第二十三話
グロリアスの斧が、シャリオスの双剣が閃き、追手は次々に武器を折られ、または切り伏せられていく。ズリエルは座り込む女性の手を引いた。彼女達の他に、二人の子供を抱き上げる男がいた。すり切れた皮鎧を纏い、目の下には濃い隈があり、痩せ細っている。背中は切られ血が滲んでいるし、首には縄の痕があった。擦れて皮が厚くなっている。
その男が絶望に叫ぶ。
「あいつ、やりやがった!」
彼はすぐに近くの女性達の背中を押し、もう一人の男性は怪我をしている女性を二人、引きずるように引っ張ると、ズリエルの背後――ミルの目の前まで転がるように走った。
「モンスターが来る! でかいクラゲのバケモンだ!!」
「寝てた奴だ、寝てた奴だよぉ!!」
火が付いたように女達が泣き出した。
問いかけるまでもなく、木々の向う側が盛り上がり土埃が上がる。爆炎が数十発続き、次第に大きく、近くなっていく。
耳の奥が痛みだし、このままでは鼓膜が敗れる。
ミルは杖を振った。
「<沈黙魔法>!」
ピタリと音は止み、木々が燃え炎が広がる光景だけが広がる。その中に吹き飛ばされる人影が見えた。
「どういうことですか」
「ど、奴隷の首輪だよ! あいつら、あれで男共を制御し爆発させやがった。あいつを叩き起こすためにだ! 口笛は合図だった!」
「君は奴隷の首輪を破って出てきたわけ?」
捕らわれていた男は、しわがれた声で答え膝をつく。
「あ、あいつらは、空間が正常になって動揺しだした。やった事が、こ、怖くなったんだ。仲違いし、して、俺達の首輪を千切って解放する奴も現れた。それで逃げてきたが、他の奴ら、途中で死んじまった!」
「内輪揉めになったのか」
倒した敵の装備に手をかけたシャリオスは、首輪を見つけて舌打ちする。男達は操られたまま、命令に従って死んだのだ。
彼は複数の者達と協力して、捕まった女性達を背負って逃げたと言う。彼女達はただ震え、身を寄せ合っている。子供は泣き止まず、誰もあやしたりしない。疲れ切って、何もできないのだ。
「寝てたやつ……巨大クラゲのことだよね。倒しかた知ってる?」
狼狽した男は首をふる。顔を上げ、必死な様子でにじり寄った。
「五十九階層に一緒に連れてってくれ! あんたら行くつもりだったんだろ。頼むよ!」
興奮する男を宥めるように肩に手を当てたシャリオスは、聞き入れなかった。
「僕らは依頼で生き残りを探してたけど、それは君達じゃない。何より彼女達は心がくじけてる。僕らは勇者じゃない。手の及ぶ範囲に限界がある」
だけど、とシャリオスは続ける。
「迷宮を攻略するために、障害は取り除かなくちゃならない。僕とアルブム、ミルちゃん以外は拠点に退避。引率はズリエルにまかせる」
「二人と一匹では心許なかろう。共に行くぞ」
「邪悪と対極な生き方をするなら、この人達を守ってくれないと」
『キヒヒヒヒ! ヒヒッ ヒヒヒヒヒッヒヒ!! 断られたなぁ?』
「議論は後にしていただきたく。皆様、こちらへ」
魔剣は笑い、ファニーは肩を竦めるとズリエルを追った。その更に後にユリス達が続いていく。
「おい」
「なに?」
「死ぬなよ」
「うわ、ビックリした。そういうこと言えるんだ」
しみじみしたシャリオスに舌打ちを返し、グロリアスは背を向け走って行く。その背中に声をかけた。
「大丈夫。僕には導き手が付いてるしね」
「もしかして、その大それた人は私の事ですか? 荷が重いと思うのですけれど。あの、聞いてます?」
そうこうしている間に、巨大クラゲは不機嫌そうに起きだし、触手を振り回し始めた。
「足場お願い!」
「<障壁>」
十六枚の障壁が階段のように並ぶ。駆け上がったシャリオスは大きく飛んだ。
「<移動補助魔法>、<移動補助魔法>、<移動補助魔法>、<攻撃力増加魔法>――<目眩まし>」
弾けるような閃光が視界を染め上げた。突然のことに巨大クラゲが一瞬硬直する。その隙に四つの付与魔法を背中に受け、光を遙か後方に追いやり双剣を振りかぶった。なだらかな頭に着地し、足下の食虫植物を一掃する。
ミルは杖を二度回し集中する。口の中に水グミを放りこめば準備万端だ。
「視力強化!」
三度掛けの<感覚強化魔法>は魔法を見破る目となる。
強化された視覚が透明な肉の中にある内臓を見せる。淡く発光し電気を帯びていた。しかし薬師の推測通り、植物が生えた部分は変化がない。小さな命が密集し、湯気のように魔力が揺蕩っているように見えた。
動かないと思われていた植物が葉を刃に、茎をうねらせ外敵を追い出そうと蔦を伸ばす。
障壁魔法を唱え続けるが、触手に触れた瞬間霧散する。外敵に気付いた巨大クラゲが大量の触手を二人に伸ばし始めた。
魔力の流れを追ったシャリオスは内心舌を巻く。ただ上に生えていると思われた植物は、宿主に根を張り魔力を供給していた。小さな血管が血を流すように。
雷は内臓から出てる。
「アルブム、来い!」
アルブムはミルの肩から降り、本来の大きさに戻ると跳躍する。
示し合わせたかのように、障壁が動き道を作った。まるで風に揺られる木の葉のようにくるりと回ったアルブムは思い切り息を吸う。
「キュオオオオオオ!!」
出現したのは鋭く尖った楕円形の氷柱。
重力に従い落下するそれを掴んだシャリオスは、位置を確認する。視界の端でアルブムが一帯を凍らせ、植物の追撃を防ぐのを見た。
「氷柱を叩け!」
それだけで十分だった。
何十枚もの障壁が重なり、切れ目が溶けるように融合する。それはハンマーの形を取り、氷柱を体内の奥深くまで押し込んだ。
声が出たならば絶叫していただろう。
柔らかく凹んだ巨大クラゲは、内臓を潰され狂ったように触手を振るう。振り落とされた彼らを拾ったミルは障壁を押し続け、ついに地面へ縫い付けた。激しい放電が地面を伝い、周囲を黒焦げにする。
幻想系モンスターは魔力の固まりのような存在だ。魔力を奪われれば死ぬしかない。しかしモンスターは、まだ生きていた。
藻掻きながら足を伸ばし、杭を抜こうと悶えた。しかしその触手はもう、障壁を砕くことも持ち上げる事もできなかった。
体内の魔力が信じられない勢いで減っていく。
水グミを囓って青ポーションを飲みながら、ミルは耐えた。自分にできる精一杯の方法を試すために、帯を伸ばすように障壁の形を変えていく。
「固定します!」
「とどめは僕がやる」
帯となった障壁が触手を縛る。
手に魔力を渦巻かせたシャリオスは呟いた。
「<吸血魔法>」
たった一度。黒い光が巨大クラゲに触れただけで、干からび絶命していく。
シャリオスは腹をさすった。
「うっぷ、食べすぎた」
「食べたのですか!?」
「うん、生命力をね。……本当は体力や魔力が戻る魔法なんだけど、元々食事が血とか生気だと、栄養になるみたいで……く、苦しい。太って鎧脱げなくなったらどうしよ」
「えええ。なんでそんなの使ったんですか」
「幻想系モンスターだから、魔力吸い上げれば死ぬかなって。上手くいって良かった。うっぷ」
そんなのんきな会話をしていた二人は、一斉に後ずさる。
「え」
「うわっ」
宿主の死に気付いた植物達が根っこを抜き、あっという間に森の影に消えていく。食欲が減退しそうな光景だった。
引いた目で見送ったシャリオスはげんなりと呟く。
「けっきょく何系モンスターだったんだろ。アルブムは魔力食べてたのかな? あ、でも食べちゃいけませーん」
「キュー?」
こっそり一匹囓ろうとしていたアルブムは、可愛い顔を作って誤魔化している。バレバレである。
二人はアルブムの背に乗ると、ズリエルの元へ向かう。
「どうにかなりましたね」
「生きてる状態で観察すると、違った側面見られるよね。あと<感覚強化魔法>のおかげだよ。ありがとう。モンスターが集まってくる前に合流しよう」
「あの方達はどうなるのでしょうか……」
「僕らにできる事は三つかな」
一つ、村人の殲滅。
これは確定だ。この後、村人を皆殺しにした後の行動は、次の通りになる。
一つ、集落の人達に頼んで、助けが来るまで保護してもらう。
これはファニー頼みになるだろう。
一つ、押しつけられなければ、連れて行く。
途中で死んでしまうかもしれないが、救助要請を受けているいじょう、迅速に依頼を遂行すべきで、道中余計な者にかかずらう余裕など、本来ない。しかし今回は特殊で、死にかけている者はおらず、また戦闘力が高い。魔剣ゼグラムは階層主を封じ続けるほどの力を持っている。
迷宮はいつも同じ顔を見せたりしない。階層に住まう階層主。突然出くわすイレギュラー。分布図があっても突然やってくる初見殺しに、数の暴力がいつ来るかもわからない。
それらを乗り越えられる可能性が、確かに残っていた。
「危険な道は私達と共に歩かなくても同じではないでしょうか」
「そうだよ。でも僕はリーダーだから、やっぱり捕まっていた人達の安全じゃなく、パーティの命と依頼内容を優先する。自分で助けたいって思ってる?」
リーダーとしての判断を聞いて、小さく首を振る。
「無事に皆さんが地上に戻れれば、何でもかまいません」
「そっか」
上手くいかないなとシャリオスは、グロリアスからファニー救出依頼を受けたことを思い返す。
以前【火龍の師団】とパーティを組み損ねた話は聞いていたので、ミルが単身迷宮に潜った事は知っていた。グロリアスの依頼も、そしてシャリオスのときさえ、自分がちっぽけな存在だと思っているのに、ミルは踏み出してしまう。まるで、定められた運命に身を投じる生贄のように。
剥製狂のことも、まだ気にしてる。
枕元に飾られている宵闇の花に疑問符を大量に浮かべたものだ。今もわからないが、おそらく未来でもわからないままだろう。
本人の夢のためにも自分のためにも、ミルには成長して強くなってもらいたいとシャリオスは思っている。この件が飛躍に繋がれば良いのだが。
すでに無属性の戦い方が形になりつつあるだが、シャリオスは要求高く見守っている。
「もうちょっと冒険者のことを知らないと危ないしなぁ」
「やめてくらはい……」
後ろから頬を伸ばされたミルは、なぜこんなことをされたのか全くわからない。腕を掴んで押すが、腕力の差が大きすぎて抵抗にもならなかった。
そうこうしているうちに、アルブムはズリエルの背後に迫った。
頬に飛んだ血糊を手の甲で拭うと、彼は振り返って二人の無事を確かめる。
「こっちは終わったよ」
「見ておりました。見事な戦術です」
「ありがとう。でもごめんね、片付けさせちゃって」
ズリエル達の足下には襲撃者が倒れていた。全員、奴隷の首輪がはめられている。
要救助者達は岩陰に集められており、周囲をファニー達が固めていた。
「いえ、他の方々にも手伝っていただきましたので。捨て石でしょう。弱っている者は拘束できましたが、残りは力及ばず」
「残党は多かろう。早々に討伐隊を組んだ方が良い。時が経つほどに、六十階層の冒険者は減る。そなたらの次の冒険も、危険になるやもしれぬな」
「わかってる。早く帰りたかったな」
「誰もが皆、同じ思いだ。そなたらには感謝する」
「さっさとやって、とっとと帰ろう。他の冒険者に声をかけてくる」
悲鳴を上げたのは薬師だ。まだ怪我人が増えるのかと頭を抱えている。もう決まったことなので諦めてほしい。
「貴様は契約したんだ。仕事をするんだな」
「この腐れ貴族っ」
「はい二人とも喧嘩は無し!」
ちぎれた首輪を投げたファニーは「すぐに準備しよう」と呟き、薬師はこめかみを引きつらせた。
+
時は遡る。
奴隷の首輪を作っていた魔導具師は、グランドパーティの一員だった。
火竜にやられて隠し通路に落ち、仲間の死体の上に落ちて死を免れた彼は、生き残った仲間達と逃げた。運よく不死鳥を超え六十階層へやってきた。
食料や水の心配がないのは良いことだが、地上に上がる術が無い。
彼を雇ったリーダーがおかしくなったのは、たった三ヶ月後だった。
魔導具師は薬品の精製もできたので、頼りにされた。今思えばリーダーはそれが気に入らなかったのかもしれない。本人が欲求不満だったのもある。パーティには女一人いなかった。途中で死んだのだ。彼らより先に閉じ込められた集団もあったが、リーダーが目を付けた紫髪の女は、美しいが鬼のように強く、手が出せなかった。
苛つくリーダーは、それでも腕っ節が強く逆らえる者がいなかった。
「おい、奴隷の首輪作れるか?」
いよいよヤバいと思ったのは、呼び出されて、こう聞かれたときだ。目の色が変わったリーダーに当然のようにできないと言うと、目にも止まらぬ速さで殴られ、首を絞められた。
「なら、見本をやるから、作れ!」
「なんでこんなもん、持ってんだよ!!」
反抗できたのは、そのときが最後だった。
奴隷の首輪が、魔導具師におぞましいアイテムを作らせた。仲間も他パーティも捕まって、恐ろしい村ができはじめた。
そうして月日が流れ、苦しみや絶望も感じなくなった魔導具師は、眠っているはずの巨大クラゲを前に、設置した爆薬を起動させる。
俺の人生はなんだったんだろうか。
そんな事を思いながら、吹き飛ばされた。
+
「そっちはどう?」
「ゴミ屑ばかり残ってやがる」
襲撃に逃げ惑う獲物達が次々に倒されていく中、牢屋を見つけたオッグが中から遺体を運び出している。早急に討伐隊を組むと話をつけたさい、二つ返事で手を貸してくれたのだ。すぐに間引きをしたパーティ全員が集まった。
運び出された遺体に溜め息を飲み込む。ボロボロだった。他の者達も顔を顰めていた。
もともとウズル迷宮に来る者達は、他領の迷宮へ挑戦経験がある。多かれ少なかれ見たことがある光景なのだが、気分の良いものではない。
「身分証明書がないな。形相も変わってるだろうし、髪と目の特徴だけ記録しとくか」
オッグは手帳を取り出して書き付けた。
「下に潜った連中も合わせりゃ、目星は付くだろう。領主家に行きゃ、記録があるだろうしな」
「おーい、終わったならこっち手伝ってくれ!」
「つか、親玉どこ行ったんだよ」
「下に逃げてった」
「げ。黒門は?」
「この下。でもって、速攻モンスターに食われて死んだっぽい」
「そいつさぁ」
「いいたいことはわかる」
答えた冒険者が布を引きずると、黒門があらわれた。向う側から悲鳴が聞こえてくる。這い上がってくる者は、どれも奴隷の首輪をはめた連中だ。親玉が死んで、魔導具の効力が消えて逃げ出せたのだろう。
「ファニー様、どうする?」
「うむ。奴隷の首輪をはめている者、痕がある者は保護する。残りは殺していい」
「ま、待ってくれグギャ!」
魔剣が鞭のようにしなり、小鳥が止まり木を探すように首筋に触れた瞬間、男の命を刈り取った。瞬きする間もない、神速の技だった。
問題の魔導具師が、最初に奴隷の首輪をはめられたと知ったファニーの心は痛まない。
空が暗く陰り始めた。
シャリオスは早く帰りたいと、反撃してきた敵の首を飛ばしながらぼやいた。