第六話
横に転がろうにも指先一つ動かなかった。このままでは頭の半分が削ぎ落とされる。
剣先が額に触れる刹那、アルブムの口から吐き出されたブレスが直撃した。
「ミルちゃん、逃げろ!」
横から投げ放たれた短剣が、さらに剣を弾く。シャリオスだ。
「敵襲――!」
「グルガアア!!」
警笛が響きモンスター達がざわめく。
巨大化したアルブムがミルを守るように前に出た。全身を凍り付けにされた襲撃者は、その中でさえ生きていた。透明な氷に罅が入り、白く濁って砕け散る。
「ぼさっとしてないで唱えなさい! <火球>!」
「怪我人はこっちに寄越しな!」
「は、はい!」
我に返って障壁を動かす。
襲撃者に避けられた火球が土埃を消し飛ばす。
見えた光景に、顔を顰めなかったと言えば嘘だ。夥しい血溜まりに伏す冒険者達は、完全に事切れていた。ある者は首を、または心臓を一突きにされて。
「行くんじゃないよ!」
薬師が吐き捨てる。
悲鳴を上げた調査団が我先に階段へ殺到した。頭上で様子を窺っていたモンスターが高く鳴き、滑空する。
「<障壁>!」
展開された障壁が彼らをとどめ、モンスターから守った。けれど恐怖は収まらない。叫び声を上げ、その声にモンスターが反応し、横穴や砂場が騒ぎ、それがまた恐怖を煽る。
シャリオスは襲撃者と一対一で戦っていた。剣劇の音はする、金属がこすれ合って火花も散る。だがその姿はぶれて見えない。
他の冒険者達は襲い来るモンスターの相手で一杯一杯だ。
「<沈黙魔法>!」
ぴたりと悲鳴が止む。
動きが止まった一瞬で、帯のように伸ばした障壁を使い調査団の一員を一カ所に引き寄せた。口をぱくぱくと開けている彼らを完全に無視し、全方向へ障壁を伸ばし、隔離する。
「お手柄だよ。まったく、迷宮で騒ぐだなんて馬鹿のすることさね! <回復魔法>」
緑色の光が怪我をした団員に飛び、一気に回復する。青ポーションを煽った薬師は、苦戦する冒険者に短杖を向け同じように唱える。
「こ、のっ。ちょこまかとぉ!」
「誤射に気をつけろな」
「うるさい肉壁! さっさと倒して、加勢、しなさいよー! <炎球>! アンタもよシャリオス! 仕留めろってのよっ」
放たれた業火混じって「三対一だから無理ー!」とイルの声が響く。
「では、私が加勢します」
動作すら見えなかった。ウィリアメイルの放った一撃の矢が、襲撃者の眉間に深々と突き刺さる。完全に貫通している。けれど、一切の動きがとまらない。
「なんなのよあいつ! ちょっと心当たりあるんだけどっ」
「――ぜんいんはなれろ」
低く息を吐くようなシャリオスの声が届く。背筋が寒くなるような威圧感に一斉に間合いを取った。
「<暗黒炎>」
黒い炎が襲撃者を焦がしていく。通常なら、対象は炎に食われるように苦しそうに燃える。しかし襲撃者は燃えながらもシャリオスに向かって剣を振り下ろし続けた。衣服が燃え、剣すら原型を失っていく。腕が炭化し、ぼろりと落ちた。
やがて露出した顔を見て息を飲む。
顔がなかった。
縦に走った亀裂から蠢くように涎が染みだし、針のように尖った牙が蠢いている。まるで砂ミミズのようだ。
足を失い襲撃者が崩れ去ると同時に、シャリオスは両膝をついた。双剣が地面に落ち、腕が怖いほど震えている。
「シャリオスさん!」
「みるちゃ……げ、くや」
すぐに解毒薬を取り出したミルは、蓋を開けて口に流し込む。次第に腕の震えは落ち着き、浅い呼吸が深く戻った。
「ありがとう、助かったよ」
「いいえ、私の方こそありがとうございます。……今のは何だったのですか」
「わからない。八回胸を刺して五十回首を飛ばしても、すぐに怪我が治って首もくっついてた。あと、変な霧状の息を吐かれて。……油断した。毒だったと思う」
吸ってしまったシャリオスは動きが鈍くなり、苦肉の策で魔法を使ったという。アリアの火属性魔法を悉く避け、シャリオスの物理攻撃を受けていたことから、火が弱点だと予想を立てたからだ。相手も赤色とは違う闇属性魔法の炎には油断したのだろう。
まともな人間で、思考があればの話だが。
「それより、戦闘も終わる。怪我人は薬師が診てるから、僕らは死体を確認しよう」
「全員即死みたいです」
揉めていた冒険者達は跡形もなく吹き飛び、誰が誰だかわからない。持ち物を集め、遺体を袋に集めた。
「いったい、どこの誰が襲ってきたんだろうね。普通じゃなかった」
「――教授! クリム教授! しっかりしてください! へぶっ」
「邪魔するならすっこんでな!」
殴られたルールックが信じられないと言う表情で頬を押さえている。尻餅をついた彼に一瞥もくれず、薬師は解毒薬の蓋を開けミルを呼びつける。
「<回復増加魔法>十回おし! 合図したらかける!」
「は、はい!」
投げ寄越されたポーションに慌てて魔法をかけ時間を止める。
薬師は、俯せに倒れ、背中をズタズタに引き裂かれたクリム教授の治療に専念する。手にはピンセットを持ち「手伝いな!」と周りを怒鳴りつけている。
「爆発に巻き込まれた?」
「だったらよかったね。刺さってんの全部毒針さ! ちくしょう、抜かなきゃ治せやしない。背骨が完全に折れちまって動かせないってのに!」
「どいて、僕がやる」
シャリオスの足下から伸びた影がクリム教授の背中を覆う。ニュルリと引っ込むと、一つ残らず毒針が抜け、青黒く変色した肌が残った。
「解毒薬に十回!」
「はい!」
「かけな!」
「は、はい」
解毒薬が効いて、肌の色がジワジワと戻っていく。
マジックバッグから取り出したナイフを背中に当てようとする薬師の手を、ルールックが押さえつけた。
「教授に何をする!」
「このグズな馬鹿野郎を何で離したんだい!!」
心臓が縮み上がるほどの怒声だった。殆ど殺気に近い。
シャリオスがルールックを羽交い締めにし、暴れる彼は取り憑かれたように藻掻いている。
迷いなど一瞬も無い手つきで傷口を開き、折れた背骨の様子を確かめる。目を見開き、瞬きさえせず砕けた骨を<回復魔法>で修復していく。
「ポーションは傷を治す。けどね、それだけじゃ治らない場合があるんだよ。――あった」
淡い橙色の小さな粒を見つけた薬師は空き瓶に入れると水で手を洗い解毒薬をかけ、残りをクリム教授の傷口に流し込む。染みこんでいくのを眺め、もう一本解毒薬を取り出すと、傷口に流す。
「何をしてるんだ! 早く傷をふさいでくれ! おい、お前達なんで黙って見てる!」
「いい加減にしろ」
シャリオスがルールックの口を手の平でふさぐ。
痛みにクリム教授が呻いている。意識はないようだが、このまま背中を開いたままでは危ないのではないか。
そう思っていると、傷口に溜まった解毒薬に何かが浮いた。先ほど取り出した淡い橙色の小さな粒だ。
「あの、それは?」
「成分を見ないとわからないさ。でも、どうせ遅効性の毒だよ」
「むぐ!?」
五つの粒を回収して別の瓶に入れると、薬師はじっと傷口を見て何かを確かめた後、素早くガーゼで解毒薬を拭って、ミルにハイ・ポーションをかけるよう指示する。
すぐに効果を発揮し、傷口は跡形もなく消えた。
「この教授は運が良いよ。あんな量の毒針をさっさと抜けて、<回復増加魔法>を重ねがけした解毒薬を使用できた。神経も何もかも無事に治ったろう。しばらくは解毒薬を飲み続けた方がいいだろうけどね」
じろりと睨まれ、ルールックは怯む。
シャリオスは口を離したが、彼が逃げられないように腕を掴んだままだ。
「ルールックとか言ったね、あんた。どうして教授が狙われてることを言わなかった。これは契約違反だよ」
「そ、れは。なんの証拠があって!」
「そうかい、ならギルドで弁明するんだね。さあ、他に怪我人はいないかい! 終わったら撤収するよ」
「待て! 勝手に指示を――ひ」
薬師のほっそりとした指が毒針を眼球すれすれまで近づけている。
「今ここで、この針で、お前さんの口を縫ってやりたいと心から思ってるんだ。確かにあんたらは依頼人で護衛対象さ。だがね、指示に従わず暴れ出す輩を守るんじゃ、命がいくらあっても足りないんだよ。こちとら治療を邪魔されるのが、死ぬほど嫌いなんだ……!」
「ひっ」
「わかったなら黙りな」
吐き捨てるように言った薬師の背中をルールックはきつく睨み付ける。
彼を離したシャリオスは、はらはらしていたミルに近づくと、尻の下に腕を回して子供のように持ち上げる。
「わっ。どうなさったんですか? 下ろしてください」
「危ないから一緒にいよう。アルブム、さっきはよく防いだね。格好良かったよ」
「キューッキュッキュッキュ。キュフフフフ」
くねくねしたアルブムは肩から膝に降りると、グリグリとシャリオスに頭を押しつけた。
+
クリム教授が襲われたのは、彼の研究しているテーマに問題があった。生物学者である彼は合成生物の研究も進めている。複数のモンスターを錬金術で合成することによって、新種を創るのが主流となっているが、殺戮や殺傷能力の高いモンスターを創る研究も内々で進めていた。
そう話すのは、ユグドに仕えるアリーシオと言う青年だった。
領主家の応接間に招かれた一行は、そのまま依頼の背景を聞いている。
「彼らを襲った男も合成生物のようでした。商売敵が無き者にしようと襲ってきたのでしょう。今回の調査も材料探しのようでしたし。さて、ここで問題になるのは件の襲ってきた合成生物です。中身を分析させた結果、人族と砂ミミズの合成でした」
「それを僕らに言うって事は、知り合い?」
「六十階層からの帰還者です。故郷に帰る途中、攫われたか騙されたか……調査中ではありますが、無関係とも言いがたいのでお話ししております」
そうか、とシャリオスは促す。
「アルラーティア侯爵家は後継者が納めるはずの財産を盗まれています。このウズル迷宮は守り切ったのですが、形見の品も屋敷も取られ、今は政変の直中。貴方達は関係者ですので、お気を付けください」
「今回のことが関係あるの? 政変が収まったから僕らを外に出したのではない?」
「はい。件の狼藉人――叔父に当たる男は、現在アルラーティア領にて抵抗中です。十年も迷宮で生き続けられるわけがないと主張しております。証人達を消し、魔剣を奪えば良いとお考えのようで」
「馬鹿馬鹿しい話だね。これじゃ領主も苦労する」
「まったくです」
不思議な事にアリーシオは一行を気の毒そうに見やった。
「これからユグド領は激動です。決着がどちらに付くにしろ――無論、負けるつもりは毛頭ありません。身の危険もそうですが、すり寄ってくる者も多くなるでしょう。甘言を弄する者や金銭で揺する者、ご家族との繋がりも、ご注意を」
ミルは背筋がひやりとした。
それを見て「大丈夫ですよ」とアリーシオが視線で宥める。
「方々に手を打っておりますので」
「そりゃ、ありがたいけどね。あの教授はどうすんだい」
「療養が終わりましたら、真っ直ぐお帰り願います。無論、皆様の経歴に傷が付くことはありません。あちらも構っている暇はないでしょう」
ギルドで弁明したものの、調査や証言によってルールックの言い分は避けられたという。
依頼内容は迷宮内での護衛であり、言わなくとも変わらないとルールックは主張したそうだ。
確かに変わらないが、難易度が変わる。
今回依頼を受けた中には、四十階層以下へ進出するのが初めてのパーティもいた。それは【空の青さ】に限らない。命を落とした冒険者の中にもいた。
適正ランクに満たない案件を紹介すれば、ギルドの信用に関わる。調査能力や危機管理、果ては領主への不満に繋がる。迷宮ギルドは単体組織ではなく、ギルド内の一部署に過ぎないからだ。無論、適当に運営している領地も多いが。
ルールックはクリム教授の命が狙われる事を知っていた。
またクリム教授も、めぼしい成果を上げられておらず、博士号剥奪の危機にあったという。だからこそ新種モンスターのいるウズル迷宮に目を付けたそうだ。
ルールックは否定したが、低レベル冒険者や付与魔法使いに対する暴言は、実力の低い者を弾こうとしたと判断された。さらに、シャリオスの用事に合わせ調査日程をずらしたことが決定的とみなされる。冒険者の都合に合わせる依頼は少ない。
「状況を告げなかったことはルールックの独断だったようです。どうも、依頼料と研究費の兼ね合いだったようで。今回亡くなられた方はお気の毒でした」
「領主様は対応に追われてたりするの?」
「ええ、それはもう。……余計な事をしてくださいました」
迷宮内でモンスター相手に護衛することと、要人警護は難易度が違う。死者も多数出たとなればルールックが今後ユグドで依頼をする事はほぼ無理だ。例え貴族であっても、治めているのは爵位持ちの貴族だからだ。
慰謝料を含め、議論が終われば口座に料金を振り込むとアリーシオは言う。もともとは領主の紹介状を持っていた人物からの依頼だったので、ユグドは面子を潰されたようなものだ。
シャリオスは気にしないだろうが、世間はそう思わない。
忙しい時期に余計な事をしたと、本人はお怒りだ。