第十二話
「寒い」
ようやくサルジラ領へ付いたシャリオスは、あまりの寒さに大きなアルブムを巻き付けながら歩く。体の半分がもふもふに埋まっているとはいえ、靴は雪が染みて濡れている。影で覆ったが、このままでは霜焼けになってしまう。
「キュアキュ」
「うー、わかってるけど服買ってからでいい? すみません! 防寒具のお店ってどこですか」
「うおっ!? お、おお……寒そうだな。そこの道を入って右手にあるよ。早く行きな」
まったく、速くしてよねと言うように鳴いたアルブムは尻尾で背中をさすってあげながら、くんくんと匂いを嗅ぐ。消えかけだがミルの匂いがしていた。
帽子と手袋とコートを買うと、その場で身につける。靴下を履き替えて靴を変えると、やっと人心地つく。
「風邪引いてないといいけど」
「キュア! キュキュ。ギュッ」
「あのお屋敷か。……すみません、あの家って誰が住んでるんですか?」
店主は顔を上げると「領主の別宅だよ」と髭を撫でながら言う。
「でかい屋敷だけど宿屋じゃないよ。ここから道二本向こう側がそうだから。それに、観光目的でも近付かん方が良い」
「それはまた、どうして?」
「十八年前に死んだご子息が生き返っただとか、悪魔に傀儡にされたとか大騒ぎなのさ。死んだ者が蘇るわけがないのにな。教会関係者や兵士がひっきりなしに出入りして、物々しいったらない」
「ありがとう!」
手を振って別れると大きく跳躍し、屋根を伝い別宅へ向かう。
アルブムはキュウキュウ鳴いて足をばたつかせた。ミルの匂いが濃いようだ。しきりに耳をピクピクさせている。
「ミルちゃんがいたら、何言ってるかわかるんだけど……」
「ギュー」
「ごめんね、アルブム。とりあえず生き返ったって言うなら薬師の関係者だよね。お貴族め……」
足を止めたシャリオスは、周囲に話を聞くことにした。今はどの人もその話題で持ちきりになっており、余所者に警戒しながらも与太話だろうと教えてくれた。
薬師はどうも別宅の地下牢に捕らわれているらしい。
悪魔か詐欺師かはわからないが、問題の魔法使いを逃がしたからだという。先ほど、後を追うためにアストン伯爵が私兵を走らせたという。
不味い状況になっている。
見られないように民家の影に潜り込むと、屋敷内に侵入した。薄暗い天気のおかげで影を伝って地下牢に行く事は容易かった。
白い息を吐きながら、そっと薬師の影から頭を出し声をかける。
「声を出すな、動くな。さもないと酷い事になるぞ」
びくりとした薬師は、粗末な毛布の上で小さく身じろぐ。頬をぶたれたせいか、口の端から血が滲んでいる。後ろ手に縛られているが、それ以外怪我らしい怪我はない。
シャリオスは看守の位置を確かめると、彼女を影の中に引きずり込んだ。
「ここなら誰にも聞こえない。質問に答えろ。ミルちゃんをどこへやった」
「あの子なら逃げたよ。もう四日も前の話さ。今頃王都を出て、ユグド領へ向かってる最中だろう。……あんたにも悪かったと思ってるよ」
「当たり前だ! なぜ待たなかった? おかげで大騒ぎだ! これじゃもう、平穏無事には生きられない」
「……すまない。だが、素性を知られたわけじゃない」
「今はだろう。時間の問題だ!」
「これでも辺境伯の娘だ。おいそれと拷問にはかけられないだろうよ。無論、吐くつもりはないがね」
「王家は? 記憶を覗く魔導具をもってるだろ」
「よく知ってるね……。そこまで行くとは思えない」
シャリオスは考え込む。
そして苦々しく嘆息する。
「アルラーティア侯爵に助力を頼む。王家が君達に無体なことをしないように」
「本気かい?」
「わからないじゃないか。君だって僕と話した翌朝にミルちゃんを攫った」
クースィリアは悲しそうな顔をして謝った。
現在巻き起こっている政変が終わる前に蘇生騒ぎを収めなければ、ミルと迷宮に潜ることは二度とないだろう。どころか、王家か教会か、はたまた伯爵家のどれかが隠し、一生会えなくなるに違いない。
「けっきょく名前は何なの?」
「クースィリア・アストン。弟はセロンラフル。彼女にはユーフィスという少女の通行証を渡してる。無論偽物さ。あんたの足なら王都で会えるかもしれない。……鈍臭いところがあったろう? ちょっと心配なのさ」
「……その心配を早く出せば丸く収まったのに」
「悪かったね。それに、迷宮にいく約束も」
「それはいいよ。まだ契約前だったし。でも次はないからね」
文句を言いながら手紙を書き殴ったシャリオスは、乱暴にクースィリアを元の場所に戻し、別宅を出た。
街道へゆっくり戻ると、アルブムの首に布袋を引っかけて、中に手紙を入れる。
「これからアルブムだけユグド領へ送り返すから、真っ直ぐ領主様のところに行って、手紙を見せるんだ。中にはご主人様の一大事だってことが書いてある。絶対本人に渡すんだ」
「キュ!」
事情により、クースィリア、セロンラフル両名の保護を強く求め、けして王家に渡さないこと。六十階層での借りを返して欲しい旨が書いてある。蘇生魔法の事は自ずと知れてしまうが、どうしようもない。アルラーティア侯爵家の情けに縋るしか無いような状態だ。
シャリオスは再び追尾魔法を使い、アルブムを送り返した。
「王都か……魔力ギリギリだな」
青ポーションの染みた水グミを口の中に放り投げ、影に潜った。
関所の列に紛れ込んだシャリオスは、終始そわそわと落ち着かなかった。気疲れしながら王都へ入った頃には、日は落ちきっていた。
真っ直ぐ騎士の詰め所に走って受付に齧り付くと、担当男性は険しい顔をする。こうやって駆け込んでくるときは問題が起こった場合だからだ。
「どうしましたか」
「数日前に、アストン領からユーフィスって女の子来ませんでしたか!? このくらいの背丈の女の子なんだけど、田舎から出てきました! って感じの子で!」
「落ち着いてください、何がありましたか?」
「何があったかは僕が知りたい!」
「は?」
「絶対一回はここにお世話になってるはずなんですけど!」
「……ええと、迷子ですか? 今?」
「迷子は現在進行形だと思う。速く見つけないと……こんな人の多いところに居たら攫われる」
「ええと、あなた何ですか? 冷やかしなら出てってください。ていうか出てけ」
半目の受付に追い払われそうになったシャリオスは「ど、どうしよう……もしかしたら攫われてるかも! いや、踏み潰されてたりして」と気が動転した様子で頭を振っている。
尋常じゃない様子なので落ち着くように待合室に誘導しようとしても、梃子でも動かない。
「とにかくユーフィスと言う少女が来てないか調べます。特徴を教えてください」
「凄く吹き飛びやすい軽さ!」
「……」
受付のこめかみに青筋が浮く。
ヒクつく口が「待ってろ」と吐き捨てる前に、通りかかった二人組の騎士が顔を見合わせる。
「吹き飛びやすいって、昨日の子か?」
「そう言えばいたな」
「詳しく!」
胸ぐらを掴む勢いで詰め寄ると、彼らは仰け反りながら答えた。
「ギルドに行くまでに五回も当たり屋に遭遇し、救護室に運ばれました。どれも軽く当たっただけなのに、酷い怪我だったので覚えています」
「怪我は回復魔法を使用したので綺麗に治っているかと。さすがに心配になったので、自分がギルドまで送りました。金髪で薄緑色の目をした少女ならば、そうです。親戚を頼ってきたと言っていましたが、もしかして貴方が?」
「それだ! その後、運び込まれて入院してるとか知りませんか」
「いえ。事件があれば、その日中に連絡が来ていますので、無事ではないかと。失礼ですが、行方不明ですか?」
最終的に手を繋いで送っていった騎士は、顔を険しくする。
具合が悪そうにフラフラ歩いていたし、背後に騎士がいるにもかかわらず、人相の悪い輩が路地裏で品定めをしていた。本人も「あれれ」と言うように何度も振り返っては、ぼけっとした様子で気付かない。
品定めしてる輩の前で立ち止まったときは、肝が冷えた。五歳児でも、もっと警戒心があるだろうに。
「そうなんですが、もうちょっと心当たり探してみます」
情報が来ないという事は、無事にユグドへ旅立ったのだろうか。
シャリオスは「もし見つからないようであれば、直ぐ連絡を」と励まされながら詰め所を出た。