第八話
ウズル迷宮一階層。
川の近くで<障壁>を張り、角持つ兎に背後から刺されないように注意しながら、ミルはアルブムを寝かせて、徹夜で作った薬液と白い液体が入ったバケツを持つ。手袋とマスク、ゴーグルを填めてアルブムの体を洗い、首から下の毛を全部剃り落とした。
高貴なる女王狐と言うだけあって、アルブムは全身の毛を剃られて格好悪くなる事をもの凄く嫌がった。けれど青火ノミがどこかに卵を産み付けているかもしれないので、容赦しない。
哀れな格好になったアルブムは前足で顔を隠してしまった。
「じゃあ、まず痒いところから、特製パックをします。これで青火ノミの息の根を止めるからね」
「キュワッ!?」
白いヘドロ状の液体を体の半分に広げて五分ほど待つと、表面がボコボコと膨らみ始めた。息が出来なくて外に出てきたのだろう。アルブムが水に飛び込んだのは、対処法としてはあながち間違ってない。
「よしよし、今大人しく我慢すれば、今日からゆっくり寝られるからね」
「キュウッ、キュウッ――!」
くねくね動いているのを押さえながら更に十分経つと、表面が動かなくなった。
ミルは嫌そうな顔をしながらそっと固まったパックを剥がしていく。足が大量にあり、芋虫状のノミが大量にくっついている。青色でピクピク動いていたが、パックにくっついて動けないようだった。
「ひい。きもちわるい」
うぞうぞと動いているし、卵もびっしり取れた。こんなに多いとまだ残ってそうだ。更にパックをして行くと、五回目で表面がボコボコしなくなった。
「それじゃ、川で体を洗ってきて」
「キュオーン!」
やっとか! と言いたげに飛び込んだアルブムは、水に擦りつけるように泳ぐ。
「キュオッ! キュオッ クルクル」
「分泌液は流れたかな? ちょっと上がって来て! 続きをしますから」
すっかり痒くなくなったのか、寛いだ様子で横になる。ミルは表面をふいた。赤くなった部分はすっかり元に戻っているが、穴ぼこだらけだ。
反対側も同じように処理し、びっしりと卵が取れたミルは、遠い目になりながら薬液を見た。透明な瓶に入った黒い液体を死んだ魚のような目で見る姿に、アルブムは言い知れない不安を感じた。
「ここまで広がってる全身が痒くならなくてセーフだったのか、アウトだったのか……」
ちなみに青火ノミは宿主の死骸を食べ尽くすまで別の対象に移らないのが唯一の救いだ。
残りのパックを背中や足の隙間に丹念に塗って全て使用した後、バケツを洗い、水をくみ直す。そこへキャップ三杯分の薬液を入れると、水が黒く染まる。
「今からこの水で洗って、卵を完全に殺します。ちなみに水が透明になると効果がなくなるので、液が足りなくなる場合、悲惨な結末が」
「キュオ!?」
「大丈夫。パックでなるべくとったから足りるはず……です」
ちなみに青火ノミは一気に捕らないと、また卵が孵化して痒くなる。
震えているアルブムをバケツで丁寧に洗う。尻尾の付け根もお尻も丹念にすすいでいくと、どんどん水が透明になっていく。底には「どこにいたんだよ」と言いたくなるような卵の山が合った。今日は夕食を食べられないかもしれない。
ミルは何度も水をくみ直し、ようやく頭まで洗い終わった後、黒い薬液を捨ててバケツを洗った。
「アルブム、残念なお知らせがあります……。たぶん体の中にもいます」
「キュオン!?」
頭の良い使い魔は耳の毛をぶわりと膨らませた。
「水グミに薬液を入れるから、それをずっと噛んでてね。今日のご飯にも混ぜるから。便やおしっこが黒くなったら止めて良いからね」
「キュ、キュオ」
ぼわりと白い煙を上げたと思ったら、手の平サイズになってしまったアルブムは、前足に鼻先を突っ込んで、しばらく打ちひしがれていた。
+
「そ、それで黒くなるのに三日もかかったんだっ。く、苦しいっ!」
食堂で五杯目の魚カレー定食をかき込んでいたシャリオスは苦しそうに仰け反った。口の回りにカレールーがべったり付いている。
「ギュオッ!」
「ごめんごめんっ! そんなに怒らないで。良いご主人に出会えて良かったね」
ひいひい言いながらギューギュー怒ったアルブムは、ツンとそっぽを向いて、生肉にかじりついた。薬液の染みた黒い肉では無くなったので美味しそうに食べている。
「それにしても、ミルちゃんはよく知ってたね。青火ノミなんて聞いたことなかったよ」
「私も領地に出なければわかりませんでした」
当時、家畜が突然暴れ、次々に死んでいくという恐ろしさに呪いかと焦ったサンレガシ家だったが、死体からノミが大量に出ているのを見て原因を発見し、薬液を作ったりパックで何とかした。そして生き残ったノミから種類を割り出して生態観察もした。
それを学会で発表したが「へー、珍しいノミだね」程度で見向きもされなかったという。
宿の食事を気に入ったシャリオスは、ときどき夕食を取りに来るようになった。話はもっぱら迷宮のことになり、ミルは行けない階層の情報をもらったお礼に、知っている魔導具の話をする。
ふんわりとした毛に戻ったアルブムは耳の裏を後ろ足で掻いて、ビクッとする。トラウマが癒える日は遠そうだ。けれど、すっかりミルに懐いてくれて、冒険は上手く行っている。
アルブムが攻撃し、ミルはその補助に回る。最近は<障壁>を自在に動かせるようになったので、モンスターを叩いて注意を引いて壁役もできるようになった。
「なんと本日! 十階層突破です!」
「おめでとう!」
カレー皿とお茶のカップで乾杯した二人は、どちらも笑顔だ。
「しかしたった五日で七階層も突破できるって凄いね。アルブムはどんな攻撃をするの?」
「突進したり、爪で引っかいたりです。たまに氷魔法を使うんですよ」
「そう言えば、西は寒いから水属性の派生が多かったね。それじゃ、そろそろお誘いがあるんじゃないの?」
「やっぱりそう思いますか!?」
パーティを組みたい! と握りこぶしを作って希望に燃えているミル。
十階層突破は初心者冒険者にとって一つの壁だ。この壁を越えられるかどうかで先に進めるかどうかがわかる。シャリオスは昔を懐かしんで顔をほころばせた。
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「しかし、現実は冷たいのでした……」
ほろりと涙を飲む。
「回復魔法さえ使えればー!」
「ねぇもんはねえ。あるもんで勝負しなァ」
ドシンと牛乳とカツ丼定食を置かれたミルは、テーブルにへばっていた頬を上げる。ドーマがミルを見下ろしていた。
「もう十五階層に行ったんですけど、全然パーティ募集に引っかからないんです。こっちから募集しても、声をかけてもすげなく断られてッ! なんですかこれいじめなんでしょうか!? 出会いを求めちゃだめなんでしょうか!?」
「今日の肉は昨日から下ごしらえした自信作だ」
「いただきます!」
やけくそのようにかぶりついたカツは熱々だった。あつあつとむせるミルを半目で見たアルブムはフンと鼻で笑い、肉にかぶりつく。
「アルブムだって仲間がほしいですよね? 十五階層でゴーレムに囲まれたときは大変だったじゃないですか。ここでハンマー持ちがいたらスルスルっとクリアですよ」
現在、ゴーレムの蔓延る十五階層で足止めを喰っているミルはぼやく。もう少しで死んでしまうところだった。
現在、レベル二十七。アルブムは元々のレベルもあるが、上層は殆ど経験値が取れないため、現在三十四レベル。順調すぎる冒険はいったんストップだ。
ちょうどユグド領に来て、半年が経とうとしていた。未だ新しい魔法の発現は無く、魔法書を読んだりして過ごしている。
生活は十分安定していた。だが、自分に出来ることが見つからない。
なぜパーティが組めないのか。原因はわかっている。
ミルにたった最初の悪評。そして、使い魔のアルブムだ。普通、初心者冒険者が高貴なる女王狐を格安で手に入れられるわけがない。治療費もかかったが、元の値段に比べれば安いものだ。ミルはやっかまれている。
アルブムを売ってほしいと言われる事も増えた。
「キュンキュンキュン」
「ええ? そりゃお金に余剰はありますけれど……」
「キューン!」
「そういえばそうですね。よし! 今日は迷宮を止めて、街の探索と通常依頼を受けてみましょう」
うんうん、と頷いた二人は、それぞれ肉にかぶりついた。
+
ユグド領は迷宮があるため、いつも賑やかだ。
食品店以外にも迷宮品や防具と言った冒険者用の店や薬品店も揃っている。故郷を思い出すと羨ましい限りだ。それにたいして争いごとも多いが。
「わっ」
「きぃつけろ!」
喧嘩が道の真ん中で起り、慌てて下がったミルは避難するため端に寄った。肩に乗ったアルブムが威嚇するように尻尾を建てて「フーッ!」と唸っている。
「よしよし。びっくりしましたね。市場は終わったのに、凄い人だわ……」
「あー! いたー!」
と、横から何かに衝突され、ミルは押し倒された。ふぎゃと哀れな声を上げると、突撃してきた何かは慌てて立ち上がる。
「お姉ちゃんごめんなさい!」
「あのときの子ですか」
少女は二階層で階層主に襲われていた姉弟だった。よく見ると弟が後ろにひっついている。
「助けてくれてありがとうございました!」
「ました!」
「いえいえ、どういたしまして」
ぺこー! と頭を下げる兄弟に目尻が下がる。
二人はずっとミルを捜してたのだという。すっかり元気な様子だ。
周囲を見回して、姉が聞いた。
「あの黒鎧のお兄さんは?」
「シャリオスさんですか? だったらラーソン邸にいますよ」
「そっか、じゃあ会えないね。お礼を伝えてくれる?」
「ええ。もちろんです」
小市民な二人はまたお礼を言うと、手を振って去って行った。
そのあと、ミルは露店を冷やかしたり郊外の川で魚を釣ったりして遊んだ。観光地として有名なところも見回り、ギルドの練兵場を借りて魔法の練習をする。
「アルブム、上手くなったと思いません?」
「キュン」
障壁の上でトランポリンをして三回転ジャンプを決めているアルブムは鳴いた。もう自在に障壁の堅さや大きさ、移動を自由に制御できるようになった。
「<大いなる光よ。我が魂は誇り。我が声に果ては無く。この体が盾ならば、我が運命に勝利は要らず。黄金の鐘よ鳴れ。その音は光>! ……やっぱりだめですかぁ」
ピカリと光っては消える指先の光。何度試しても、モンスターを目の前にしても発動しない。
「条件が整わないからでしょうか。使えれば十五階層も突破できそうなのに……」
特上級の魔法書には、他の呪文は浮かび上がっていない。まだ資格が満たされていないからだろう。
そのとき、迷宮ギルドから鐘の音が聞こえてきた。にわかに慌ただしくなった周囲を見回していると、職員がミルの肩を掴んで押し出してくる。
「緊急招集です! 近くの冒険者様は全てホールへ集合して下さい!」
中に入ると、人がごった返していた。
「迷宮二十階層に階層主が出現しました。ジャンクゴーレムと思われます。現在は希望者以外は退出を!」
「げぇっ! 俺無理だわ」
「ジャンクとか無理ゲーだろ」
「一級冒険者に行かせりゃ良いだろうに」
ぞろぞろと退出する冒険者達に職員は歯がみするように唇を噛みしめる。そのなかに見知った人を見つけたミルは、近づくと尋ねた。
「スプラさん!」
「ミル・サンレガシ様? いかがされましたか」
「あの、ジャンクゴーレムってなんですか?」
「……二十階層に出るゴーレムの亜種です。すらりとした立ち姿に、魔法剣を使います」
そして、ゴーレムのように堅い。既に犠牲者が出ているようで、緊急支援を求めた冒険者の要請により、事態が発覚した。適正レベルは三十七。現在二十階層付近は立ち入りを警戒させているという。
「ジャンクゴーレムに挑む際は人数が必要です」
適正レベルにも満たない自分達だ。それは毎回報告を受けるスプラもわかっているだろう。それなのに手を取って頭を下げた彼女は言った。
「もちろん一級冒険者の皆様にもお声がけしています。彼らが到着するまででも構いません。どうかお願いします!」
「スプラ。それは職員として逸脱した行為だ。無理強いは止めてください」
「ズリエル様……」
兵士の服装のまま、ズリエルは前に出る。後ろには五人の兵士が付き従っていた。
「要請を受け、我々も参戦する。案内を頼みます」
「……はいっ」
招集された冒険者の中で残ったのは他に七人だった。ミルは彼らが走って出ていったのを見送った後、肩に乗るアルブムの背中を撫でる。挑発するように尻尾でミルの頬を叩いてくるが、ご褒美にしか思えない。尻尾は毎日手入れをしているのでふわふわだ。
「ギュフッ。クーン、クーン」
「わかってる。私達も行きましょう」
駄目なら引こう。
ミルは追いかけた。