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6. ラブレター

 多摩川菊斎は床園大学の想像言語学科に通う学生だ。

 原付愛好会というサークルに所属している。

 そのサークルの一年上に同じ学科の先輩、谷沢姫之(やざわひめの)がいた。

 ストレートの長い黒髪で鼻筋の通った顔。目つきが鋭い所為で、少しきつく感じるが美しい女性だ。

 谷沢が大学で初めての期末試験の時、サークル内で同じ学科の先輩は四年の城山だけだった。

 試験で頼れるのは彼しかいなかった。

「城山先輩。期末試験の資料が欲しいのですが、ありますか?」

「おお。そう言えば、谷沢は同じ学科だったな。明日持ってくるよ」

 城山は谷沢に好意を寄せており、その思いを書いた紙を試験資料に挟んで渡した。

 試験資料は一年から四年までの科目の物があり、谷沢は履修する気が無い科目には目を通さなかった。

 その目を通さなかった科目の試験資料の間に挟まれたラブレター。

 谷沢がそれに気が付くことは無かった。

 数日後に城山は谷沢を呼び出す。

「俺の思いは、伝わったと思う。返事を聞きたい」

 だが、谷沢には何のことか分からない。

「えっと、何の返事ですか?」

「俺が君をす、好きだってことだよ」

 谷沢は、いきなり告白をされて戸惑いながら答える。

「え? えっと、ごめんなさい。先輩は良い人だと思うのですが、その、恋愛対象までにはならないです」

「そ、そっか。わかった。返事を聞けて良かった」

 正直な話、一年生と四年生だと殆ど接点が無い。城山も駄目元だったのだろう、返事を聞いてあっさりと引き下がった。


 ◆◇◇◇◇◇


 多摩川が大学に通い始めてから、最初の夏休みが近づいてきた。

 その前に立ちはだかるのが期末試験。

 食堂で飯を食いながら、試験の話になる。

「多摩川は助けてくれるよな」

 信濃が泣きついてきた。講義中いつも寝ていたからそうなる。

 だが、一般教養くらいは自力で何とかして欲しい。

「多摩川君って思ったより賢いのね。助けて欲しいわ」

「きっくんなら教えてくれるよね?」

 信濃、魚野、平瀬の三人は現役合格なので歳は一つ下なのだ。

 この三人の内、平瀬と魚野は別の学科なので、教えられるのは一般教養だけだ。

 もっと上の学校を目指していた俺は、受験に失敗してここにいるが、レベル的には少し上なのだ。一浪して勉強漬けの一年というアドバンテージもある。

「多摩川を頼りたい気も分かるが、専門で頼れよ。一般教養は三人で勉強すれば何とかなるだろ。という事で、多摩川、俺に専門科目を教えてくれ」

 そう言うのは、親友の最上隼(もがみはやと)

 少し長めのスポーツ刈りで、がっしりとした体格をしている。

 同じ想像言語学科の同期だ。サークルには入っていない。

 最上も一浪しているので、俺と同じく苦労した仲間だ。

「えーい。とりあえず、三人は勉強会でもやって、分からない所を後で聞いてくれ」

「えーっ。きっくん、見捨てないでー」

「三人集まっても数学は分からないのよ」

「三人寄ればもんじゃが美味いって言うけど、四人だともっと美味いと思うんだ」

 信濃は相変わらず変な事を言っているので放置。

「最上は少し待ってくれ。先輩から試験資料貰うから、それを見てからだ」

「そうか。試験資料が手に入るなら助かるな」

「じゃ、最上を入れて四人で一般教養の勉強会やろう。最上もそこそこできるし。専門は俺も入れてくれ」

 信濃が最上にも泣きついた。

「しょうがねぇな。じゃ、多摩川が資料を手に入れるまで、そっちに付き合うか」

「とりあえず、サークルの谷沢先輩には話してあるから、明日にも貰えると思う。整理してから渡すよ」

 何で俺が仕切るような感じになっているのだ。出来の悪い弟妹がいるようだ。


 ◆◆◇◇◇◇


 次の日の午後。多摩川は図書館にて谷沢と会う。

 図書館の机は少し大きめだ。

 向かい合って座ると話し難いので、横に並んで座った。

「すいません。試験資料くれなんて、泣きついてしまって」

「いいよ。私もそうだったから。資料は自分で使う分をコピーして、現本は後輩に渡してくれ」

「分かりました。ちなみに、少し教えてもらってもいいですかね?」

「ん? まあ、いいよ。私の分かる範囲になるけど」

 谷沢は笑顔で返事をする。

 多摩川がサークルに入会してから半年も経っていないので、谷沢と顔を合わせるのもそれほど多くなかった。

 少しキツイ印象なのだが、初めてみる笑顔に思わず口が滑る。

「谷沢さんって、笑顔が素敵ですね。かわいいです」

「なっ、ん」

 谷沢さんは顔を赤くして黙ってしまった。

 多摩川が原付愛好会に入ったのは一年生の中では後の方だ。

 その分、他の人より目につく期間は減るのだが、何故か一番存在感がある。その為に先輩に弄られることも多い。

 人付き合いは良いようで、誰とでも普通に話す。

 新入生歓迎会の時も、誰よりも先に先輩達の所を回っていた。後で聞いた話だと、合法的に酒が飲めるのが多摩川だけだったので、他の一年生の代わりに率先して先輩の所を回っていたらしい。

 谷沢はそんな話を聞いて、多摩川に少なからず好意を寄せている。

 ただ、多摩川にはもう彼女がいた。

「すいません。何か余計な事を」

「い、いいんだ。それより、分からない所は?」

 多摩川は教科書を取り出す。

「えっと、ここなんですけど……」

「うん。あー、ここはね――」

 と、説明すると「なるほど」とか、「そう言う事ですか」といい反応をしてくれる。

「ふふっ」

 谷沢は思わず笑ってしまう。

「どうしたんですか?」

「いや、多摩川君が良い反応をしてくれるんでね。私も君のことが、かわいいと思ってしまったのだよ」

 谷沢はさっきのお返しとばかりに言う。

「そうですか? 谷沢さんにそう言われると嬉しいですね」

 と笑顔で返される。

「うっ」

 予想外の返しに、谷沢の顔がまた赤くなった。


 ◆◆◆◇◇◇


 俺は自宅に帰ってから、谷沢さんからもらった資料を整理していた。

「随分あるな」

 思ったよりも資料が多い。よく見ると聞いたことの無い科目が多い。

「あー、なるほど。四年までの資料があるのか」

 資料を科目毎にまとめていく。

 その中に手書きのレポート用紙が一枚混じっていた。

「なんだ、これ。えーと、『谷沢姫之様 私はあなたを一目見た時から――』、ラブレターじゃん。何でこんなものが……」

 悪いとは思いながらも最後まで読んでしまった。

「差出人は分からないか」

 谷沢さんは付き合っている人はいるのだろうか。

 いや、いたとしても、その人がこれを書いたとは限らない。

 谷沢さんに返すべきだよな。

 このまま返せばいいのだろうか? 封筒とかに入れた方が良いな。いや、折り目が無いので、そのままの方がいいか。

 クリアホルダーが余っていたので、それに入れて返すことにする。

 ラブレターだけ返すことになるが何か気まずい。

 渡して直ぐ立ち去ることにした。


 次の日、多摩川が部室に行くと運良く谷沢さんだけだった。

「谷沢さん。昨日は有難うございました」

「いいんだよ。みんなやっている事だし。分からない事があったら何時でも聞いてくれ」

「あと、こ、これを」

 多摩川は鞄からクリアホルダーを取り出す。中には資料に挟まれていたラブレターだ。

 それを谷沢に渡した。

「ん?」

 谷沢さんが受け取ったので、立ち去ることにする。

「俺はこの後に用事がありますので、お先に失礼します」

「え? ああ」

 多摩川が部室から出て行った。

「多摩川君、変だったな。どうしたんだろ。それになんだこれ。紙一枚……」

 クリアホルダーから紙を取り出す。

 そこには谷沢宛のラブレター。

「なっ、え? これ、ど、どういうこと?」

 谷沢は手を震わせながら最後まで読む。

「た、多摩川君。何考えてるんだ? か、彼女がいるのに、私にラブ、くぅー」

 谷沢は部室の中で一人悶えていた。


 ◆◆◆◆◇◇


 次の日、谷沢は寝不足で講義を受ける。

 一晩中悩んで一睡もできなかった。

 午前中の講義が終わって食堂に行くと、下山と中島に声をかけられる。

 二人は同じサークルの同期だ。学科は別なので、顔を合わせるのは食堂か部室だった。

 下山彩香(しもやまあやか)は茶髪のショートカットで瞳が大きい。元気な女性。

 中島美莱(なかじまみな)は髪をポニーテールにした、少しふくよかな女性。

「どうした、姫之? 顔色悪いぞ」

 下山が先に声を掛けてきた。

「寝不足っぽいね。珍しいわ」

 中島には寝れなかったのが、ばれているようだ。

「うん。ちょっと……」

「なんだよ。友達だろ? 悩みがるなら相談しろよ」

 下山が何か獲物を見付けたように絡んでくる。

「えーとね。……ここだと、話し難い」

 谷沢は一人で悩んでも解決できそうに無いので、友人に相談することにしたが、人が多すぎる。

「じゃ、学校終わったら、姫之のアパート行こう。今晩はお泊りだ」

 中島が楽しそうに酒のつまみ選び出した。


 谷沢の部屋はロフト付きのワンルーム。

 六帖の洋室に机と小さなテーブルが置いている。

 テーブルの上には三人分の缶ビールとおつまみが占領している。

 悩みを打ち明けるのが少し恥ずかしい谷沢は、ビールを飲んでから相談した。

「そんなの決まってるだろ。恋人いる奴なんだから、断れよ」

「彩香、察しろよ。悩むって事は姫之も、それだけ好きって事だろ」

「えっ。ん、まぁ、そうかな」

 谷沢は顔を赤くして俯く。

「ねぇ。誰なの? 教えてよ」

 中島が変な探りを入れてくる。

「そーだよ。教えろ。一発殴ってやる」

 下山には絶対教えてはいけない。

「そ、それは秘密です」

「もしかして、私達も知っている人?」

「ど、どうかな……」

 谷沢の目が泳ぐ。

「なるほど。彩香、うちらも知ってる人だよ」

「なっ」

「そうか、私達の知ってる人で恋人がいる男か。かなり絞れるな」

「そこの詮索はしなくていいよ」

「まあいい。でだ、そいつは恋人と切れて無いんだろ?」

「わかんない。けど、そんな話は聞いてない」

「そんな取っ替え引っ替えする男は止めとけって」

「姫之の気持ちは分かるけど、彩香の言う通りだと思うよ。いくら好きな奴でも節操が無い気がするな」

「そ、そうだよね。二人の言う通りだよ。少し舞い上がっていたのかもしれない」

 谷沢は早めに断りの返事をすることにした。


 ◆◆◆◆◆◇


 数日後、谷沢は人気の無い場所に多摩川を呼び出した。

 多摩川がそこに着くと大きな木に寄りかかる谷沢がいた。

「すみません。お待たせしました」

 そう声を掛けるが、谷沢は下を向いたままだ。

 近づいて再度声を掛ける。

「谷沢さん?」

 谷沢はいつもの厳しい目つきで多摩川を見る。

「多摩川君。あなた、平瀬と付き合ってるんでしょ?」

「え? ええ。付き合っていますが……」

「そうか。それじゃ、断るしかないじゃないか」

「えーと」

 多摩川は何の話をしているか分からない。

「君は、私を弄んで楽しいのか?」

「そ、そんなことは」

「うっ。ふぐっ」

 谷沢の目から涙が零れ落ちる。

「ど、どうしたんですか?」

 多摩川はそんな谷沢を見てうろたえる。

 その状況をこっそり見ていた。下山と中島が見てられなくて飛び出してきた。

「どうしたもこうしたも無いだろうが!」

 下山が多摩川に詰め寄る。

「多摩川君。君だったとは」

 中島は少し驚いた表情をしていた。

「彩香、美菜。な、なんでここに」

「姫之が心配だったから、こっそり見てたんだよ。多摩川君、君は一体どんなつもりでこんな事をしているんだい?」

「い、いや、中島さん。俺には何の事だかさっぱり――」

「自分のやった事だろうが」

「そうですよ。彼女がいるのに姫之にラブレターを渡すなんて信じられません!」

「えっ? ラブレター? えーっと……」

 ラブレターと聞いて思い出すのは先日返したヤツくらい。

「もしかして、先日、クリアホルダーに入れて渡した奴ですか?」

 谷沢はコクリと首を縦に振る。

「身に覚えあるんだろ?」

 下山が怒りを拳に溜めている。

「あれは、貰った資料に挟まってたのですが?」

「「「……はぁ?」」」

 三人の表情が少し緩む。

「えーと、谷沢さんから貰った試験資料に挟まっていたから、お返したんですけど……」

「だ、だって、なんか恥ずかしそうに渡してきたじゃない」

 谷沢が声を振り絞って言う。

「いや。悪いと思ったんですけど、内容全部読んじゃったんで。何か気まずくって、渡して直ぐ逃げました」

 数秒の長い沈黙が周りに広がる。

「姫之さん。多摩川君はこう言っていますが?」と下山が問う。

「姫之さん。そのラブレターに見覚えは?」と中島が問う。

「えっ。でも、私、ラブレターなんて貰ってない……あっ」

「思い当たる節でも?」

 下山が覗き込むように谷沢を見る。

「そう言えば、試験資料くれたの城山さんだったの。いきなり返事くれって、告白されたんだけど、まさか……」

 それを聞いた下山と中島が状況を把握して顔を見合わせる。

「「ぷーっ」」

 腹を抱えて笑い出した。

「聞いたか、美菜。姫之のヤツ、自分から渡したラブレター貰って、くくく」

「駄目だよ、彩香。そんなの超恥ずかしいヤツじゃん、ぷぷぷ」

「ふ、二人とも、や、やめて」

 谷沢は赤い顔を両手で隠す。

「多摩川君、悪かったな。姫之の一人芝居に付き合ってもらって。大体、彼女がいるのにラブレター渡す奴いないよな。しかも、クリアホルダーに挟んで渡す奴はいないよ。どんだけ舞い上がってたんだ」

「多摩川君には申し訳ないが、姫之は君に弄ばれたかったのだ。許してやってくれ」

「ひーっ。やめてー」

 姫之は両手で顔を覆ったまましゃがんでしまった。

「何となく、話は分かりました。きちんと言わないで返してしまった俺が悪いんです。谷沢さん。申し訳ありません」

「わ、悪いのは私だ。頼むからこっちを見ないでくれ」

「そうだな。多摩川君、せめてもの情けだ。見ないでやってくれ」

 中島がニヤニヤしながら姫之を見ている。

「うーん。でも、谷沢さんのそういう所が可愛いですよねー。つい見ちゃう」

「もう、許してー」

 谷沢さんが小さく丸まってしまった。


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