第六話
目を開けると体が重かった。周囲は薄暗く、日の光は落ちているようだった。
かすんだ視界のまま首を横に向けると声をかけられる。
「起きた?」
のぞき込んでくるのは心臓に悪い美青年。赤い目を見ていると記憶が蘇ってくる。
「もしかしてシャリオスさん? ここは……」
「そうだよー。よかった、忘れられてたらどうしようかと思った。ここはミルちゃんが泊まってる宿の別室」
最初はギルドの医務室にいたが、異常がないのでベッドを開けてほしいと追い出されたそうだ。申し訳ない。
ギルドに泊まってる宿を聞いて、ここまで運んできたという。
「なんだか部屋に入れなくてドーマが驚いてたよ」
「あぁ! すみません……」
「魔導具だよね?」
ソワソワし出したシャリオスに微笑みながら首に提げた『あなただけの部屋』を見せる。
「これです。私が許可した人じゃないと入れなくなるもので、ドーマさんに言うのを忘れていました……」
「わっ! 見たことないなぁ」
「兄が私に作ってくれたものですので」
「えっ!? ミルちゃんのお兄さん魔導具作る職の人? 名前なんて言うの?」
「まだ修行中なので無名ですよ」
なんとなく家名を知られたら嫌だと思い、誤魔化した。
首をかしげながらもシャリオスは言いたくないのかと話題を変え、足下の荷物を持ち上げる。
「散らばってた荷物を拾っておいたから。回りを探してみたけど、他に落ちてなかったから、全部だと思う」
一度視線を向けたミルはシャリオスの顔を見上げる。
「どうして二階層に? あ! 近くにいた姉弟がどうなったか、ご存じですか」
「見なかったけど、誰か死んだ話は聞いてないから無事じゃないかな?」
「よ、よかったです」
ぐーっと体がベッドに沈む。
一気にだらっとした表情になったミルに微笑み、シャリオスは「具合はどう?」と聞く。
節々が痛いのは筋肉痛だろう。
「それで杖なんだけど、真ん中からぽっきり折れたでしょう? 直せないって職人が言ってたよ。中に入ってる魔力伝導がおかしくなってしまったんだって」
新しいのが必要だねと言われ落ち込んだ。妹が作ってくれた杖は今までミルの生活を支えていたし、故郷を思い出す大切な道具だった。
「具合良くなったなら部屋に戻らない? 荷物持ってあげる」
「『あなただけの部屋』使うところ見たいだけですよね?」
「へへへ」
魔導具に目が無い吸血鬼は誤魔化すように笑う。
何が楽しいのか、シャリオスはミルが部屋を開けて招き入れると、扉の鍵を入念に調べて喜んでいた。
曰く「ここにある鍵は二重ロックになってるんだね! 『あなただけの部屋』が最後って言うところも条件の一つでうんぬんかんぬん」と早口で言われて最後の方は聞き取れなかった。でも恩人が喜んでいるのだからいいや、と思う。
階層主討伐報酬は六対四にしようと言われ受け取った。ミルは止めを刺したシャリオスが全額もらった方が良いと思ったのだが、足止めをしたことがとても重要なのだという。なんでも兎型の階層主は初心者殺しと言われるほど凶悪で、毎回死人を出しているそうなのだ。動きが速く、十階層のモンスターに比例するような強さで、今回もそう。
誰も死者を出さなかったミルは、他の人のためにもお金を受け取るべきだとシャリオスは言った。
お金の入った袋を受け取ったミルは、後で銀行に入れようとほくほく顔をしたのだが、シャリオスに止められる。
「杖を買うの忘れてる?」
「あ!」
「それから、装備も新調しないと。これから下の階層に降りるでしょう? 今の装備だと一撃であの世だよ?」
「あの世……!」
「ミルの屍は、永遠に迷宮に横たわるのであった」
「ひい」
と言うことで、厳かな顔したシャリオスが良い店を知ってるというので、明日出かけることになった。
ミルは大金を見ながらしょっぱい顔をした。
+
翌朝、筋肉痛はもっと酷くなったへっぴり腰のミル。
朝ご飯をくれたドーマに『あなただけの部屋』の事を話すと「次から気ぃつけなぁ」と凄みのある顔でサンドイッチの皿を出した。置く度に尻が数セメト浮くのにも馴れた今日この頃。準備を終えたミルはシャリオスが宿に来るのを待っていた。
「そう言えばシャリオスさん、朝出歩いて大丈夫なのかしら?」
「ふっふっふー! 完全武装するから大丈夫」
おや、とぼやいていたミルは玄関口を見た。黒い鎧に全身を包んだシャリオスがいた。
小さな隙間から入ってくる光は<纏う闇>で弾いていると言う。のぞき込むと表情すらわからない真っ黒さ。声だけが聞こえてくる。不気味だ。
「熱くないのですか?」
「耐熱装備だから多少は平気。行こう?」
こっちだよ、と手招かれて怪しげな格好のシャリオスについて行くことしばし。大通りから外れた一軒家に招かれた。外はあばら屋という、一見やっているかわからない武器屋の店番は煙管から口を離し、ぷかりと丸い煙を吐いた。
壁に掛けられている盾には埃が積もり、無造作に置かれてる剣の箱もそうだった。テーブルの下には防具が適当に積まれ、全体的に薄汚い。
「なんだぁ、子育て始めたか?」
すり切れた繋ぎ服の男は顔の半分が火傷で爛れていた。瞼が半分開かないのか、皮肉そうな表情に見える。顔の側面には垂れ耳が付いていた。犬人族だ。
「違うよ。今日はお客さんを紹介しようと思って。ミルちゃん、このおじちゃんは装備屋の店長。いつもお客さんが来ないように頑張ってるんだ」
「テメェみたいな面倒な客を追っ払ってんだ。知ってんなら連れてくんじゃねぇよ」
「こんなこと言ってるけど照れてるだけだから。おじちゃん、この子は魔法使いなんだ。杖と装備を一式くれる?」
「お前って自由だよなぁ。聞いちゃいねぇ」
手招きされたミルはがっしりと両頬をつかまれてビクッとする。
「魔法使いだぁ? こいつぁ付与魔法使いじゃねぇか」
「そうだったの? ごめん、そう言えば聞いてなかった」
「せっかち野郎め。おら嬢ちゃん、ギルド証出しな」
「ひい」
半目になった店主にカードを出すと「ふーん」と眉を上げる。片方しかない眉毛を見ていると再び「ふーん」と興味なさそうに返される。
「おじさんは鑑定魔法持ちなんですね」
「店主って呼べよ、どいつもよぉ。攻撃魔法は使えんのか?」
「ええと、それが光属性で……」
「そうかい。なら補助メイン武器か」
「あ、でも攻撃もできるんですよ! 光魔法にだって攻撃魔法がですね!」
「ふーん」
全然信じていない様子で後ろの箱を漁ると、一本の杖を出してくる。白い木で出来た長杖だ。
「カンデラ木を削って作った杖だ。時空魔法とも相性が良い。店でお前さんにあう杖はこれしかねぇよ。銀貨二十三枚寄越せ」
この領地では料金をせしめるように言うのが普通なのか。ミルがゴクリと生唾を飲んでいるとポイと杖を投げ寄越される。
「あれ、軽いです」
「そりゃカンデラ木だからな。光属性持ちにゃ軽く感じるだろうよ」
「へー! 僕が持ってみてもいい? 重っ」
受け取ったシャリオスの腰がずん、と落ちる。ミルが触ると軽くなったようで不思議がっていた。
「おじさんも光属性持ちなのですか?」
「馬鹿いえ」
ぐっと腕を曲げると筋肉が盛り上がる。背が高く、がたいの良い男だが、いくら何でも腕が三倍に盛り上がるのは詐欺だ。目を丸くしたミルにニヤニヤ笑いながら反対の腕も曲げると、ムキンと盛り上がった。
「光属性持ちはあんまりいないからな。そいつは手慰みに作ったようなもんだ。カンデラ木は、木自体が光属性だからな。あと気難しいから持つ奴を選ぶ」
「おじちゃんみたいな杖なんだね」
「てめぇ出禁にするぞ」
「はいはい、防具は?」
「ちっ! 金は置いて行け!」
強盗みたいな事を言いながら再び投げ寄越されたのは、長い皮ブーツに尖り帽子。足下まであるローブとスカート、手袋だった。全て白で統一され、銀の刺繍がしてあった。
「羽衣装備一式だ。光魔法の効果アップ。防御力も相当ある。破れにくいし防水だ。雨の中もフードかぶって歩けるぞ」
「おじちゃんが作ったの? デザイン可愛いね」
「先代だボケェ」
ミルは着てみろと試着室に追いやられた。試着室というか部屋の隅に布が引っかけられた場所みたいだったが。
なんだか乙女チックな衣装だ。しかも裾が余ってしまう。
ちょっと恥ずかしく思いながら出ると、店主は半目のまま頷き。シャリオスは無言でニコニコした。どういうことかわからないが失礼だな、とミルは思った。
「そのうち成長するから大丈夫だよ」
「なにがですかシャリオスさん」
「胸と足と裾は詰めとくぜ。身長が伸びたら直してやるから来い。全額金貨三枚と銀貨五十二枚。銅貨九十二枚はまけといてやる」
残酷な胸部への対応を言いながら、店主は靴の履き口を一回折り込んだ。そしてもう一度折り込んだ。
「毎日ミルク飲めよ」
残酷すぎる店主はミルの頭をごしごしと撫でた。シャリオスは成長期だから、と言いつつ悲しげな表情をしていた。
ぶかぶか装備は明日までにサイズを合わせてくれると言うのでお任せした。銅貨九十枚取られた。実質銅貨二枚のお値引きでは、と思った。
そうして外に出ると、重い財布は軽くなり階層主の報酬は吹き飛んだ。装備を受け取ったら探索を頑張らねば。
「よかったね。あれきっと一生物の装備だよ。僕は金貨二百四十枚とか取られたし」
「金貨二百四十枚……!」
吸血鬼専用装備はいちいちオーダーメイドで高いのだと、シャリオスは世知辛い顔をする。ミルは白目を剥いた。
そんなにお金があったら、高い食堂でご飯も食べられるし、毎日お風呂に花を浮かべる生活が出来る。ちょっとお高めのおやつをつけてもおつりが来てしまうし、宿暮らしを止めて庭付きの家だって買えそうだ。
金貨二百四十枚を着ているシャリオスの経済力に戦いてしまう。貴族と言えど錬金で食べているミルの実家は、開発費でいつもカツカツだ。
「ところで、どうしてさっきから隠れるのですか?」
人気の無い道を歩いて道具屋に向かっているのだが、シャリオスは人の気配を感じるといちいち物陰に隠れたり魔法で影の中に潜ったりしている。
「そ、それはね……」
「それはね?」
「僕は御領主様の持ち宿に泊まってるのは知ってるよね? いろいろあるんだよ」
「そうなのですか」
それだけじゃないと思ったが、聞かないことにした。シャリオスも秘密を着飾っているのだろう。そして言いたくないのだろう、と。
「あ、道具屋だよ。転がっても蓋が開かないウエストポーチを買おう? そしたらお昼ご飯をミルちゃんの宿で取ろうか。今までの冒険を教えてね」
あからさまに話題を逸らしたシャリオスに引きずられながら、看板をくぐった。
+
ウエストポーチの内側にマジックバッグの巾着を取り付けることにして、ミルは革製の物を購入した。装備を手に入れたら毎日探索を頑張らなければカツカツである。
シャリオスはドーマの作る料理をもりもりと平らげ、おかわりをする。本日はカツ丼だ。甘タレが美味しく、お米もほかほか。材料が突然大量に採れたのでしばらくは米だとドーマは言った。
一番奥の薄暗い店内の端っこで、二人は今までの迷宮探索を話す。
「それじゃ、昨日が二階層進出日だったんだ。いきなり階層主に遭うなんて大変だったね」
「シャリオスさんはお帰りの途中でしたか?」
「そうだよ。ミルちゃんの声が聞こえてきたから、もしかしてと思って。格好良かったなぁ。大いなる光よー! って」
「ぎゃー! 止めてくださいよ、恥ずかしい……」
「光魔法って呪文が長いんだね」
「あ、いえ。あれはなんか……特別? な魔法みたいなのです」
特上級の魔法書を渡すと、捲ったシャリオスは小首をかしげた。
「これ何か書いてあるの? 真っ白だけど」
「え?」
テーブルの上に見開きで置かれた本には、びっしりと呪文構成などが書かれている。二人はお互いに首をかしげあい、カツ丼で両頬を膨らませた。
「もしかしてマジックワードで書かれてるのかな? もぐもぐ」
「なんですか? マジックワードって。もぐもぐ」
「魔力で書かれた文字のこと。魔導具でもよく使われてる手法で、条件を達成してない人には見えない仕組みなんだって。もぐもぐ。僕も魔導具分解して中身を調べてみるんだけど、マジックワードがあるのはわかるんだけど、全然読めないんだよね。ごくん。おかわりくださーい!」
「良く噛めよ」
光属性が無いと駄目なのかな、とぼやく。
「それにしてもミルちゃん、体重増やしたほうが良いんじゃないかな。モンスターにぶつかっただけで飛んでっちゃうよ」
どんぶりが置かれる度に数セメト浮いているのを見咎めて、ゆっくり首をかしげる。やや心配そうな顔は、見てはいけない物を見てしまったような色気を感じる。口の周りにべったり付いたソースと、顔面ほどもあるどんぶりを持っていなければ、直視できなかっただろう。
(普通にしてるのに色気が……わ、私は女の子として負けてる?)
チラリと顔面から首筋、胸部へ視線を下ろす。ミルはやけくそのように牛乳を頼むと、一気飲みした。
+
悲しかった。
足の長さも身長も胸部の面積でさえシャリオスに負けた。胸の大きさはドーマの胸筋にも及ばないささやかさ。
お風呂で自分の胸を揉んだミルは溜め息をつく。毎日ミルクを飲もう。
「それにしても、あの魔法は何だったのかしら」
特上級の魔法書には、他にもいくつかの呪文があった。シャリオスに言われてよく調べてみたが、ミルが偶然開いたページの周辺以外、文字が書いてあるのはわかるが理解が出来ない。認識阻害魔法がかけられているのではないかと、シャリオスは言う。条件が整ったら読めるようになるのではないかと。
まるで奇跡のようなタイミングで現れた呪文のページ。光の魔法はあれからいくら試しても発動しなかった。条件を満たしていなかったからだろう。
「<大いなる光よ。我が魂は誇り。我が声に果ては無く。この体が盾ならば、我が運命に勝利は要らず。黄金の鐘よ鳴れ。その音は光>」
指先に光が点り、霧散した。
「条件ですかぁ」
ぶくぶくとお湯に沈みながら考えるが、答えは出なかった。