第一話
【前回までのあらすじ】
人形使いが【遊び頃】を騙し弄んでいたと知ったミルは、元凶を探すため未攻略迷宮を目指すが、なぜか白銀の枢機卿と神兵が一人ついてくることに。
新しい仲間と共に冒険が始まった。
地平線から太陽が顔を出すと、闇の中で不気味に揺れていた木の葉が色を取り戻す。むせるほど肥えた濃い土の香りが辺りに満ち、黒く見えていた葉が日光を吸収する。葉脈がくっきり見えるほど太陽が昇ると、まるで夜のカーテンを取り払ったかのように空気が暖まった。
すると彼女の膝で眠っていた小動物が瞼を開け、丸い目が二度、瞬く。
背中を撫でると、昨夜はごわついていた青毛が一晩で艶を取り戻していた。
小動物は長い耳を立て周囲を窺うと、彼女の膝から飛び降り茂みへ消えていく。まるで彼女という存在が自然の風景の一つかのように、気にもとめず。
否、必要がなかったのだ。
でなければ、外敵に噛まれ深い傷を負った哀れな小動物は、眠ることはおろか怪我を治す事すらできなかったろう。与えられた深い眠りを享受し傷が癒えたのは、疑問の余地すらない当たり前の事なのだ。
しかし彼女は同じように思えず、だからこそ待っていた。
息を殺し、植物のように微動だにせず、苦痛ともいえる時間が過ぎるのを。
自らの命が朽ちるのを。
ずっとずっと待っていた。
+
迷宮。
それは目の眩むような宝物、国力すら左右する古代文明の遺産、天井知らずの価値と富をもたらす場所。
そこに潜むのは人知を超えたモンスター。訪れる冒険者の命を脅かし、あるいは糧となる化け物達。彼らが棲まう恐るべき環境そのものが、時に牙を剥き命を糧と変えることもある。
だが冒険者らは一攫千金を夢みて、命を担保に挑むのだ。
ミルもそんな冒険者の一人である。一攫千金よりも人形使いに繋がる『誘惑の手』という魔導具探しを優先しているが。
『誘惑の手』は、どこかの迷宮の最深部にあるそうだ。
教えてくれたのは【遊び頃】の人形となった、ススルという男性だ。彼は人形使いの手によって人形へ変えられ、解放されるために『婚姻』という脚本を課せられていた。かつて自らが殺めた少女と似た容姿の少女と結婚すれば、全ての呪縛から解き放たれると、騙されて。
哀れな道化人形の踊る様を、人形使いは笑っていたのだ。
今は永遠の眠りについたので、ススルは眠っている。
だが人形は他にも存在し、今も人形使いは滑稽な劇を眺めて笑っている。多くの人を巻き込んで弄び、不幸にしながら。
そう考えると、怒りと物悲しさで心が沈む。ミルは人形使いを許せないし、人形を増やすのも、人を弄ぶのも止めさせたい。
「トーラ王国はそろそろでしょうか」
馬車の中から首を伸ばして外を見ながら問いかけると、シャリオスが答える。
「あと数時間ってところ。お尻痛くなった?」
「大丈夫ですよ!」
素早く首を振ると、抱き上げようと近づいていた両手が元の位置へ戻った。
トーラ王国行きの馬車道は、大の大人でも尻が浮くような悪路だ。ミルは少しの衝撃でも浮いてしまうので、膝にアルブムを乗せている。
アルブムは湿った鼻をスピスピさせながら、気持ちよさそうに背中を撫でられていた。
初めての国外は、何を見ても真新しく見える。
「ところでさ、あれ何て色?」
「どれですか?」
「あの長い葉の木に実ってるやつなんだけど」
「黄色ですよ。でも何の実でしょうか。初めて見ます」
「あれも黄色なんだ。色幅があっても同じくくりなんだね」
二人が珍しい植物の実を眺めていると、向かい側に座っていた枢機卿が小さく笑う。
「ヤーシュの実でしょう。南国などの暖かい地方にしかない植物で、実の中には白い液体が入っています。果肉と一緒に食すと甘くて美味ですよ」
面倒見よく言った枢機卿は、そうと判らないように神官の服を着ている。【遊び頃】の一件で同行すると判ったときはどうなるかと思ったが、意外と何とかなるものだ。粗食や野宿も平気で、火の番もお手のもの。旅人だった頃に覚えたのだという。物知りなので感心しきりだ。
「白い液体……飲んだら身長伸びますか?」
「伸びねーよ」
サシュラがそう言ったので、目を輝かせていたミルは残念そうに視線を戻す。未だ十五歳に見えない背の高さを気にして、毎日ミルクを飲むという涙ぐましい努力をしているのだが、あまり効果がない。
「日差しがきつくなってきましたね」
トーラ王国は常夏の国。
汗ばむほどの陽気だ。隣に座るサシュラは襟元をパタパタ仰いでいる。
「スールさんは暑くありませんか」
旅で一つ変わったことがある。
それは白銀の枢機卿と呼ばれる彼のことを、スールと呼ぶようになったことだ。
ミルやシャリオスはともかく、スールは教会の枢機卿という地位にあるので、目立つと何かと煩わしくなる。既に布面で目立っているので効果のほどはわからないが、外せないと言うので、何か深い理由があるのだろう。
「キュブ?」
「ええ、大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
顔を上げたアルブムが、そうなの、というように首を戻す。
「皆さん仲がよろしいんですね。アタシも旅の道連れがほしくなっちゃいます」
乗り合わせていた唯一の乗客がそんな事を言う。
背の低い猫人族の女性は、寛いだ様子で顔を擦る。長杖を持った魔法使いだ。一人旅のようなのだが、大きな棺桶を持っている。
「こっちに来る冒険者って食い詰め一歩手前なのが多くて、皆さん見てると和みます」
「そうなんだ。それより具合は? もうよさそうだけど」
「おお! 口から内臓出るかと思いましたけど、おかげさまで。お薬ありがとうございます。カップお返ししますね!」
先ほどまで馬車酔いで床に転がっていたのが嘘のように、にこにこと差し出す。
シャリオスが手を伸ばし、ミルはひやっとした。
微笑むだけで淫靡な印象になる青年だ。とくに一目惚れされる事が多く、そのせいで問題が起こる。本人は明るくて優しい、ちょっと鈍感な面を除けば、素敵な吸血鬼なのだが。
(……下着は、きっと大丈夫なはずよ)
以前いた領地では、パンツを三十回盗まれたシャリオス。言われるまで気付いていなかったのがポイントだ。
怖くて詳細は聞かなかったが、他にも盗まれていたのではと疑っている。
なのでシャリオスに女性が近づくときは、どうしても警戒してしまう。主にとばっちりと揉め事と心配で。
「あまりに酷いんで召されるかと思いましたよ、あはは! ……あ、や! 冗談ですからね? この棺桶、病気で死んだ人が入ってるわけじゃないんで! いや本当に感染とかないので下ろさないでくださいごめんなさい!」
「う、うん……。疑ってないよ」
あまりの勢いに引き気味のシャリオス。
恋の芽生えは無さそうでミルはほっとする。
馬車内で修羅場は避けたい。
「もし。具合がよいのでしたらトーラ王国の様子をお聞きしても? 初めての者も多く、わたくしも一度行ったきりですので、よければですが」
「構いませんよ、神官様! 陽気な国柄でして、今の時期なら祭りがやってますね。これが近隣国からも集まるくらい有名でして。攻め滅ぼされたと同時に海底へ大陸と共に沈んだ国家が、運がよければ水面に映るんです。それを見たいって各地から集まるんですよ。それに今向かってるパズルカ領は有名な避寒地で。常夏なので魚も花も綺麗です――っていうのはいいか。もう見えてますし」
彼女は観光名所や宿、特産物などを話してくれた。
海の幸は生で食べられるほど鮮度がよく、独特の食べ方があるようだ。想像するだけで今から楽しみで、ミルもシャリオスも期待に胸を膨らませる。
観光地として有名な地域というのは聞いていた。
美味しい食べ物もたくさんあるようで、楽しみが増えた。
「皆さん観光で……ん? あれ? 神官様もそうですが、見たところ冒険者ですよね。まさか挑もうとか思ってます?」
「そのつもりだけど」
すると彼女は顔を顰める。
「あちゃ。残念だけど入り口までしか行けませんよ? あそこは規制があって海軍じゃないと入れませんから」
「他の冒険者はどうされているのですか? 食い詰めでも冒険者は来ているのですよね」
「ええはい、確かに。入り口までモンスターがたくさんいますから、それで生計立ててます」
そうですね、と思案顔で続ける。
「見たところ戦えないわけじゃないのに、どうして儲からない迷宮へ? や、潜れないから迷宮も何も無いですけど……遊びに来たくらいで止めといた方がいいですよ」
「そっかー。ありがとう。でも来たからには一回は潜ってみたいんだ。装備品の店でいい所ないかな?」
「まあ、お願いするくらいなら何もないだろうし……。店は海岸沿いより商店街がいいですね。観光客用じゃなくて国民が使うやつです。地図を書きましょう! お礼ですから気にしないでください」
一息で言い切って、彼女は手慣れた様子で書いた地図をシャリオスへ渡す。
ミル達が潜るのは迷宮の中でも一般冒険者お断りなのだ。
今回の迷宮は未攻略で、難易度不明。許可もこれから取り付けに行く所なのである。一般開放されていないので、迷宮の情報も直接掛け合って得るしかない。
「迷宮は、滅んだ国を飲み込んで、深海まで続いているって聞いたことがあります。内部では貴重な真珠が採れるので軍費に当ててたような」
シャリオスは難しい顔をして話に耳を傾ける。
「どこまで進んでるか知ってる?」
「さぁ……十階層くらいでしたか? 最下層まで行った話は聞きませんね。地元の人に聞けばペロッと教えてくれそうですけど」
「そっか……。教えてくれてありがとう」
「いえいえ! お力になれたらよかったです。んじゃ、そろそろお別れですね」
ちょうどよく馬車が停車する。
荷台から飛び降りた彼女は棺を下ろすと背負い込む。石造りの棺桶なのに軽々とした様子で、なかなかの力持ちだ。
ぺこりとお辞儀をすると、あっという間に見えなくなっていく。
賑やかな常夏の国トーラ。
祭りの気配もあって人通りが多賑わっている領地は、観光業で賑わっている。活気ある屋台によく日焼けした住人。楽しげな笑い声に交じって波の音と潮の香りが漂う。
日差しもキツく、ミルは頬がジリジリと痛い気がした。
「宮殿へ向かいましょう。王へ迷宮へ潜る許可を得なければなりません」
「礼儀作法はあれで本当に大丈夫?」
「自信ないです……」
不安そうな二人がもじもじしていると、スールは「構いませんよ」と頷く。
「今回は非公式の場ですし、話すのはわたくしの役目。お二人とも寛いでお待ちいただいてかまいませんよ」
「一人に大変なことをさせられません!」
「そうだよ! 相手は王様なんだよ。何されるかわからないんだよ」
「俺もいるんすけどね」
すっかり忘れられているサシュラは欠伸を噛み殺すが、神兵は横で立っていればいい簡単なお仕事である。
ちょっと狡いなと横目で見ていると肩を竦めた。
迷宮へ入るために、文字通り一番の権力者であるスールが国王と話し合うことになっている。三人はおまけだが、それでも二人で行かせることはできない。主に良心が咎めるという部分で。
「人が多いね」
「グルァアア!!」
祭り真っ盛りで大盛り上がりの通りは、人で先が見えないほどだ。この時期だけ迷宮の姿が水底から見られるので大盛況なのである。早速スリに狙われたミルの財布を、アルブムが守るほどに、余計な犯罪者も多いようだが。
目的の宮殿はすぐに見えてきた。
「屋根が丸いのですね」
「綺麗だね」
エキゾチックな白い建物は石造りで、左右対称になっていた。
門衛に要件を伝えると、彼は顔を顰める。
「冗談は止めて帰りなさい」
「いえ、お約束はいただいております。白銀の枢機卿が来たとお伝えいただければ、お判りになるかと」
進み出たスールが中指にはめていた指輪を渡すと、門衛は教会の印を見て青ざめる。
慌てて中へ入る背中を見送った後、スールはため息をつく。
「統治が上手くいっていないようですね」
「どうしてそう思うの?」
「先頃あのような態度の者は、一人もおりませんでしたので」
すかさずサシュラが口を挟む。
「言っとくけど、百年くらい前の話だからな?」
「それって最近じゃないの?」
「お二人とも長命種ですものね」
ミルは悟りを開いたような顔をする。
スールはエルフで、シャリオスは吸血鬼。
思えば凄いメンバーかもしれない。しかも聖剣付き。
そう言えばサシュラはどんな種族なのだろう。見かけは人族のように見えるので気にしなかったが、もしかしたら違うかもしれない。機会があれば聞いてみようと考えていると、門衛が使用人を連れて戻ってくる。
「行きましょう」
サシュラが先に、その後ろをスール、シャリオスとミルが続いた。