第三話
「人がいます」
くん、と匂いを嗅いだズリエルが指す方向には、蹲る男がいた。頭に猫のように尖った耳があり、ピクピクと動く。
「だ、誰だあんたら」
猫人族の男は怯えたように毛を逆立てる。
「あんた達も子供に連れて来られたクチか? だったら悪い事は言わん、この先に進むのはよせ」
「理由を聞いても良い?」
怯えた男は答えた。
「ゴースト系の化け物が出るんだ。食われた奴らは全員ゾンビになっちまった。ああ、俺ももうだめだ、そのうちあいつらの同類になっちまう!」
そう言って涙を浮かべる頬から禍々しい黒いもやが出ている。
「青い果実があれば呪いの進行を抑えられるが、全部食っちまった……。あんた達も俺がおかしくなる前に行ってくれ」
「あの、私は浄化魔法が使えるのですが、試してみても良いですか?」
「聖水もあるけど、どっちがいい?」
「何だって!?」
希望を見つけたようにばっと立ち上がる。
試しに聖水をかけてみると、触れた部分からジュと肉を焼くような音がして呪いが引いていく。
「聖水だと量が必要みたいだね」
「じゃあ、今度は私が……」
さっと影の中に退散したシャリオスを確かめて、ミルは呪文を唱える。すると、一瞬で呪いが消え去った。
「あ、あ……ありがとう! ありがとう!」
お礼を言う声に、そっと顔を出したシャリオスは拍手をする。
「よかったね!」
「ふふ、どうやら私が輝く時が来たようですね!」
「次はきっと僕」
「何を競っているのですか、貴方達は……」
呆れた顔で言いながら、ズリエルは猫人族を見る。
「貴殿は六十階層から逃げてきた部類か?」
「ああ、俺は匂いが酷くて耐えられなくてよ。……だが、今思えばこんな所に来るより我慢して留まってりゃ良かった」
「他の生き残りはいるの?」
「六十六階層にいる連中以外なら、最近来た連中だ。どうも上でやらかして逃げてきたようなんだ。ロマーナは知ってるだろう? あの子達に襲いかかって、完全に敵対してる。まともな奴らはとばっちりから逃げて下りてきてる。それが、こんな事になるなんて」
「そういうわけだったのか……」
「なあ、あんたらは救助者なのか? 上はどうなってる? 皆呪いのせいで散り散りになっちまったんだ」
「階層主が暴れ回ってる。六十階層にいた冒険者達は全員救助されて地上に戻ったよ」
「そんな」
耳がへたり、力なく項垂れる。かと思えば顔上げて「なんで知ってるんだ?」と問いかけた。
「要救助者の中にはアルラーティア侯爵がおりましたので、その関係で国中が知るところとなりました」
「あの話、嘘じゃなかったのか!?」
驚いたように毛が膨らむ。
「いや、でかい声出してすまない。そうか……なら、もう一度救助が来るのは難しいよな。あんたらも災難だったな。あっちの扉が見えるか? 水も食料もあそこからいくらでも持って行ける。ロマーナはプラント施設がどうのって言ってたが、寝床もある。ただ、中にはゾンビがいるから、それだけは気をつけろ」
「ゾンビと話し合うことはできないのですか?」
「アンタ何言ってるんだ?」
奇妙な者を見る目を向けられる。
皇国のゾンビさんとは会話ができたのだが、迷宮のゾンビと意思疎通はできないようだ。
おほん、とシャリオスが咳払いをして言う。
「君はこれからどうするの? 僕らは最下層に向かう途中なんだけど」
「そ、そうか! なら……申し訳ないが帰る時に拾っちゃくれねぇか。俺は武器も物も無くしちまったが、他の奴らなら手練れも混じってるし、何なら探索に付いてく奴がいないか聞いてもいい」
「強い人がいるなら自分達の力で上層に戻れない? ここから上の地図は揃ってるし、食べ物はプラント? から持ち出せないかな。薬品類なら、こちらで融通できるよ。水もあるし。――ね、大丈夫だよね?」
「は、はい」
たくさんポーション瓶を洗わされた事を思い出し、思わず視線をそらしてしまうミル。
「と言うわけだから。生き残りがいるなら集めてくれないかな。それで、中のゾンビを全員で退治する。僕らもリトルスポットがあると無いとじゃ全然違うし」
「わかった」
チラリとミルを見た猫人族はようやく顔を緩めて言う。
「俺はサズリ。よろしく頼むよ。それじゃ話をしてくる」
サズリは音も無く姿を消すと、七人の仲間を連れてすぐに帰ってきた。
「先に戦えそうな奴に声をかけてきたんだ。他のメンバーは、荷物をまとめたらすぐに来るって」
「あんたがこいつを助けてくれたんだってな。礼を言う。俺はセシル。リーダーはどいつだ」
白いふわふわの髪を緩く左にまとめた男が言う。宝石のようなアイスブルーの瞳に、体にある黒い模様は雪豹だろうか。どことなく顔つきが精悍だ。
「僕だよ。シャリオス・アウリールだ」
「サズリから話を聞いた。俺達もプラントを安全にすることに賛成だ。ここは呪いと怨念に支配されてしまった。犠牲者も、神の御許に帰りたがっているだろう」
がっしりと握手を交わした二人は話し込み始めた。
「この先にある広間を、俺達は呪いの広間と呼んでいる。そこに生えている植物系モンスターがゾンビの原因だ」
「ゾンビってフレッシュなのから腐ってるのもいるけど、どういう感じ? 魔法を使ってきたりするかな」
「フレッシュな奴だと使うな。声帯が残っているせいだろう。厄介だが、火で燃やすと呪いが煙に乗って充満する。しかもやつら、触れると感染するぞ」
「うわ、気持ち悪そう……。もしかしてサズリもそれで?」
「ああ。……突然行方をくらまして気を揉んでいた」
「悪かったよ」
頭を掻いたサズリだが「そのおかげで良い出会いがあった」と開き直る。セシルは肩を竦めた。
「浄化魔法の使い手がいると聞いた。ならば呪いなど恐れるに足らぬ。連れて来たのは全員魔法使いだ。一気に攻めたいがどうだ」
「構わないけど、施設を壊したくない」
「さもありなん」
振り返ってセシルは視線で仲間の一人を呼ぶ。背の低い女性魔法使いが進み出た。モノクルをかけ、興味深そうに一行を見ている。尖り帽子の影から長い耳が出ていた。兎人族だ。
「水魔法の使い手だ。この場では随一の威力を誇る。火で一気に燃やしても雨で流すことができるだろう」
「や、やめて、過剰な期待を寄せないでちょうだい。……惚れっぽいのよ」
「腕は確かだ」
完全に無視して言うと、彼女の頬が薄紅色に染まる。慣れた黙殺の仕方に付き合いの長さを感じた。
「そちらから薬品類を提供してもらえるらしいが、いかほどか先に聞いておきたい」
「逆に何本欲しい? 一本のポーションから百本作ることができるけど。あ、マジックバッグはさすがに持ってるよね? 無いなら売っても良いけど、お金はちゃんと出してほしい」
「ふむ、魔導具師がいると?」
「薄めて増やす方法だけど、効果は保証するよ。地上に戻るまで持てばいいわけだし」
「<回復増加魔法>を重ねがけします」
「現物を見たい。それと、効果を確かめても?」
「構わないよ。だからお互いフェアに行こう。略奪もなし」
ぎょっとしたのはミルだけだった。
だがあり得る話だった。ここは迷宮なのだ。
それに、相手は全員が目の前にいるわけではない。
「グズではないようだ。さすが、ここまで下りてくるだけのことはある」
目を細めたセシルは猛獣のような笑みを浮かべる。
「逃げてきたものが大半だが、俺は攻略のために下りてきたのだ。呪いの広場を抜けても更に先に進むには道具が足らん。共同で進めないか」
「断る。一回戻って、出直してよ」
「よかろう」
あっさり諦めたセシルは笑みを引っ込める。それに仲間内から「いいのか」と声が上がった。
「サズリの恩人は俺達の恩人でもある。それに死者の前で争えば、ますます怨嗟を深めるだろう。十分死んだ。そして、この先も死ぬのだ。無用な争いは要らん」
何かを思うように目を伏せた。
黙祷のような、祈りのような数秒が過ぎたあと、彼の目から憐憫は消えていた。
「そちらの言う事を全て飲もう。助力願いたい」
深々と頭を下げた。