第三話
緩やかに過ぎていく日々の中。
禁術についての情報は増えていた。
かつて十六人の魔法使いが世界を改変する魔法を創り出そうとしたのが発端のようだ。
十五人の魔法使いは自らを贄に魔法の完成を願ったが、最後の一人が裏切ったのだという。その魔法使いの名前は史実から消えており、便宜上クレルと呼ばれていた。
クレルは狡猾な男だった。
誰よりも強く仲間達の信頼を勝ち取り、まんまと最後に残って世界を改変する魔法を奪った。何の魔法だったのかは書物が失われてわからないが、クレルは人々を魔法で操り、権力を手中に収め、王のように振る舞い始めた。
奪った魔法は強力だった。十五人の命を使い果たすと、クレルは次々と贄を注ぎ、さらに力を増していく。どの国の英傑も卓越した魔法使いもクレルの魔法の前に倒れ、注がれていった。
誰にも止められないかと思われたクレルを封じた存在があったが、その名前も失われてわからない。遙か北から海を越えてやってきた、不思議な服を着た部族だったとあるのみだ。壁画を写し取った絵には、ローブ姿のクレルに向かって杖を振る者達がいた。彼らは足首まであるマントに星をかたどった長杖を持っていた。
「人を操り、命を力に変えた……。力って魔力ですよね。人形達の体は魔力でできていましたし」
「そう言えば禁術の内容を知らないよね。この頃からずっとわからなかったのかな? 【遊び頃】が使ってるってわかったのは何でだっけ?」
「ススルさんから禁術の匂いがするとウィリアメイルさんがおっしゃったからでは?」
「そうだった! 今思えば凄い鼻だよね」
ふと、ヘテムルの言葉を思い出す。
「禁術が消し去れないのは、どこかに何かが封じられているからでしょうか」
「この流れで行くと禁術の核というか、奪われた魔法だよね。クレルと一緒にどこかへ封印されてるんだけど、【遊び頃】の魔法と同じ禁術なのかな」
「だと思います。クレルは人を操っていますし」
「……もしかして、ススルは注がれた命だったのかな」
二人は目を伏せて文面を眺めた。
いつの間にか【遊び頃】の人形になっていたと告白した彼は、脚本を課せられていると告白した。
「ドーマは、ススルが宿に入ったとき、死んでたからわからなかったって言ってたよね」
「はい」
「あの魔法剣士も、そうなのかな」
「かもしれません。『神々の治癒』について調べてみませんか? なぜ禁術を砕けるのかわかれば、もっと禁術について知ることができると思うんです」
「魔導具だったよね。任せて!」
すでに棚の位置を捕捉していたシャリオスは、瞬きする間に消えていた。クスクスと笑いながら、ミルはふと表情を落とす。
「もしかしたら、クレルはまだ生きているのかしら……」
人形使いの正体はわかっていない。
白の塔の図書館に、禁術に関する書物が揃っている。
実は他の塔にも図書室があると聞いたシャリオスはヘテムルに観覧許可をもらいに行ったのだが「他の塔に禁術の書物は置かれてないの」と言われた。
なぜ白の塔にしか置かれていないのか、ヘテムルは答えなかった。
『神々の治癒』についての記述が見つかったのは、二週間も過ぎた頃だった。
クレルを封じた北の部族が立ち去るとき、一本の杖を残していった。それを砕き作られた魔導具が『神々の治癒』であり、触れることで魔法を巻き戻し、対象を治癒する神がかり的な魔導具のようだ。
「治癒系の魔導具で禁術が解けるのか、それとも時空魔法で時を巻き戻すのかな。ヘテムルは禁術を消し去ることができないって言ってたけど、だったらおかしくない? 『神々の治癒』は禁術を砕けるって話だった」
「砕くことは解くことではないのかもしれません」
「とんちみたいになってきた」
「実際、禁術が何かわからないですし、謎の部族もクレルを封じてます。もしかしたら倒せなかったのかもしれません。元々は何の魔法だったのでしょうね」
「命を継ぎ足してるし、生命に関係する魔法だと思う。ということは、次に調べる棚は聖属性についてだ」
図書館にある棚は見上げるほど高く、まだまだ調べ物の終わりは見えない。
+
時折息抜きをしながら二人はゆっくりと情報を集めていった。
シャリオスは王都のいくつかある迷宮を回っているようで、日によっては出かけるようになる。どこに行っても世界が綺麗に見えるので、散歩するだけでとても楽しいというのが話しているだけで伝わってくる。
王都の迷宮では食糧が少ないようだ。それに、旨くない。
塔の庭で丸焼きをしたことがあったが「美味しくないね」「美味しくないです」「ドーマはこっち引っ越してこないのかな」「今度聞いてみましょうよ」と言う流れに落ち着いた後、シャリオスが狩ってくる事はなくなった。
なぜヘテムルが禁術を消せないと言っていたのか。
わかったのは季節が一つ移り変わった後だった。
「……触れると存在が変質する」
一言で言えばそれだった。
例外なく体、心、存在の性質――何も彼もクレルの思うままに変わってしまうのだ。だから謎の部族も触れられず封じることにしたのだ。
二人はそう結論を出した。
ヘテムルは考察を静かに聞くと「よくできました」と頷いた。
「故に、禁術に触れてはならぬ」
最後にそう締めくくった。
もうしばらくいていいと言われ、ミルは手持ち無沙汰に王都を歩き回っていた。気を遣ったシャリオスはいない。
「アルブム、私はどうすれば良いのでしょうね。変質したものを元の状態に戻すには、時空魔法の謎が多すぎます」
「キュ?」
研究者になるか、それとも諦めるのか。
記憶を消す魔法を作ろうとしていたからわかるのだが、ミルには魔法開発をする才能がない。続けたとして、どれほど長い年月が必要だろうか。
「キュキュ。キュー」
「そうですね、ちょっとだけ一人にしてください」
ぴょんと肩から下りたアルブムは尻尾を振りながら街並みに消えていく。
大きな溜め息を吐いた。
おそらく、人族の身では魔法を作る時間が足りない。
王都一大きな橋の中頃で立ち止まったミルは、水面に視線を落とす。石でできた丈夫な橋はなだらかな弧を描き、とても優雅な造りだ。橋の上からは川沿いの家や店を一望できた。
「お嬢さん、悩み事ですかな」
声をかけてきた男は鍔の広い帽子に黒い衣服を纏っており、頬が痩けていた。癖のあるクルクルとした髪を首の後ろで一つに結わえている。落ちくぼんだ青い目がミルを真っ直ぐ見下ろしていた。
その目の奥に咲く鬼灯の印にミルは気付いた。杖を握り込んだ瞬間、男はミルの腕を握り、背後へ回り込む。
唱えようとした呪文は音にならずかき消え、ミルは動揺を隠せない。
「どうして――、と思っているでしょう。私はね、虹の声を持っていまして。風の声も出せます。空の声も出せます。だからお嬢さんの呪文をかき消すこともできましてな。ちなみにこれは、生まれつきでして。人形になってからこうなったわけではないのです。ところで悩み事ですかな」
淡々とした口調で告げた【遊び頃】は王都の街並みを眺めながら再び問いかける。
ゆっくりと首を振ったミルは、びっしょりと汗を掻いていた。
通行人は二人を親子のように見ているのか、素通りしていく。助けは来ないだろうが、求めるつもりもない。問題はアルブムが戻ってきたとき、この場で戦闘になる事だ。
巻き込む人が多すぎる。
内心焦っていると、男は「今は平気ですので」とミルの内心を察したように奇妙な事を言い、理由を続けた。
「人形使いは今、私から目を離していますから。何もしませんよ。普段の私は人々の願い事を聞いて叶える生活を続けています。それが良い結果になるときもあれば、悪い結果になる場合もある。どちらに転ぶかは、願った人で決まります。……良くない終わりの方が多いですが。人形使いはそれを見て楽しむのですよ。人々が物語を読んで楽しむように」
ふ、と喉に感じていた圧迫感が消えた。いや、今まで感じていなかったものが消えたことで、存在がわかったのだ。
「……あなたに課せられた脚本は何ですか? どうしたら、解放されるのですか?」
「私に課せられた脚本は救済。あらゆる者を騙して救うこと。救いとは、運命から逃れるか飲まれ終わるかの二つに一つです」
「運命に飲まれるとは、死ぬという事ですか?」
男は深く頷いた。
「たくさんの人を救えれば、きっと私は解放される。お嬢さん、悩み事があるでしょう」
「あります。でもその前に、あなたのことを教えてください」
「ええ、喜んで」
男は笑うと昔話を懐かしみながら語り始める。
「私はこの街の生まれです。と言っても、とても古い、大昔のことですから、多くのことを忘れてしまいました。ですが、これは覚えています。先ほども話したとおり、私の虹の声が生まれつきと言う事と、犯した過ちのこと。――この声はあらゆる物、現象、人の声を真似ることができました」
男は喉を痛めた歌姫や、ときおり危険を伴う為政者の代わりを務めて暮らしていた。
ほんの些細な手助けのつもりだった。彼は誰かの手助けをすることで満足していたのだ。
ある日、若い恋人達を見かけた。幸せそうな表情で歩いていたが、ある時から男のほうを見かけなくなった。船で出かけたまま帰ってこないのだと人づてに聞いた男は、人知れず無事を祈っていた。
時が流れ、相手の男が別の港町で妻子を持ったと知るまでは。
女は目が見えなかった。
教会に住んでいた女は、その日の仕事が終わると遅くまで恋人の無事を祈っていた。帰らない恋人をいつまでも、何年も待ち続けていた。彼女の友人が、司祭が、同僚が、住人が本当の事を話しても、彼女は信じず頑なで、男はあまりにも哀れに思った。
「彼女の恋人の変わりに別れ話をしようと考えまして。傲慢にも、声真似ができる自分にしかできないことだと考えたのです」
意を決して男が話しかけると、彼女は恋人が帰ってきたと喜んだ。
あまりにも喜ぶから、男はその日に別れ話をできなかった。罪深い事をしたと思いながら彼女と会う日々が続き、とうとう男は黙っていることに耐えられなくなった。
男は、彼女の恋人は既に結婚していて、自分は偽物なのだと謝った。
真実を告げたとたん、逃げるように彼女は去っていき、幾日か過ぎた。
「この橋です。この橋の上から、彼女は飛び降りたそうです。私のせいだ。余計なお節介をして、自分にしかできないと、自己満足を使命ととらえた愚かな男が、追い詰めてしまったのです。余計な事をしなければ、彼女は死ななかった。――私のせいです」
涙を流す男の前に【遊び頃】が現れ、罪滅ぼしをしないかと囁いた。
人を救えと。
彼はいつの間にか【遊び頃】の人形となっていた。自分の生まれ付きの声も忘れてしまい、誰かの声を真似たまま、死ねず二百年、彷徨い続けている。今ミルに話しかけている声も別人を真似た物なのだという。
話を聞き終え、ミルの心に浮かび上がってきたのは怒りだった。
生まれて初めて感じる激しい感情に頭を揺さぶられていると「キュ?」とアルブムが首をかしげながらトコトコ歩いてくる。
それを見ていると、心が不思議と落ち着いた。
「人形使いのことを教えていただけますか?」
「さすがにできません。こうして私が自由になっている時間があると知られてしまう」
「そうですか……次は、いつお会いできいますか?」
「わかりませんが、そう遠くないうちに」
「……。でしたらあの白の塔に赤い旗が立ったら、ここで会いませんか? あなたにお願いをしたいと思います」
「悩み事のことですね」
「はい」
わかりました、と言って男は消えた。




