第九話
どんなに辛いことがあっても、明日はやってくる。
眠れぬ夜を過ごしたミルは、カーテンの隙間から外を眺めていた。アルブムはスピスピと寝息をたてている。
「起きてるかい?」
「はい」
控えめなノックと共に入ってきた薬師は小脇に資料を抱えている。部屋の中を見回して首をかしげた。
疲れた表情をしている。
「ズリエルはいないのかい?」
「まだ寝ていらっしゃると思いますよ」
そうか、と頷いた薬師は入ってくると、テーブルの上に資料を置く。どこか肩に力が入っているような、強ばった表情をしている。
目元を押さえると、小さく溜め息を吐いていう。
「まだ落ち込んでたのかい? 冒険者が死ぬなんて良くある話だよ。おいで、ホットミルク作ってやるから」
「大丈夫です」
苦笑いしながら首を振る。
元気のない表情に、薬師は小さく息を吐く。
「蘇生魔法をは初めてだったんだろう。なら、失敗するのは当然さ」
「けれど私の力が及ばなかったばかりに……」
「違う。蘇生魔法はね、初めては絶対に失敗するのさ」
「え……?」
どういうことだろうか。
薬師はテーブルの上にあった着替えやローブを取ると、投げ寄越す。
首をかしげると「着な。まだ寒いからね」と促され、頭からかぶった。
「勇者の伝説をどこまで知っている? 特上級魔法に代償があることは?」
「代償のことは知っています。もしかして……勇者様も失敗を?」
「……。そうさね」
仲間がモンスターに敗れ命を失ったとき、勇者は蘇生魔法を発現させた。しかし呪文を唱えても生き返らなかった。
なぜかと慟哭する勇者に光の精霊は『蘇生魔法の代償』だと言ったのだ。
「大切な人を失う恐怖に勝ち、膨大な魔力を注いでも最初の一人は生き返らないんだ」
酷い話さね、と力なく笑う。
どうしても助けたいと言う思いが魔法を発現させる。けれど魔法は希望ではなかったのだ。
二度目の蘇生は成功したが、それでも一番に助けたかった者の命を零した。棘となって心に刺さった傷を、勇者は死ぬまで引きずり続けたという。
「どうやっても助けられなかった。自分が無力だと落ち込むことはないよ」
慰めの言葉も耳に入らず、呆然としてしまう。
目を伏せた薬師はマジックバッグからバケツを取り出し、中身を床や壁にかけた。
「何をするんですかっ」
「蘇生魔法は、二度目は成功する。……落ちていた魔力も十分戻ったね?」
はっと立ち上がって後ずさる。けれど薬師がミルの手を捻り上げる方が早かった。
「アルブム!」
「無駄さ。誰も起きやしない!」
「やめて!」
床に引き倒され、椅子が跳ね飛んだ。
「そんなに失敗したことが気になるなら、アタシの願いを叶えておくれ!」
「サンレガシ様!」
そのとき、部屋の扉が乱暴に開く。入ってきたズリエルは薬師の投げた紙包みの中身を浴び、足下から崩れ落ちる。
「ぐうっ!?」
「ズリエルさん!」
「ただの眠り薬さ――あのおっかない吸血鬼が出てくる前に行こうじゃないか」
はっとすれば足下ベッドの下から腕が伸びている。しかしシュウシュウと煙を上げ藻掻いているようだった。
「この水はね、聖水さ」
薬師は水晶を取り出すと思い切り地面に叩きつけた。
飛び散る透明な欠片が空間を裂き、ほどいていく。
床の底が抜けた。
「ミルちゃん!」
「シャリオスさんっ」
焼けただれた腕は骨まで見えそうだった。
お互いの手を掴むことなく、伸ばした指先は空を掻く。
穴は瞬時に二人を飲み込んで消えた。
「アルブム、起きろ!!」
「キュア!?」
ビリビリと空気が震えるほどの怒気を放ちながら床に拳を叩き込む。全身が聖水で焼ける中、痛みを感じていないかのように赤い目を爛々と輝かせた。
+
夜空に落ちていくようだった。
きらきらと光る白い光が泡のように下から上へ流れていく。纏わり付くもったりとした空気が体を絡め取り、満足に動く事ができない。
やがて川の流れが海へ行き着くように光が溢れ、広がった。
とっさに目を瞑ったミルは、体に纏わり付いていた何かが手を引くように離れていくのを感じる。
「きゃあっ」
自由が戻ったと思った途端、地面に尻餅をついた。冷たく凍った地面に驚いて手を離すと、白い雪がぱらぱらと零れる。手の平が赤く染まっていた。
「ここは……」
「サルジラ領。アストン伯爵が治めている土地さ」
静かな声にはっと振り返る。
逃げようとも思ったが、見覚えのない雪原の中。目印になるものもなく、逃げてもたかがしれているだろう。レベル差も歴然だ。
薬師は左手を差し出すが、いつまでも取らないので強引に引っ張った。
「いつも一緒だった使い魔も、過保護な吸血鬼も母親みたいな犬人族もいないよ。凍死したくなかったら、言う事を聞きな」
マジックバッグから取り出した毛布でくるむと、そのまま背負い籠にミルを入れ、頭に頭巾をかぶせる。
「今日は野宿になる。ここらに洞窟があったはずさ」
「あの、どうして……」
「あんたに死なれちゃ困るんだよ。わかったら、大人しくしてな。質問は無しだよ」
籠を背負った薬師は深く積もる雪の中を歩き始めた。
+
一夜明け、シャリオスはイライラしながら床を睨み付ける。
ミルが転移石を使って攫われた場所。前日にシャリオスと彼女は話をした。
目的の蘇生魔法が目の前にあるのだ。本人もリーダーと話をしなければならないことはわかっていた。彼女は喉から手が出るほど魔法を欲しがっている。
本人に頼まないのは、必ず邪魔されるとわかっているからだ。もし魔法が成功すれば、当人達が口をつぐんでも、いずれ知られてしまうかもしれない。
その危険から自らを守れるほどミルには力が無い。権力の前には無力な子供だ。懇願されれば断れない優しさもあった。その甘さにつけ込まれ、絡め取られる姿は簡単に想像できる。
だからこそ、シャリオスはウズル迷宮完全攻略後にするよう、話を持っていった。今よりレベルも経験も得たなら、幼さが抜けている。そう思ったのだ。
了承した薬師だが、表向きだけだった。彼女はシャリオスの部屋を後にすると、ズリエルの部屋へ資料片手に訪れ、そのまま眠り薬を盛った。
その日の護衛はズリエルの番だった。
眠りこけていたシャリオスは、聖水の薄いベッド下の影から這いだしたものの、まんまとミルを連れ攫われたのだ。
アルブムは何でも囓る癖があり、何の警戒もなく薬師から貰った食べ物で眠ってしまったのだろう。
マジックバッグから取り出した魔石を握りつぶして粉にすると、真円を描き羊皮紙を広げる。複雑な魔法式が書かれている。紙が粉末の魔石に触れると魔法式が群青色に発光し、紙から浮き上がった。描かれた真円まで広がると、トロリと空間が溶けるように歪んだ。
肩に乗ったアルブムが爪を立てる。
小さな痛みを感じながらシャリオスは歪んだ空間へ手を伸ばし、こじ開けるように体を潜り込ませた。
全てが戻った時、魔力を失った魔石の残りかすと、魔法式の抜けた紙だけが部屋に残る。
「くそ、座標がズレた。追尾魔法の精度最悪じゃないか。帰ったら文句言おう」
「キュアキュ」
「ここからはアルブムの鼻だけが頼りだから、よろしくね。ミルちゃんの匂いを探すんだ」
ズリエルは未だ薬が抜ずふらついていたので、ベッドに置いてきた。起き上がったら後を追うなり待つなり、自分で判断するだろう。
巨大化したアルブムは「キュ!」と鳴く。
ひらりと股がったシャリオスは一面の雪原とちらつく雪を見て「まずい、追えないかも……」と弱気になりつつ、ふわふわの毛を掴む。
背を低くし後ろ足に力を込めたアルブムは疾走する。