エピローグ
夜、ふと目覚めたミルはアルブムの湿った鼻をつつきながら呟く。
「新しい魔法が手に入っても、私は何も変わりませんでした。私にできる事を探して見つけたけれど、やっぱり私は、私のままでした」
「人が変わるのって、難しいって言われたことあるよ。でも変わらないことが良いこともたくさんあるんじゃないかな」
返事が来るとは思っていなかったミルは、少しだけ驚きながら聞き返す。
「よわよわなままでもですか?」
「持っているもので勝負するしかないし、他の人もそうやって生きてるんじゃないかな」
シャリオスは優しく答えた。
「私は……弱くても『誘惑の手』を探す旅に出たいと思います。その、流れでシャリオスさんを無意識に巻き込んでしまっているのですが……」
「大丈夫、僕も手伝うよ。嫌じゃないし」
「本当ですか?」
「うん。でも、誘ってくれるなら、ちゃんと言ってくれた方が嬉しいかも。――ラーソン邸の時みたいに」
頬を染めたミルは「あのときは勢いでつい」とふとんを引っ張って鼻先まで埋まる。
もごもごしている気配に、シャリオスは喉の奥で笑った。
やがて顔を出したミルはそっと囁いた。
「シャリオスさん。私は『誘惑の手』を探しに迷宮へ行こうと思っています。一緒に来て、手伝ってくれませんか?」
「喜んで。一生をかけて叶えたい願い事を手伝ってもらったんだから」
数日後、アルラーティア侯爵家から手紙が届いた。枢機卿から聞いた話が本当かどうか、聖剣をシャリオスが持っているかの確認だ。
できれば鑑定したいと言う話で、手紙と共にやってきたグロリアスがひと囓りして帰っていった。
聖剣は本物だった。
いまいちその貴重さを分かっていない世間知らず二人に「聖遺物だ。一度手放せば二度と帰ってこないぞ」と脅したグロリアスは、後ほど妻にレベルが上がったとぼやいたという。
確認が済み、枢機卿とアルラーティア侯爵家の間で秘密裏に話しが進められた。結果、両者は王族と教会関係者の説得に当たり、理解を得た。
一月後に白の塔へやってきた枢機卿の手には、王家と教会が共同でサインを書いた特別な許可証があった。
受け取った二人は魔法契約を交わし、許可証を自らの目的のため使えることとなった。
これで王国内の全ての迷宮に立ち入る許可を得た。
「他国についてですが、教会側が交渉を引き受けることとなりました。ですので、お供致します」
「え」
持ち込んだ椅子から立ち上がった枢機卿は膝をつき、静かに頭を下げた。慌てる二人に言われ顔を上げ、再び椅子に座る。
枢機卿がいれば入れない場所などないだろう。
聖属性使いなので、回復魔法使いを探す必要がなくなったのは嬉しいのだが、二人は乾いた笑いをあげた。「通行証代わり……」と言うシャリオスの言葉を全員が黙殺する。
背後に控えていたサシュラが胃のあたりを押さえていたのを、ミルは見なかったことにした。なるべく手を握られないように頑張ろうと密かに思う。
ところでナディルに来てもらう話は無しになった。デュラハン特有の理由で断られたのだ。考えてみれば首無し騎士にチョーカー型の魔導具を付けて一緒に旅をしてくださいと頼んでも、断られるのが当然だった。
そういうわけで変わりの人を探すことになり、皇国では今、一番強い剣士を出すためトーナメントが行われていると言う。最有力候補はなんとバーミルだ。子供達から「大人げない」「ずるい」と詰られているらしい。
本人は久しぶりに休暇を取れるかもしれないので、頑張っているそうだ。
密かに「休暇?」とミルは訝しんだ。
+
しなければならないことは、意外にも多かった。
ミルは実家に手紙を出した。
これから長い長い捜索のため、迷宮を渡り歩くこと、もしかしたら国から離れること、遠い地へ行っても家族を愛していること。
伝えたいことは全て手紙に書いた。
家に帰る時は全てを終わらせてからにしようと考えたからだ。
きっと甘えてしまう。
そんな考えを見透かしたのか、家族からは「がんばりなさい」と返ってきた。
十歳の時、自らの才能の無さを知り、十五歳で家を飛び出したミルは新しい魔法と、自分にできる事を探していた。
夢と言うにはあまりにもぼんやりで不安定な願いが形になったのは、多くの偶然と壁があったからだ。
『誘惑の手』がありそうな迷宮の情報を集めながら、ミルはそんな事を考える。
「荷物は全部入れたし、食料もアイテムも揃ったし、準備は終わり。出発できるよ」
「キュアキュ」
「……。なんだか緊張してきました」
昔より使える魔法も経験も増えたが、それでも未知の場所に行くのは勇気と思い切りが必要だ。
シャリオスは小さな背を叩いて先をうながす。
春の到来を匂わせるような暖かい日、新しい冒険が始まった。