第十一話
鈍痛で目が覚めた。全身が重く、指先一つ動かない。
酷く喉が渇いていた。
瞼を押し上げたミルは、小さく横を向く。
「起きたかい」
冷たい手が頬と額を撫でた。
クースィリアは心配顔で体の調子を尋ねてくる。
「あれから、何が……」
「覚えてないのかい? 魔力が枯渇して四日も眠ったままだったんだ。青ポーションを使っても、あんたの魔力は回復しないし、目覚めなかった。ヒヤヒヤしたよ」
特上級魔法の対価は補助が効かないのだが、クースィリアは手を尽くしたようだ。疲れた表情に安堵を浮かべ、食事の手配を頼んでいる。
だが、彼女が頼んだのは格子付きのドア越しで、扉には兵士が立っていた。
「悪いね。アレティアがとんでもない法螺話を父に耳打ちしたようだ。弟は教会に連れて行かれたきり、会ってない」
「生きていらっしゃいますか?」
「もちろんだよ。魔法は成功した」
緩む口元に、目元を和らげた。
(よかった、成功したのね……)
それよりも、とクースィリアは言った。
「弟が死んだのは知れ渡ってる。何度も死体を引き上げようと試みた事もあったくらいさ。食事を取ったら、直ぐ逃げるんだ」
「……そうです、法螺話とは何を言われたのでしょうか」
喉の痛みに耐えながら告げると、水の入ったカップを差し出される。
「アンタが人族の振りをした悪魔で、弟の死体を操っている狼藉者と言ったのさ。伯爵家の財をほしいままにするために姉を騙したとね。どうしても厄介者にしたいのさ」
「乳母だった方なのに、生き返ったことが嬉しくないのでしょうか。セロンラフルさんはご無事なんですか?」
「アレティアにとって弟はとうの昔に死んだ過去の人物。蘇ったと思えないんだろうよ。だから確かめるために、教会へ連れて行ったのさ。予想を超えた事が起こったとき、拒絶する者は多いよ。アレティアは父の幼馴染だから、他の使用人より優遇されていたしね。厄介な事をしてくれる」
だから令嬢の規範に当てはまらないクースィリアを詰ったのだろうか。
寂しそうに笑うのは、過去を思い出しているからだろうか。
しかし、セロンラフルが死体ではないと直ぐにわかるだろう。そうなればミルの無実は証明される。
なぜ逃げなければならないのだろうか。
「無実を証明された方が不味いんだ。あんたはアストン家か教会に監禁され、魔力の続く限り蘇生魔法を使う道具にされちまうだろう。蘇生魔法って言うのは、人々の究極の願いなんだ。お綺麗に着飾って祭り上げられたいならいいが、そうじゃないだろう? シャリオス・アウリールと共にウズル迷宮を攻略するのが目的のはずだ。捕まれば教会もアストン家も二度と手放さない。日の目を見ることはない」
「……すぐにでも、出ていかないと」
身一つで攫われたミルは、今度は追われる立場になるようだ。
しばらく沈黙が続き「悪かったね」とクースィリアは囁く。
「本当は、待つようにシャリオスに言われてたのさ。だけど、もう一秒だって待てなかった。だが、そのせいでアンタの人生を狂わせちまった」
「まだ、狂ってなんてないですよ」
問題は実家を知られることだが、クースィリアは名前しか告げていない。アレティアは貧民や悪魔と罵倒していたのだし、貴族とは思われていないだろう。当然セロンラフルは出自を知らない。
運ばれてきたミルク粥を腹に押し込むと、体がぽかぽかと暖まる。トロトロと落ちかける瞼を押し上げながら、なんとか寝間着を脱ぎクースィリアの服を着込む。上着だけで太股まで覆われ、余った布はまくり上げて簡単に縫い付けた。布紐で落ちないようにスカートを縛った。
「杖はこれを。ああ、まだ熱がある。マジックバッグを持って行きな。もう必要ないからね」
「ご一緒しないのですか?」
「反対に逃げるさ。一緒じゃ、どうやっても追手が勝る。アタシは看護できるから同じ部屋に入れられてただけだし、この後はどうせ尋問だ。別に逃げた方が良い。さあ、行くよ」
食器を下げに来た兵士は、大きく開いた扉から出て行く二人を追いかけもしなかった。不思議に思っていると「弟が死地で戦ったことを忘れてない奴は残ってるんだよ」と呟く。
振り返ると、クースィリアより年上の男だった。
敬礼で見送られながら幾度か廊下を曲がる。
中は広かった。階段を降り台所へ潜り込む。使用人は一人として二人の存在を視認せず、まるでいない者のようにあつかった。
裏口から通路に出ると外だった。
「裏手に馬車の準備があります」
通りに出る直前、道の端で談笑していた男女の片方が囁く。
「恩にきる。――馬車はあつかえるかい?」
「すみません、アルブムとウキキには乗ったことがあるのですが、御者は……」
「ならアタシが行こう。……ありがとう。この恩は一生忘れないよ」
二頭仕立ての馬車があった。
馬は大きく、暖かそうな織物を背中にかぶせられている。
男はうやうやしくドアを開けクースィリアを乗せる。直ぐに焦げ茶色の分厚いコートを纏って出てくると、扉を閉め御者台に乗る。
ミルは女性に引き寄せられ、素早く分厚いコートと、もこもことした帽子をかぶせられた。通行人に交じっても違和感のない、雪国の服装だ。
「靴はこれを」
ショートブーツはサイズが合わず、女性はもう一つ取り出すと「ぴったりですね」と小さく言って手を取った。
「娘の物が間に合って良かった。夫はかつて、ご子息に命を助けられました。アレティアの事をお許しください。あの方はご子息が死に、お嬢様が出奔されてから人が変わってしまいました。――シッ! 返事はいりません。私達は今、親子という事になっております」
婦人はそう言って微笑む。
遠目には仲の良い親子が談笑しているように見えるように装ってるのだ。
「この道をまっすぐ行けばアストン領の端に出ます。深い森が見えるでしょうが、そちらに行ってはなりません。隣国への国境とモンスターが待ち構えているでしょう。森を左手に、道なりに進めばアストン領が右手に見えてきます。服の裏側に通行証が縫い付けてあります。ユーフィスと言う名の少女が、親戚を頼って王都へ向かうための通行証です」
無論、ユーフィスという名の少女はいない。
「アストン領を素通りし王都へ向かいませ。冒険者登録をしてください。装備一式は、お嬢様が渡されたマジックバッグの中に。王都ならばユグド領へ向かう馬車が出ております。冒険者ならば、ユグド領へ行くにも不自然ではないかと」
視線で感謝を伝える頃には、人通りが無くなっていた。
剥き出しの地面に降り積もる雪道が、眼前に続いている。
「お元気で」
婦人はくるりと背を向けると、歩き出した。
ミルもまた、早足で道を進む。
ユグド領へ帰るのだ。
+
進むにつれて太く大きくなる街道を真っ直ぐ進む。行き交う馬車の数も増え、雪が減り人々の暮らしぶりが変わっていく。旅人に混じったミルは、彼らの後に続くように歩いた。
(前は、この距離を歩くだけでも辛かったのに)
地味に成長を感じていると、目的の門が見えてきた。
王都は他領に続く街道が整備され、城下は六角形をしている。地方領地に続く道が完成したのは五十年前。大反対を押し切って、王家手動で行われたものだ。
王都を囲む石壁は頑丈で高く、周囲は水路が巡っている。
ユグド領より規模も人も多い。
長い列を順番待ちしてようやく中に入った。
これから、ギルドに行かなければ。
けれど、事はそう簡単には進まなかった。
「へぶっ」
「おお痛ぇな! 腕が折れちまったー。こりゃ治療費――って瀕死!?」
カツアゲ目的のたくましい男にぶつかられたミルは、横の商店の入り口を壊しながら冗談のように吹き飛んだ。額から大量の血を流しながらピクピク痙攣している姿に、中にいた客はもちろん、店主も血相をかく。
「大丈夫か!」
「おい、あれ死んでんじゃないのか」
「誰か騎士を呼べ! 凶悪殺人犯が出たぞ!」
「……ま、待て、ぶつかっただけだ!」
「ままー」
「シッ! 逃げるのよ! あの顔は十人くらい殺してるわ!」
「違う、無実だ! 軽くぶつかっただけだー!!」
「軽くで吹き飛ぶか馬鹿たれェ!!」
しかし、無情にも現れた騎士達は「真昼の大通りで大量殺人だと!」と男をしょっ引いてしまう。死体に見えるのは一人だけだったので、残りは聞き込みを始めた。
男は最後まで「違う、俺じゃないっ。俺じゃないんだ信じてくれ!」と言い張っていたが、拘束されて牢屋に連行された。
「急患は! ……また、あなたなの。<回復魔法>」
「ううう」
騎士の詰め所に連れられた血まみれのミルは、回復魔法使いに見下ろされる。
すっかり怪我を治してもらったが「ね、良かったらお祓いしてみない? 貴方に会うの五回目なのだけど。呪われてると思わない? 浄化魔法の使い手に会えるよう、連絡を取ってみるから」と両手を握られながら真剣に誘われた。ご実家が教会関係らしい。
呪われてないのだが、拒否するまで三時間かかった。
ちなみに捕まった男達は「殺すつもりはなかった」と供述しており、反省した様子で大人しくしていると言う。
情けない思いで詰め所を後にすると、あからさまに騎士に付けられ、歩けば進み、止まれば止まる。振り返って道を譲ろうとしても横で立ち止まり、最終的には手を繋いで大通りを歩くことになってしまった。
(目立たないという目標が……! 都会って怖いわ)
まるで初めてユグド領に来た時のようだ。
早朝近くに王都入りしたはずなのに、気付けば五回振り出しに戻って昼を回っている。
おのぼりさん丸出しで犯罪に巻き込まれながら、ようやくたどり着いたギルドはとても大きかったし人も多かった。騎士とはそこで別れたが、何度も振り返って心配顔になっていた。
実は体調不良と微熱は続いている。蘇生の対価は甘くないのだ。
カウンターの女性はテキパキと仕事をこなしていく。
「ギルド証の発行ですか?」
「はい。冒険者登録をお願いします」
ユーフィスと言う名で発行されたカードを持ち、その日の宿を探した。驚いたのはユグド領と違って途轍もなく対応が悪かった事だ。おそらく、これが普通の対応なのだろう。
できるだけ大通りに面した評判の良い宿を探した。
「鍵をきちんとかけて、薬を飲んで早めに休まないと。明日は辻馬車の様子を見ないといけないし……」
追手にわからないように紛れる必要がある。けれどミルには隠密行動のやり方すら想像が付かないので、普通に辻馬車乗り場へ行って時間を聞くしかない。
翌朝、まだ怠いが熱が下がった体で時間を聞くと、直ぐに出発するという話だったので、代金を払って乗り込んだ。