第七話
「<挑発>!」
血を吹き出しながらもズリエルは呪文を唱え続けた。
「やめろズリエル、僕が引きつける!」
「仕事です。よくあることです! あなたはドンクルが相手のはずだ」
「くそっ!」
ベルトで肩を締めたズリエルは、左手で大盾を取り出した。
「動揺する時間も惜しい。成すべきことを!」
奥歯を噛んだ。
本来ならズリエルが前に出てモンスターを引き付け、シャリオスが攻撃をするのが定石。だが縦横無尽に飛ぶ二体に体勢を崩されている。
まるでジャンクゴーレムが二体いるかのようだ。
そう考えると成すべきことがわかってくる。
ミルは障壁を固く作り、思い切り三日月を叩き飛ばす。
落ちた腕をくわえてきたアルブムが、そっとズリエルの足下に置いた。ミルは急いで腕をつけ、ズリエルは呻きながらハイ・ポーションを煽った。右手の傷口が瞬時に消え、指先が動くのを確かめる。
「あなたは仲間が怪我をすると動揺する。それは致命的な隙になります。結果、余計な人死にを出すでしょう」
「ごめんなさい」
「わかっていただけたなら良い。――勝ちましょう。あの三日月、顔面を庇うので鼻っ柱を折ってみます」
成すべきことをやらなければ全員を巻き込んで死ぬ。
「アルブム、ズリエルさんの援護をお願いします。足場は私が作ります」
柔らかな三十二枚の障壁を作り、その全てに移動補助魔法をかける。
軽やかな足取りでアルブムは歩き出した。ズリエルを背に乗せ、次第に速度を上げていく。
「ちょっとかして!」
シャリオスも障壁で速度をつける。
ミルにできるのは補助だけだ。
味方を強化し、戦いやすい場所を作る。
今日、その役目に敵への妨害を増やそう。
潜ろうとしたドンクルを柔らかな障壁で阻んで飛ばす。どれほど鋭い攻撃でも、ちぎれなければ意味がない。
バウンドして戻ってくるドンクルの右の翼をシャリオスが切りつける。その背後で、ズリエルが三日月の鼻を叩き折った。
異変を感じたドンクルは再び城へ逃げ出した。
けれど、待ち構えていたシャリオスは、今だとばかりに影を伝い、三つの目を切り裂いた。これで右側の目は全て潰され、完全に視界の半分を潰した。
ドンクルは悶えた。
「アアアアアァアアア……オオオォォオオオ!」
激しい痛みにのたうっているかと思えば違う。
足踏みに混じり、いくつもの泥の触手が螺旋を描くように現れた。それは周囲の物を全て破壊するかのように蠢き出す。鞭のようにしなったかと思えば矢のように飛来する。白い石柱がドンクルを中心に現れ、茨のごとく城を巡っていく。
花が蕾を開くように、それは階層中へ広がった。
こうなると敵も味方も無く、哀れなモンスターが飲み込まれ断末魔の悲鳴を上げた。
「アルブム!」
早口で唱えた障壁魔法が空中に足場を作る。魔法攻撃強化魔法がかけられたアルブム専用の道だった。
それを見たドングルが、邪魔者を消せとばかりに鳴き、石柱で破壊していく。
やがて球体に包み込まれるかのように、階層が石で覆われ、天上さえ閉ざされた。石柱から石柱が生え、今やどこから攻撃が来るかわからない状態だ。
あの三日月だけが、この階層で唯一生き残り、今や瓦礫を降らすトラップと化している。
「暗がりの城と呼ばれる所以は、建造物もそうですが、不気味と言う意味を含んでいるそうです」
アルブムに騎乗しながら三日月をはじき返すズリエルが唐突に言った。
眼前の景色が変わり始めていた。
石が黒く染まり、灰色の粉を吹き始める。吸うごとに体が痺れていくようだった。慌てて全員に解毒薬をかけ、口を布で覆う。
「毒か」
確かめたシャリオスは食料確認をしまう。
「魔導具で防ぎきれてない。即死レベルみたいだ」
それぞれが口の中に解毒薬の染みた水グミを放り込む。
「強度がわかりました。三日月を破壊します」
ズリエルはそれだけを言い、アルブムは心得たとばかりに走り出す。
ミルは杖をぐるりと回しながら、どうすれば良いか考えた。
ドンクルは隠れ、こちらの様子を窺っている。
あの城が邪魔だ。
「崩します」
「できるの?」
「やってみます」
ミルは集中し、細く伸ばした障壁を塔の一つに潜り込ませる。火山でゴーレムを砕いた時のように罅を入れていく。だが、直ぐに気付いたドンクルが襲いかかってきた。
城や全ての石柱はドンクルの魔力が通っている。触れた全てを感じ取る見えざる目だ。
体についている目をいくら削いでも、もはやドンクルの視界に死角は無い。
シャリオスが飛び出すと同時に、ドンクルも動き出す。
隠れてどこにいるかわからない敵を待つよりも、飛びかかってくれたほうが幾分やりやすい。
(意識が散漫になるのかしら、動いていると魔力が弱くなる場所がある)
四方八方、どこからでも現れる石柱を足場に、ドンクルは縦横無尽に駆け回る。追随するシャリオスは強化された視界で追いすがり、時折降ってくる瓦礫を避ける。
この規模で襲撃されれば国など一日で滅ぶ。
そしてドンクルは、あの程度の傷など気にするほどでもないのだ。
「拘束が欲しい!」
「<大いなる光よ。我が魂は誇り。我が声に果ては無く。この体が盾ならば、我が運命に勝利は要らず。黄金の鐘よ鳴れ――」
魔力の奔流を見たのだろう。
ドンクルが残った三つの目で周囲を見回す。
「――その音は光>」
しかし、既に遅かった。
光りの帯が逃げようと跳躍したドンクルに襲いかかる。身を捻り、時に瓦礫や石柱をけしかけるが、特上級魔法の追跡からは逃れられない。
「シャリオスさん!」
気が逸れた一瞬、ドンクルの足場に突き刺した障壁が水のように潜り込み、ヒビを広げ崩した。
バランスをかすかに崩したドンクルの――まずは左後ろ足。そこを伝うように全身に十本の帯が巻き付いた。
腕が持って行かれそうになり、必死で旋回し石柱に巻き付けていく。蜘蛛の巣に絡め取られたかのように、ドンクルは光りの帯に絡め取られた。
ドンクルとミルの根比べが始まった。
三日月が光の帯を切る端から繋げ、ドンクルが石柱を壊し緩めようとするならば更に別の石柱に巻き付ける。
だがシャリオスも黙って見てはいない。
「い」
くぞ、と言う言葉の後半は風にかき消えた。
シャリオスは十七回剣を振り、右前足を吹き飛ばした。血が地面に落ちる前に反対のもう一本を切り飛ばす。ドンクルは鳴き、石柱が迫る。けれどそれがシャリオスを叩き潰すことは無かった。
ズリエルが大盾で砕いたのだ。
シャリオスはくるりと勢いを付けるかのように回り、左足で石柱を強く踏む。その勢いのまま腰をひねり双剣を重ね、首筋へ叩きつける。
ドンクルの首は一撃で半分を裂かれながらも繋がっていた。ぶらぶらとした皮膚から感じる魔力がまだ生きていると告げていた。ミルの魔法も解けていない。
吹き出す血で視界を塞がれながらも振り抜いたシャリオスは、右足でバランスを取ると、逆の足で顔面を蹴った。一撃が露出した首の骨を砕き、もしかしたら背骨すら巻き込んでいたかもしれない。
背中から皮膚を突き破って折れた骨が露出した。赤い目から一瞬にして光りが失われ、氷が溶け落ちるかのように石柱が崩れていく。
死骸は地面に墜落し、更に壊れた。
ドンクルの死体が地面に触れた瞬間、最後の力を吐き出したかのように、青白い光りが波のように階層を這って消えた。
拘束魔法が解けていく。
それはドンクルの死を意味していた。
しばらく誰も口を開かなかった。
三日月は墜落してピクリとも動かない。
「崩れます!」
何重にも重ねられていた茨の檻に罅が入り、崩壊を始めていた。横穴を開けたシャリオスに続き、外へ避難するも、規模が規模だけに避けきれない。
障壁で高く飛び、何とかやり過ごした一行は、眼下の景色に顔を顰める。
「建物はどうなったのでしょうか」
「ドンクルがいなくなって魔法が解けたのかも」
瓦礫は地面に触れると消えたのだが、あまりにも地形が変わりすぎた。
巻き込まれたモンスターも、影も形も無い。
「あれを見てください」
少し早口でズリエルが地面を指さした。
ドンクルの死骸の一部が形を変え、ドロップアイテムへ変化する。
そして、シャリオスが切り落とした前足が財宝に変わった。
黄金の輝きを持つ宝箱。色とりどりの鉱物に無造作に置かれた装飾品。宝箱に鍵はなく、蓋は簡単に開いた。
「黒いリボン? 他には何もないね」
「……そして二本ですね」
悲しそうにミルは眉を下げた。
ドロップアイテムが出ないのは、ここまで来ても同じらしい。
黒いリボンは、店売りの物と間違いそうなほど平凡だ。
「とりあえず、このまま持って帰って鑑定してもらおう?」
「その……自分は装飾品を付けませんので」
闇深い目でミルは首を振る。
「階層主から出たドロップアイテムが、ただの装飾なわけないです。いいんです、大丈夫です……」
「と、とにかくドンクルを持って帰ろっか!」
元気よくシャリオスは言い、すすけた背中をズリエルがそっと叩いてあげた。
降り注いでいた灰色の毒もすっかり消え、七十階層は不気味な静寂に包まれる。
階層を探索するうちに、一行は不可解なものを覚えた。
一ヶ月かけて地図を作り、隠し通路の類も探してみたが、とうとう黒門が見つからなかった。
「最下層に到達した?」
シャリオスが、訝しみながら呟いた。