第十九話
ユリスは目をしょぼつかせている。
「ここは浮遊クラゲが出る安全地帯だ。そなたも休めるうちに眠れば良い」
「モンスターが出るのに安全地帯っていうのが、もう迷宮下層っぽい」
突っ込みを入れたシャリオスだが、すぐに地図を広げ始める。
「これは六十階層までの地図を描いたもの。僕達が歩いたルートだから、全部じゃないけど。正直君達が生きているとは考えてなかった。――それも、こんなに大勢」
「なるほどな」
「準備だけはしてきたけどね。同じ轍は踏みたくないから、脱出できない理由を知りたい」
「付き合おう。が、その前に、聞きたい事があるのだ。我が最愛なる弟は本当にディオニージ・ユグドと名乗っておるのか?」
「そうだよ?」
「ふむ、領地はどうなっている?」
「経営は順調だと思うけれど、そう言う意味ではないよね」
「なるほど、なるほど……わかってきたぞ」
そのとき淑女が扇で口元を隠すように手の甲を添えたファニーは、目を弓なりに細めた。
背筋から這い上がるような悪寒が広がり、手が小刻みに震える。
「我が親愛なる婚約者殿。この十年、私の死亡届が貴族院に受理されるまでの間、何があったのだ。順当であれば、仮であってもディオニージがアルラーティア侯を名乗るはず。なぜ陞爵しなかった」
「魔剣さえなければ、そうなっていたと言うのが奴の見解だ。お前が正しく死んでいれば魔剣は台座へ戻り、ディオニージを選んだからだ」
「我が家の最も下卑たる叔父上が掠め取ったか!」
「そうだ」
「嗚呼、合点だ。然り、然り!」
冒険者の仮面が剥がれ落ち、貴人が怒りで笑っている。品のある笑い声なのに、怪物のようだった。紫の目が爛々と光り、黒く見えさえする。魔力が渦巻いているのだ。
「まさか下衆から逆賊に成り下がるとは、叔父上の飛躍もすさまじいものよな! 三秒も数えれば長続きせぬ事など、わかろうに。母親の腹の中に、頭の中身を置き忘れたと言うのは本当だったのか。苦汁を飲まされたこの歳月に感謝しよう。弟もさぞかし待ち遠しいに違いない!」
「まあな」
「さて、そなたらは何が何だかわからぬだろう。一つ問題も見えたことだし、共有しようではないか」
「う」
シャリオスは伸ばされた手に尻から後ずさった。長い手でミルを引き寄せ、逆の手でズリエルを押して隠れようとしている。
(凄いわ、一瞬でシャリオスさんの苦手な貴族的雰囲気を纏ってしまわれた……!)
「その話は後にして、脱出の事を先に考えようよ」
「ふむ、そうも言っておられぬぞ? 我々が閉じ込められたのも、パーティ内に裏切り者が出たからでな。風魔法使いを皆殺すよう依頼を受けたのだと言っておったのだ。叔父の手の者だろう。あれはゲームをしようと、この魔法契約書を投げ寄越したのだ。首に鬼灯の刺し印がある、恐ろしく強い魔法剣士であった」
「鬼灯の刺し印ってまさか【遊び頃】?」
魔法契約書にはこうあった。
――ファルレニージ・ユグド・アルラーティアが生きて迷宮を出れば勝利。
――死して屍を晒し、もしくは魔剣を捨てれば敗者。
――勝者は、この一連の事件に関する証拠を手にすることができる。
「こいつの本名はファルレニージ・ユグド・アルラーティア。ファニーは愛称で、ユグドは母親の生家であり、あいつはアルラーティア家から除籍されたため、名乗っていない。ディオニージがユグドを継ぎ、魔剣に選ばれたファニーがアルラーティア家を継ぐはずだった」
「依頼者は叔父の側近である男だと、魔法剣士は言っていたが」
「とっくに死んだ」
「蜥蜴の尻尾切りとは、ますます悪と成り果てたな、叔父上は。既に叔父と呼ぶのも虫唾が走るが。――さて、我がアルラーティア家は十二の領地と四つの爵位を持っている」
「待った、聞きたくない! 凄く聞きたくない!」
いつものぽやっと感はどこへやら。超直感とでも言うべき速さでキナ臭い事情の気配を察したシャリオスは、慌てて顔をそらす。
しかし微笑みの貴族は指先を伸ばすことを止めないし、口も閉じなかった。
「残念だが聞いてもらう。無事にこの階層を抜けたいならば、なおのこと」
妖しげな笑い声を唇から吐き出しているファニーは、既に逃れられぬと囁いた。ミルは無念そうに目を瞑ると、そっとシャリオスの手を取った。
一縷の望みをかけてズリエルを見るが「御領主様の姉君の願いですので」とすげなく切られてしまう。ほしいときに役立たない護衛である。
「こ、こうなったら、私もシャリオスさんと、ご一緒します!」
感動したようにシャリオスが目を輝かせるが、ただの諦めである。
「いいの?」
「むしろ私も逃れられないというか、外してもらえないなら、仲間は多い方が良いというか……」
「冒険以外の面倒ごとが多すぎる。なんでだろう」
「人生ですね」
「うるさい。ズリエル嫌い」
「そうですよ! いくら尻尾がふわふわでも、やって良いことと悪いことがあります!」
観念したシャリオスは居住まいを正し、嫌われたズリエルは肩を竦める。意味不明な事を言うミルは、ふわふわという言葉に反応したアルブムがへそ天で膝に乗ったので、笑み崩れた。
「覚悟が決まって何よりだ。さて、アルラーティア家が興ったのは、かつて勇者と共に魔王討伐を遂行した頃だった。時の王は騎士だった初代に爵位を与え、アルラーティア伯爵家が興る。元々男爵の出だった初代は、その後、荒れ果て捨てられた三つの隣接していた土地を自らの領地に加えた」
既に持っていた男爵位は、新たに授けられた伯爵位によって消されたりはしない。足されていき、一番上の爵位を名乗るのが一般的だ。爵位を持っている貴族自体が少ないが。
三つの領地を新たに手に入れたアルラーティア家は、領地と共に男爵位をもう一つ手に入れた。他の二つの領地は爵位を持たないジェントリが管理していた土地だった。
その後、荒れ果てた土地を癒すように栄えさせ、また戦場での目覚ましい活躍によって、アルラーティア伯爵は陞爵し、侯爵位を授かった。
そして侯爵、伯爵、男爵位の二つを合わせ、合計四つの爵位を持った貴族家ができ上がったのである。
広大な領地と産業を持った初代アルラーティア家は、一つだけ問題を抱えた。時の流れによって、侯爵家が腐敗するのではないかという懸念だ。
それを払拭するために、当時の大魔法使いに依頼して一本の魔剣を創り、一つの魔法契約を施した。
魔剣の名はゼグラム。
魔剣ゼグラムに選ばれた者が、アルラーティア候を名乗る唯一の後継者である。
契約書は王家が預かり、誰でも目にすることができるよう王宮の庭に飾られている。嘘のような本当の話である。
ミルのような田舎の錬金貴族出身の小娘でも知っているような話だ。だが、今のアルラーティア侯爵が魔剣ゼグラムに選ばれていないのは、聞いていない。どこかで情報操作でもされているのだろうか。はたまた田舎だったせいか。
遠い目をしながら「凄い人と顔を合わせてしまったわ」と呟く。
「ゼグラムとは初代の名。ゼグラム・アルラーティア侯と言った。正式名称は長いので割愛するが、その魔法契約の元、次代の侯爵に置かれる事になったのが私だ。だが、叔父上は不服だった」
なぜ、我が侯爵家のみ世襲制ではないのか。
「父上の次に私が選ばれたのは、魔剣による選定があったためで、世襲ではない。だが父上が死ねば、叔父上が継ぐ。我が弟が居たとしても、成人する前に摂政役が回ってくる、と頭悪く思っていた。と言うより酒の席で散々口にしていた。愚かすぎるので、父上は何をするかわからないと、成人前に弟に男爵位を譲った。それがこの迷宮があるユグド領だ」
四つの爵位を持つアルラーティア家は、侯爵の代替わりと共に、三つの爵位を戻し改めて任じているのだという。引き続き任せる事が多いが、取り上げ別の者を任命する場合もあった。
「母は、ユグド出身の分家の筋の娘だった。それが今回、私の首を繋いだ。叔父上は侯爵位を得たが、仮初めの統治者。既に継がれている領地を正統な理由無しに奪うことはできない。せいぜいできるのは現状維持と空位の席の指名のみだった」
戦争でも起こさない限りは。
言外に呟いた言葉をグロリアスが引き継いだ。落ち着いた様子でファニーの隣に座っているのが、似合っているように思う。
「当時、あの阿呆は戦争を起こそうとしたぞ。が、王家も馬鹿ではない。密偵を放ち奴を見張り続けた。……だが魔剣は台座に戻らず、アルラーティア侯爵は空席となった。これは埋めなければならない」
グリグリと拳骨を当てながらグロリアスは睨む。ファニーは「痛いぞ」と言いながらも大人しく折檻を受けている。
「広大な領地を、資格無き者が動かせば世の理がずれる。私がとっとと死んでいれば、と思うが、魔剣は魔法契約と共にある。自ら命を絶つにも条件があるのだ。故に私は自死もできず、さりとてモンスターに食われてやるわけにもいかず、ずるずると十年、なにもできずに封じられた。これは叔父上が思いつけるような策ではない」
「わざとと考えられているのですか」
「そうだ。入れ知恵した者がいる。私が迷宮に潜ったのは、魔剣ゼグラムの試練を果たし真の後継者と認められるため。これは代々選ばれた者に必ず課され、内容が毎度違う。父上は他国の失踪した王族を救出し、傷一つ付けず送り届けることだったが、私はユグド迷宮五十八階層の踏破だった」
どこからか情報が漏れ、ファニーは裏切り者に襲撃された。
おそらく、ドーマ達とはぐれた五十七階層で仕掛けられたのだろう。
「鬼灯の魔法剣士は手先に過ぎぬ。が、特殊な輩ではあった。故に私は、奴とのゲームに勝ち、少しでも情報が欲しい。なにしろ、これもまた魔法契約だ」
破られることはまずない契約だ。
「敵の話に乗って大丈夫……なのでしょうか」
「言葉遣いはそのままで構わぬよ。私は民草のために働く誇り高き奴隷なのだ」
「うーん。あとで打ち首とか言わないなら」
「魔剣ゼグラムに誓おう」
よかった、とシャリオスは胸をなで下ろす。
完全にお家騒動に巻き込まれるのだが、シャリオスにはそちらの方が大事なようだ。地上に上がった後のことを考えると、今から胃が痛くなりそうなミルとはひと味違う。冒険者歴が長いと肝が据わるのだろうか。
ふと感じた違和感にミルは首をかしげた。
するりと視線を下げファニーの剣を見る。腰に佩いているそれは既製品の――そう、まるで装備屋の樽に入っていそうな汚れきった剣だった。
そう見えるだけでは、と一縷の望みを託して目で訴えると、ファニーは艶やかに微笑んだ。
「うむ、そうなのだ。我が魔剣ゼグラムは、今、手元にない」
「えー!? いや、確かに普通の剣だね」
「と言うわけで、ゲームに勝つために魔剣を抜きに行きたい。そのために其方らの力を借りたいというわけだ」
「抜くって、どこに刺さってるの?」
決まっているだろう、とファニーは胸に手を当て顎をそらす。
「階層主のところだ――いだだだだ! 何をする!」
「それはこっちの台詞だ! 何してやがる!」
怒り狂ったグロリアスが詰め寄って頭をむんずと掴む。
腰に佩いている古びた剣は、どこぞの冒険者の遺品らしく、この四年ずっと腰に居座っている一品だ。下層に来るだけあって、品質の良い剣だ――と言うとファニーの頭にかかる圧力が強まり、強制的に話題が戻る。
「仕方なかったのだ! 負傷者多数、引くにも引けず、下は不安しかないとくれば、留まるしかあるまい! ゆえに私は、騎士たる者の本分として手を尽くし、敵を縫い止めるために力を尽くした! おかげで階層主が蔓延ることもない。なによりゼグラムは納得した!」
「え。魔剣って喋るの?」
「魔剣が喋らずに何が喋るというのだ? おお、痛い。痛い」
やっとグロリアスの指先から逃れたファニーは、頭部を擦った。
シャリオスは「見てみたいかもしれない」と心動かされたような表情でソワソワし出す。
げんなりとしたのはズリエルだ。
「おおよその話はわかりました。魔剣を御身の手に戻せば戦力も増強され、件の魔法剣士とのゲームも勝利できるでしょう。残る問題は、脱出方法ですね」
「うむ。というわけで情報提供をしようではないか」
「長かったねー」
「まぁまぁ、シャリオスさん」
「あれ? 怒ってないよ?」
「あら?」
万華鏡の森は光の加減で全く別の場所に見えるときがあり、広大。火山の倍は面積があり、時間帯によって出現するモンスターが変わる。黒門も見えない時が長いそうだ。冒険者が上からやってくるときは確実に見えるので、一行が来たのは知れ渡っているという。
初日にズリエルが待ち伏せされたのは、そのせいだ。
食べ物は豊富で温度は一定。夜間モンスター達は強く、凌げれば何とかなるが、冒険者共は娯楽に飢え、女と来れば見境がない。
それが、ミルを見て目の色を変えた理由だ。
「集落を作っていた冒険者達がいたけど?」
「村人だな」
「こいつ、生き残りがいると見た途端、人のこと生贄にして婚約者様を牢屋までわざわざ探しに行ったんだよ」
かなり恨みの籠もった言葉と視線を黙殺している。そのうち闇討ちされそうである。
「やつら、どうだったのだ?」
「お察しの通りだよ。でも、やっぱり問題は奴隷の首輪かな」
国が管理しているものが迷宮にばらまかれているとあっては、さすがに報告しないわけにもいかない。彼らが口封じのために襲いかかってくるか、内輪揉めをするかわからないが、早急に事を進めた方が良いだろう。
「出られない理由だがな」
やっときた、とシャリオスは地図をとる。
「全てのパーティが見えない何かに切り裂かれ、あるいは落下して死んだ」
「僕らが弾かれたあれか……」
「何かがある。だが、火も水も風も土魔法も効かぬ。矢も刃もだ」
「試していないのは闇、光、時、種族魔法系統か……時間によって見え方が変わるのも気になる。ミルちゃんに丸投げだ」
するりと言われ、慌てたのはミルだ。
「また私なのですか!?」
「正体がわかればいいよ。攻撃魔法が駄目なら、闇魔法も効かないだろうし。四十一階層と同じで、何か仕掛けがあるのかも」
「その正体がわからないから困っているのでは」と言う言葉は黙殺される。
「ふむ、興味深いな。何か見つけたのか?」
「ちょっとね。これは領主様の許可が無いと話せない約束だから」
「ならば、ますます出ねばな。ミル、良しなに頼む」
「事情はわかったけど、どうするかは調べてからにする。明日は別行動を取ろう。僕とファニー様とグロリアスで階層主の様子を見てくるよ。他の人はミルちゃんの護衛と手伝いね」
ふと、シャリオスはグロリアスが貴族だという事に気付いていないのかな、とミルは思った。
寝る前にこっそり聞いてみると「だって今は僕がリーダーだし」という回答を得た。