、道なんて分からなくなる。
遠くに明かりが見えた。
「ちーちゃん。完全に日が落ちると身動きが取れなくなる。その前に、あの明かりまで行こう」
「分かった」
二人で出来るだけ急いで明かりまで向かう。
着いた頃には日がとっぷり暮れていた。
◆◆◇◇◇
そこは平屋建ての民家。かなり年期が入っているように見える。
「ここに泊めてもらおう」
「泊めてくれるかしら」
「まあ、駄目元で聞いてみよう」
インターホンらしき物は見当たらない。
ドアは木製で横にスライドするタイプ。曇りガラスがはめ込んである。
ドンドンとドアを叩く。
「すみませーん」
返事が無い。
もう一度、ドンドンとドアを叩く。
「すみません。誰かいませんかー」
すると、曇りガラスにうっすらと人影が映る。
がちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえてきた。
ガラガラとドアが開く。
そこには腰の曲がったお婆さんがいた。
「誰じゃ」
「申し訳ありません。実は道に迷ってしまって、日が暮れてしまいました。一晩宿を借りたいのですが」
お婆さんは俺を見た後、後ろのにいた平瀬に目を向ける。
「二人か?」
「はい」
「世の中物騒じゃ。それを鵜呑みに出来るほど、お人好しじゃねぇな」
「困ったな。危害を加えないと言っても信じてもらえないですよね」
「そうじゃな」
「お婆さん。お電話ありますか?」
「あるよ」
「今日泊まる予定だった旅館に電話させて頂けませんか? 旅館の方と話して頂くのはどうでしょう?」
「うーん。でもなぁ」
「あと、旅館の一泊の料金もお支払いします」
「ふむ。分かった。入れ」
平瀬が旅館の情報をメモしていたので助かった。
旅館に電話して、道に迷って帰れなくなったことを伝える。
旅館側も安易に自転車を貸してしまった事もあり、一泊分を半額にしてくれるようだ。
お婆さんに電話を代わり、旅館の人から俺達の情報を聞いたようだ。
お婆さんが電話をおく。
「まあ、一泊だけじゃぞ」
「「ありがとうございます」」
「腹減ってるじゃろ。ついて来い」
お婆さんはまず洗面所と風呂の場所を教えてくれた。
汚れた手足を軽く流し、そのあとに囲炉裏のある部屋に案内された。
なんか嗅いだことのある匂い。
「今日はカレーじゃ。婆の一人暮らしじゃ、たいした物は無いぞ」
囲炉裏にかけてある鍋の蓋を取ると具の無いカレーが。
予想外の展開だ。被った上にグレードが下がっている。
まあ、飯が食えるだけ有難いのだが。
お婆さんが丼に御飯をよそい、そこに鍋から掬ったカレーをかける。
「ほれ、食べな」
お婆さんはそう言いながら、丼にスプーンをぶっさして渡してきた。
「いただきます」
味は悪くない。ただ、具が無いので少し味気ない。
「お婆さんはずっと、お一人なんですか?」
平瀬は周りに他の家も見当たらないので、年寄りの一人ぐらいが心配なのだろう。
「もう、随分とひとりじゃ。たまに孫が様子見に来るがの」
婆さんがカレーを勢いよく食べる。
意外とたくましい人なのかもしれない。
◆◆◆◇◇
夕食後に六帖の部屋に案内された。
「今日はここで寝ろ。布団は自分で運べ」
そう言って布団ある所を教えてくれた。
「お穣ちゃんは、食器を洗ってくれ」
「はい。お婆ちゃん」
平瀬がお婆さんに連れられて台所へ消えていった。
俺は布団二組を部屋に運んで敷く。
「なんで俺はこんな所で布団敷いてるんだ」
ふと我に返ってしまった。楽しい旅行に来た筈なのに、平瀬は洗い物してる。
気になって、台所を見に行くと平瀬が一人で食器を洗っていた。
「ちーちゃん、一人なの?」
「あっ、きっくん。うん、お婆さんはお風呂に入っているみたい」
「泊めてもらって感謝はしているが、ちょっとなあ」
「ふふ。もう終わるわ。それに、ここだとやること無さそうだし……」
「確かに、こんな山奥じゃね。手伝うよ」
「ありがと。きっくん」
俺は洗い終わった食器を拭く。
そこへ、風呂あがりのお婆さんが体から湯気を出して来きた。
「あたしゃもう寝るよ。あんたらも勝手に風呂入って寝な」
お婆さんはそれだけ言って台所から出て行った。
もう寝るのか。年寄りは寝るの早いな。
「分かりました。ちーちゃん先に入っちゃえば?」
「うん。じゃ、先にもらうね」
平瀬が風呂に入っている間、俺は布団を敷いた部屋でボーっとしていた。
本当にやることが無い。婆さんが早く寝るのがわかる。
「き、きっくん、おまたせ。お風呂どうぞ」
平瀬は恥ずかしそうにしている。
下着姿なのだ。着ていた服で体を隠している。
着替えが無いし、寝間着も無い。今日着ていた服は明日も着なければならないので、寝間着代わりにする訳にもいかない。
「布団は好きな方を使ってね。じゃ、入ってくる」
俺は平瀬を見ないようにして、部屋を出た。
風呂場に入ると浴槽が木製だった。小さい浴槽だが一人で入るには十分な大きさ。
「意外とお目にかかれない風呂なのかも」
そう思いながらも、平瀬を一人にしておくのが心配なので、さっと洗い流して風呂を出た。
寝室に行くと平瀬は布団に潜っていた。
俺はパンツ一枚で布団の上に座る。
「結構、いい湯だったね」
「うん。木の浴槽も良かったよ」
平瀬は布団中からこっちを見ている。
「この家は広いよな。ここにお婆さん一人だもんな」
「寂しいだろうね」
「寝るのが早いのも分かるよ」
俺も布団に潜る。
「しかし、ちょっと年期が入っている家だよな」
「そうだよね。ちょっと怖いかも」
「電気はつけたままで寝ようか」
「そうね。ね、きっくん。あ、あの……」
平瀬が何か言いたげなのを察する。
「ちーちゃん。おいで」
「うん」
平瀬はゴソゴソと俺の布団の中に入ってくる。
そんな彼女を優しく包み込む
カシャッ、カシャッと変な音が聞こえてきた。
音のする方をチラッと見る。
「婆さん、なに写真撮ってんだ!」
俺は布団から飛び出て、デジカメを持ってる婆さんに詰め寄った。
「き、記念撮影じゃ」
「嘘をつくな。勝手に撮っちゃ駄目だ」
俺は婆さんからデジカメを奪い取る。
「撮られたのは消すぞ」
「あー。わしの長生きの秘訣が」
「そんな秘訣、捨ててしまえ!」
俺は撮られた写真を確認して消していく。
「あっ、風呂場でも撮られてる」
「うそ」
平瀬は顔を真っ赤にしてる。
「まったく、この婆さんは。こんなちーちゃんの写真を撮りやがって。携帯に転送しないと」
俺は携帯を探す。
バシッと平瀬に頭を叩かれた。
「ちゃんと消してよー」
残念だが、平瀬も一緒に確認して、撮られた写真を全て削除した。
「まったく、とんでもねぇ婆さんだ」
「悪かったよ。お詫びにこれをやるから許せ」
「なんだこれ」
「珍味というヤツじゃな。我が家秘伝の手作りじゃ」
こちらも無理に泊まらせてもらったので、あまり強く出れない。
「とにかく、こういう事は止めてくれ」
「分かったよ」
デジカメを返すと、すごすごと部屋から離れて行った。
手元には小さなお土産の箱。中身は見ずに荷物の所へ置いた。
「明るい方が写真撮られ易いかも」
「そうね。電気は消しましょう。でも怖いから一緒に寝て」
俺達は一つの布団で静かに寝た。
電気を消した時に、婆さんの「チッ」という舌打ちが聞こえた気がした。
次の朝、昨晩の残りを水増ししたような薄味のカレー丼をもらう。
「お婆さん。むき出しで悪いけど宿泊です」
約束なので、旅館と同じ額を渡した。
正直、金額に見合ったサービスなど無かったのだが、屋根のある所で寝れたので、助かったのも事実。
「うむ。ありがたく貰っておくよ」
「お婆さん、お願いがあるのですが」
「なんだい」
「この辺の地図って無いですか? 無ければ分かる範囲で書いて頂きたいのですが」
「地図は無いね。書いてやるから待ってな」
そう言って、お婆さんはチラシの裏に地図を書いてくれた。
◆◆◆◆◇
手書きの地図を見ながら自転車を漕ぐごと一時間。
着いたのは、元いた婆さんの家。
「何だこの地図は!」
一時間無駄にした。
それからは、太陽の位置から大体の方角を確認しつつ、昨日の記憶と、あやしい手書きの地図を駆使して、どうにか旅館に戻れた。
太陽を見るとオレンジ色に燃えながら沈みかけている。
薄いカレー丼一杯で一日中自転車を漕ぐという地獄の一日だった。
旅館に入り、事情を説明して出来るだけ早く夕食の用意をして貰うことに。
それでも、直ぐに夕食という訳にはいかないので、部屋にあったお茶と茶請けで軽くしのぎ、温泉に入って時間を潰す。
昨日、今日と疲れが半端無く、温泉では落としきれない。
夕食はそれなりに豪華で、空腹がより一層味を引き立てた。
「きっくん。美味しいね」
「うん。でも、なんでだろ。今朝の激マズカレー丼が頭から離れない」
「あれは酷かったね。記憶に残る不味さだよ。二度と食べないための」
「なるほど。突出した味は記憶に残り易いのか」
普通が一番だろうけど、逆に記憶には残り難いので忘れがちになるのかな。
そんなことを考えながら、夕食に舌鼓を打った。
夕食後、少し休んでからもう一度温泉に入る。
正直な所、体がしんどい。今日は泥のように寝てしまうだろう。
風呂上りに一杯だけ飲んでから寝ることにする。
「きっくん。これどうする?」
平瀬は小さな箱を出してきた。
昨日の夜、婆さんがくれた『珍味』というやつだ。
「持って帰っても仕方ないし、邪魔だから食べちゃおうか」
「そうだね」
平瀬が箱を開ける。
「うわっ。何これ」
「なんだろ。イモリかな? 黒焦げなんだけど」
「六つ入ってるから、三つずつだね」
「どれどれ」
俺はひとつ食ってみる。
「苦い、摘みにはなるのかな。好きな人もいるんだろうけど、好んで食う物では無い気がする」
平瀬も一口。
「ほんと苦い。まあ、珍味ってこんなものなのかも」
あまり美味しくないのだが、残しても仕方ないので三つずつ平らげ、ビールを煽る。
「どれ、今日は疲れたから、もう寝ようか。体がガタガタだよ」
「そうね。私も直ぐ寝ちゃいそう」
電気を消して布団に潜る。
だが、なかなか寝付けない。
疲れすぎるとかえって寝れなかったりする。なんて聞いたことがある。
しかし、体を動かすのもしんどいのに、寝れないのはキツイ。
というか、なんだろ。体が熱い。
隣の布団で、平瀬もモゾモゾしている。
「き、きっくん」
「どうしたの?」
「か、体が。体が熱くて寝れないの」
「俺もだよ。なんでだろ」
二人とも呼吸が荒くなる。
「きっくん」
平瀬が俺の布団に潜り込んで抱きついてきた。
ふと、頭をよぎる『黒イモリ』。そう言えば、イモリの黒焼きって精力剤になるとか。
やばい、一気に三つも食べちゃったじゃん。
せめてもの救いは、貰って直ぐに食べなかったことか。
「くっそ。あのババア」
罵るも自制がきかない。
「ちーちゃん。ごめん」
二人は疲れきった体で朝まで何度も求め合うという、死ぬような思いをした。