第二十話
問題の階層主は確かに縫い付けられていた。
「四枚羽の幻想蝶の変種かな。ずいぶん大きい」
抉られた地面。森が途絶え、荒野となっている場所に、見上げても柄が見えないほど巨大な剣が深々と刺さった状態で、階層主は未だ藻掻き続けている。
黒い刀身もあいまって、魔剣ゼグラムはまるで巨人の扱う剣のようだ。魔剣とは得てして人の想像を超えた武器だ。
シャリオスが見上げていると、ファニーは会ったばかりの友人にのように声をかける。
「久しいな、調子はどうだ?」
『クッッソ不良侯爵。テメェ、オレサマのこと忘れてただろ!?』
耳の奥に無理矢理入り込むような怒声が響く。甲高く、どこか少年めいた声音のゼグラム。黒い刀身に亀裂が入り、灰色の目玉がボコボコと現れる。
「まあ、そう怒るでない。今日は良い知らせを持ってきたのだ」
『麗しの婚約者様と吸血鬼を引き連れてカァ?』
「え、僕のことわかるの?」
『オレサマを何だと思ってやがる。そこらへんの魔導具と一緒にすんじゃねぇよ。お前らなんざ魔力見りゃ一発さ。魔族の中でも吸血鬼は特にわかりやすい。個体名も一度聞けば忘れたりしねぇよ』
あらゆる者を切ってきたからな、と続ける。
『で、新入りを引き連れて何の用だ? やぁっとオレサマを引き抜く気になったのか? キヒヒヒヒ』
「そんな感じだ。彼はシャリオス殿だ。グロリアスの依頼で、わざわざ六十階層まで救出に来てくれてな」
『それはそれは、ご苦労なこって。貧乏くじ引いたなぁ』
口はどこかわからないが、下品な笑い声を上げる魔剣ゼグラム。
気の弱い者なら引っ繰り返ってしまいそうな威圧感を放ちながら、彼は新入りを歓迎した。
魔剣にとって十年は瞬きの間みたいなものだ。だが、契約者の腰にいない時間が十年となれば、意味合いも気分も違ってくる。
「どうだ? 魔剣は」
「思ってたのと違うね。……さっそくで悪いけど、引き抜く前に階層主の事を知りたい。あ、今日は下見だから」
『ハァーン!? 迷宮なんざ準備してたって初見殺しで死ぬんだよ! さっさと引き抜いてオレサマを釘の代わりにすんのやめろヤ!』
「……。同意を得ていたんじゃないの?」
「うむ、そうだが?」
「そっか」
『もっと言えや小僧! オレサマは使用者の意志には逆らえんだよォ! 契約だからな』
しかし、そう言われても口出しできる事ではないのであった。
「階層主の能力次第。ファニー様は持って帰るつもりだけど、僕は危険があるなら放置する予定だよ。今回は探索じゃなくて救助がメインだから」
『そんなんで良いのかファニー? テメェはオレサマを持って帰らなきゃ、一族の面汚しどころか身を証明する事さえできねぇんだぜぇ?』
「うむ。だからサクサク階層主の情報が欲しいのだ。そなたも、我々が全滅すれば、迷宮で眠ることになる」
『バァーカ! オレサマは台座に帰んだよ』
にやりとファニーは笑う。
「契約を破れば、そなたは魔剣でいられまい。これはギブアンドテイクと言うやつだ。やってくれ」
『ケッ! もっとオレサマに敬意を持ちやがれってんだ。――こいつは見ての通り幻想系モンスターだ。オレサマが羽をキレーに押さえてやってるから鱗粉は出してねえが、魅了系の魔法を使う。胴体は鋼より硬く、普通の剣じゃ入らねぇ」
「弱点は火かな?」
『だと良いなぁ? キヒヒヒヒ!』
「おいゼグラム、お互いのためにも情報は全て出した方が良いと思うのだが?」
『おいおい、お前はもぅオレサマの主人気取りカァ? まだ帰還してないテメェをご主人様と認めるにゃ力不足だなぁ。契約分働いてやってんのを感謝したまえよ。キヒヒヒヒ!』
「道理だな」
ぼそりとグロリアスが言えば、ファニーは肩を怒らせた。
「ぐ。そなたはどちらの味方なのだ……!」
「待ち草臥れたのは、あいつだけじゃないって事だ。この鈍間が」
「ぐぬぬぬ!」
婚約者の暴言に、悔しさのあまり顔を赤くするファニーの肩を、シャリオスが優しく叩く。
「まあまあ。ゼグラムは火は効かないって言ってると思うよ。動けないうちに頭を落とそう」
『堅ぇっつってんだろ。オレサマだってやっと刺さってんだよ』
「大丈夫! 良いこと思いついたから」
シャリオスは自信ありげに頷いた。
+
ぼーっと空を見上げても、目を凝らしても見えない。
「私に道筋がわかると思います? アルブム」
「キュブブ」
「ですよねー」
上を見続けるのが辛いので、仰向けに寝転がりながら空を見ている。
(シャリオスさんにお任せされたけれど、全然思い浮かばないわ)
速くも涎を垂らして寝そうになる。
ズリエル達も周囲で護衛兼武器の手入れに勤しんでいるし、薬師は草木を観察しては手帳に書き付けている。
何か情報があればとっかかりにもなるが、情報はほぼ無い。
(階層主は別に居る。初見殺しに近いモンスターかしら。でもモンスターなら追撃しないのもおかしいし……)
六十階層で確認されているのは、ドードーと浮遊クラゲ、全貌がわからないほど巨大なモンスターの上に寄生する、骸に咲く花畑。そこには、夜空のような輝きを持つ川まで流れているという。
剣が刺さっても魔法をあてても、夜まで起きない何かとは何だろうか。
ふと記憶に引っかかり、ミルは「あ」と呟いた。
「何かわかりましたか」
「なんというか、夜には浮遊クラゲが出ますよね」
ズリエルは頷いた。
ということは、朝はどこかで眠っているのだろう。
ふとシャリオスが見た巨大なモンスターの話を思い出す。ぶにぶにしていたというなら、クラゲだったのかもしれない。その体を踏んでたとしたら、なだらかなのも頷ける。それが他にもいて、さらに空を縄張りにしていたら。
「ははぁ、なるほど。これは敵の正体見たり、かもしれないね。ここは万華鏡なんだろ」
薬師は顎に手を当てた。
「光の加減で上手いこと隠れてるのかもしれません。それで夜になると活動する、と……」
シャリオスにかけているように、ミルは光を屈折させてみる。すると思った方向に行かず空の一部が歪んで見えた。
乱反射している。
万華鏡の謎のヒント見た気がして、パズルを解くように、ミルは光の方向を探っていく。
すると、繋がっているように見えていた別の景色が消えていく。
薬師は手を止めて、目を見開く。
「あんた、何したんだい?」
「光を屈折させてます。すみません、集中するので後にしてください」
「あ、あぁ……」
まるで、空が割れているようだ。
角度をいじり次第に明らかになり始めた情景に、ズリエルは巨木を登る。手には紙とペンが握られていた。
一晩経って消えていた黒門が現れる頃には、六十階層の全貌が明らかになっていた。
黒門を囲うように空中に漂うのは巨大クラゲ。浮遊クラゲの数十倍はあり、空を埋め尽くすような個体だった。
「あれが、階層に隠されていたモンスターの正体というわけですか。母親と子供、と言った方が無難かもしれませんね」
目をこらせば、触手の一つ一つに夥しい浮遊クラゲが絡まっている。
降りてきたズリエルはそう言って、尻尾を振った。
「恐らくですが、獣人が嫌がった匂いは、あのモンスターからでしょう。もしかしたら、死んだ個体に住み着いているのかもしれません」
「調べてみましょう」
障壁で木の枝を包んみ上空へ飛ばす。
ゆらゆらと揺れている触手の隙間を縫って行くと、気配に気付いたのか、浮遊クラゲが数匹放電する。障壁は押され、反対側の浮遊クラゲも動き出す。
(なんだろう、あのときはもっと強い衝撃だったわ)
と、ボールのようにはじかれた障壁が巨大クラゲに触れた瞬間、粉々に砕け散った。
「生きてるのかい?」
「いえ……死んでいます」
それ以上の反応はなく、ミルはかぶりを振る。
ふと嫌な想像がよぎり青ざめた。
「シャリオスさんに意見を聞かないと……」
「帰ってきたよー」
「わ」
あまりのタイミングの良さにびくりとすると、手を振っている姿が見える。
「あれやった?」
近づいてきたシャリオスは頭上を指さす。
「もしかしたらと思って試しました。それでですね、あの巨大クラゲ、シャリオスさんが六十階層で最初に見たモンスターと同じではないでしょうか」
「そうかも。――問題あった? 顔色が悪いよ」
「もしかしたら浮遊クラゲは、最終的にあの大きさになるのではと思いまして」
あり得る、と一同は押し黙った。多くの冒険者が触れるだけで死んだのは周知の事実。感電死と考えれば辻褄は合う。しかも生きている個体より死んだ個体の方が帯電している。
「原因はあれだとして、階層主を倒しても、クラゲを剥がさないと安全に昇れない」
「留まっている連中と交渉をしてみよう。無論、村人以外だ。モンスターも増えているであろうし、奴らも間引きの必要性は理解するであろう」
「誰が交渉をやる。言っておくが、俺はクソに当たれば殺すぞ」
「我が婚約者殿は血の気が多くて困る。ここは私がやるさ。これでも古株ゆえ顔を知ってる輩も多かろう。階層主を封じているのも私なのだしな。同じ足止めを喰っている連中ゆえ、協力に異論あるまい」
これは脅しにもなるカードだ。
階層主を倒せば新しく生まれる。生かさず殺さずファニーは封じてきた。六十階層で冒険者達が生き残れてきたのも、それが大きかったのではないか。
「ならクラゲを間引いた後に階層主に挑もっか。交渉はグロリアスも行きたいよね? あとはズリエルが行けばじゅうぶんかな」
「えー、ユリスちゃんは?」
「夜に備えて寝てほしい」
「ぶー」
頬を膨らませるが、大人しく洞へ帰っていった。
「それじゃ、決まり」
方針は決まったので、それぞれが動き出した。
「すみません、疲れたみたいで、少し眠ってもいいでしょうか」
「見張りは僕らでやるよ。おーい、アルブム」
「キュキュン」
呼んだかね、と草陰から顔を出したアルブムの口には食虫植物が。緑色の体液を垂らし、ピクピクと痙攣している。どうやらおやつを食べていたようだ。いつの間に。
いつもより頭が重く瞼が今にも下りそうになっている。アルブムにそこら辺の物を囓ってはいけないと言うべきだが、言葉が続かない。
「ご主人様が休憩するから、周辺の警戒お願いね」
「キュ? キュアキュ」
甲斐甲斐しく用意された簡易テントに潜り込む。ミルのお腹に、アルブムの柔らかな尻尾がふわりと乗った。
「僕も待機するから安心して。お休みなさい」
「お休みなさい、シャリオスさん」
気絶するように眠ったのを確認したシャリオスは、寝息を聞きながら、双剣の手入れを始める。
「珍しい……ぐっすりだ」
「ちょっと、そろそろ説明してくれても良いんじゃないかい? そこのおチビさんは何の魔法をかけたってんだ」
「聞いてない?」
「後にしてくれってさ。で、寝ちまったわけ」
なるほど、とシャリオスはミルが光を屈折できる事を話す。
感心したように頷いた薬師は考えるように首を捻る。
「光属性持ちってのは、皆器用なのかい?」
「他に見たことないから知らない」
「真面目に話したらどうなんだい……」
「迷宮ギルドに光属性持ちが登録したのは二十年ぶりなんだよ?」
「そりゃ悪かったね」
やってられないとばかりに薬師はもう一度息を吐く。冒険者はもっと明け透けで下品な連中ばかりだと言うのに、このパーティはお上品過ぎる。と言うよりも子供と保護者の集まりにしか見えない。
しかし、六十階層に降りられたのは確かだ。実力は折り紙付きである。だからこそ、正規のメンバーではない薬師は方法を知りたかった。
だが、自分が真似するには厳しそうだと断念する。
巨大なクラゲが出現したままの空を見上げため息を吐いた。