第六話
切り絵のような、不気味な木々が生い茂る森の中に降り立った。
天上には子供の落書きのような星と、鷲鼻のついた三日月が目を瞑った状態で浮いていた。
青い人魂が浮き、コウモリが羽ばたいている。キイキイという耳障りな声がやまない。どころか、不気味な笑い声が混じり死霊が徘徊している。死霊は足が無く、やつれた形相をしている。冒険者風の装いから、子供までいた。
まるで絵本の中に迷い込んでしまったようだ。
「オバケの森だねー。あれ、ミルちゃん? ミルちゃん!? ……立ったまま気絶してる。凄い」
「気付け薬を出します」
冷静に口に詰め込まれた気付け薬で目を覚ましたミルは「……どうして、どうして」とうわずった声で動揺を露わにしている。
足の震えが止まらないので近くの木に捕まったが、へっぴり腰でまともに歩けない。シャリオスはアルブムを地面にひょいと置いて、大きくなるようお願いをする。
「やっぱり怖いです。皇国では大丈夫だったのに……どうして」
「とりあえずアルブムに乗ろっか。パニックにならないタイプでよかった」
「全然よくないです!」
「キュアキュ。キュフフフフフ」
もの凄く苦手な階層に絶叫すると、シャリオスは「僕が輝くとき」と青ざめるミルと反対に張り切って暗黒魔法をぶちかまし始めた。
モンスターの絶叫と不気味な景色が相乗効果をもたらし、気絶したくなった。
「この階層得意かも。よく見えるし体の調子も良いな」
襲いかかるモンスター達を殺しまくりながら、そんなことを言う。
出現するモンスターは、コウモリに似た系統が中心だった。大小様々な大きさで、たまに人魂や死霊を咥えている個体がいる。死霊の場合は鳥肌が立つような悲鳴を上げるので、ミルは錯乱したように浄化魔法を乱発した。
「ひやあああ」
「あ、右から来てる」
「いやあああ」
「うわ、地面から生首が生えてきた」
「へぁあああ……」
生えていた生首に浄化魔法をかけて消すと、ミルは力尽きたようにアルブムの背中にへたり込む。完全に腰が抜けていた。その間にも次々と死霊が現れる。血走った目をぎょろつかせながら、じりじりと迫ってくる姿に、家に帰りたいと切実に願う。もしくは、宿の一室で布団にくるまりたい。
そう思っていたとき、視界の端に赤い線が走った。
ほんの一瞬、見間違いかと思うほどかすかな明かり。
「なにかいます!」
「上を見て! 月が落ちてくる!」
黄色く塗ったかのような三日月に目ができていた。
いや、開いたのだ。
青白い瞳が一行を見回したかと思えば、木々が揺れる。
現れたのは、どうやって隠れていたのか不思議なほど大きな階層主だった。
恐れたかのようにモンスター達が逃げていき、人魂すら姿を消した。
ゆっくりと回り込んできた階層主は六本の手足を持っていた。爬虫類のように鱗のついた腕に、長い爪のついた三本の爪。指の間には水かきと、細かい針状の触手が生えており、うぞうぞと動いていた。腕から喉にかけては岩のように堅い突起と滑らかな骨が露出し、鬼火を飲んだかのように発光している。顔は毛をむしられた猫のようで、巨大な角が二本。角には真っ赤な目とおぼしき物が八つ。背中には羽をむしられた鶏のような翼に、浮き出す青い鱗。闇の中でうっすらと光を放っている。
「これは……!」
ズリエルが驚くのも無理はない。
モンスターの名は暗がりの城。
水と土属性を併せ持ち、大地を自在に操るモンスター。
通称、国落とし。
「アアアアアァアアア――……」
喉元を晒し細い口を開けたドンクルの鳴き声は高く、階層中に響いた。
反響する音がビリビリと肌を叩く。
まるで獲物を睥睨するかのように歩いたかと思えば、地団駄を踏むように飛び上がった。
とたん、
「全員、上空退避!!」
地面が盛り上がり、茨のような石柱が咲き乱れた。
アルブムはミルの襟首を噛み、ズリエルは迫る石柱に全身を絡めるように張り付き、シャリオスは高く高く跳躍する。
堅かったはずの足場が泥のように波打ち、信じられない量の魔力を含みながら変化する。
ドンクルが鳴く。
あの独特の声が反響するたびに地面がうねる。
「月が!」
まるでドンクルと呼応するように、三日月が高速で回転し襲いかかってくる。触れた石柱が紙のように切れた。
「げっ! ズリエル、あれ弾ける?」
「やってみましょう」
大盾を構えたズリエルはタイミングを合わせ、三日月をかち上げる。硬質な音がし、火花が散る。三日月は弾かれ大きく夜空へ飛んだ後、再び回転しながら戻ってきた。
「なんとか、行けそうです。月のモンスターはお任せください」
「牽制してくれれば倒さなくていい。危なくなったらすぐに言って!」
「アルブム、ズリエルさんの援護をお願いします」
「キュキュ!」
ぷらりと咥えられていたミルは障壁の上に着地した。
「僕は攻撃」
「私は援護です! <攻撃力増加魔法>、<移動補助魔法>、<魔法攻撃強化魔法>、<感覚強化魔法>!」
四つの付与魔法が全員にかけられたのを合図に戦闘が始まった。
「<沈黙魔法>!」
ドンクルが大きく息を吸った瞬間、ミルは唱えた。
だが、迷宮七十階層に棲まう化け物は、ものともせずに弾き飛ばす。
「ァアアア――!!」
「<沈黙魔法>――っ!? <沈黙魔法>!」
一度目、ドンクルにかけた沈黙魔法が弾かれる。あわや鼓膜が破けるかという直前に、手前の空間にかけた沈黙魔法が声を弾く。
(直接封じることができない? なら、魔法耐性が高いのかもしれないわ)
魔法を弾く魔導具のように、何らかの能力があるのだろう。
厄介な話だった。
直接かけられない以上、封じる手がない。
「シャリオスさん!」
「予備動作が出たら潜る! ――ッシ!」
ドンクルがわずかに頭を捻る。体がかすかに震え、周囲の空間が歪んだように見えた。魔力の奔流がそう見せているのだ。
なんて分厚く力強い使い方だろうか。
そう思った瞬間、三本の指の間から流れる触手が地面に潜り込み、巨大な建造物が現れた。
荒削りで芸術性はなく、出来損ないの玩具と言われても通るような巨大な城。歪な階段に塔が連なり、屋根はところどころ凹んでいる。屋根瓦さえない白いそれは、色を塗られる前の石像のように似ていた。
ドンクルが階段を駆け上ると、その足跡から大量の鼠が出てきた。本物ではないが、生きているように動く。
濁流のような鼠達が、シャリオスへ牙を剥いた。
「<鈍足魔法>、<鈍足魔法>、<鈍足魔法>」
「<黒い風>」
動きが鈍くなった鼠を黒い風が撫で切り霧散させる。
シャリオスは体勢を低くし、殆ど顎を地面に付けるような格好で加速した。
ドンクルは振り向き長い尾を二度振るが、軽々とかわす。
目に見えて苛立ち始めたドンクルが、次々に石柱を生やし、自らの咆吼で砕く。落下する瓦礫の下敷きになる前に影に潜ったシャリオスは、ドンクルの角、首との間にできたわずかな影から躍り出た。
「ルアアアアアア!」
目玉の一つを潰し、反射的に捻った体の流れに従うよう回転し、逆側の目を二つ切り裂く。のけぞり、大口を開けたドンクルは大きく身を捻り、だだをこねるかのように地面に転がった。藻掻き、背中の敵を押しつぶそうとするものの、悪手だった。
シャリオスは着地すると、スルリと身を滑らせた。六本の暴れる手足の隙間を縫うように詰め寄り、前足の付け根を切り、腹に二撃入れる。
瞬時に無駄と悟ったドンクルは起き上がり、足をばたつかせた。
踏み潰される直前、転がりながら避けて距離を取ったシャリオスは、額の汗を拭った。
一秒でも遅ければ泥濘んだ地面に足を取られ全身の骨を砕かれていただろう。
ドンクルは目から血を流しながら、ぐるりと顔を巡らせる。シャリオスを最も先に排除すべき敵と定め、前足を強く地面へ打ち付けた。
ぬかるみから飛び出したのは石柱ではなかった。泥と岩の混合物が止めどなく溢れ流れ出す。膨れ上がったそれが、大量の鼠と共にシャリオスへ迫った。
掴まえて飲み込むつもりなのだ。
あまりに大量の敵に、吸血鬼と言えど手が足りない。
戸惑う隙に、ドンクルは自ら作った建造物の中に入り込む。
そして死角から、まるで外が見ているかのように忍び寄り、襲いかかった。
「<感覚強化魔法>!」
三度かければ魔法を見破れるようになるが、はたして役立つのか。一瞬の不安を押してシャリオスへ付与された魔法は遺憾なく効果を発揮する。
ドンクルが創り出した城は魔力と土の混合だ。強化された目がその魔力を読み取って、透かしを入れたかのようにドンクルの姿を見せる。
だが、壁をすり抜けるかのごとく飛びかかったドンクルに、回避が間に合わない。
「<止まれ>!」
一瞬だけ動作が空中で止り、その隙にシャリオスは影へ潜り込む。
ドングルのいくつかある目がミルを視認した。
来る、と思った。
鈍足魔法を付与した大量の障壁を作りだし、十六枚から四十八枚へ別ける。紙吹雪のように飛来する小さな障壁を鬱陶しそうに避けたドンクルは、体の動きが鈍くなることに気付き、苛立ちの咆吼をあげる。
(――まさか)
そして、視認する事が困難な速さで動き出した。
(こんなに速いなんてっ!)
水かきのついた手で泥や岩の中を泳ぎ、石柱の中にさえ潜り込むドンクル。
ドンクルが創り出した物は全てドンクルの味方となり、すり抜けるも掴むも自由自在。まるで闇に溶け込む吸血鬼のように、水と地に関わるもの全てが味方する。鈍足魔法が意味を成さない――いや、成していながら凌駕する。
足下が盛り上がった瞬間、障壁に乗り上空へ退避した。回転しながら現れたドンクルに付着していた泥が、つぶてのように襲い来る。
大きな翼を広げ、障害物すらすり抜け羽ばたく様は、まさに恐れ知らずの王者だった。
飛来する三日月すらドンクルをすり抜け、ミルを狙う。
あの三日月は、ドンクルが創り出した物だったのだ。
「きゃあ!」
「サンレガシ様!」
三日月に入った亀裂が、大きく開く口へ変化した。こざかしい敵を飲もうと。
口腔の奥から不気味な青白い光りが見えたときには、すでに一撃が放たれた後だった。光線が、視界を奪うほどの光量で炸裂した。
間一髪でズリエルがミルを引き寄せる。反動で吹き飛ぶ二人の眼前に三日月が迫っていた。
「<挑発>――!!」
突き飛ばされた様子があまりにも遅く見え、時空魔法を使ってしまったのかと思った。
ミルを追いかけた三日月が、無理矢理進路を変更させられる。
大盾を構えたズリエルへ向かっていく。
「ズリエルさん!!」
両者がぶつかる硬質な音。
軌道を変えた三日月は、その右腕を盾ごと切り飛ばした。