第五話
お風呂から上がったミルは、洗濯物を部屋に干してテーブルに買ってきたばかりの紙を置く。白インクは間違えたときの修正用だ。
黒インクと羽根ペンを準備して、ミルは光魔法の初級編を開いた。
「ええと。光の三原則から、魔力の循環っと。ここは普通の魔道書と一緒みたい」
順番に読んでいって、知っているところは流し読みをする。半分は既に読んだことのある内容だった。終盤には魔法の構成と呪文が記載されるようになる。<光>の魔法もあった。
ざっと見て知らないことが少なかった初級編は写本に入れる。中級編には光魔法が通じる魔物の種類が書いてあり、呪文も記載されていた。記入した人はそれぞれ違ったようでページの端に名前が書いてあった。
「もしかしてこの本は、全部手書きなのかな」
ページの最後の方には全てヘテムルの名前があったし、書いてある魔物の出現場所は別の迷宮だった。もう存在していない魔王が作ったとされる闇モンスターの迷宮だった。
「魔王がいれば……いやいやいや駄目よ! そんな事考えちゃ」
首を振って頭を入れ替える。
上級編も捲ってみたが内容は中級編と変わらない。ただし、項目が増えている。
「光魔法と付与魔法の合成魔法?」
[合成魔法-光・付与魔法]
光撃系統。光魔法で唯一の攻撃系統の魔法。
「こ、攻撃魔法が! あるんかぃいいいい!!」
思わず魂の叫びを上げてしまう。
「? えっ、闇属性以外にも効くの!?」
聖、闇、火、水、土、風、無、闘気、時空魔法など、属性の分類は増え、未だ見つかっていない属性もあると言われる昨今の魔法理論のなかで合成魔法は良く研究されている。しかし光魔法の合成魔法はきいた事も無かった。人数が少ないせいもあるだろうが。
目を輝かせたミルは、自分が使える三つの属性を見て魔法を練習することにした。
「光系統の合成魔法は全部呪文にルクスが付くのね。ええと呪文を唱えて、できあがった障壁の形を変える……<光障壁>!」
足下に魔方陣が浮き、光の壁が現れた。
綿部分に細かい棘をつける。なかなか凶暴な絵面になってしまったが、攻撃力はありそうだ。<障壁>が輝いただけのように見えて首をかしげる。
「これ、普通の<障壁>の形を変えただけみたい」
角持つ兎は勝手に自滅してしまったが、これだけなら<障壁>だけでもできそうだ。
検証は明日にしようと、ミルは布団の中に潜る。しかし興奮でなかなか眠れず、夢の中に入ったのは深夜を回ってからだった。
+
朝、きっちり顔を洗ってウズル迷宮に向かったミルはきりりと顔を引き締め、一階層へ向かう。早速現れた角持つ兎は、しかしミルと数秒見つめ合ったあと逃げていった。
「やっぱりしゃがまないと駄目なのかな」
角持つ兎はこだわりのある魔物なのだろうか。
汗を垂らしながら戦いた。
角持つ兎と戦闘できたのは、一時間も経った後だ。最初に形を変形させた<障壁>で試したが効果が無く<光障壁>は体が当たった途端、目を回して気絶した。
「もしかして触ったら<目眩まし>の効果がでる?」
<目眩まし>は強烈な光を放ち、目眩ましや気絶に持って行ける場合もある魔法だ。闇モンスターに効くのだが、合成魔法では別属性のモンスターにも効くようだ。
「こ、これならパーティに入っても大丈夫かもっ!」
目を輝かせたミルは輝くような笑顔で上級編の魔法書を読みふけった。
日中は迷宮に潜って魔法の練習と依頼をこなし、夜は写本をする事にした。薬草採集はあまりお金にならなかったが、人手が足りていないと言う話を聞いて臨時のバイトに入ったりした。初めての仕事もあったが、ミルは自分に出来ることを探しに来た。
それがどうやったら叶うのかわからないが、たくさんの経験を積むのは良いことだと思う。
生活は貯金を切り崩さないようにできている。臨時収入分を貯めて、装備や情報収集にあてるつもりだ。
二週間ほど練習していると<障壁>を別の形に変えられるようになってきた。強度も柔らかい物から堅い物、粘り気を出す方法も考案した。魔力量や感覚の掴み方が難しいが、実用できれば下の階層に進むことができる。
「いけないっ! もう夕方だわ」
迷宮内は景色が変わらないので時間経過がわかりにくい。
時計を見て慌てて階層を出たミルは迷宮ギルドで換金を済ませる。
早く帰らなくちゃと早歩きで出口まで進んでいると、横から飛び出してきた何かにぶつかり、膝から転んでしまった。
「どこ見て歩いてんのよ!」
怒声に驚いて顔を上げると、きつく睨まれていた。猫人族の女性で、滑らかな茶色の毛並み。金色の目をしていて、冒険者の装いをしている。腰には短剣、露出の多い服装は斥候役だからだろうか。
「ぶつかってきたのに謝らないわけ? ていうかアンタもしかして、うちのリーダーに粉かけてた女?」
「えっ?」
全く身に覚えの無い事に目を丸くする。
目を釣り上げた猫人族の女性は「あーやだやだ」と大袈裟な動作で手を振った。ますます声が大きくなる。
「魔法使いにもなれない付与魔法使いが、男ばっかたらしこんでんじゃねーよ。媚びる暇があったら魔法の一つで覚えろってーの。阿婆擦れが!」
「きゃあ!」
「貴様、何をしている!」
鋭い舌打ちが聞こえ、猫人族の女性はさっと人混みに紛れて逃げた。ミルは尻尾で殴られた顔を押さえ涙ぐみながら立ち上がる。
「大丈夫ですか」
駆けつけてきたのはズリエルだった。怪我を確認したズリエルは顔をしかめ、ギルドに併設されている医務室に連れて行く。医師と話したあと診察され、塗り薬を処方された。
「先ほどの者は探し出して素性を調べます。しかるべき処置をとるまでお待ち下さい」
「処置ですか?」
「ランク降格や罰金。悪質な場合はギルド証末梢後、領外へ追放します」
「そ、それは厳しいのでは?」
「ユグド領の決定には他貴族であろうとも従っていただきます。領地に入る際に契約書をお書きになられたのは覚えておいでですね?」
「はい、あの……わかりました」
ピンと立った耳を見てミルはガクガクと頷いた。鋭かった眼光が和らぎ、いつの間にか詰めていた息を吐く。
「驚かせて申し訳ありません」
「いいんです。それよりありがとうございました。お仕事に戻って下さい」
「そういたします。本日の探索は終わりでしょうか? この後、お時間はありますか?」
「あ! 調書ですか?」
「それもありますが、別件です」
「え」
探していたのはあなたです、と言われぽかんと口を開けた。
+
二週間ほど前にあったシェッドという少年を騙していた代筆屋を捕まえたのだとズリエルは言った。マグリットという名前の男だったはずだ。
以前から手紙が届かない、仕送りの金が抜かれているという被害が報告されていたが、犯人が誰かはわからなかった。
そこでマグリットに罠を張ったのだという。シェッドにもう一度騙されたふりをして、偽の仕送りを送らせたところ、配達員と結託している事がわかった。
「奴らは物知らずな人物を狙って犯行に及んでいました」
シェッドは兵士と一時帰宅をし、家族に仕送りが来ているか確認したという。一度も来ていなかったらしく、とても怒っていたそうだ。
他にも余罪がありそうだったので配達員を泳がせたところ、計十三人の配達員が捕まった。被害総額はまだわかっていないが、冒険者は相当な額を稼ぐので被害総額は大きいだろうと言う。
たった二週間でよく調べたものだと感心していると、どこか言いにくそうにズリエルが続けた。
「サンレガシ様がお書きになった手紙の中身も盗まれ、捨てられていました。ご記入なさったときのお話を証言として使いたいのです」
「もちろん構いません。裁判所へ行けばいいでしょうか?」
「いえ、調書を使います。……それで今回の件を重く見た御領主様が、内々に監査をするように申しつけられました。信用できる者の査定が終わるまで、失礼ですが、代筆の仕事をご依頼させていただきたいのです」
ギルドを通しての依頼になり、週に二回昼からギルドの受付近くの部屋を開けて交代でするらしい。他にも何人かに連絡を取って募集を募っているという。
査定は一月ほどかかるようなので臨時バイトだ。
(パーティの人が出来たら迷惑をかけてしまうかも……。でも、すぐに入れないかもしれないし、ここは頑張ってみよう)
「わかりました! やらせていただきます」
「ありがとうございます。では、明日の昼過ぎからお願いいたします。日程はそちらで調整いただければと」
ほっとズリエルが息を吐いたのは、ミルが貴族だとわかっているからだろう。平民が貴族にお願いをするのは心情的に辛いだろう。少しだけ同情心が湧く。
そういうことで、週に二日のバイトが決まったのだった。
+
忙しい日々が続き、ミルは溜め息をつきながらベッドに顔を埋める。
「うう……今日もパーティ入れてもらえなかった」
ギルドで猫人族の冒険者に絡まれたあと、どこからかミルの悪い噂が流れたようで、どのパーティ募集も蹴られてしまう。入れてもらえそうだと思えば、いくらで相手をしてくれるのか聞かれる始末。当然断った。
付与魔法使いというハンデもあるが近頃身の危険を感じる。
「なんでこんな事に」
誰にも言い寄ったりしていないし、娼婦でもない。グズグズ泣きたい気分だが、お金を稼がなければ。
勢いよく起き上がったミルは、顔を洗って出かける準備をした。
「出来ることをする!」
思い切り頬を叩くと、じんとした痛みが心に染みるようだった。
下に行くとドーマがいつものように朝食を用意していたので、残ったぶんを昼食用に包む。
ウズル迷宮の二階層へと続く黒門は、既に見つけてある。黒門は次の階層へ続いており、時空間を飛び越えたり、上層とは全く別の異空間へ繋がっている場合もあった。外見は渦を巻く雲のようなもやの中に石造りの四角い岩があるだけで、扉などはない。門と呼ばれているのは、遠目で見ると閉じているように見え、色はそのまま黒いからだ。表面は温度の無い水のようになっており、不思議な感触がすると言う。
パーティを組めたら下に降りようと思っていたが、もう可能性は低くなっている。今できる最善を尽くすのだと、ミルは入り口を通り抜けた。
空気が変わった。
二階層は一階層で出現するモンスターとそれほど変わらない。しかし階層主と呼ばれる一階層に一匹ランダムに出現するモンスターがいる。どこからやってくるかはわからないし、出現場所の目安もない。とても強く大きいと言う共通事項しかなく、モンスターの種類は毎回変わるようだ。
初心者殺しや初見殺しと言われる事もある、要注意モンスターだ。
購入した地図では一階層より広く、適正レベルは五なので難易度は高くない。柔らかな起伏のある草原を降りてモンスターを探し始めた。
+
<光障壁>で角持つ兎を倒すと、周囲を見回してアイテムボックスの中に入れる。
「二階層ってこんなにモンスターが多いの?」
汗を拭いながら青ポーションを飲む。魔力が回復し、ミルはマジックバックに入れたモンスターの解体作業を考えて、一度戻ることにした。
「なんだか声が聞こえてくるけど……なにかしら」
騒がしい声が近づいてくると思ったとき、地面が断続的に揺れた。杖を構えたミルは、次の瞬間逃げ出す冒険者達を見た。
「階層主が出たぞー!!」
危険を知らせる声に一斉に周囲にいた冒険者が門へ走り出す。ミルもその後に続こうとしたとき、悲鳴に振り返る。
「誰か助けて!」
小さな少女が、蹲っている。その下に庇われた少年は動かず、頭から血が流れていた。
ミルはとっさに呪文を唱える。
「<光障壁>!」
「ピギュア!」
二人の子供を覆った障壁は、モンスターの一撃を受けて砕けた。
モンスターは弾けた光に驚き、その赤い目で左右を見回した。
まるで角持つ兎を太らせ大きくし、二足歩行にしたようなモンスターだ。二階層の階層主は兎の魔物だ。
「今のうちに逃げてください!」
「で、でも弟がっ」
「<障壁>!」
少女が喋った途端、階層主は足下に目を向けた。振り上げられた足が当たる前に作った<障壁>が二人を守る。ミルはポーションを投げると杖を構えた。
「<光>! ――目を瞑って!」
杖先に集めた光球を、杖を振って投げる。
「これはまだ苦手だけど――<目眩まし>!」
光球が弾け、目も眩むような閃光が階層主の眼前で弾けた。高い声を上げて前足を振り回す。少女は弟にポーションを飲ませ、背中に担ぐと引きずって門へ歩き始めた。既に周囲に冒険者はおらず、ミルは暴れる階層主を閉じ込めるように三つの<障壁>を張る。
(<光障壁>はあまり効果がなかった。どこかで巻いて、黒門へ逃げなくちゃ)
それにはまず姉弟を逃がさなければならない。障壁は今にも割れそうで、何度もかけ直すが追いつかない。
長い耳が動き、階層主は暴れるのを止めると前方の障壁を中心に壊し始めた。
とっさにミルは周囲の光を屈折させ、後ろにいる姉弟を暗闇に隠した。光に反応するように階層主は目標を定めた。四足歩行で猛然と突撃してくる。
とっさに<障壁>を創り出すが、ガラスのように砕ける。
「きゃあ!」
跳ね飛ばされたミル。階層主は地面を削るように勢いを殺しながら回り、返ってくる。
「<光障壁>!」
障壁に突っ込む階層主は、ぐにゃりと伸びた障壁に包まれ、反動そのまま後方に吹き飛んだ。
<障壁>は勢いをつけた階層主の突進を防げない。ならばと柔らかくした障壁は破れず引き延ばされ、階層主の攻撃を回避出来た。
「これならっ!」
階層主を避けられるかもしれない。
そう思ったが、前足を振った階層主の指先に長い爪が現れる。とっさに木の陰に転がった刹那、柔らかな障壁は切り刻まれた。
柔らかい物は鋭い一撃に負けたのだ。
(後ろには下がれない。まだ二人とも近くにいるっ)
退路を防がれたミルは杖を振る。
「<目眩まし>!」
しかし、前足で顔をガードし防がれてしまう。
(学習能力が高い!)
逃げるべきか迷った一瞬でミルは叩き飛ばされた。固い地面にぶつかり、木の幹に背中から当たる。マジックバッグの蓋が開き、中身が飛び出し周囲に広がった。
息が出来ず。痛みをやり過ごすように固まったミルの耳に、悲鳴が聞こえてくる。
少女が短剣を抜いて背中に弟を庇っている。まだ意識が戻らず、弟の方は倒れたままだった。
(駄目だ。今助けられるのは私だけ。しっかりして。立つのよ)
散乱した荷物の中にポーションがあった。痛む腕を伸ばして中身を飲むと、少しだけ引いていく。
杖を頼りに立ち上がろうとしても、兎の魔法杖の上半分は折れて無くなっていた。杖の補助は受けられない。
這うように進もうとしたとき、膝で何かを踏み、滑って顔面から地面に転がる。慌てて顔を上げると、ヘテムルから貰った特上級の魔法書だった。
「杖を、使わない魔法……?」
そんなうまい話があるわけない。だけれど今は、どんな可能性にも縋らなければならない。
ミルは本を手に取ると痛みを我慢して大声で叫んだ。
「<大いなる光よ。我が魂は誇り。我が声に果ては無く>」
ミルの体に光が走り、魔方陣が描かれていく。
「<この体が盾ならば、我が運命に勝利は要らず。黄金の鐘よ鳴れ。その音は光>!」
十本の指先に光球が点り、教えられるでも無く両手を振った。糸のように細い光が飛び出し、階層主の体に巻き付いた。前足を塞ぐように回った光を振り払うように暴れるがびくともしない。どころか足に巻き付いた光で転がってしまう。
「逃げて!」
信じられないものを見たかのように口を開けていた少女は、短剣を放り出すと弟を背負った。
暴れる階層主に腕を持って行かれそうになりながら、ミルは木の幹を回り、糸を巻き付けると座り込んだ。暴れる階層主相手に、ミルの力だけでは抑えきれない。
頭が重くなり、貧血を起こしたかのように視界が白く点滅する。魔力が枯渇しようとしているのだ。しかし両手は塞がり青ポーションも飲めない。
膝から力が抜け、座り込むように倒れたミルは、もう駄目かもしれないと思った。
「頑張ったね」
意識が途切れる直前、大きな影がミルを守るように現れた。
+
空は快晴。風も無く鳥の声もしない。
昼食を終え、ゆっくりと紅茶を楽しんでいたヘテムルは、聞こえてきた鐘の音に思わず笑ってしまった。
「おぉ? 鐘が鳴ってるぞ? 誰の所だ?」
「ワシじゃねぇわい」
「俺もちげぇな」
「うちの一番弟子かもしれん」
「馬鹿を言え。お前んところの弟子は四歳じゃろ」
「特上級魔法使いの誕生じゃぁ」
「どこの鐘だ?」
周囲で同じように食卓を囲んでいた魔法使い達が顔を見合わせる。かと思えば冗談を言い合った。
「お師匠様ー」
そのとき、小さな男の子が三角帽子を落としながら駆け込んでくる。おやおやと其方を見た魔法使い達は言葉を待った。
「お伝えします! 鳴ったのは黄金の鐘でした!」
ハキハキした声に一瞬喧騒が消えた。魔法使い達は「ほう!」と歓声を上げる。
「ヘテムル! おい、お前いつ弟子を取ったんだ?」
「お前ん所の鐘が鳴る条件は何じゃったっけの?」
「ワシ、弟子はとっとらん。条件も教えん」
「ケチー」
「ケチ爺じゃな」
「この爺が!」
「お前らも爺じゃろ」
負けないくらい大きな声で笑ったヘテムルは立ち上がると、カップを窓の外に掲げる。
「ああ、良い子が現れた。光の加護に乾杯じゃー」