第六話
ゴーストには聖水が一番効く。振りかければ死なないまでも弱体化や魔法を解除する効果がある。
「教会で揃えた聖水が百本と」
「さすがに買いすぎではありませんか……」
「麻痺解除とかと」
以前より種類豊富に揃えられたポーションを均等に持たせ、『聖灯籠』という魔導具も新たに買った。赤い塗装で、惑わしを近づけないための魔導具だ、休憩時のモンスターよけとして使う予定で、特にゴースト系に効く。積み立てたパーティの予算で購入したものだ。
ニヤけ顔を隠し切れないシャリオスにたっぷりと説明されたので、後は実践あるのみである。
「それじゃ、出発したいと思うんだけど……ユヒトは無理強いって言葉知らないの?」
「お、お願いします。私はどうなってもかまいませんから、ユティシアさんを解放してください」
今回、深夜までしがみ付いて粘ったユヒトに折れたシャリオスは、合同パーティを承諾した。なので、【ラージュ】のメンバーも一緒だ。
そのユヒトの足下に跪いたミルは、先ほどから必死に許しを請うている。
肩には藻掻くズタ袋。はみ出した足が暴れている。誰がどう見てもユティシアの足だった。袋の中からは、罵詈雑言が聞こえてくる。
「おー、マジか? ならうちのパーティに――」
「そういう冗談は好きじゃないな」
「マジ悪かった! 抜くの止めろ、ここ迷宮の出入り口だからな」
そっと双剣の柄を掴んだシャリオスの目は本気だった。
慈悲を懇願していたミルは忍び寄ったズリエルに立たされ、膝の砂を払われた。綺麗になったところで顔を上げ、彼は淡々と問いかける。
「職員として確認させていただきたく。ギルドは低レベル冒険者が下層進出する場合、双方の合意と安全性の確保のために、高レベル冒険者とのパーティを推奨しています。また、低レベル冒険者を合意無く下層へ進出させる行為は殺人未遂と同等の法的処分を下す用意があり、未遂であってもペナルティ対象としています。これはギルドに入った際に交わした契約第四項に記載した物であり――」
ズタ袋ごと道の端へしょっ引かれたユヒトは「あ、すんません。本職の方でしたか。ええ、ええ。ア、ハイ」と頭を下げながら合意文書を見せる。同じ物がギルドに提出されているという証明印部分を光に透かして確認したズリエルは、涙ぐむミルの頭を撫でながら言う。
「契約書は本物でしたので、ご安心ください。袋からは出させます」
事情を聞いたミルは、人攫いではない事にほっとした。
「ね、ちょっとシャリオスちゃん顔貸せや。なんで兵士が混じってんだよ顔貸せや」
「ちゃん付け止めろ。紛らわしいことしなきゃいいだけだろ。まったく……」
やっと袋から出されたユティシアは、ぶるぶると頭を振る。ウサ耳がべちん、べちんとユヒトの胸を叩いた。
「ぷはー! 酷い目にあったんですけどコンニャロー!?」
「お前が直前になって、だだこねるからだろう?」
「アンター! 探索期間が長くて、今回は四十八階層らへんまでうろつくからな? って言われれば嫌がるに決まってますからね? 私は魚を捕ってくれるっていうから行くと言ったんです! それがなんで四十八階層!? ヤベーどころの騒ぎじゃねーですが!?」
「契約第四項には、必ず探索内容の概要と期間を説明する責任がありますが」
「だー! 耳で殴るの止めろって。俺は説明したけど、こいつが目を金にして聞いてなかっただけだ。ちゃんとギルドで説明したし、横にはこいつもいた」
「シャリオス殿、事実確認をしたく思います」
引っ張り出されたシャリオスは長い長い溜め息をつく。ユティシアは怒りにまかせて頭を振りユヒトを耳で殴っている。攻撃力は無いがチラチラしてくるのがうっとうしい。
「ユヒトは説明してたよ? 今回は僕がルートを決めて指揮を執るから、一緒に付いてったんだ。魚も帰りがけに捕るし、仕事内容も道中の魔法補助や手伝いだし、戦闘は極力避ける。ズリエルが聞いたのと同じ内容を言った」
その直前、さすがに一級冒険者のパーティに誘われるのはおかしいと尻込みしていたユティシアは「大丈夫、魚捕るの手伝うし稼げるぜ!」というユヒトの言葉に「乗ったァ!!」と拳を振り上げ、そのことに頭がいっぱいになっていた。
「うっ、そ、そんな罠みたいな事が……まかり通ると」
「通っちゃうんだなーこれが。つーか、聞いてたなら頭に残せよ」
頬を染めたユティシアは「ほほほ」と誤魔化し笑いをしたが白い目で見られる。
「時間を浪費しましたが、行きましょう。ちなみに違約金は金貨二百枚と記入されています。支払えるようなら、ここで手続きをいたしますが」
「ぐ、金貨二百枚なんて払えるわけないですよ!」
「では、同行するか首をくくるか二通りとなります」
「冷たい!?」
「私もユティシアさんと、そんなにレベル変わりませんし、大丈夫ですよ。一緒に頑張りましょう」
「暖かい!? こ、こうなったら行きます! 違約金無理だし! くーっ! パーティ契約じゃなくて個人契約ってこういうのだから辛い、辛いです」
「半分は自業自得だろ。ほれ、行くぞ」
「大丈夫かな、この合同パーティ。……不安になってきたんだけど」
杖を振り回したユティシアが一行の後に続く。
こうして地図制作が始まった。
順調に進んだ一同は、四十一階層で小休止を取ることになった。
端の方で「え? 今日だけで二十階層以上更新したんですけど、どうなってんの?」と呆然としているユティシアの横で、シシリが探索予定表を握らせている。説明は諦めたようだ。微笑んでいるが、こめかみに青筋が浮いている。
その近くで、ミルは困っていた。
「な、なによ! 付与魔法使い如きにできるなら斥候役ができないはずが! ぐぬぬっ~!」
絡んでるのは、前回怪我をして倒れていた鼠人族の女性だ。名前はテレカルテ。
あまりにも滑らかに沼地を抜けたため、斥候役のプライドに傷が付いてしまったようだ。しかめっ面で障壁を動かそうとしているが、一ミミトも動かない。その肩をシューリアーイゼルが手を回して抱きしめた。
「悔しかったんだねぇ。テレカルテは目端も聞くし可愛いし可愛いし可愛いなぁ。尻尾もまぁるい耳も可愛いなぁ」
「や、止めなさい、練習してるのよ! ちょ、尻尾握らないで! はうっ」
「サンレガシ様、耳栓をしてください」
「お婆様」
「違います」
怪しい動きと始まってしまった何かを見せないように、背後から耳に綿を詰められ目隠しをされた。その後、話し合いにならないとユヒトに救出されたテレカルテは、顔を赤く染めながらシューリアーイゼルを蹴り飛ばし、喜ばせていた。
「やっぱり移動手段に欲しいな。風魔法だとあそこまで細かく位置取りができん。魔力も温存させたいしな。おいシャリオス」
「駄目。僕が先にパーティ組んだんだから絶対無理駄目無理無理無理ムリムリムリムリムリ」
「まだ何も言ってねぇよ。その通りだけどな!」
「おい」
顎に手を当てて考えてたユヒトは「ユティシアだと危なっかしい」とぼやく。
沼地で一瞬障壁が消え、落ちかけたことを言っているのだろう。
「にしても無属性魔法って使えるじゃん。やっぱり魔法ってそれぞれ使い道があんだねぇ」
完全にアルブムの遊び相手になっていたアークライトが、予備の腰紐を振りながら呟く。キメ顔が眩しいイケメンが小動物と遊んでいる様は絵になるが、本人が「ギャップ萌えの練習するんだ」と言っていたので残念さしか感じない。本番は誰の前でやるのだろうか。
今回は肉も焼かずに戦闘を避けて浮遊階段を降りたので、砂地にサメモンスターがぐるぐると回っている。彼らが自爆システムを知るには、自ら気付くか領主の許可が必要だ。
小休止を終わらせて四十四階層。
完全に気が動転して震えているユティシアと手を繋ぎながら、ミルは周辺を警戒する。
「ちょっとイケんじゃんと思ってたわたし。師は越えられない壁でした」
「気をしっかり! あちらから来ます!」
「ぎゃー!」
低い悲鳴を上げたユティシアは、ゴーレムを障壁で叩く。その反対側をミルの障壁が塞ぎ、ゴーレムは押しつぶされた。
「おー、頑張れよ初心者」
「鬼悪魔筋肉だるまー!」
「がはは!」
ユヒトはユティシアを気に入ってはいるようで、こうやって声をかけている。
【ラージュ】の案内で四十五階層への最短ルートを確認し、周辺の探索を開始する。黒門はくぐらず、門から門までの距離を埋める。距離もそうだが、地図を正確に書くだけでも技術がいるのだが、シャリオスは定規も何も使わずに、スルリと作っていく。
「やっぱり頭上から全体を見られるのが大きいね。範囲を確認できる」
長いロープには距離を測るための印がいくつも付いており、モンスターを蹴散らしながら測量をしていく。当初、たどたどしい手つきのミルだったが、一週間も経てば手慣れてくる。
三つの黒門から周辺を辿り簡易的に埋めた後、問題のスピリットの巣を見つけた。
四十八階層へ続く黒門の近くだ。
【ラージュ】が突破したのは四十五階層まで。そのまま進んでいたら死んでいたかもしれないと、このときばかりはユヒトも表情を険しくさせていた。
「四十八階層までのマッピング終了。帰還準備を始めよう」
「半月残ってるけど、引き上げるんですか?」
すぐそこですよね、とユティシアは質問した。
余裕があり、モンスターも問題なくさばくことができている。もう一階層いけるかと問われれば頷けるような状況だ。
しかしシャリオスは引き上げると決めていた。
「五十階層まで今の環境が続くけど、温度が高くなってるの気付いてる?」
「あ、そう言えば……」
次は火山の海だ。灼熱地獄と言っても過言ではない。
「水も食料も十分あるけど、余裕のあるうちに撤退したい。――帰りがけにモンスターの分布変わってないか確かめるし」
水を打ったように静まりかえった後、発狂したように彼らはのたうち回った。
「うわあああ格好付けるどころの騒ぎじゃねぇよ! また調査かよおおおおおお!?」
「……目眩がするような気がするわ。これはもう休むしかないわね」
「まて。おいまて」
「何で斥候役より斥候役するのよ! アンタ双剣使いの癖してー! きいいいいいい」
「ほーらテレカルテ。こっちにおいで、慰めてあげるから! へぶっ」
「うるさぁ~い!」
「嘘だろお前マジ嘘だろ!? うううううそだろおおおお」
床に転がったり額を押さえてふらついたりと忙しい【ラージュ】は、それでも引き返そうと野営道具を片付け始める。
仮病で逃げようとしたシシリも、逃げるのは許さないとばかりに働かされる。
ミルは優しく微笑むと言った。
「大丈夫ですよ。私がやった百万回耐久レースに比べれば何ともないです。これだけたくさんの人がいれば、戦闘だって早く終わりますよ」
「シャリオスちゃん。お前ん所の魔法使い、目つきがおかしいんだけど。ハイライト消えてんぞ。大丈夫か? 突然失踪すんじゃねえの大丈夫か?」
「ミルちゃん、どうしたの? 疲れちゃった? え、どうしよう……」
「ふふふふ何でもないですよ。あんこくまほうさんも手伝ってください」
「……。アウリール様、少し離れていただければと。サンレガシ様に話がございますので」
大盾を構えてシャリオスの視線からミルを隠したズリエルが、後ずさりはじめる。
「え、なに、どうしたの? ねえ、どうしたの!?」
「お前はこっちな」
ずるずると腕力に物を言わされ引き離されたシャリオスと、その真反対に連れて行かれたミル。
「ヤベェヤベェとは聞いてたけどヤベェな」
「イケメンの語彙のヤバさも凄いです」
残された【ラース】のメンバーは、リーダーがユヒトで良かったなと初めて思った。がさつなほうが融通が利くのである。
事情聴取めいたケアやら、ユヒトが「お前さ、限度を知れよ」と教え諭したりする間に、他のメンバーが帰還準備を終えたときだった。
四十九階層へ続く黒門から何かが飛び出した。
素早く構えた一行の眼前に駆け込んできたのは、総勢二十を超えるグランドパーティだ。迷宮を攻略するのに、これほどの大所帯も珍しく、もしかしたら一二を争う規模かもしれない。汗を滴らせながら倒れ込むのは戦闘員ばかりではなく、鍛冶屋や薬師、研究者まで混じっていた。
最後に入ってきたのは、大男だった。ズリエルよりも頭一つ分高く、弓と小斧を背負い、腰に剣を佩いていた。他に短刀が二本と、裾のすり切れた紺色の服に皮鎧を重ねている。癖のある緋色の長髪で、金の瞳が苛立ちで釣り上がっていた。細面の顔は整っており、指先まで鍛え抜かれた戦神のようだ。
一人、余裕さえ見える足取りで立ち止まった大男は、周囲を見回すと顔を歪める。
「チッ、ゴミ共がいやがった」
「……てめぇ、グロリアスか? くたばってなかったのか」
彼は手の甲で汗を拭うと、周囲を見回し、再びユヒトに戻す。
「そう見えるなら節穴だな。まあいい手伝え。倒した獲物はくれてやる」
「やーだね。俺達はもう引き返すんだ」
知ったことではないとばかりにグロリアスは不敵に笑い返し、門の向う側を指す。
「火山階層は砂漠と同じだ。黒門はあるが階層は全て繋がっている。馬鹿じゃなければわかるだろう」
遠くから聞こえる甲高い鳴き声は鳥のものだ。それが幾度も重なり、騒音のように響いている。
青ざめたのは、ユヒトだけではない。
「来るほうが速いね」
「そういうことだ」
冷静に告げたシャリオスは双剣を抜く。
慌てるユティシアに杖を持たせたミルは、口の中に水グミを放り込む。曇った空の向こうから、雷鳴のように光る群れ――炎鳥の大群が巨大な火球のように迫るのを見つけたからだ。
頭を抱えたユヒトが唸った。
「恨むぜグロリアス!」
「勝手にしろ。――なにぼさっとしてやがる。仕事をしろ」
静かな声だったにもかかわらず、底冷えするような迫力があった。グロリアスに睨まれたのは一人の女性。
彼女はハープを地面に置くと同時に指先ではじき出す。するとグロリアスのパーティメンバーに光りが纏わり付き、体内に流れていく。
横に居た男性がハープの女性を守るように剣を抜いた。
「ミルちゃん、足場!」
「<障壁>、<攻撃力増加魔法>、<魔法攻撃強化魔法>。アルブム、護衛をお願いします」
「キュキュ」
追手は炎鳥の群れだった。赤い炎を纏った鳥は、獲物を見つけた途端、喉の奥から炎の渦を吐き、大気を焼く。
ミルは複数展開した付与魔法をメンバーにかけながら障壁を動かした。
空中に現れた二十四枚の障壁は一部は付与魔法で色を変えている。慣れたように飛びながら踏むシャリオスは、炎鳥の群れに躍りかかった。
自らに<感覚強化魔法>をかけ視界を確保しながら、ミルは補助魔法を回していく。ズリエルはシャリオスが叩き落とした炎鳥を地に縫い付けるようにたたき伏せ、一撃で首を跳ねていく。
「ユティシア、お前も足場やれよー!」
「わたしに出来ると思ってるなら、大間違いです!」
怒鳴り返しながらユティシアも障壁で炎鳥を叩き落としていく。
「うー、耳が痛いっ! なんて鳴き声出すんですか、あいつら!?」
「確か炎鳥の鳴き声は、酷いと鼓膜が破れた、はずっ!」
「げー!?」
兎人族に限らず獣人は耳が良いので辛いだろう。
ミルは襲いかかる炎鳥を避けながら杖を回す。
「<音声増加>! 突撃してる方、一時後退してください!」
瞬間、一斉に後退した前衛を見て、体に付けっぱなしの障壁を総動員し唱える。
「<障壁>」
更に増えた障壁が炎鳥の群れを押すと杖先を向ける。しつこく向かってくる個体を叩いて戻し、思い切り魔力を込め叫んだ。
「<沈黙魔法>!!」
瞬間、鳴き声が止んだ。
「<鈍足魔法>!」
明らかに炎鳥の動きが精彩を欠いた。その隙に水グミを噛みつぶし、青ポーションを飲む。減った魔力が体に満ちていく。
「<止まれ>!!」
額から流れた汗が顎を伝い落ちる前に、動きを封じられた炎鳥が落ちる方が速かった。
「行ってください!」
怯んでいた全員が一斉に躍りかかった。
魔法を維持するために魔力が減るが、半分を切る前に、炎鳥は一掃された。
炎を纏っているが、体内は普通の鳥と同じようだ。
血糊を払ったシャリオスが鞘に短剣を仕舞いながら近づいてくる。
「今のどうだった?」
「<止まれ>の魔力消費がかなり大きいので、連発は無理だと思います。<鈍足魔法>も個体が多いせいか、あれ以上増えると抜けが出ます。<沈黙魔法>はいらなかったかもしれません」
「そっか。でもありがとう。早く終わって良かったよ」
「お師匠様、さすがです! さすがすぎてやり方教えてくださ――」
駆け寄ってきたユティシアがあと四歩の位置で止り、ミルの頭上に視線を動かしていく。振り返ろうとしたときには遅く、頭の上からのぞき込まれていた。
「何を入れている」
言葉と同時に無遠慮な手が顎を掴む。グロリアスの二本の指先が唇に触れ、歯を割ると中の水グミを掻きだした。そしてあろうことか、自らの口の中に入れ「青ポか?」と小さく呟く。
あまりのことに口を押さえたミルをシャリオスが背中に庇った。
「なんだこの変質者!」
「確かめただけだ。ポロ、払ってやれ」
「かしこまりました。お嬢様方、どうぞこちらへ」
そう言って呼ばれたのは、ミルの腰ほどしかない背丈の少年だった。丸い輪郭に少しだけ尖った耳をしており、黒コートを着ている。白い髪によく似合っていた。
特有の高い声をしているのだが、違和感に首をかしげた。するとシャリオスが手を当てて、こっそり耳打ちする。
「小人族だよ」
「す、すみません」
「いえいえ。この地域では滅多に見る事もないでしょうし。ですが見た目より爺でしてね、あちらで座って話させていただいても?」
「行こうか」
ズリエルと目配せしたシャリオスは、ミルの背中を押す。
戦闘が終わり、山のようにある炎鳥の死骸から羽根をむしる作業に入っている。パーティ同士で諍いが起こらないのは顔見知り同士だからだろうか。
「では改めて謝罪を。我らがリーダーが失礼をしましたこと、お詫びいたします」
「あれはどういうことだ。か、かんっ間接キス、じゃないか!」
炙られたように顔が熱くなったのは気のせいじゃないはずだ。シャリオスが「破廉恥野郎め!」と怒っていることにミルは完全に同意する。
「申し訳ございません。お嬢様が口にしていた物が気になったようです。しかし女性の口から物を取るのは節操がありません。仰る通りでございます。絶対に止めるように進言いたしますので、この場はご容赦ください」
「あんなことが何度もあってたまるか! 次やったら絶対協力しないから」
頭を下げるポロだが、シャリオスの怒りは冷めぬようで、バイザーを上げていれば青筋を浮かべた姿を見られただろう。声が針のように尖っている。
平謝りしたポロは懐から手の平二つ分ほどの紙束を取り出すと、万年筆を取り出した。中にインクが入っているようで、インク壺がなくとも黒い線が描かれていく。地上でも見ない特注品だ。
「先ほどの品について、詳細を教えていただければと。そのぶんの代金も上乗せさせていただきます」
「金を払えば解決だと思ったら大間違いだ。まったく……」
「とりあえず、謝罪もいただきましたし、この辺にしませんか? ……いひゃいです」
半目になったシャリオスに、なぜか頬をつままれた。
「自分の事なんだから、もっと気をつけないと。男にあんな風に触られちゃ駄目だ。危機感足りないのわかってるのかな。このこの」
「んー!」
「キュアキュ。ギュー」
そろそろ止めてよね、とアルブムが足に噛みつき引っ張ると、ようやくシャリオスは手を離した。ひりりと痛む両頬を押さえると「よろしいですかな?」とポロが控えめに聞いてくる。
別の意味で顔を赤らめたミルは居住まいを正す。
「あれは水グミで、中には青ポーションの原液が入っています。量は三百本分でしょうか」
水グミの値段も答えると、ポロは紙に金額を書き付けるとサインし、魔法をかけた。
「小切手の代わりになります。こちらをギルドに持っていけば代金を引き出せます。この度は大変ご迷惑をおかけいたしました」
慰謝料を上乗せした金額は金貨二十五枚を超え、目を見開いているうちにシャリオスが受け取ってしまう。高すぎではと言う言葉は、彼が両手で何かを伸ばす動作をした瞬間、腹の底に落ちた。
深く頭を下げたポロは帰っていき、シャリオスは荷物をまとめると炎鳥の羽根を袋に詰めているユヒトに声をかけた。
「そろそろ行こう」
「その前に、お前らの取り分どうするよ。活躍した順から割り振ってくか?」
「上がってから決めよう。マジックバッグに全部入れていいよ」
「お! いいの持ってんだな。どこで買ったか教えてくれよ。持ち込める物資が少なくて大変なんだ」
目を光らせたユヒトが号令をかけるまでもなく【ラージュ】達が残そうか迷っていた炎鳥をかき集め始めた。とくにユティシアは別人のように這い回っている。
ミルは三歩後ずさった。
するとシャリオスにぶつかり、謝る前に脇の下に手を入れて、持ち上げられる。足がぷらりと浮いた。魚の件を彷彿とさせる行為にギョッとするが、そのまま荷物を転がしている場所に輸送されただけだった。
「荷物番よろしくね。……目を離すとすぐ変質者が寄ってくるんだから。ここなら僕、見てられるから安心だし」
そんなに寄ってこないのではと思ったのだが、雰囲気が怖かったので言葉を飲み込む。
仕方なく眺めていると、ハープの女性がよろめいた。障壁をずらし抱き留めると、不思議そうにする。その直ぐ後に、戦闘中、彼女を守っていた剣士が慌てて駆け寄った。
「大丈夫よ、あなた。助けていただいたから」
「いったい誰にだい?」
不意に視線が集まり、思わず会釈をする。
「ありがとう。済まないが、妻を隣に座らせてもいいかな」
「構いませんが、具合が悪いのでしたらポーションをお出ししましょうか?」
「病気ではないんだ。その、妊娠していてね」
「まあ! おめでとうございます」
妊婦なのに全力で走ってきたのか、なぜ迷宮に……と色々湧く疑問を飲み込む。
座りかけたのを制して毛布をひくと、彼女は再び礼を言って座り込んだ。疲れているのもあるが、やつれて顔色が悪い。
「申し遅れた。私はセドリック。妻はジュディットと言う」
「ミルと申します。僭越ながら奥様、お加減が悪いのでしたら横になられたほうが」
「ありがとう。……ふふ、奥様なんて言われると、おもはゆいわ」
少し微笑んだジュディットは目を瞑ると、すぐに眠ってしまった。
頬にかかる栗色の髪を払ったセドリックは目を伏せる。
「片付けが終わるまで奥様はお任せください。アルブムも居ますし」
「申し訳ないが、よろしく頼む」
深く頭を下げると、セドリックは呼ぶ声に飛んでいく。名前を呼ばれたアルブムは、ジュディットの指先を嗅いで、ちょんと前足で触ると、あとは興味を失ったようだった。
ミルの膝の上に乗り、喉の奥が見えるほど大きな欠伸をする。
柔らかな背中を撫でながら障壁を一つジュディットに付けると、ミルは手伝うのを止め、周囲を見回す。
あれほど大騒ぎをしていたにもかかわらず、モンスターは寄ってくる気配を見せない。小休止をとれる安全なリトルスポットになりそうだ。