第十七話
お金がない。
マジックバッグとギルド証を失っている現在、預金を下ろすことはできない。手元にあるのはアルラーティア侯爵が発行した身分証のみ。
明日の宿すら取れない有様で、ミルができることと言えば、思いつくのは一つしか無い。
幸いにも、皇国へ向かう道すがら、いくつか迷宮を抱える領地があった。
道中鉢合わせた行商人に倒したモンスターを売って、古着やリュックを買ったミルは、リトス迷宮のあるグロス領へ向かう。
混み混みした中で大柄な人の後ろを必死でついて行く。前に回したリュックにしまってあるのはシャリオスで、健やかな顔でスヤピと寝息をたてている。
盗まれないように両手で抱きしめながら、なんとか目的地にたどり着いた。
(王都ほど人が多くなくて良かったわ)
もしそうであれば、歩けなかっただろう。運良く通報され騎士が駆けつけるかどうかもわからない。
手持ちの装備品は全て売り払い、ギルドに登録する。
登録料でお金は殆ど無くなってしまった。
迷宮ギルドの対応は王都と同じくらいで、ミルはまともな宿がどこかわからないほどだった。そもそも泊まるつもりはないが。
(……ええと、たしかこちらだったはず)
大通りから外れ、細い道を通って空き家ばかりの場所を探す。低所得者達が住む下町だ。これ以上行くと貧民街になり、治安が悪化すると行商人に聞いた。
めぼしい場所は既に人が入っていたので、ミルは奥まった場所の廃屋に目を付けた。中を覗いても人が住んでいた形跡はなく、一軒家だ。窓も無く木の板を押し上げて風を入れ替えるようになっている。壊れた竈があるだけで、他に部屋はない。
床が腐っていないか確かめた後、ミルはシャリオスを入れたリュックを置いて、その首から鍵を抜いた。
ミルの兄がシャリオスへ贈った魔導具『あなただけの部屋』だ。
「シャリオスさん、お借りしますね。お金を稼いでご飯を探してきます」
前髪を直し指先で頬を撫でる。口がむにゃむにゃと動いた。
家の鍵は壊れていたが、差し込むと魔法が発動し、自然に修理された。二人分登録したあとは首に提げ、出かける。
(杖が無くても魔法が使えるから、最後の最後でいいわ。魔力は戻ってるし、きっと大丈夫)
少し考えて屋根の上を隠れて飛びながら、迷宮へ向かう。
不思議な事に冒険者の格好をしている者は少なく、工具を持った男が多い。まるで鉱山で働く人のようだ。
疑問が晴れたのは、入り口をくぐった後だった。
リトス迷宮の入り口は黒門そのままであり、一階層の中は鉱山のようだった。
見上げるほど高い岩壁に組まれた足場。岩をツルハシで掘る音が木霊している。リトス迷宮は魔石の採掘場となっており、掘り出された魔石がトロッコに乗せられ流れていく。
他にもゴーレムから魔石が採れるため、領主に雇われた人員が採掘しているのが一階層。
冒険者が採掘しても良いが、買いたたかれるのでお勧めされていない。
二階層からはゴーレムも強くなるので、試しにゴーレムを倒したのだが、手応えがない。(ウズル迷宮と比べると、柔らかい?)
階層主も常駐型しか居ないようだし、最下層は二十九階層。ウズル迷宮の半分もない。こう考えると、ウズル迷宮の異質さが際立ってくるのだが、他の迷宮を知らないミルは戸惑うばかりだった。
二階層、三階層と進み、一人で迷宮に潜る心細さを感じながらゴーレムを倒し、岩壁から魔石を拾っていく。階層を下がるにつれ魔石の質が上がっているようだが、出現モンスターはゴーレムばかり。別系統の属性が混じっているようにも見えなかった。
五階層まで下りたあと、ポケットいっぱいの魔石を持って買い取りカウンターへ引き返すことにした。
「まってください! 提示されている買い取り金額と明らかに違います!」
これを言うのは三度目だ。
カウンターに齧り付くミルをうざったそうに見た鑑定士は溜め息混じりに言う。
「お前のような子供が五階層で稼げるわけないだろう」
「間違いなく私が倒して得たものです」
少なくとも、買い取り金額を三分の一に減らされるような理由はない。
その鑑定士は鼻を鳴らしてこう言った。
「盗品を買ってやってるんだ。子供だと思って見逃してるんだ」
「盗んでなんていません!」
「いいか、二度目は無いからな。今すぐ突き出されるか、それとも利口になるか?」
「おい、さっさとしてくれよ!」
後ろの男に押しのけられ、ミルは列から外された。
鑑定士は小さな袋を床に投げ落とした。小銭の音がする。
それからどんなに言ってもいない者として扱い、ミルは男の会計が終わると同時に鑑定士が魔石を懐に入れるのを見てしまった。
けれど、誰も咎め立てしない。
ここはそう言う場所なのだ。
衝撃を受けながら暗澹たる思いを抱く。
袋の中は、パンが一つ買えれば良い値段だ。これでは満足に食べてもいけない。領主は何をしているのだろうか。
ようやくユグドの苦労がわかった気がした。
彼は姉が閉じ込められた迷宮を攻略するために冒険者を集め、とどめなければならなかった。そのために不正要素を悉く排除する必要があった。武器や防具、薬品を揃えるのにも金が要る。日々命をかけて捻出しなければならない金額に、多くの冒険者が頭を悩ませる。
(だから、盗みの罪が重かったのだわ……)
叔父に領地を盗られたことだけではない。冒険者を守る事が、ユグドを守る事に繋がっているとわかっていたのだ。
この領地にいては駄目になる。少しでも速く抜け出さなければ。
ミルは魔導具品を売っている店を探し、マジックバッグの値段を確かめた。青ポーションを見て、ギルドへ戻り観覧可能な階層情報を見る。
読み切った時、日が傾き始めていた。夕暮れになって、いっそうギルドが賑やかになっている。
(シャリオスさんのご飯……!)
店が閉まる前にと急いで商店街へ向かい、売れ残りのパンや果物を買っていく。何とか二人分くらいの量を買えたのだが、日頃シャリオスが食べている量に比べれば少なすぎる。
困りながら歩いていると、座り込んでいる少女と目が合った。頬が痩け、目が虚ろだ。
少女はさっと立ち上がると近付いて来て、ミルの服を掴んだ。無言で見上げてくる。
「どうなさったのですか? ご両親は?」
小さく腹の虫が鳴る音がして、一瞬自分かと赤面したが、少女の腹がもう一度鳴った。
(もしかして孤児……?)
少し悩み、ミルは自分の分のパンを渡した。
少女はもう一つ抱えているパンに目をやったが、首を振る。
「これは駄目です。私の分を差し上げますから、それで我慢してください」
一拍おいて、少女は小さく頷くと座っていた場所まで走り、奥の路地へ姿を消す。ミルはまた大きな人の後ろについて行って、なんとかシャリオスの眠る家までたどり着いた。
「お芋は……そうだわ、水場がどこかわからないです」
日は落ちきり、外へ出るのは憚られた。
さすがのシャリオスも洗わない生の芋をそのまま囓らないだろう。囓らせたら不味いわよね、と思って、壊れた竈の横に、袋を転がす。
寝具も無く、空きっ腹を抱えて丸くなる。
(このままの状態が続けば、シャリオスさんがお腹を空かせてしまうかも。でも、食べ物ばかり買うわけにもいかないし……)
少し考え、ミルは明日買う物を決めた。
翌朝、また鑑定士に買いたたかれた。
今度は四分の一。
最低すぎる。
あまりにも腹が立って、そのまま売らずに持ちかえってしまった。けれど、他に買い取りをしている場所など知らない。
けっきょくギルドに戻るしかないのかと道の端でしゃがみ込んでいると、影が差した。
昨日見かけた少女と、それよりいくつか年上の少年だった。つぎはぎだらけの服で、じろじろと見下ろしてくる。
「こいつか?」
少女が小さく頷くと、少年は「ふーん」と品定めするように見て、突然手を引っ張ってくる。
「あのっ」
「あんたこいつにメシをくれたろう。妹なんだ。俺達と同じで親が死んだクチか? 一緒にいる子供は弟か?」
ぎょっとすれば「魔法で空飛んでただろう」と言われ頭を打ち付けたくなる。
姿を隠すべきだったと、迂闊さに情けなくなる。
「良かったら俺達と来ないか」
引っ張られた先は曲がりくねった路地裏の先。下町を抜けた貧民街だ。そこかしこでチラチラと見られ、居心地が悪い思いをしていると、少年が手の平を差し出す。
「なんでしょう」
「魔石一個。ギルド以外の売り先を教えてやってもいい」
そういうことかとミルは袋から渡すと「よっしゃ、上物!」と少年は素早くポケットに入れた。
来た道を戻り始め、少女が抜け目なく周囲を見回していたことに、ようやくミルは気付いた。浮浪者を見つければ兄に教え、道を変えている。
「あの店だ」
一見寂れた掘っ立て小屋のように見えるが、中には武器や盾が並んでいる。鍵の付いた棚には魔法書とおぼしきものがいくつか並べられていた。
「ここのオッサンなら、買ってくれる。ギルドより安いけど、あんたかっぱらってきたんだろ?」
「違います!」
手を振りほどくと、目を丸くした少年は「おう、悪かったよ」と曖昧に笑う。
扉を開くと、鋭い目に睨まれた。
モノクルをかけた鷲鼻の男で、洗いざらした灰色のシャツにざんばらの髪は濃い緑。落ちくぼんだ暗い目をしている。パイプを置いて煙を吐くと、こう言った。
「何の用だ、餓鬼共」
低くしわがれて、どこか意地悪そうな声だ。
びくついている間に少年は話を進め、店主はじろりとミルを睨むと、無言で顎をしゃくった。
カウンターから立ち上がった男の背は高かった。
「ほら、買ってくれるってさ」
背中を押されておずおずとポケットから魔石を並べると、途中で店主が止めた。
「そこの二人は出ていけ」
「何でだよ! 別に盗みに入ったわけじゃないだろ」
「出ていけ!!」
振り上げた拳がカウンターを強く打つ。乗っていたパイプが床に落ちた。
轟くような怒声に、兄妹は慌てて出ていった。
凍り付いていたミルは振り返り、店主を見上げる。彼は一瞥もくれずドアを開け「近付くな!!」と再び怒声をあげると鍵をかけてしまう。それどころかつっかえ棒を外して窓を閉め、分厚い布で壁の隙間さえふさいでしまう。
たちまち店内は薄暗くなった。
ギロリと睨まれてすくんでいると、店主は仁王立ちしながら問いかけた。
「この魔石は何階層で取った」
「よ、四階層です」
「この黄緑がかった魔石はどのモンスターのドロップ品だ」
「え? い、いえ、違います。四階層の天井にあったのを採ってきたので」
そもそもミルはドロップ品出ない系冒険者である。シャリオスがいない限り、手にすることはほぼないと言って良い。
「そうか! あそこからか……」
感慨深い表情でカウンターに戻ると店主は何かを書き付ける。
それから水晶を取り出すと魔石に当てて調べ、金庫から袋を取り出した。
「盗んだ物ではないな?」
「違います!」
「わかっている。だが、表で声高に言うな」
困惑して窺うと、鼻の頭に皺を寄せた店主は、指先を突きつけた。
「これは掘り尽くされたと言われている魔石だ。迷宮資産が枯渇するなど本来あり得ないことだが、領主はそう信じている。だから、今は七階層以下のモンスターからドロップするだけの、高額な魔石になっていた」
どこからともなく出現する常駐型のモンスター。階層主に植物達。当然鉱物も含まれている。
「恐らく出現場所が何らかの要素で変わったのだろう。たまにあることだ。が、これはなかなかに珍しい魔石でな。雷の力が宿っている、研究者達がこぞって欲しがる物だ。身ぐるみ剥がされて場所を聞き出した後、殺されたくなければ黙っていることだ」
ミルは震え上がった。
「店主様もですか?」
「詮索は無用だ」
睨み付けられて後ずさると、ポケットから全部出すように言われる。
「さっきの浮浪児とはどこで会った? この魔石を見せたのか」
「浮浪児!?」
「なんだその始めて見たような顔は。浮浪児などどこにでも転がっている」
孤児だと思っていたミルは口元を手で覆った。
「孤児院は……いえ、何でもないです。あげたのは赤色の物です」
「あげただと?」
話を聞かれ、答えると怒鳴りつけられる。
「たかだか道案内程度で譲るとは、物の価値を知らぬ痴れ者めが! 貴様が譲り渡したのはパンに例えれば十日分だ!」
「う、いえ、わからなかったのは道案内の相場です。でも、ギルドは四分の一で買い叩こうとしてましたよ」
「貴様が盗人だから、何をしても泣き寝入りだと思って高を括っているのだろう。嘆かわしい」
「店主様は私の言い分を信じてくれるのですか?」
「そこまで耄碌しておらん」
何故か威圧的に睨め付けられる。
怒りっぽい人なのかもしれないと質問は最小限にする事にして、ミルはいくつか問いかけた。
領主の経営方針や、物価の相場。魔導具品の質が良い店などなど。店主は「物で交換してやろう」と奥の倉庫からいくつか品物を持ってくる。
足首まである丈夫なマントに、腰に付ける小さなマジックバッグ。簡易テント一式と分厚い毛布――これが一番嬉しかった――二枚に、ポーション三本。ナイフ、防犯用のアクセサリーが一つ。アクセサリーは盗もうとすると電流が流れる仕様で、魔石を交換する必要があるそうだ。店主の自作魔導具らしい。
丁寧に買い取り金額と品物の値段を告げ、引いた金額を手渡される。今夜はミルもご飯を食べられそうでほっとした。
「また買い取りをお願いしに来ても良いですか?」
「黄色い魔石が採れれば来なさい」
道がわからないが、ここは下町の端らしい。
ずいぶん大回りをさせられたようだ。
店に出ると、待ち構えていたかのように兄妹が現れる。手を引かれるままぐるりと回らされてヘトヘトだ。タダでさえ食事を抜いて働いていたのである。
「あの店に行きたかったら、また呼んでくれ」
魂胆がわかりしょっぱい顔で別れた。
食糧を買い込み、今度は光を屈折させて姿を消してから家に戻った。
リュックからシャリオスを取り出して毛布の上に寝かせると、口にパンを詰め込む。
「これで、生活の目途はなんとか立ちました。……皇国までの地図を探さないと」
ギルドにはそれらしい物はなかった。
売っている場所もわからない。
明日、もう一度黄色い魔石と採って店主に聞いてこよう。
ミルはナイフを取り出すと、指の先に押しつけた。あっという間に薄皮が切れて血が流れる。
「ごめんなさい」
たくさんの食事は用意できない。
口の中に押しつけられた物をシャリオスはもごもごと噛んだ。舌が指に触れてくすぐったく、血に触れればジューっと音を立てて吸われる。
(……なんだか搾取されているような感覚がするわ)
血が止まったのか、シャリオスは口を動かすのを止めた。マジックバッグから薄めたポーションを取り出して一口飲み、直ぐに戻す。
「……う?」
「あっ、シャリオスさん!」
小さく瞼が震えたかと思うと、赤い瞳が現れる。
トロリとした視線が彷徨い、知り合いを見つけてはっきりしだす。
「シャリオスさん私の事わかりますか?」
「ミルちゃん。でも大きい気がする……ここはどこ?」
「グロス領です」
「どうしてそんな場所に? あれ、僕小さくなってる!? わ、また馬鹿にされる……」
しょぼんとしたまま眠ってしまった。
何も事情を説明できなかったが、少しでも目が覚めた事にほっとした。
翌朝、同じように魔石を採って売ってきたミルは、シャリオスが目覚めていて微笑む。顔色は元々青白いのでよくわからないが、元気そうだ。
「おかえりなさい」
「具合は大丈夫ですか? 身体は? 辛いなら横になっていてください」
「ううん、今は平気。でもすぐ寝ちゃいそう……ね、どうしてこんな事になってるか聞いてもいい?」
話して聞かせると「厄介な事になってる」と溜め息を吐く。
「その浮浪児だけど、今日は会った?」
「はい。でも、もう売りに行ったと言うと帰っていきましたよ」
「わかった。もう近付いちゃ駄目だよ。見かけても無視して。取り込まれてしまうから」
一番最初に無償であげたパン。物の価値を知らず、与えてしまった魔石。
ミルはつけ込みやすいと思われている。そして迷宮で金銭を得ることができる。
脅す材料も揃っているとシャリオスは言った。冤罪であろうが盗みの罪を犯していると思われているし、証明すると店主の言ったとおりになるだろう。
「だとしても、要求は何でしょうか」
「自分達にも方法を教えろとか、仲間にするから分け前を寄越せ、かな? 店の人が黙っているのは、自分に利があるからだよ。魔導具師だろうから自分で使う分を安く確保してるんだと思う。でも、それが終わったら情報を誰に売ってもおかしくない」
シャリオスは立ち上がると、くるくると毛布を巻いてマジックバッグに押し込む。
「この家の場所は知られてるから、見張りを立てられるかもしれない。今日は宿に泊まろう。『あなただけの部屋』を解除して」
「何をするのですか?」
「影に潜って大通りに出る」
「駄目ですよ魔法なんて!」
「そうしないと後をつけられるよ。今日は宿に泊まろう。「春の日差し」って宿がある。看板に鳥の絵があるから、そこに泊まって。日数は銅貨三枚で泊まれるだけ」
「見張りが本当にいるのですか?」
「だってミルちゃん、見るからに不審だし」
思わず服装を確かめると、違うと首を振られる。
「行動が。育ちが良いの丸出し」
眠たそうに言うシャリオスは、すぐに用意させると影へ潜った。
大通り近くの裏路地だ。
「……明日の夜、起こして」
あと、美味しい物は取ってこなくて良いんだよと呟いて、シャリオスは目を瞑る。寝息が聞こえてきた。
やはり魔法が負担だったのだ。
ミルは不甲斐なさに落ち込みながら、言われた宿を探して料金を払った。銅貨三枚で三泊の激安さ。理由は部屋に入ってわかった。
寝台は申し訳程度の木箱に、鼠の這った痕。『あなただけの部屋』で閉め出せたが、無かったらと思うとゾッとする。壁も薄く、話し声が筒抜けになりそうだ。
翌朝、シャリオスは目覚めなかった。
血を飲ませたあと、姿を消した状態で宿を出た。そのまま迷宮に潜って四階層で採集する。
外へ出たところで兄妹の姿を見かけた。身なりのいい大人を案内しており、顔に見覚えがあった。
(追っ手の人だわ)
もう追いついて来たのだ。
そのまま部屋に戻り夜を待った。移動は全て障壁を使ったので、誰かとぶつかってしまうことはなく、外出したのもわからなかったはずだ。
「また美味しい物買ってきたの? お金は節約した方が良いよ。……貰ってばかりの僕が言うのもなんだけど」
むにゅむにゅと口を動かしたシャリオスだが、今日口に入れたのは血液だけだ。気付いていないようでほっとして良いのか悩む。
だが、それよりも追手のことだ。
事情を話すとシャリオスは考え込む。
「魔石はどれくらい採ってきた? お店が開いてるなら、全て店主に売って、もう一つマジックバッグを買って残りは食糧に変えるんだ。手数料を取られてもいいから、買ってきてもらって。受け取ったらすぐに、ここへ帰ってきて。夜には領地を出よう」
「わかりました」
全て言われたとおりにすると、店主は不審そうな顔をしたが、マジックバッグいっぱいに食糧を詰めてくれた。領地を出ると悟ったようである。
またいつかと別れを告げて戻る。
夜を待って、シャリオスと共に影へ潜り、反対側の門へ向かう。
夜中に外へ出る者は少なく、二人は早朝出の商人と交渉して端に紛れさせてもらった。
「もう寝よう……」
二人はくっついて目を瞑る。
やはりシャリオスは具合が悪そうで、翌朝も起きられず、ミルは再びリュックに入れて運んだ。
領地を抜け、言われたとおり進んでいく。
皇国へ向かうのはシャリオスも賛成のようだった。身を隠す必要があるなら、適した環境であると。皇国では他国民は目立つため、追手はすぐにわかるし、シャリオスの実家があるラムレッダ領にあるヨイソン村なら知り合いが多いので匿ってもらえるだろうと。
地図は売っていないという。
次第にシャリオスが目覚める間隔が長くなっていった。目を開けたと思ったら、すぐに寝入ってしまう事も多くなり、大陸を渡る港町へ来た時にはもう十日も目覚めなかった。
不安を押し隠しながら周囲を見回す。
路銀は道中倒したモンスターや毒抜きや染料に使う花などで賄った。
人に紛れる方法はシャリオスに教えてもらい、なんとかなった。そうでなければ追手に見つかっていただろう。
自分がいかに無知で何もできないか、家族がどうして帰ってこいと何度も手紙を寄越したのか、今更ながら、思った以上の人達に手を貸してもらい、気にかけられていたことを知る。
ユグド領でなければ暮らしていけなかっただろう。
ズリエルがギルドへ連れて行ってくれなければ、道の途中で誰かとトラブルになっていたに違いない。
ドーマの宿じゃなければアルブムを買う事はなかったろうし、寝込みを襲われていた可能性もある。毎日夕暮れには帰ってこいと彼は言っていた。きっと夜道を歩けるほど強くないとわかっていたのだ。
そしてシャリオスに出会わなければ、ミルはこれほど強くなれなかった。もっと無知なまま生きていただろう。
「シャリオスさん、早く良くなってくださいね。私、たくさんお話ししたいです。謝らなければならないことも、感謝したいこともたくさんあります」
大陸へ渡る船は年に一度あるかどうか。
当然隣国へ行くための物で、皇国へ向かう船など一隻も無い。
シャリオスは自力で大海原を横断したのだ。
購入したイカダは休憩用のものだ。
青ポーションの染みた水グミを口に放り込み、障壁に乗る。
首に下げた小さな方位磁石を持ち、海岸から海へ進む。
ここから先は、自分の力で皇国を目指すのだ。