31.八千代
鮭川八千代は最上隼の二つ下の幼馴染だ。
最上を隼兄と呼び、子供の頃は最上の後を付いて遊びまわっていた。
だがそれも、最上が中学へ上がると遊ぶ機会も少なくなっていった。
世間が年の瀬で慌ただしい中、多摩川は最上のアパートでのんびりとしていた。
六帖の洋間の部屋で小さなテーブルを挟んで座っている。テーブルの上には缶ビールとおつまみのスナック菓子。
「で、相談って何?」
多摩川はつまみを口に入れ、ビールを飲む。
それを見ていた最上もビールを一口。
「うん。実は実家が中華料理の店をやっててな。まあ、普通に生活できるくらいの繁盛はしているんだが、やっぱり、学費とか重いと思うんだ。うちは三兄弟で、俺が末っ子なんだよ」
最上の言うことはよく分かる。学費もそうだが、家賃や生活費等で結構な額になる。そして、最上は多摩川と同じく一浪している。余り迷惑はかけたくないのだろう。
「なるほど、負担を減らしたいってか。いいんじゃないか? 演武で稼いだ金を使いたいんだろ?」
「ああ。ただ、その出所がなぁ。地上で稼いだ金じゃないから、何か聞かれると答え難いと思うんだ」
「まあな。宇宙でライブツアーに参加して、演武してたって言っても信じないわな」
「そこでだ。適当に設定を作らないか?」
「設定?」
「多摩川が外国で事業を起こして利益がそれなりにあり、それに手を貸している俺も給料を貰っている。そんな感じで」
「なんか、突いたら直ぐボロが出そうだな。でも、そうか。旨美がナーベン銀河内の惑星に料理提供してるんだよな。そう考えれば、あながち間違いではないか」
多摩川はふむふむと言いながら、スナックをポリポリ。
「出来れば、直接両親に言って納得させたいんだよな。電話とかじゃ疑われそうで」
「わかったよ。一緒に行って、俺がメインで事業に手出してるみたいなこと言えばいいんだろ」
「さすが親友。話が早い」
最上と多摩川は缶ビールを手に取り、軽く当てた後にビールを飲み干した。
多摩川は少しほろ酔いになって、余計なことが気になってしまった。
「最上は、彼女とかいないのか?」
「いないな。なんか高校の時に変な事があって、ちょっとな」
最上も少し酔って気が緩んでいるのだろう、いつもより口が軽い。
「何だ変なことって?」
「うん。実は二回ほど告ったんだが、一人目は『付き合っている人がいるのに告白するなんて信じられない』って言われたんだよ。当然、俺は彼女なんていなかったのだが」
「何だそれ? 勘違いってこと?」
「そんな人いないって言っても信じてもらえなかった。ただな、二人目の時も似たようなことを言われたんだ」
「こわっ。彼女いないのに、周りには付き合っている人がいると思われているのか」
「怖いよな。なので、少し様子見って感じかな」
「お祓いしに行くか?」
多摩川は「とりあえず、消毒しておけ」と言いながら、最上にビールを勧めた。
◆◇◇◇◇◇◇◇
そこは町の小さな中華料理屋。懐かしい味を求めて常連さんが通う店だ。
最上は多摩川を連れて実家へ帰ってきた。
床園大学まではおよそ片道三時間。帰ろうと思えば何時でも帰れる距離だ。
金曜の講義が終わってから移動してきた。一泊して帰る予定。
「店の名前はそのまま『最上』か」
「ああ、何の捻りも無いよ」
ガラガラガラ。
最上がドアを開けて中に入り、多摩川も続く。
時間的には夕飯前。店の中に客はいなかった。
「いらっしゃいま――」
「ただいま」
女性店員の声を途中で遮るように、最上が帰りの挨拶をする。
「あら、隼じゃない。どうしたの?」
厨房の方から、お袋さんらしき声が聞こえた。
「ああ、ちょっと――」
「隼兄? 隼兄だーーーーー!」
女性店員がもの凄い勢いで走ってきて、最上にタックルをかます。
「がふっ」
最上が少しよろけていた。
ふっ、まだまだだな。多摩川はグスージィの弾丸タックルを受けた時のことを思い出していた。
「何だ、八千代か。こんな所で何やってんだ?」
最上が『八千代』と呼ぶ女子店員は高校の制服にエプロンをつけていた。最上に抱きついたまま、顔をすりすりしている。
「お手伝いに決まってるじゃん」
「えっ。お前、高校三年生じゃん。進路とか大丈夫なのか?」
「へーき、へーき」
最上は八千代を引き剥がそうとするが、がっちり抱きついていて離れない。
「ああ、こいつは鮭川八千代。二つ下の、まあ、幼馴染だ」
そう言われた八千代は手を離し、多摩川に挨拶をする。
「はじめまして。鮭川八千代です」
鮭川八千代は髪をサイドテールにした小柄でかわいい女性だった。
「はじめまして。多摩川です」
と、挨拶が終わったとたん、また、最上にしがみ付いた。
多摩川は、この娘面白いなと見ていると、厨房からお袋さんらしき人が出てきた。
「あら、お友達かな」
「はじめまして、多摩川と申します。同じ大学の同期です」
「そうですか。隼がお世話になってます。折角だから何か食べる?」
「いえ、こちらこそお世話になってます。えっと」
多摩川は、どうする? と最上の方を見る。
「そうだな。せっかくだし、何か食うか」
「じゃ、八千代ちゃん。注文お願い。多摩川さん、ゆっくりしていってね」
お袋さんが厨房へ戻って行った。
八千代はようやく最上から離れる。
ラーメンを頼むと八千代がトタトタと厨房へ行った。
「鮭川さんだっけ? 可愛い子じゃないか」
「まあ、妹って感じだな」
「なるほど。久しぶりにお兄さんに会って、甘えてきたって感じか」
八千代は注文を伝えると直ぐ戻ってきて最上の横に座った。
「何やってんだ? 八千代」
「隼兄と離れたくない」
「はっはっはっ。八千代は可愛いなぁ」
八千代は最上に頭をやさしく撫でられ、「えへへ」と嬉しそうに微笑む。
「鮭川さんは最上が好きなんだな。恋人にしてもらわないと」
「おいおい、多摩川」
多摩川の悪戯っぽい笑みを見ながら、最上が『そう言う冗談は、八千代が困るからやめろ』と言う表情を浮かべる。
「そうですよ、今更。すでに恋人ですから。隼兄が大学卒業したら結婚するんですよ」
八千代は最上の方を見て「ねー」と笑顔を見せる。
沈黙する最上と多摩川。
「八千代ちゃん。運んでくれるー?」
お袋さんの声が聞こえ、八千代は「ハーイ」と返事をしながら席を立つ。
多摩川と最上は顔を近づけ、コソコソ話す。
「おい、最上。どういうことだ?」
「知らん。こっちが聞きたい」
「結婚って言ってたぞ」
「冗談だと思うが?」
「それにしては、あまりにも普通の感じだったぞ」
八千代が料理を持ってきたので、普通に座りなおす。
「はーい。ラーメンですね」
八千代は二人の前に料理を置くと、再び最上の横に座った。
よくよく考えると、いくら久しぶりに会った幼馴染だからといって、こうも側にいたがるのはおかしい気がする。
まあ、当人達の問題だからと思い、深く突っ込まず話題を変えることにした。
「鮭川さんって高校三年生なんだろ? 進学するのかな?」
「はい。床園大学に行く予定ですので、よろしくお願いします」
二人の箸が止まる。
「床園大? 八千代の成績は結構良いって聞いてたぞ?」
「あははは。だから床園大は余裕なの」
「いや、だったらもっと上を目指せよ」
「そうだよ、鮭川さん。そもそも何で床園大なんだ?」
「隼兄がいるから」
しばし止まる思考。
多摩川と最上は目を合わせた後、無言で食事を進めて、最速で終わらせる。
「ご馳走様。少し疲れたから俺の部屋で休もう。八千代、勉強頑張れよ」
「ご馳走様でした。美味しかったです。鮭川さん、またね」
「あっ、隼兄。まっ……」
二人は八千代の言葉を最後まで聞かず、早々とその場を立ち去り最上の部屋へ移動した。
◆◆◇◇◇◇◇◇
最上の部屋は三階にあった。一階が店舗で二階がリビングと両親の部屋。そして三階には三兄弟の部屋があった。
部屋の広さは四畳半で置いてあるのは机だけ。
「何も無くて済まんな」
「エロ本もないのか」
「危なくて置いておけない」
「なるほど」
とりあえず、手荷物を端に置いて畳みに直接座る。
「しかし、鮭川さんは大丈夫か? ちょっと心配になちゃったよ」
「うーん。中学、高校でも特別な事は無かったしな。顔を合わせれば普通に話すくらいで……。そういえば、あいつ俺と同じ地元の高校だな。もっと良い私立の高校行けた筈なのに、なんで……」
「それもお前と同じ高校を選んだってか? ありそうだな。お前何やったんだよ? 絶対、あの娘の人生に影響しているって」
「身に覚えが微塵も無い」
最上が腕を組んで首を傾げている。
「一回、きちんと話した方がいいぞ。特に卒業後のこと」
「うむむ。でも、そうだよな」
トントンとドアがノックされる。
最上は反射的に「はい」と答えると、八千代が飲み物を持って部屋に入ってきた。
「お飲み物をお持ちしました」
「ああ。八千代、済まないね」
「大丈夫ですよ」
立とうとする最上を制して、お盆を畳に置く。お盆にはオレンジジュースのペットボトルとコップ。
コップにジュースを注ぐ。その数三つ。
ちゃっかり自分の分も注いでいた。
「どうぞー」
八千代はジュースの入ったコップを多摩川と最上の前に置いてから、最上に寄り添うように座った。
「八千代。店の手伝いはいいのか?」
「今日は無理言って切り上げた。隼兄がいるのに他の人を相手している暇はないのです」
「そ、そうか」
多摩川はきちんと確認しておけと最上に目で合図を送る。最上は意を決して口を開く。
「あー、八千代。ちょっと聞きたいことがあるのだが」
「なーに?」
「すごく八千代には申し訳ないのだが、その、卒業後? 結婚するとかしないとか……ちょっとよく分からないんだが?」
「えっ? 隼兄が言ったんだよ。『大学を卒業したら約束を守る』って」
「いつ?」
「隼兄が引っ越す時」
最上は過去の記憶を手繰り寄せる。
そういえば、今のアパートへ引っ越す時、駅まで八千代が見送りに来ていた。
寂しそうな顔をして、「なんで行ってしまうんだ」と、しがみ付いてきた。
少し大げさだと思いながら、電車が着たので八千代を引き剥がした。
「隼兄。あの約束は守ってくれるよね。いつ守ってくれるんだ?」
正直、『あの約束』が何か分からないのだが、泣きながら訴える彼女を安心させたくて、口から自然と言葉が出ていた。
「心配するな。大学を卒業したら必ず約束を守る」
その言葉を最後に、八千代と別れた。
「い、言ったな」
「でしょう」
「いや、待て。『あの約束』がどんな約束か分かってないんだよ。どんな約束だ?」
「小学生の時、一緒に下校してたでしょ。その時に私が『隼兄のお嫁さんになる』って言ったの覚えてる?」
確かに小学生の頃、八千代とはよく手を繋いで下校した記憶がある。
微かに思い出す、その時の会話。
「わたし、隼兄のお嫁さんになる」
「そうか。うれしいな。でも、それはもっと大きくなってからだな」
「えーっ。じゃ、大きくなったら、お嫁さんにしてもらえる?」
「ああ、いいぞ」
「本当? 約束だよ」
「うん。約束するよ」
「じゃ、それまでは恋人だね」
「ははは。そうだな」
微笑ましい小学生の会話じゃないか。
「あの頃はよく一緒に帰ったもんな」
「大きくなったら、お嫁さんにしてくれるんでしょ?」
「え?」
「それまでは私たち恋人だよね?」
「ちょ、ちょっと待て。小学生の時の話だよな?」
「どれくらい昔とかは関係ないの。私には隼兄がいないとダメなの」
八千代は少し潤んだ目で最上を見る。
「小学校に入ったばかりの時、苛められてた私を助けてくれてたじゃん。隼兄は『俺がお前を守ってやるから安心しろ』って言ってくれたんだよ」
最上は再度、過去を振り返る。
たしかに八千代が数人に囲まれていたのを助けた。少し暴力も受けているようだった。
家がこんな商売をしているから、忙しい時は手伝いをしていた。たまに出前で近所を回ったこともある。なので、それなりに子供だけでなく大人にも顔が知られていた。
これが意外と強みで、そんな大人にも顔が利く俺を、苛めていた奴らは敵にしたくないようだった。
八千代への苛めは無くなったようだが、心配だったので、しばらくは出来るだけ側にいるようにした。
「そんな事もあったな」
「私は今でも人が大勢いる所が怖いの。正直、学校も怖い。隼兄はこれ覚えてる?」
八千代はポケットからハンカチを取り出した。
「それは小学生の時に俺が八千代の誕生日にプレゼントしたハンカチだな。まだ持っていたのか」
「私はこれがあるから学校へ行けているの。人が大勢いる所でも、隼兄がいれば、隼兄を感じられる物があればどうにか耐えられるの」
そう言って、八千代は最上に抱きついてしまった。
多分、八千代という女性は常に不安なのだろう。その原因が苛めによるものかどうかは分からない。だが、その不安を取り除けるのが、苛めから救った最上隼なのだ。
最上が多摩川に『どうしたらいい?』と目で合図を送る。
多摩川は『知らん!』と合図する。
ただ、多摩川は少し気になったので、八千代に質問をする。
「鮭川さんって可愛いからモテるでしょ? 告白されたこと無いの?」
「ありますよ。でも、隼兄が恋人と言って断りました」
「なるほど」
つまり、周りの人は八千代と中華屋の三男坊が付き合っていると認識しているのだ。
地元の高校とかなら、それくらいの噂は伝わるかも。
最上が高校の時にフラれたのはそのせいだな。
多摩川は少しすっきりした。
◆◆◆◇◇◇◇◇
お店が閉店後、最上の両親に時間をとってもらった。
今回、最上の実家に来た目的だ。
多摩川と最上、最上の両親の四人でちゃぶ台を囲んでいる。
「では、多摩川さんは外国で事業をしていると?」
瓶ビールを持った親父さんが、「ま、どうぞ」とコップにビールを注いでくれる。
「はい、国外でデリバリーのような形態で料理を提供しています」
多摩川は、「頂きます」とゴクゴクとビールを飲む。
「大学へ行きながらだと、事業をするのは大変でしょうな」
「いえ、作業は基本的に簡単な管理なので、それほど大変ではないんですよ」
「親父、俺も多摩川を手伝っているんだ」
「なんだ。隼もやっているのか」
「ちゃんと作業分の賃金も貰っている。それでな、学費とか生活費とか十分賄えるから、これからは自分で払うよ」
「それはこっちも助かるけどねぇ」
「大丈夫なのか?」
最上の両親は少し心配そうに最上を見る。
「うん。駄目になったら、その時は泣きつくよ」
「……そうか、わかった。無理はするなよ」
そう言って、親父さんはコップのビールを飲み干した。
多摩川はビール瓶を手に取り、親父さんのコップに注ぐ。
「あと、ご両親には耳に入れておきたいのですが、卒業後も最上君には手伝ってもらおうと思っています」
「親父、お袋。本格的に仕事をするとなると国外での作業になるんだ。連絡は取り難くなるけど……」
両親は少し寂しそうな表情になった。
親父さんはそれを隠すようにビールを煽る。
「まあ、あくまでも卒業後ですから、まだまだ先の話です」
そう言う多摩川にビールを勧める親父さん。
多摩川はコップを空け、親父さんに注いでもらう。
「まっ、男なら色々と挑戦すればいいさ。多摩川さん、隼を頼むよ」
多摩川はそのビールの味を忘れないように噛み締めて飲んだ。
◆◆◆◆◇◇◇◇
多摩川と最上は次の日の昼頃に最上の実家を後にした。
駅に着くと、そろそろ電車が来るアナウンスが入る。
二人は駆け足で目的のホームへ行き、来た電車に飛び乗る。
車内はガラガラでゆっくり座れた。
多摩川がロングシートの端に座り、その右隣に最上。
「ふぅ。……ん?」
最上が一息ついて隣を見ると、笑顔の八千代が座っていた。
ギョッ。いつの間に。
「八千代もどこかにお出かけか」
「うん」
多摩川は最上が隣の人に話しかけているのに気付き、相手を確認する。
「あれ、鮭川さん。どこ行くの?」
「はい。一緒に隼兄のアパートへ」
「「え?」」
一瞬、意味が分からず、多摩川と最上は顔を見合わせてしまう。
「ど、どういうことだ? 俺は何も聞いていないぞ」
「ダメですか?」
「ダメに決まっているだろう。なんで勝手に――」
八千代は最上の方を見ながら、目に涙を溜めている。
「ご、ごめんなさい。ふえぇぇぇん」
「あ、な、泣くな。分かったから、泣くな」
どうしていいか分からない最上は、八千代を抱き寄せて、背中をポンポン叩く。
「大丈夫か?」
「うん」
「とりあえず、次の駅で降りて帰りなさい」
「ふえぇぇぇん」
「あ、うそ。嘘です」
「い、一緒に、行って、いいですか?」
「ダ」
「ふぇ」
「すぐ帰るんだぞ」
「泊まってく」
「なっ」
「ふぇぇ」
「まてまて、それはダメだって。親も心配するだろ」
「隼兄の所に泊まるって言ってきた」
「えっ? でもな」
「ふぇぇぇ」
「あーっ、もう、好きにしろ」
「うん」
最上は頭を抱えた。
ぐだぐだになっていく最上を見て、多摩川は思わず腹を抱えて笑ってしまった。
最上達とは床園駅で別れる。
振り回されて疲れたような最上の表情が八千代の笑顔を際立たせていた。
休みが明け、多摩川は一限目の講義に出席する為に大学に来た。
講義室で机に突っ伏している最上を見つける。
「お疲れ」
そう言って、最上の横に座る。
「週末はありがとな」
「いや、大した事してないし。それより、鮭川さんはどうした?」
「ああ、昨日、帰ったよ」
「なかなか手強そうだな、鮭川さんは。あの後どうなったんだ?」
「聞くな。何も聞かないでくれ」
「そうか」
「うん。ただな」
最上は多摩川が平瀬と付き合う切っ掛けになったダブルデートの話を思い出していた。
「多摩川。やっぱ、お前は凄いよ」
多摩川は覚えの無い賛称を受けた。
◆◆◆◆◆◇◇◇
二月の中頃
最上は多摩川とバイト先で弁当を食べていた。
バイト先は『ファミリーマサト』。個人経営のコンビニエンスストアだ。
時刻は二十時を過ぎていて、バイト終わりに弁当を貰ったので食べてから帰ることにしたのだ。
控え室のテーブルで向かい合って座っている。
「最上は土日にバイト入ってたっけ?」
多摩川はそう言いながら、弁当のハンバーグを箸で割って口へ運ぶ。
「久しぶりに土日は入れてない。ゆっくり休むぞ」
「そうか。俺も明日は休みだけど、明後日は昼から入っているんだよな。夕方まで暇だ。どうしよ」
ここのコンビニはお弁当目的の客ばかりなので、込む時間が決まっている。
「本当に、ここのバイトが忙しいのは昼と夕方だけだよな」
最上はそう言って、お茶をグビグビ飲んでいると、携帯が鳴った。
「はい、もしもし」
『あっ、隼兄? 八千代だよ』
「八千代か。どうした?」
『うん。大学受かったから、報告したくて』
「そうか、受かったか。おめでとう。で、やっぱり……」
『床園大の想像言語です。先輩、よろしくです』
「もったいないなぁ」
正直、床園大学はレベルが低い。八千代は成績が良いと聞いていたので、もっと良い大学に行ける筈だった。
なんで床園大かというと、最上が通っているから。それだけの理由だ。
『そんな事よりも、荷物はもう送っていいよね?』
「荷物? 何の?」
『私のに決まってるじゃん』
「ん?」
『だから、着替えとか色々』
「え?」
『だ、か、ら。一緒に住むんだから、私の荷物――』
「なに? 何で一緒に住むことになってるんだ。ダメだよ」
『うーん。電話じゃダメだね。明日そっちに泊まりに行くから。じゃあね。チュッ』
一方的に切る八千代。
「ダメだって。おーい。ちくしょう、切りやがった」
最上は携帯を見ながら「はぁ」と溜め息をつく。
「鮭川さん?」
「ああ。床園大、受かったってさ」
「良かったじゃん」
多摩川は最上の実家に行った時に会った八千代を思い出している。
髪をサイドテールにした小柄でかわいい女性だった。
「しかも、想像言語だとよ」
「げ。将来性が無いねぇ」
「しかも、俺の所に居候する気だ。明日、泊まりに来るとか言ってるし」
「いいんじゃね? 将来の嫁さんだろ」
「確定じゃないし。それに一緒に住んだら、歯止めがきかなそうで怖い」
「あー。分かるわ。旨美見たいなのがいると丁度いいんだよ。人間じゃないけど、妙に人間くさいの」
旨美の本体は超進化した人工知能を搭載した炊飯器だ。自分の電源を確保するために人型の発電機を作り、遠隔操作している。距離が離れて操作できない時は自律モードで動き、後でデータを共有するらしい。
この人型発電機という機械人形が人間と変わらない作りになっているのだ。
「いいよな。俺も一台欲しいわ」
「ただ、いつか襲われそうな恐怖感も有るぞ」
「大人のおもちゃに襲われるって感じか? 三流映画でありそうだな。なんか悲しい」
なんか、しんみりとしてしまった。
「それよりも、明日だな。どうしよう」
「知らん」
「せめて、少し考えてから言ってくれ。うーん、そうだ。多摩川の所に泊まろう」
「何を勝手に決めてるんだ?」
「いいじゃないか。どうせだから八千代を祝ってやろう」
「そうか。そうだな。明日なら大丈夫だ。どうせだからいつものメンバーで祝うか」
最上は多摩川に段取りと女性たちに八千代を説得してもらうようお願いした。
◆◆◆◆◆◆◇◇
次の日の午後。時間は十六時少し前。
俺の自宅の居間でテーブルに座り、お茶を飲んでいる。
このテーブルには他に平瀬と信濃、魚野、グスージィ様が座っていた。
みんなに事情を話すとグスージィ様を除く三人が興味津々と食い入るように聞く。
「鮭川さん、すげえな」
「まあ、分からなくも無いけど進路まで最上君に合わせるのは驚きね」
「きっくんは会ったんでしょ。どんな子なの?」
「元気な可愛い娘って感じかな。とにかく最上にべったりだった」
「ふーん。で、私たちに鮭川さんが最上君と一緒に住もうとするのを止めさせて欲しいと? できるかな。聞いた感じかなり手強そうなんだけど」
「無理ね。多分、鮭川さんは両家の親に根回しをしてるわ。親公認で同棲できるならするでしょ?」
魚野の言う通り根回しをしててもおかしくないか。最上の中華屋でバイトしてたもんな。
「しかし、友人の頼みだし、一応やってみようよ。無理なら……寝返る!」
「「「えっ?」」」
「まあ、最上だって鮭川さんを嫌っている訳じゃないんだから、最上を説得する方が楽だと思う。だけど、なんか勿体無い」
「きっくん。何を言ってるの?」
「鮭川さんと取引しよう。最上を説得する代わりに、サークルに入ってもらう。友達を作って一緒に入ってもらうとベストだね」
「多摩川。お前は凄いな」
信濃が少し呆れた口調で言う。
「鮭川さんがサークルに入ってくれれば後輩がゼロでは無くなるのね」
「なるほど。鮭川さんを説得できたら、喜ぶのは最上君だけ。だけど、最上君を説得できたら、私達にも利があるのね。最上君だって、そんなに嫌じゃないんだから、みんなハッピーだよ。きっくん、最初からそっちの方がよくない?」
「うーん。建前上、最上に味方しないと。それに鮭川さんを先に説得した方が交渉し易くない?」
「確かに。最初から条件を出すのと、周りが全て敵だった状態から条件を出すのなら、精神的に後者の方が条件を飲みやすそうね。条件もそれほどきつくないから、鮭川さんも条件を飲んでくれ易いかも」
「鮭川さん説得を優先だからね。あくまでも駄目な時だから」
三人の俺を見る目が少し冷たかった。
それから二時間ほど経ち、最上が八千代を連れてやって来た。
「みんな来てる?」
「いつものメンバーは揃っている。段取りもバッチリだ」
俺の言葉を聞いて、最上が安心した表情をする。
「鮭川さん、いらっしゃい。上がってくれ」
「多摩川さん、お久しぶりです。お邪魔します」
二人を居間へ案内する。
八千代が居間へ入ると、パンッパンッとクラッカーの音が鳴る。
「鮭川さん。合格おめでとー」
と、全員で向かい入れると、八千代は照れ臭そうに微笑んで「ありがとうございます」と頭を下げた。
テーブルの上には食べ物や飲み物がこれでもかというくらい並べらている。
人数が多いので、椅子を壁際に置き、立食形式にした。
最上が平瀬、魚野、信濃と一人ずつ八千代に紹介していく。
旨美とグシュージィ様、それに量産機は俺の親戚としておいた。
「鮭川さんは住む場所は決まったのかしら」
平瀬が切っ掛けを作る。
「はい。隼兄の所にお世話になります」
「八千代。だから、それは駄目だって」
「ご両親には言ってあるのかしら?」
魚野が探りを入れる。
「はい。隼兄は将来の旦那様なので問題無いと言っています」
「ちょっと待て。なんでそんな事になっているんだ? 俺が両親に怒られるぞ」
「隼兄のご両親にも話してあるよ。今は実家からの支援を断っているんでしょ? 自立しているようなものだから、あまり口出しはしないって言ってくれました」
やはり、その辺には話を通していたようだ。しかし、気を利かして実家からの支援を断ったのが裏目に出たのか。
だが、もう少し説得を試みる。
「でもな、鮭川さん。二人で住むとなると、なんというか、色々と歯止めが効かない事が出てくると思う。最上はそこを心配してるんだよ」
「そうですよ。特に最上君みたいに体力を持て余してそうな人と住んだら、毎週妊娠しちゃいますよ」
平瀬がとんでもないことを言う。最上がやばい人みたいだ。
「それは生理学的に無理だと思いますが、隼兄が求めてくるなら拒みません」
「だから、そういう状況になるのが良くないから、駄目だと言っているんだ。八千代、わかってくれ」
やっぱり鮭川さんの説得は無理そうだ。
俺はそっと三人に近づく。
「やっぱり無理だね。寝返ろう。ちーちゃん、交渉して。女性の方が良いでしょ」
最上と鮭川には聞こえないようにこそっと話す。
「やってみる」
平瀬が鮭川に近づいて耳打ちする。
鮭川が俺の方を見てきたので、軽く頷くと微笑んで平瀬に耳打ちした。
「平瀬は八千代と何をしているんだ?」
「うん。最上君、女同士じゃないと話せない事も有るのだよ。それより、両家の両親に話が通っているとなると、私達が口出しするのは難しいな」
「え? どうした平瀬」
平瀬が鮭川さんの説得を止めた。交渉成立だな。
「いや、最上。よく考えてみると、ちーちゃんの言う通りだな。両親の許可は出ているんだから、後は最上が極力自制すれば丸く収まるかと」
「お、お前等、裏切ったな」
「そもそも、最上君には余りデメリットが無いと思うのよね」
「将来の嫁と一緒に住んでも何もおかしくないし」
魚野と信濃が追従すると、孤立した最上には説得は無理と諦めたようだ。
「この状況では、勝ち目は無さそうだ。だが、俺にも意地がある。明日、両家の両親に会って話をつけてからだ。八千代、それでいいよな?」
鮭川は笑顔で頷いた。
話は付いたようなので、鮭川さんの合格祝いを続ける。
女性二人は色々と聞きたいようで、鮭川を挟んで質問攻めにしている。
そんな光景を見ながら、俺は最上と話す。
「明日、鮭川さんの両親に会うのか」
「キチンと話さないと駄目だろ。最悪、『あんたの娘を抱くぞ』ぐらい言わないと分かってもらえないかもしれないな」
「なるほど。思ったのだが、手ぶらでいいのか?」
「何だと?」
「やはり、こっちの本気を見せるなら、きちんとした服装で、手土産持参とかの方がいいのでは?」
「そ、そういうものなのかな?」
「まあ、こちらの印象を上げた方が、相手も同意し易いと思うぞ」
「そうか。しかし、この時間では」
「俺に任せろ」
俺は旨美に最上に合うスーツと、手土産を用意して貰う。
最上は明日早く自宅を出るということで、鮭川さんと二十二時に帰った。
結局、鮭川さんを泊めるのかと思わずにはいられなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◇
最上は鮭川と朝早く自宅を出て、実家に行く。
実家は町の小さな中華料理屋。
最上がドアをガラガラと開けて店内を見る。
客はいなかった。
「ただいま」
「こんにちわ」
最上が店に入り、鮭川が後に続く。
「なんだ、隼かい。八千代ちゃんも。どうしたんだい」
厨房から母が出てきた。
「どうしたもこうしたも、八千代が一緒に住むって言い出して聞かないんだ」
「ああ、聞いたよ。一緒に住むんだってね」
「ダメだろ?」
「なんで? 隼は学費も生活費も自分で稼いでるんだ。自立してるんだし、将来の嫁なんだから、私らは口出しはしなよ」
話にならん。まあ、口を出さないと言うことは、どっちでも良いってことだな。
「わかった。八千代の両親と話を付けよう。八千代は先に行ってくれ。俺は着替えてから行く」
「分かった隼兄。待ってるね」
八千代は最上の頬にキスをして店を出て行った。
最上は自分の部屋に行き、旨美が用意したスーツに着替える。
手土産を持ち、「行ってくる」と言って、颯爽と店を出た。
歩いていて、ふと思う。
これって、「娘さんを僕にください」的なのと思われるのではないか。
要らぬ勘違いをされないように、早めに本題に入ろう。
最上は鮭川家に着くと居間へ通された。
八帖程の畳の部屋。
少し大きめのテーブルに座る。
横には八千代、目の前には八千代の両親が座っていた。
手土産を渡して、本題に入る。
最上が口を切ろうとした矢先、八千代の父が口開いた。
「隼君。話は八千代から聞いているが、認めるわけにはいかない」
最上は予想外だった。だが、父の反対があるのなら話が早い。
「実は、私もそう思っていました」
「そうか。分かってくれてうれしいよ。君達はまだ若いのだ。焦らなくていいと思う」
「はい。十分、承知しています」
良い感じで意気投合して話が弾む。そもそも、中華屋の三男坊と素性が知れているし、悪い評判も無い。鮭川の両親としても心配は少なかったのだろう。
「もう、こんな時間ですか。明日は用事があるので、この辺で失礼させて頂きます」
最上はお互い理解しあったと安堵し、帰宅することにした。
玄関先で挨拶をする。
「お時間を取って頂き、有難うございました」
「気にしないでくれ。学生の間は八千代と一緒に住むのだから、しっかり面倒を見てやってくれよ」
「……えっ?」
「隼君がまだ結婚は早いと理解していてくれて良かった」
「えーと、結婚はまだ早いが、一緒に住むのは良いと?」
「うむ。せめて、結婚は卒業してからにしなさい」
「はぁ」
論点がズレていた。
もう一度話し合いをと思ったが、もう帰らなくてはいけない。
「隼兄。私、今日はこのまま実家に泊まるね。明日は何時頃帰ってくるの?」
「明日は朝からバイトだ。終わるのは夕方だな」
「わかった。バイト終わったら連絡ちょうだい」
最上は自宅に帰りながら思った。
「俺は何をしに来たんだ……」
四月になり、俺達は二年になった。
鮭川さんも無事に入学し、約束通り原付愛好会に入ってくれた。
彼女は今日も最上の自宅から大学へ通っている。