第九話
ウズル迷宮が完全攻略された情報が、翌日開示された。
お祭り騒ぎになった領内に、ユグドは一級冒険者認定を無くすことを宣言した。ラーソン邸に住む冒険者達は半年以内に新しい宿泊先を探すように通達されたという。
最下層に出たドンクルはユグドがその場で買い取り、剥製にされてから公開された。潰された目はそのままに、まるで生きているかのように傷も全て修復されている。
シャリオスが作った地図も全てギルドへ提出された。
祝いの品を携えたユヒト達【ラージュ】がやってきて「お前、とうとう英雄になったかー」と茶化された。ユティシアが「嫌です! わたしがあんなの相手に勝てるわけないじゃないですか馬鹿筋肉!!」と終始怒りながら泣いていたのが印象的だった。他の冒険者は無理を悟って攻略迷宮を変える者が多かったのだが、ユティシアは逃げられなかったのだろう。
ドンクルの素材は天井知らずの価値をユグドにもたらした。眠っていた古代文明の名残もそうだ。
再びウズル迷宮にモンスターが出現したのは、ドンクルが討伐されて二ヶ月後だった。
最下層に新しい階層主が出たのだろうと、シャリオスは言った。
それがドンクルなのか、別の個体なのかは未だわかっていない。
現在、セシルが率いるパーティが最有力攻略候補で、その後ろを【ラージュ】と他のパーティ達が追っている。
「シャリオスさん、お話があります」
ドーマの宿の一室で、シャリオスはずっと書き物をしていた。地図を広げ、迷宮の情報を方々から持ち込み、次はどこへ行こうかと悩んでいたのだ。
半分ほど空いていた扉は、前までは考えられない事だった。その扉を叩いたミルは「ごめん、気付かなかった」と招き入れるシャリオスに、正方形の小箱を差し出した。
「これは?」
「贈り物です」
小箱は白く、赤いリボンで結ばれている。
「キュブブ? キュー?」
ぺろりと鼻を舐めたアルブムは、地面に着地するとベッドの上に飛び乗った。
見守るつもりらしい。
「以前父がどんな魔導具を作っているのかお聞きになりましたが、サンレガシ家は代々当主によって独自の研究を進めているので、多岐にわたっています。四代前の当主は特に生物の構造を調べるのが趣味で、いろいろな種族の身体情報を集めていました。なんかこう……スキャン? する古代装置を買って分解して使えるようにしたとかなんとか」
ちょっと知識が怪しくなってきたので、ミルは「開けてください」とシャリオスを促した。
「これって軽減の輪?」
「それを元に作り直したものです。父は鎮めの輪と名前を付けました」
箱の中には緑の石が飾られた黒いチョーカーがあった。噛み合わせの金の金具を外し、恐る恐る首に付ける。それまで結んでいた軽減の輪を外すと、所在無く視線をうろうろさせ、窺うように見る。
手を伸ばし、そっとゴーグルを外すとシャリオスは反射的に目を瞑る。
「開けて大丈夫なのかな」
「わかりません。これで駄目なら我が家では打つ手が無いようです」
「どうしよう、凄くドキドキする。心臓が口から出そう。変な汗かいてきたんだけど」
「ちらっと! ちらっといきましょう!」
扉と窓のカーテンをきっちり閉めた。部屋の中が暗くなり、ミルはシャリオスの両手を引いて、窓際でとまる。
「どうぞ!」
「うーん、なら、お言葉に甘えて……」
「あれ、シャリオスさん、窓はあちらですよ?」
「ううん。こっちであってるよ」
そう言って、なぜかミルを見下ろしながらカーテンをまくった。
部屋の中に光が入る。
シャリオスの目が溶けもせずしっかりとミルを見ていた。体のどこも焼けていない。
成功したのかと喜びにぱっと顔を輝かせたミルとは違い、シャリオスの目からほろほろと涙があふれ出す。
「えっ、えっ!? シャリオスさん!?」
慌ててハンカチを押し当てると、その手を取られ、逆の手が顎にかかった。
「王都の詰め所で君の特徴を聞かれたとき、僕、答えられなかった。騎士が薄緑の目に金髪だって言ってたけど、それがどんな色かわからなかったんだ。こういう色をしていたんだね」
瞳をのぞき込まれ、髪を撫でられくしゃくしゃにされて頬の熱があがる。顔が近い。
けれどシャリオスは泣きながら喜んでいて、気がつかない。
仕方ないかとミルははにかんだ。
部屋中を見回して、アルブムを抱き上げ同じように撫で繰り回しながら街の外を眺める姿は、言葉が無くても感動していることがわかった。
太陽の下でも体は焼けず、ゴーグルをとっても目が潰れることはない。
「シャリオスさん。たくさん私を助けてくれて、パーティを組んでくださって、ありがとうございました」
絵で見たことしかない景色を肉眼で見るために、一生をかけて方法を探そうとした吸血鬼。
願いは叶い、迷宮に潜る理由も無くなった。
寂しかったが、同時に心から祝福する気持ちが溢れていた。
シャリオスは瞬いて涙を押し流すと、頬を拭ってミルを抱き上げた。
「僕こそ、ありがとう」
夕焼けになっても、シャリオスは窓の前から動かなかった。
「皆はこんな風に世界を見ていたんだね」
日が沈みきってからも夕焼けを思い出すように、いつまでも眺めていた。
+
願いが叶ったシャリオスとも別れが近付いていた。
ズリエルは既にパーティから抜け、通常業務に戻っている。
荷物をまとめたシャリオスは、一度国に帰ると言った。その後は世界中を見て回るのだという。
いろいろ考えたミルは、勉強のためヘテムルのいる魔法塔を訪ねる事にした。初めて迷宮ギルドに登録し、講師をしてもらってから、まだ一年も経っていないというのは不思議な感じだった。
「魔法塔って王都にあるでしょう? 一人で大丈夫なの?」
「キュア!」
「ごめん、ごめん。アルブムも一緒だったね」
「キュー」
気をつけてよね、と尻尾を振っている。
「……なにか釈然としないものが」
にょきりと口を尖らせたミルだが、まあいいかと室内を見回した。すっかり片付いている。
今日でパーティは解散だ。ギルドの手続きも終えている。
これでドーマのご飯ともお別れかと思うと寂しい、と言ったら、全十三巻の初心者から上級者向け、モンスター料理まで網羅したレシピ集をもらった。感動していたら「金貨十三枚」と集金されたが。ちなみにページが岩を折るような堅さで、素手では捲れなかった。
鉄でできた紙なのだろうか。
ミルは密かに訝しんだ。
二人は真っ直ぐ門まで行くと手続きを済ませて領外へ出た。
「ズリエル、また寄ったら顔を出すね」
「お元気で」
「お二人とも、御達者で。……離してください」
わざわざ見送りに時間を割いてくれたズリエルの右手を既に涙ぐんでいるシャリオスがしっかりと掴み、ミルは両手でマントの裾を握っていた。二人とも地味に引っ張っていて、ズリエルは踏ん張っているが、主にシャリオスのせいでじりじりと持ち場から引き離されつつあった。
「ズリエル行っちゃうと思うと寂しくて」
「どうして行っちゃうのですかー!」
「出ていくのはお二人でしょう」
振り払うと悲しそうな顔をして見上げてくるのに「まったく」と嘆息して続ける。
「また会いましょう。別れは永遠ではありません」
「格好いい!」
「大人って感じですね」
そんなふうにしみじみしていると、後ろの同僚達が「格好いいがさっさと戻ってくれよ」「格好いい先輩まだですかー」と言われ、ズリエルの口元が、かすかに引きつる。
きらきらとした視線の二人は今度こそ歩き出し「またねズリエル!」「ズリエルさん、お世話になりました!」と何度も振り返ってズリエルを困らせながら、ユグド領を後にする。
すっかりズリエルの姿が見えなくなると、二人は前を向いて歩き出した。
背中が寂しいと言っている。
「ところでさ、僕これから世界中を回ってみようと思ってるんだけど」
物珍しそうに周囲を見回しながら、シャリオスが言った。見知った道でも激変して見えるので「色がたくさんあって目が痛い」と喜んでいる。
「一回家に帰ったら、会いに行ってもいい? 王都の迷宮は、その、まだ攻略してなくて」
ちらちらと横目で気にしながら、そんなことを言った。
ぱっとミルの顔に笑顔が広がる。
「はい!」
「よかった! なかなか言い出せなくて……。へへへ、またよろしくね」
「帰省はどれくらいの予定なのですか?」
「二ヶ月くらいかな。いっぱい自慢してくる。予備も作ったし」
もともとシャリオスの取り分だった軽減の輪は、錬金貴族の手によって鎮めの輪へ生まれ変わっている。実は材料に星の光が使われているのだが、二人は知らない。
話し合った結果、王都で合流する事になった。
そうすると不思議なもので寂しさが薄れていった。
分かれ道に来て、二人はにこにこと笑いながら、お別れの挨拶をする。
「またね、ミルちゃん」
「またお会いましょう。シャリオスさん!」
「キュアキュ!」
太陽が眩しく、世界がどこまでも明るく見えた。