5. ゾーン
俺は名は多摩川菊斎。床園大学 文学部 想像言語学科の一年生だ。
入学してから間もないのに、ウン○漏らしたり、宇宙人に何か埋め込まれたりと色々あったが、自分なりに楽しんで生活している。ちなみにインプラントされてから暗算ができるようになった。
同じ学科で友人になった信濃に誘われてサークルにも入った。
信濃柳都はナチュラルなショートカットに整った顔で、少しほっそりとした体格をしている。
たまに残念な所を見せる、付き合いの良い奴だ。
サークルは原付愛好会だが、俺は特に原付に愛着があるわけではない。入った時は免許も無かった。
生活の足しにアルバイトもしている。個人経営のコンビニで『ファミリーマサト』。通称『ファミマ』だ。
バイト先の店長は古角真人と言い、アフロヘアーで見た目はちょっと怖い。話すと優しいオッサンだと分かる。このオッサン、実は原付愛好会の初代会長だった。あと、店長をしているだけあって、そこそこ顔が広い。
六月も終わり夏休みも目前だ。旅行の資金のため、バイトをする日が増えている。
「きっくんって、何かスポーツやってたのかい?」
客のいないコンビニで、カウンターの内側の椅子に座っている店長が暇そうに話しかけてきた。
「スポーツですか。苦手ですね。中学、高校と部活は文化系でした」
「そうなんだ。実は俺、草野球をやっててさ。俺のいるチームが人数ギリギリなんだよね。気分転換にやってみない?」
「うーん。野球のルールも詳しく知らないんですよ。迷惑かかるだけだし……」
実際の所、運動音痴なので断った方がいいと思うのだが、色々お世話になっている人の誘いだと断り難い。
「そんなに難しく考えなくてもいいよ。下手な奴らばっかりだし、目的は試合や練習の後の宴会だな」
「色々と、お金も掛かりそうですね」
「そうね。道具とかグラウンドの使用料とか必要になるな。よし。きっくんの分は俺が持とう。宴会分も含めてな。ただ、道具やユニホームはみんなのお下がりで我慢してくれ」
「そこまでしてもらうと断れないですね。ただ、本当に戦力にならないですよ」
「遊びだから気にしないで。そうだ、原付愛好会のやつらにも声掛けてみて」
「部室に張り紙でもしておきましょうか? 草野球のメンバー募集って」
「いいね。ただ、費用の面倒見れるのは三人までだな。きっくん含めて後二人までね」
「費用は要相談と書いておきますね」
「それでいいよ。お願いね」
「ちなみに次に集まるのっていつなんですか?」
「次の土曜日に練習場を確保してるよ。四日後か」
「明日、部室で信濃に会うんですよね」
「あー。あの一年か。あいつノリが良かったから参加してくれそうだな」
店長はサークルの新入生歓迎会に来てたから、信濃を覚えているのか。
「じゃ、連れて行きますね」
信濃は強制参加決定だな。
◆◇◇◇◇◇
「草野球か。あまり気が進まないが、アフロマンの誘いじゃ断れないか」
「俺はパスだ」
「吉野はそう言うと思ったよ」
大学構内にある部室棟の一室。原付愛好会の部室には俺の他に三人の男がいた。
俺をサークルに誘った信濃。
吉野深芳は小太りで丸眼鏡。協調性は無く、直ぐいなくなる。
そして、もう一人は天塩典智。こいつは最近、吉野の勧誘で原付愛好会に入った奴だ。ガリガリでタッパがある、吉野とは対照的な体格だ。数回しか会っていないのだが、真面目で性格は良いと思う。
「面白そうじゃん。俺も見学に参加したいな」
意外に乗り気なのは天塩だった。
「天塩、お前ガリガリじゃん。スポーツできるのか?」
「何を隠そう、俺は中学一年まで野球をやってたんだ。吉野も行こうぜ」
「だから、俺はパスだ。運動するなら原付乗らずにチャリに乗る」
吉野は梃子でも動かなそうだ。体型を見ている所為だろうか。
しかし、天塩が経験者だったのは予想外だ。ガリガリの体型から一番運動に向かないと思ったのだが、逆に一番乗り気だった。
「まあ、古角さんも無理に勧誘はしてないから、いいんじゃない?」
「そうなの? じゃ、俺もやめようかな」
「信濃。お前は強制参加だ。新入生歓迎会で、一番迷惑かけたみたいだからな」
「えーっ。まぁいいけど」
新入生歓迎会で、二次会について行ったのは信濃だけだった。その時に古角さんが面倒を見ていたようだ。ちなみに俺はべろべろに酔っ払って、女子二人と一次会で帰った。吉野はいつの間にかいなくなっていた。
「それで、多摩川。参加組はどうすればいい?」
天塩が予定をを確認する。
「今度の土曜に練習場を借りているらしい。十二時半に古角さんが車で迎えに来てくれるから、その時間に此処にいればいいぞ」
「じゃ、十一時にここに集まって、昼飯食いに行こうぜ」
「そう言う、信濃が一番時間に来なさそうだが」
「ああ、天塩。そこは大丈夫だ。信濃は飯が絡む時間には厳しい」
「そういう言い方されると素直に喜べないな」
「そうだ、喜ぶな。飯が絡まなくても時間は守ってくれ」
「んー。善処する」
その答えを察するに、信濃は改善する気は無さそうだ。
土曜日の十二時過ぎ。俺と信濃、天塩の三人は昼食を終え部室で雑談をしていた。
「こんちは」
と、古角さんが勢いよく部室に入ってきた。
「こんにちは」
と返事を返す三人を古角さんが見る。
「君達が草野球体験組みでいいのかな?」
「はい、店長。こいつが最近入部した天塩です」
天塩は古角さんの前に立ち挨拶を始めた。
「始めまして。天塩といいます。よろしくお願いします」
「おー。背が高いな。何センチあるんだ?」
「百八十六です」
「すげぇな。だいぶ痩せてるが大丈夫か?」
「タッパがあるので、普通でも痩せて見えるんですよ」
と、天塩は言うが、普通の人より痩せてるように見える。
「まあ、あれだ。遊びみたいなもんだから、怪我だけはしないようにな」
「店長。天塩は経験者みたいですよ」
「えっ、そうなの? 即戦力じゃん」
「中学一年までやってました」
「そうか。おっさん達のレベルは低いけどがっかりするなよ」
◆◆◇◇◇◇
古角さんの車で練習するために借りた野球場まで連れて行ってもらった。
基本的に同じ所で練習や試合を行っているらしい。次回からは現地集合だ。
練習場では十人のおっさんが話し込んでいた。殆ど知らない人だが、アルバイトでお弁当の配達を手伝った時に見かけた人もいる。
「お疲れー。体験組を連れて来たぞ」
古角さんが声を掛けると、おっさん達が一斉にこっちを向く。
「おっ、ほんとに連れて来た」
「三人もいるじゃん」
「マッチは顔が広いな」
などと、様々な声が聞こえる。てか、古角さんは『マッチ』と呼ばれているようだ。
軽く挨拶を済ませると、使い古しのユニホームを渡される。買うと高いので、正式に入部するまではお下がりだ。
「天塩はセクシーだな」
「へそ出しスタイルで野球する奴は初めてだな」
一番大きいユニホームでも、天塩の体には小さかった。
「シオっちには悪いが、それで我慢してくれ」
古角さんは笑いを堪えながら言う。ちなみに、古角さんは信濃の事を『ナノくん』、天塩の事を『シオっち』と呼んでいた。
「早めにユニホームを作ります」
天塩は諦めたようだ。
「時間が勿体無いから始めよう」
その言葉で皆が動き出す。先ずは準備運動、ストレッチ。練習場を数周走ってからキャッチボールを始める。
野球のボールを投げた記憶が無いが、自分の投球がここまで酷いとは思わなかった。
真っ直ぐ投げたつもりが斜めに飛んでいく。あまりの酷さに不味いなと思ったが、隣で投げている信濃はボールを地面に叩きつけていた。
そんな俺達は当然ボールのキャッチも上手くいかない。
「お前ら、教え甲斐があるな」と、古角さんからは予想外の反応があった。
古角さんが丁寧に教えてくれるのだが、全然上手くならない。
教え疲れて、一旦休憩になった。
天塩がボールを親指と他の指で挟むように持っている。おかしな持ち方をしているので何をしているのか気になった。
「天塩、何しているんだ?」
「うん。親父が昔の野球アニメを借りてきてさ。確かボールをこんな風に持って、潰して投げると分身魔球になるんだよな」
「すげぇな、分身魔球。てか、それ以前にボールって潰せるのか?」
「うーん。無理だな」
そう言ってボールを俺に渡す。どうやっても片手で潰せるような物ではない。両手でも無理だ。
「絶対無理だろ。大体、なんで分身するんだ?」
「あー。そのアニメは俺も昔見た事あるな。確か、潰してボールの重心をずらして投げると、不規則にふらついて分身したように見えるって感じだったような?」
古角さんも見た事があるらしい。
「でも、絶対無理ですよね。こんなの潰せないし。分身魔球なんてありえない。なっ、信濃もそう思わないか?」
と振ると、信濃は腕を組んで何かを考えている。
「うーん。魔球……。何で魔球なんだろう」
「はっ?」
なんか信濃がおかしな事を言い出す。
「例えば、もし消える魔球を打ったら、見えない球をキャッチしなければならないのは守備側なのでは? 分身魔球も打たれたら、キャッチできないだろう。
そう考えると、守備側の事を考えないで魔球を投げるピッチャーは駄目だろう」
何を言っているんだ、こいつは。打たれない為の魔球だろう。だが、打たれたら変な動きしそうだな。
「まあ、実際にあるわけじゃないし、そこまで気にしなくてもいいだろう」
「そうなのか? 自分の所に飛んできたらどうしようかと心配しちゃったよ」
「ところでお前達、希望の守備位置はどこだ?」
古角さんに聞かれたが、よく分からない。九人でやるから九ヵ所あるわけだが、知っている場所はピッチャー、キャッチャー、あとはベースのある所か。ホームベースにはキャッチャーがいるから、一塁、二塁、三塁。それだけで五ヵ所か。どう考えても、そこは重要すぎて無理だな。あとの四ヶ所って何処だ?
「俺はショートやってたんで、そこが一番やり易いですね」
天塩が『ショート』というポジションを希望する。なるほど。
「OK。しおっちはショートね。きっくんは?」
「天塩がショートなら、俺はロングで」
「しまった。取られたか」
信濃も同じ場所を狙っていたようだ。
「え?」
古角さんが顔をしかめて困惑している。
「多摩川、信濃。そんなポジションは無い!」
天塩がポジションの説明をしてくれた。
横で聞いていた、ピッチャーの目黒さんとキャッチャーの四谷さんが笑っていた。
「ロングってポジションは初めて聞いたな」
「さすがマッチの後輩だ」
古角さんの評価が下がらないか心配だ。
皆から二人で半人前という評価を貰った俺と信濃は、ライトというポジションになった。
ライトを守っていた神田さんは、「俺より下手な奴がきて嬉しいぞ」と言っている。ライトってどんなポジションなんだ。ちなみに神田さんは度の強そうな眼鏡をかけた、がり勉風のおっさんだ。この人もサークルのOBらしい。古角さんから要望で、半強制的に参加する事になったようだ。
バッティングの練習に入った。
バッティング練習とは言っているがピッチャー対バッターの勝負らしい。だが、本気の勝負では練習にはならないので、ピッチャーはストレートのみでストライクゾーンから外れない範囲で投げる事になっている。
俺と信濃にはゆっくり投げてくれるそうだ。
見るのも勉強と言う事で他の人のバッティングを見学する。どっしり構えている人、タイミングを取る為だろうか小刻みに揺れている人、バットを振る時に必ず「ふんがっ」と声が漏れる人など、なんか色々個性があって面白い。
先に信濃がバッターボックスに入った。他の人の振り方を真似していたので、初めてにしては様になっている。あいつ、見た目を整えるのは上手いんだよな。
「当たりそうで当たらないんだよな」
バッティング練習を終えた信濃はそう言うが、俺から見た感じだとバットはボールからかけ離れていた。見ている人とでは感覚が違うのだろうか。
入れ替わりでバッターボックスに入る。
一投目。目黒さんの投げた球が一直線に飛んでくる。見ていたよりも早く感じた。
とりあえず、練習なので当たらないと分かってもバットを振る。
二投目。目黒さんと俺との距離の大体真ん中くらいで急にスローになる。
何が起きた? と思った瞬間、元の速さで飛んでくる。
俺は思った。まっ、魔球だ!
それ以降、普通の投球に魔球がランダムに加わり、タイミングが全然取れず、バットが触れなかった。
素人相手に魔球を投げる目黒さん。恐るべし!
練習を少し早めに終わらせ、グラウンドを整備する。後片付けをして撤収だ。
「うーん。なんか、久しぶりに良い運動をしたな」
信濃が背伸びをしながら、清々しい顔をしている。その隣ではヘソ出しルックの天塩がうんうんと頷いている。
「自分から進んでやらないと、運動する機会はだんだん減っていくよ」
古角さんからの重い一言だ。経験者は語ると言うヤツだな。
撤収前に皆が古角さんの前に集まる。
「次は二週間後。ここで試合を行います。みんな忘れちゃうから、一週間前にまた連絡するね。この後は親睦会。いつもの店を予約してるよ。運転する人は飲まないように」
他のおっさん達は四谷さんの車で来たようだ。ワゴンタイプの黒い車におっさんが吸い込まれていく。俺達も古角さんの車に乗り込み、移動を開始した。
◆◆◆◇◇◇
「ここの焼肉屋は神田の両親がやってるんだ。安く済むから気兼ねなく飲み食いしてくれ。
あっ、再度注意する。帰りに運転する奴はアルコール厳禁だぞ」
古角さんが俺達の宴会代を出してくれるようだ。部室から原付で帰る予定の天塩は酒が飲めなくて非常に残念そうだった。
しかし、神田さんって、見た目野球をする人に見えないんだよな。実は宴会を安く抑える為に草野球に誘ったと思うのは考えすぎだろうか。
親睦会が始まり宴会が盛り上がる中、四谷さんが俺のバッティング練習の話をする。
「タマちゃんは、もっとバット振らないと。折角の練習が勿体無いよ」
「うーん。分かってはいるつもりなんですけど、あんな魔球を混ぜあられるとタイミングが取れないですよ」
皆が顔をしかめる。もしかして、あの魔球は俺にしか投げなかったのか?
「くろっち、ついに魔球を投げられるようになったのか」
「マッチ、俺がそんなの投げられるわけ無いだろう。タマちゃん、変な事言わないでよ」
話を聞いていた人の視線が俺に集まる。
「えっ、でも、確かにボールが途中でスローになってましたよ。直ぐに戻るからタイミング取れないんですよ」
「俺の目には普通に飛んできてたぞ?」
キャッチャーをしていた四谷さんはそう言う。
「きっくん。本当にそう見えたの?」
「ええ。大体真ん中くらいで急にスローになるんですよ。あれっ? と思うと元のスピードで飛んでくるんですよね。まあ、全部では無く、普通の投球に時々魔球が混ざる感じなので余計にタイミングが取れなかったんですよ」
なんだそりゃ? と言った表情で目黒さんと四谷さんは俺を見る。
「くろっちがそんな起用じゃ無い事は知ってるし、やっさんも普通だった言う。そうなると、きっくんが『そう見えていた』と言う事だな」
古角さんの話に俺の頭の上、いや、みんなの頭の上に?マークが浮かぶ。
「つまり、あれだ。プロのスポーツ選手がよく言ってるだろ。ゴルフのカップが大きく見えたとか、ボールが止まって見えたとか」
「ああー。よく聞くなそれ。確か『ゾーン』とか言ったな」
四谷さんがそう言って、ビールを一口飲む。
「『ゾーン』ですか。初めて聞きます。しかし、目の前は普通の速さで飛んでくるので、意味が無いです」
「そう言うけどな、きっくん。ゾーンなんて、そう簡単に入れる状態ではないぞ」
「マッチの言う通りだ。そんな状態に何回も入れたなんて、タマちゃんは天才じゃなかろうか?」
「うん。もしかして、訓練したらゾーンに入るタイミングも、ずらせるんじゃないのだろうか? 我が『床園カワウソーズ』の伝説が始まるぞ!」
四谷さんと黒田さんが興奮気味に言う。
「ただ問題は、訓練方法が一切分からないって事だな」
「あうっ」
古角さんも詳しくは分からないようだ。少し調べる必要がありそうだ。
それよりも、『床園カワウソーズ』ってチーム名だよな。何でカワウソなのか気になる。
その後もゾーンの話で盛り上がり、チーム名について聞く事ができなかった。
◆◆◆◆◇◇
『ゾーン』とは究極の集中状態の事らしい。意識してその状態に入るのは難しいようだが、トレーニング次第では入れるようなるらしい。
好きな事に没頭していて気が付くと数時間たっていた、なんて体験はよく聞くし、俺もある。この状態でもかなり集中していると思うのだが、ゾーンは更に集中が高まった状態のようだ。
さて、どう訓練するかと考えた。ネットなどに色々書いてあるのだが、そもそもがバッティング練習の時に体験した事なので同じ状態の方が良いのではないかと思う。
そんな訳で信濃を連れてバッティングセンターに来た。
「なるほど。コインを買うのか。コイン一枚三百円で一ゲーム二十五球。うーん、相場が分からんな」
「近場のバッティングセンターって、ここくらいじゃないかな? 安い所を探しても、交通費で足がでるんじゃね?」
信濃の言う事ももっともだ。意外と選択肢は狭かった。
一番球速の遅い所で、信濃と交互にやる事にした。
「俺が先にやる」
と、信濃がバッターボックスに入っていった。
「こういう時って、俺が先じゃない? 誘ったの俺だし」
「お前もバッティングセンターなんて初めてだろ。俺ので球速とか目を慣らしとけ」
「なるほど、了解だ」
確かに、俺がここに来た目的がバッティングと言うよりは、ゾーンの体験だから打つ回数ではないんだよな。ここは信濃の言葉に甘えて雰囲気を掴ませてもらおう。
信濃バッティングを見学していると、最初は早く感じていた球速も後半では目が慣れてきた。信濃もそうなのだろう、打ち返す頻度が増えてきた。
裏で見ている間では球がスローに見える事は無かった。
ゾーンに入るには、ある程度の緊張なども必要らしい。なので、バッターボックスに入らないと、その状態にはならないのかもしれない。
終わった信濃がバッターボックスから出てくる。
「面白いな。ストレス解消にやる人がいるっていうのが分かる」
軽い運動して爽やかな顔をしている信濃を横目にバッターボックスに入る。
前半は特に変わった事は無かったが、後半に入るとあの現象が出始めた。練習場の時と同じくピッチャーとの中間地点――ここだとピッチングマシンとの中間――で球速が一瞬スローになる。すぐに元のスピードに戻るのでタイミングが取れない。
成す術も無く、一ゲームが終わる。
「どうだった?」
信濃が缶ジュースを美味そうに飲みながら聞いてくる。
「うーん。やっぱり、変なタイミングでスローになる」
「そうか。まあ、少し休め」
信濃はそう言ってバッターボックスに入っていった。慣れてきたのかガンガンボールを飛ばしている。
何かすげー楽しそうで、ちょっとムカつく。
入れ替わりで、俺ももう一ゲームしたが何も進展無く終わった。
それから毎日バッティングセンターに通った。
うまく行かないとぼやく俺は、信濃に「まずはバットを振らずに見る事に集中してみれば?」と助言される。
確かに打とうと思う気持ちが集中力を落としているのかもしれない。何かに没頭している時は、いちいち考えて行動していない気がする。
その助言に従い、構えるだけでボールを目で追うだけにした。すると、少しずつではあるが、スローになる状態が長くなる。
成果が出ているのだから、とりあえず、この方法を続けていた。
バッティングセンターのバッターボックスでバットを振らない奴がいる。
そんな変わった奴が毎日来ていたら噂にもなる。
『あいつがいる時に女性が告白すれば、男性は振らない』
謎のデートスポットが出来てしまった。
◆◆◆◆◆◇
試合当日、この前の練習した野球場に集合している。
苛酷な環境? で特訓を続けた御陰で、ボールがスローになる時間が延びた。昨日もバッティングセンターへ行ったが、目の前までスローになるくらい超集中状態を持続できるようになっていた。
「タマちゃん、キューピットやってるんだって?」
目黒さんがニヤニヤしてからかってくる。
「何でそれを知って……、信濃か」
「あんな面白い光景を見たら、黙ってられない」
そう言われても仕方が無い。俺も当事者じゃなかったら皆に話すな。
大体、バッティングセンターに入るとカップルがこっち見るんだよ。その視線が「やっと来たか。早くバッターボックスに立て」と物語っている。
バッターボックスに立てば、後ろで告白大会が始まるし……何度、バットを振ろうと思った事か!
でも、そんな事をしたら、まともな体でバッティングセンターから出れない気がしたので止めた。
「あのバッティングセンターでは二度とバットを振ることが出来ない気がします」
困った顔をする俺に見て、信濃は腹を抱えて笑っている。古角さんも苦笑いをしていた。
「頑張ってくれてたのに悪いけど、きっくんとナノくんは今日は控えで。シオっちはショートに入ってもらうよ」
天塩はあの後直ぐにユニホームを作ったらしい。普通の格好でつまらない。
『床園カワウソーズ』が後攻で試合が始まる。
大した盛り上がりも無く試合が進む。
その間も自分に起きていたスロー現象について考えていた。『ゾーン』と言う、超集中状態とは少し違うような気がしていたからだ。
試合は九回裏になり、三対一と負けている。
そのスコアを見た時に、暗算ができるようになった事を思い出す。
宇宙人にインプラントされた装置で可能になったのだが、実は今回もこの装置が関係しているのではないか。
今回たまたまバッターボックスに立つことでスイッチが入っただけで、訓練次第では何時でも使えるようになるのかもしれない。
「きっくん、ナノくん。折角だから、打ってきな」
『床園カワウソーズ』のメンバーは勝敗に拘っていない。気分はもう打ち上げの方へ向っている。
先に信濃が打席に立った。
バッティングセンターに通った甲斐があり善戦するが、ツーストライク、スリーボールからの豪快な空振りでアウトカウントを増やした。
「ナイスファイト」
戻ってくる信濃に声を掛けながら、バッターボックスに向う。
「やっぱり、本番は緊張するわ」
そう答える信濃の顔は一仕事を終えてスッキリしていたが、逆にこっちの顔が余計に強張る。
バッターボックスに入る前に、バットを数回振る。
大丈夫、スムーズに振れている。それを確認し、バッターボックスに立つ。
一球目。普通の速度で飛んでくる。コースから外れていたが振ってしまう。
二球目。これも普通。しかも絶好のストライク。だが、一球目の空振りが尾を引いて見逃してしまう。
追い込まれた。大きく深呼吸し、集中する。
三球目。途中からスローになる。来た! 練習の成果が出せる。
目の前に来たボールの位置も丁度いい。当たれば長打コースだ。バットを振る。
ボールがスローになっている時にバットを振った事がなかった。
よく考えれば分かる事だが、周りの世界がスローになった訳ではない。俺の思考などの処理能力が高速化しているのだ。かといって、体までもが高速で動くわけでない。
丁度良いと思ったタイミングで降り始めたバットがスローでボールを打ちに行く。
信濃が皆に言った言葉が耳に入る。
「三球目の振り後れは酷すぎですね」