第二話
世界が終わり、残骸だけが残った。
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「ところで、僕達はようやく迷宮へ行けることになったわけなんだけど」
「すみません、装備品がなかなか揃わず」
杖が戻ってこなければどうなったことやら、と身震いする。
新しく発現した蘇生魔法を使ったせいで、方々を騒がせ追っ手をかけられた件は、今は納まっている。
魔法の使用については個人の采配に任せるとシャリオスに言われたのだが、しばらく魔法が使えなくなる事を考えると多用できない。
迷宮では絶対に死なないように、蘇生魔法を頼らないようにしなければ。
「うん、それは平気。問題は白銀の枢機卿が一緒に行きたいってごねてること。僕の所に手紙が七通も……」
「えっ。なぜですか!?」
「聖属性の魔法使いがいないとお困りでしょうって。おかげで他の人が二の足踏んで来てくれなくなった」
「おそらく気になっているのはサンレガシ様でしょう。迷宮で死なれては困ると考えているのでは」
「そういうわけだから、早めに今のメンバーで潜ろう。ミルちゃん、回復は任せた」
「わかりました」
「ズリエルは前衛。きついと思うけど、最下層は目前だと思うし頑張ろう」
「了解です」
「それじゃ、明日の朝出発」
それぞれが遺書を書き直したり、荷物の最終点検をする。
翌朝、最下層に向けて一行は迷宮へ乗り込んだ。
ユグド迷宮の知名度が上がったためか、火山地帯まで冒険者をちらほら見るようになっていた。
途中、声をかけられる場面が何度かあった。それは帰還に同行したいという冒険者や、逆にパーティが壊滅したのか聞いてくるグランドパーティだったりした。やはり三人と一匹では数が少なすぎるのだろう。
火竜の素材目当てに何度も挑戦している冒険者に断って六十階層まで行くと、万華鏡の森は静かだった。
あの風鈴のような音もしない。
(もしかして巨大クラゲの足の音だったのかしら……)
一行が地上に向かって降りていた時だった。
アルブムが唸り声を上げた。
蝶々形のモンスターが迫ってきていた。
「階層主だ。前倒したのと同じ種類だね」
「動きを止めます」
障壁で関節を縛り上げる。羽の根元を押さえると勢いよく下に落下していった。ただ、死んではいないようで藻掻いている。
「右にずらせる? ……よし、そこで止めて。二人とも、黒門の後ろに隠れてて」
「どうするのですか?」
「ちょっと溶岩もらってくる」
そう言うと、シャリオスは影を筒状に広げて黒門へ押し込む。真っ赤な液体が階層主の上に注がれ、みるみる森と共に焼けていく。
「うわ、これ広がりそう」
「周囲の木を切りましょう。階層主は死んだようですので」
「では、アルブムは反対側から凍らせてください」
「キュア」
体の一部が変化してドロップアイテムが現れる。素早く回収したズリエルは斧を取り出して、切り倒し始めた。
鎮火が終わった後は無事な素材を採って黒門を探す。
「確かここ……あった」
指さした先の地面に黒門がある。
一行は慎重に潜っていく。
「森が続いていますね」
「六十階層より暗い」
「お二人とも、横と頭上に注意してください。虫の足音が酷い」
ほぼ植物だらけの階層だが、地面には石の破片や誰かの装備品が散らばっている。
木の葉の影から飛び出してきた蜘蛛を素早く切り倒したズリエルは、ステップを踏むように下がると盾を構える。
「引きましたね。震動か……声にも反応するようだ」
後半は独り言のように言う。大きな耳がしきりに動いていた。
「音ですね」
「ここ、逃げ込んだ奴らが速攻戻ってきてた。原因はあれかな、走ったら不味いね」
「障壁を使いましょう」
「蜘蛛の巣があるかもしれないから、距離を取って前方に一枚張ってくれる?」
「わかりました」
そっと進んでいくと、光の加減で薄い糸が張り巡らされているのがわかる。一本道で、足下には食虫植物が混じり始めていた。蜘蛛の巣に引っかかれば襲われ、足下をおろそかにすれば食虫植物が噛みついてくるのだろうか。
無言で進んでいくとやがて開けた場所に出た。
ズリエルが周囲を探り、大丈夫だと頷く。
「広場みたいですね」
「地面が整理されてる。この石、まるで一枚みたいにぴったりくっついてる」
レンガを敷き詰めたときより隙間がない。だが、所々欠けた部分から植物が生えているので、全く同じ大きさに切ったのだろう事がわかる。黒い石が曲線に敷き詰められ、赤っぽい色で端を囲み、美しい。絵を描いたような模様まで掘られている物があった。
「ところでシャリオスさん」
そっと人差し指を向けた先は壊れた噴水がある。周りには小さな歯車が飛び散っており、問題はそれでは無かった。
「あれ、死体でしょうか」
転がっている小さな影。見間違いでなければピンクの髪を二つに結った少女が転がっている。
罠かもしれないので周囲を警戒しながらあ近付くと、ガラス玉のような緋色の瞳の奥で、ぼんやりと何かが光っている。
意識がないようにも見えず、けれど生きているようにも見えない。
「もし、大丈夫ですか」
恐る恐る声をかけると、ゆっくり瞬きを三回。ぎこちなく動いた腕が、近くのガラス瓶に伸ばされる。あと少しの所で届かず、腕が落ちた。
「これが欲しいのですか?」
そっと持ち上げて手の平に押しつけると、少女は蓋を外して寝転がったまま中身を飲み干した。
ピコンという不思議な音が聞こえ肩が跳ねる。
「何も来ていません」
チラリと少女を見たズリエルは「彼女の方から聞こえます」と続けた。
しばらくするとぎこちなく起き上がった少女が、ふらつきながら周囲の金物を拾ってポケットの中に入れていく。
「あの……」
「……ギ。ガガガ……ヨウ、ヨウ、ヨウ、ヨヨヨうこそ、ライム街へ。街の安全ガイド、ロマーナと申します。お客様は案内をご希望ですか?」
「えっ」
柔和に微笑むロマーナに一行は顔を見合わせた。
「その、具合は大丈夫なのですか?」
「はい、オイルを補充させていただきましたし、欠けた部品も体内に戻りました。ありがとうございます」
「は、はぁ……」
「オイルって、あれポーションだったのかな」
「いいえ、原油、電気、水素、魔科学でブレンドされた特別製のオイルです。ロマーナはいつでも案内が可能です」
「他のパーティの人はどこ? ここに一人?」
「申しわけありません。Partyの予定はありません。現在ライム街は機能の九割がダウンし、非常事態宣言が成され治安維持部隊が侵入者を排除する任に就いております。お客様は案内をご希望ですか? ロマーナは街の安全ガイドです。お客様を安全な場所へお連れすることができます」
「シャリオスさん……」
「どこかズレてるね。休めるところに連れて行った方が良いかも。困ったな……他の人はいないっぽいし、けど話しかけたのに一人で置いてくのも……」
見るからに戦闘慣れしていない少女である。身長はシャリオスの胸元を超えたくらいで、ミルより背が高いが、ほっそりとした手足は折れそうだ。武器一つ持っていないし、服は見たことのないデザインだ。ココア色のワンピースに、分厚い光沢のあるブーツ。胸にはネクタイをしていて混乱する。ネクタイは男性がするものだ。
「ロマーナの服装は案内ガイドの制服です。お客様、休憩場所をお求めでしたらロマーナの後に付いてきてくださいませ」
「もしかして君、ここで生まれた子?」
はっとした。
六十階層に閉じ込められていた冒険者が、家庭を築いていたのは記憶に新しい。
ロマーナは肯定した。
「製造は今からガ……ピーガガ……でございますが、じゅうぶん動ける機体でございます。道中、お足元にお気を付けください」
「とりあえず、家族のところに送っていこう。……良い家族だといいな」
「肯定。ロマーナのユニットは街の任務を遂行しています」
「どういう意味?」
「ご案内致します」
そういって迷い無く背中を見せる。
少し考えたが、後へ続くことにした。
ロマーナの足取りに迷いはなく、彼女を先頭に進んでいく。不思議とモンスターと一匹も出くわさず、途中で絶対にモンスターが来ない安全圏を教えてもらった。
道は所々抉れているがどの道も全く同じ大きさの石が敷き詰められていたり、切り口の無い長い石の道が続いている。これほどのものを創り出す文化と技術がどれほどなのか想像もつかない。
「まるで何かの遺跡ですね……なんというか、風化する前の状態のような」
「上層でもときどき遺跡っぽいところはあったよね」
砂漠地帯の浮遊階段などが最たるものだ。
そこで小休止を取りながら地図を書いていると、ロマーナが問いかけてくる。
「地図をお探しですか」
「うん。道がわからないから」
「では、ロマーナにお任せください。ロマーナはアプリ媒体の機能が欠落しています。電子データの受け渡しができません。紙、もしくは石版などの媒体をお渡しください」
「これでいい?」
「この大きさならば十二枚必要となります」
「広いんだね」
「分布図、も記入します」
紙束を受け取ったロマーナは、指先を左上に当てる。そして凄まじい速さで書きだした。
「魔力で書いてるの?」
「いいえ、指先で物質変換を行っています。高度な魔科学です」
「マカガクって何ですか?」
「魔法と科学を合わせたものです。研究され始めてから二億五千年六十八日が経ちます」
心なしか無表情顔が誇らしげに見える。
こうしている間にも指は精密な動作で書き記し、あっという間に地図ができあがる。
「ロマーナの知りうる情報を記入しました。敵対生物の分布図は赤で記してあります」
「わっ! こんなに詳しく……ありがとう! もしかしてこの黒い渦は黒門の事?」
「時空の乱れにより別の次元へ通じている現象を黒門と呼ぶならば肯定」
「てことはこれ、六十六階層まであるってこと!?」
「黒門の先を階層と呼ぶならば肯定」
「六十六階層にも黒門がありますよ。……まだ続いているんですね」
「肯定。けれど、ロマーナは街の外には出ません。その先の知識はありません」
「この情報を地上に持っていけばお金をたくさんもらえるし、生活にも困らないと思うよ。ここは危ないし、よかったら僕が持ってる上層の地図をあげようか?」
「情報提供を求めます。地図をお見せください。しかしロマーナは街の外には出ません。ロマーナのユニットはそう定義されています。ロマーナは街の安全ガイドです。街を離れることはありません」
「そう、ならいいんだけど……。もしも上に来たら僕達を訪ねて来て。なにかお礼ができるかも。ギルドにシャリオス・アウリールに連絡を取りたいって言えば手紙を送ってくれるから」
「私はミル・サンレガシです」
「ズリエルと申します」
「三名の個人情報をインプットしました」
それから、地図をペラペラと捲ったロマーナは「返却します」と返した。あっという間だったので覚えたのか不思議だったが、ロマーナは問題ないと言う。
とても頭が良い少女なのだろう。
感心しきりの情報交換を終え、一行は更に進む。
「目的地が、近付いています」
遠くで破壊音がし出した。ロマーナは導かれるように進んでいく。
「ロマーナはライム街の安全ガイド。役目を果たすために生まれてきました。しかし、街の機能が九割失われ、住民は一人残らずいなくなりました。ロマーナは、街の安全を守れませんでした」
ひときわ大きな爆風の中に、巨大な球体が浮いている。モノクロで、触手のような手が体から伸びており、巨大な黒い目が一つある。白目部分が赤く発光し、不気味だった。
「個体名光喰。定期的に現れるようになり、街の七割を破壊しました」
「階層主だ」
「戦ってるのが、ロマーナさんのご家族ですか?」
「同ユニットが応戦しています。お客様は全て安全な場所に誘導しますので、お足元にお気を付けて、ロマーナの後に続いてください」
速度が上がり、早足で進んでいた時だった。
横から飛び出してきた何者かが、ロマーナに飛びつこうとしたのをズリエルが盾ではじき返す。
「何者だ!」
「お前らこそ、さっさとそいつから逃げろ! 殺されるぞ!」
「この子が?」
シャリオスはじっくりと襲撃者を見た。二人組の獣人で、一人はアッシュブルーの犬人族。もう一人は虎人族で、両方とも男性だ。
犬人族の方が、脇腹を抱えている。指先の間から血が滲んでいた。
「この子は僕らが保護している。君達はいったいなんなの?」
「保護だぁ?」
訳がわからないという表情をした二人組は、警戒するように後ずさる。
「てめぇら正気か? それともそいつの仲間か!?」
「仲間と言えば仲間だけど、だったらどうする」
盾を構えたズリエルが前に出れば「正気か同胞」と苦く言う。
「……おい、でも襲ってこないぞ」
「だがな」
戸惑っているうちに、地響きが近付いてくる。首を巡らせたロマーナに驚いた二人は素早く後退し、逃げ出した。
「なんだったんだろう」
「わかりません」
「お客様の安全はロマーナがお守りします。ロマーナの後に続いてください」
階層主は目前だった。それに向かって何かが飛来して弾け飛んでいく。表面にいくつもの煙が上がった。
一行が連れて行かれたのは黒門を超えた先だった。
階層へ進めば進むほど植物が減っていく。やがて街の残骸とおぼしき場に出た時、その精巧な造りは職人が人生をかけて作ったのではないかと思うほど、統一感があった。切れ目のない長方形の建物にはめられた曇り一つ無いガラス窓。貴重な品が、同じ形で並んでいるのだ。
「古代の遺跡って、このような形なのですか?」
「ここまで綺麗に残っているものは、まずありません」
「ロマーナのユニットは街の保全に努めています」
「だから綺麗なんだね」
迷宮六十六階層。
数々のモンスターをロマーナは綺麗に避けていく。
「まるで位置がわかっているみたいだ。凄いね」
そう褒めるとロマーナは「基本的な搭載機能です」と言って肯定する。
やがて一行は古びた教会へたどり着いた。教会とわかったのはロマーナがそう言ったからで、でなければ知る術がなかっただろう。黒い床しか無かった。説明された後も教会とは思えなかったが。女神像の一つ置いていない。
「この先に君の家族がいるの?」
少し戸惑ったシャリオスだが、進む。すると、ぼんやりと景色がゆがみ建物が現れた。
「これは幻?」
「中へどうぞ」
入ったシャリオスは足を止める。
中にはピンク色の髪をしたロマーナと同じ容姿の子供が、背を壁に預けるように目を閉じて座っていた。息遣い一つ聞こえない静寂があった。
「これは、どういうことだ」
「地下に防空壕があります。安全地帯です。食糧や生活用品は、地下で作られています。救助が来るまで、そちらでお待ちください」
「違う。僕が聞いたのは、彼女達がなんなのかってこと。ロマーナの家族なの?」
「同ユニットです。このロマーナ達は全て防衛用に備えている機体です。ロマーナはこの場を守ります。永遠に」
無表情な目がシャリオスを見上げる。なぜか微笑んでいるように見えた。
「ロマーナは安全ガイドです。当機体ロマーナは、これより完全に機能を停止します。壊れる前にお客様をご案内でき、ロマーナは満足しています」
一瞬だった。
ロマーナの瞳から光が消え、角張った動きで座り込む。助け起こそうとしたシャリオスは横から伸びてきた手に遮られた。
三メルトはある巨大な鉄の塊だ。人を模したような関節のある指先を持ち、胴体は丸太を連ねたようだった。鈍色の輝きを持ったそれが、ロマーナ横抱きにする。
「ギービビビ。お客様、ワタシは修理専門アンドロイドNN-10でございまス。これよりロマーナを修理工房へ運びまス。ご案内はここまでとなりまス」
「君はロマーナなの家族なの?」
まさかそんな、と思いながら人間に当たる顔の部分を見上げる。バケツをひっくり返したような形で、目の部分から横長の光が漏れている。
返ってきたのは「同ユニット機体でございまス」という返答だった。
「ロマーナさんは具合が悪いのですか?」
「アップデートが大幅に遅延しておりまス。メンテナンス不足により部品の劣化が目立っておりまス。このままでは、支障がありまス」
「また会えますか?」
ミルの言葉に、NN-10は首を振った。
「市街地へ出ている安全ガイドは当機体を以て全て回収されましタ。今後、防衛用システムが適応されまス。緊急事態宣言が撤回され次第、安全ガイド運用へシフト致しまス。今後の予定は未定でス。お伝えできませン」
瞬き一つせず、生きてるようには見えなかった。だが触れた頬はかすかに弾力があり、暖かい。
話されている言葉の半分も一行にはわからなかったが、ロマーナに治療が必要な事は理解していた。
「そうですか……。ロマーナさん、さようなら。早く良くなってください」
「家族のところへ戻れて良かったね。ほら、ズリエルも」
「御達者で」
背中を向けてどこかへ行くNN-10を引き留めることはできなかった。アンドロイドが何かもわからないが、残された一行は小さな不安を抱えながら眠るロマーナ達の横を進み、床を探る。すると一部が光り、階段の形へ変化していく。
「黒門だ……」
広がる不気味なもやを見て、シャリオスは振り返る。
「行きましょう」
滑り込んだ先は迷宮六十七階層。
そこは、まるで公園のようだった。けれど肌に触れる冷たい空気に混じり、嫌な予感がする。