第二十話
夜、二人が寝入っていると、部屋の影が濃くなった。
壁の一つからギョロリとした目玉が現れたのを皮切りに、部屋の中を覆い尽くすように次々と目玉が現れる。
「あれ? どこよ?」「棺桶の中じゃねーかクソが」「はい口汚いので帰ってくださーい」「また小さくなったと聞いて」「顔が見たいぞよ」
「――お前達、夜中は静かにしなさい」
「ギャー! 皇帝が来た!!」
ぴしゃりとバーミルが叱ると、悲鳴を上げて目玉が散っていく。
「まったく、毎晩飽きもせず」
「いいじゃない。旅行者が珍しいのよ。あら? 初めてよね、旅行者。あなたが帰ってきて早々王様になるって言って、王様だと魔王様とかぶるからって適当に皇帝を名乗って……ええと、それからずっと来てないわね」
「十年に一度来客がある」
「教会の催し物じゃない。それ旅行者っていうのかしら。……あら? あらあら、引っかかってるわ。えい」
戻れず「アババババ!?」と呻いていた目玉を指先で押すと「いたたた、あざまーす!」と消えていく。
「あなたがうちに入り婿した時は人間捨てて良いのかと思ったけど、今は仕事も板についてるみたいだしよかったわ。でも皇帝ってけっきょく何をする仕事なのか未だにわからないのよね、だってあなた全然教えてくれないんだもの。皆も好きなところで埋まってたり揺蕩ってたり徘徊したり毎日楽しそうだし――」
「夜中は静かに」
「美味しいものもいっぱい採れて毎日食べる物にも困らないし、家族はたくさんできたし、シャリオスはぐっすりすやすやだし、いったい何の仕事があるのっていう――」
話し続ける妻の腰を引き寄せバーミルはそっと扉を閉めた。
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翌朝、海辺で遊んでいた二人はズオオオオオ……と海水をまき散らしながら現れたクラーケンおじさんが持っていた物にぎょっとする。
「ズリエル!? わ、アルブムもいる!」
「キュアー……キュ」
びしょ濡れになったアルブムは酷い目にあったと身体を震わせると、ミルの腕の中に飛び込む。しかしズリエルの方はぐったりしたまま海岸に横たわったままだ。
「おぉ、えがった、えがった。ちゃぁんと知り合いだったぺか」
「おじちゃん、この二人どうしたの?」
「に、匂いが……ぐ」
クラーケンおじさんの体臭は吸血鬼にも不評なのだ。ズリエルが体感している香りはもっと強烈なのだろう。脂汗まで出ている。
「小舟で近付いてくるから誰かと思ったら、お前さん達の仲間だいうから連れて来たでよ。でも本当かわかんなかったから良かったな。偽物だったら生きて返すわけにはいかなかったで。二人とも、今は皇国が匿ってるからな。そいつらシャリオスが何とかしとけよぉ」
そう言って海の中に沈んでいった。
「お二人とも、ご無事で何よりでした」
「ところで小舟で来たって言ってたけど、船はどうしたの?」
「転覆しました」
「……ごめんね」
誰のせいでとは言わなかったが、簡単に想像できてしまう。かわりに謝りながら、シャリオスはズリエルの手を引っ張った。
「すみません、サンレガシ様。……サンレガシ様?」
「僕はサンレガシ様です」
「アウリール様!?」
ふざけて肯定したシャリオスは、ぎょっとした顔で詰め寄られた。もにもにと頬を触った驚愕顔のズリエルを珍しそうに見ていると、彼はわなわなと身体を震わせる。
「い、一体何が!? もしやご兄弟?」
「正真正銘のシャリオスさんです。縮んでしまいまして……」
「縮んだ!?」
ここまであった事を説明すると、ズリエルは真顔に戻ってしまう。
「へへへ、心配してくれてありがとう。ズリエルの表情がこんなに変わるの初めて見た」
「それはどうでもいいが、大丈夫なのですか。……吸血鬼の身体はどうなっている」
未だ衝撃から抜け出せていないのか。敬語が所々抜けている。
「ご家族も――」
「たまに良くあることだから」
遮って誤魔化し、今度こそ立ち上がった彼の手を引く。よほど馬鹿にされたのが嫌だったらしい。
「今日は帰ろっか。僕の家あっちだよ。お風呂で洗えば匂いも落ちるだろうし」
「ありがたい。皇国は……失礼ですがどのような状況でしょうか。こちらも詳しく話したいことができたのですが」
ということで、一度帰宅することになった。
帰宅するとシェスカは一人と一匹の来訪に喜んで「あらこんなにお客様が! まあまあまあどうしましょう、寝る場所が! ねえあなた! あなたいないわどうしましょう!? やっぱり宿屋は必要だったわね――」と息つく暇も無い話が始まり、ズリエルは悟った顔をする。
同じ客室を使うこととなり、床に借りた布団で寝ることになった。
用意を調えている間に一人と一匹で風呂を借り、すっかり海水を洗い流す。さっぱり顔のズリエルは頭を拭きながら、毛繕いをするアルブムの横でいきさつを話し始めた。
「枢機卿へ全ての事柄をつまびらかに開いた神官は、その場で兵士共々縄にかかりました。どんな理由があろうとも、罪亡き者を追い回して良い理由にはならないと。話はそこで終わりませんでしたが」
「だろうね。一番嫌な流れになった……。教会は欲しがってる?」
「それがわからないのです。教会の中でも派閥があり、今回シューリアメティルで出会った枢機卿は、追手とは別派閥のようです。追手はアストン伯爵と共闘していましたが……問題は教会内のどの派閥が勝利するかになりそうです」
顔を見合わせた二人は続きを促した。
「アストン伯爵はいいの?」
「お二人の名前は既に教会に知られているとお考えください。その中に、アルラーティア侯爵が身元保証をしている情報が耳に入るかと。さしもの辺境伯も、侯爵家を敵に回せません」
そして領内掌握中に行われた粛正が耳に入る頃だと続ける。
手向かう者は身分関係なく命を落としたようだ。
昔からアルラーティア侯爵は契約を破らないし、魔剣ゼグラムの使い手。暗殺しようにも相手が悪すぎるし、搦め手を使っても超人的な嗅ぎ分けで迫ってくるというのは、貴族に知れ渡っている。
「教会の話に戻します。教皇と聖女、枢機卿数名で派閥があるのですが、シューリアメティルで出会った枢機卿は、他派閥を割り出し、我々の望みを叶える方向で動くかと思います」
「待って。こちらに手出ししないって意味で間違いない?」
「条件付きでですが」
「詳しくお聞きしたいです」
思い返してみてもあの枢機卿は強引な感じだった。
顔を曇らせていると「シューリアメティルの最中に出会ったからです」と言う。
「シューリアメティルって何?」
「枢機卿は年ごとに一人が教会を離れ各地を放浪します。出会う全ての者の話を聞き、導きを与える旅。それがシューリアメティルです。我々の問題も枢機卿は手を貸さなければならないのです」
「良いことに聞こえるけど、場合によっては内政に差し出口するってこと?」
「その場合は、教会も対応を変えます。罪人であれば償いをさせてから引き取る、対象者のみを教会に匿うなど」
最悪でも教会内の意見は二つに割れるので、アルラーティア侯爵が領土を治めるまでの時間稼ぎになるとズリエルは言う。
「今回の問題は教会内に持ち込まれましたので枢機卿同士で話し合うことになるでしょう。無論、アルラーティア候も教会に圧力をかけます。蘇生魔法の事を公にすれば、報復すると宣言なさいました」
「……僕達は完全に侯爵の手中に収められたのか」
「安全には変えられません。しかし閣下がお二人に無理強いすることはありえません。魔剣の後継者とはそういうものです」
「あのー、枢機卿同士の話し合いが終わってないのでどうなるかまだわかってないって事ですよね? 例えばでいいのですが、私はどうなる場合がありますか?」
「アルラーティア侯と同調した側が勝てば蘇生魔法は秘匿されます。秘密裏に依頼をされる場合が出るかもしれませんが、魔法条件が厳しいので現実的ではないという方向に持っていくはずです。サンレガシ様はこの場合、国内に限り身の安全と自由を侯爵と教会が保証します」
「国外に行くとどうなるの? 単純に侯爵の手が届かないのはわかるけど」
「教会は元々光の精霊を祭っているので、総本山かどこかに招くかと。後は他国に蘇生魔法の存在が知られなければ問題ありません」
「ああ、そう言う意味か」
「逆に手中に収めたい側が勝てば、サンレガシ様は追われることになります。身分も家も捨て自由を求めて他国へ逃げても、追手がつくでしょう。アルラーティア候は、そうなれば黙っていません。必ず総本山に兵を差し向け、全面戦争が始まります」
「それって個人的にやれるの? 総本山は隣の国だから、他国に攻め入るって事だよね。王家が黙っていないと思うけど」
「それでもやるでしょう。たった一人で立ち向かうことになろうとも」
思った以上に苛烈な人のようだ。
そう考えていると、ズリエルは首を振る。
「魔剣ゼグラムの使い手は魔法契約を交わしているのです。あの方はけして破りません。王家が侯爵家取り潰しをするのか、それとも王家を侯爵家が乗っ取るのかはわかりませんが、情勢は混乱を極めるかと」
「なんだか侯爵家の方がヤバい気がする」
「そうですね」
「あっさり肯定された!?」
ズリエルは淡々とした口調だ。
「ですので、枢機卿は事を収めるために方々に根回しをするでしょう。戦となればどちらも傷を負い、得られるのが蘇生魔法だけでは割に合いません」
「戦った兵士を蘇生させようとする人もいるのではないでしょうか……」
「そうなれば、サンレガシ様はすぐに命を落とします。蘇生魔法は神々が与えるような万能魔法ではないと気付いた者達も、自分が崖から落ちたことを知るでしょう。戦にはうまみがありません」
どちらにしろアルラーティア侯爵に頑張って貰うしかなく、手腕を信じる他にない。
「じゃあ、僕らはほとぼりが冷めるまでここにいればいいってことだね」
「帰還後は一度、アルラーティア侯に顔を見せてください。自分は手紙で切れ切れの状況報告と指示を仰いだのみなので、状況確認をしておいた方が安全です」
「わかった。ミルちゃんもそれでいい?」
「私の実家がどうなるか、ズリエルさんは知ってますか?」
「リスメリット当主には話が行っています。そこからご実家に連絡が行くでしょうが、水面下で進められているはず。表向きには何も変わらないでしょう。多くの貴族も政変に注目しており、教会の動向にまで気を配っている余裕はありません」
「あれっ、ミルちゃん貴族だったの!?」
「黙っていてごめんなさい……。シャリオスさんが苦手とおっしゃってたので、言わない方が良いかと思っていたのです。それに爵位のないジェントリなので」
「そうだったんだ……。僕こそ気を遣わせてごめんね」
怖がられずに済み、ほっとする。実家も問題ないのなら良かったと。
「クースィリアさんと弟さんはどうなりますか?」
「彼女はアストン家が面倒を見ることになるでしょう。その後どうなるかわかりませんが、自己責任です。セロンラフルの方は教会が保護しているので枢機卿の采配次第になるでしょう」
「アルラーティア侯爵は何も口を出さない?」
「全てはお二人の進退が決まってからになります。優先順位がありますので」
悪い事にならなければいいが、と不安になる。
「もし駄目なようなら、皇国に連れて来なさい」
「うわっ、いたのっ」
ドアに背を預けていたバーミルは、ちらりとズリエルを見る。
「昼食だ。話は切り上げて席に着きなさい」
とアルブムをつまんで抱き上げると、頭や喉を撫でさすり始めた。
「良い使い魔だ。肉質も良い」
「ギュ!?」
「食料みたいに言うと誤解されるよ」
「頭も良いな。我々の言っていることを理解している」
そのまますっと持っていったので慌てた。
「シャリオス」
ふと立ち止まったバーミルは息子を見下ろす。
「地下牢に悪魔を一匹入れていたのだが、目を離した隙に脱獄した。お前、食事を取ったら探してきなさい」
「えー! 何で僕が」
「お前の知り合いだろう」
「この国は全員顔見知りみたいなものなのに……」
しかしバーミルは取り合わなかった。
「あれは、よからぬ事を企んでいる。あと、お父さんは仕事が忙しくて探しに行きたくない」
「ナディルさんは? 地上警備が仕事じゃないの?」
「寝ている隙に悪魔が頭を地面に埋めてしまった。今、掘り出してるところだ」
「酷い。人のする事とは思えない」
「悪魔だからな」
面倒くさそうな顔で振り返ると「しょうがないから午後は部屋で遊んでてね」とシャリオスは告げた。
昼食後、ズリエルは生臭サンドイッチを食べたせいで撃沈した。